第37話「孤影悄然のまる09:大人の都合なんて猫跨ぎです」
宇宙で現れた羽賀氏。
集結したコピ・ルアックの上級船員たち。
いよいよ佳境です。
(承前)
「宇宙筏」に、羽賀は突然現れた。
相変わらずの唐突な展開だったが、もう少々の事では〈コピ・ルアック〉のクルーも慣れっこになっていた。むしろ、相変わらず読めない表情の羽賀を目の前にして、まるはちょっと憤慨していた。
「結局ここは何なの? 私たちの世界の過去なの?」
「いきなり核心を突く質問ですね」
羽賀は口の上あたりに手のひらを当て、人差し指で鼻の下を擦る。超然とした羽賀だったが、こういう処にはまだ人間性が多分に残っているのが見受けられた。そしてこれは、口を覆うという無意識の行動が、ある程度言い淀むに値する事態があることを意味していた。
「言い辛そうね?」
「というより、説明が難しいのです。ここは紛れもない21世紀の地球ですが、あなた方の本来の時間である28世紀に直接つながる時間線と言えるか、というと、微妙なもので……」
「並行世界、とか?」
ラファエルが探りを入れる形で尋ねる。
「厳密には違いますが、似たようなものですね」
まるはイライラと頭を掻いた。猫のままだったら多分あちこちに噛みついていただろう。
「ここにきてからこっち、釈然としないことが多すぎるのよ。何を隠しているの?」
「そうですね……現時点のあなた方にはまだ話せないことがいくつもある、とだけ言いましょうか」
「もう一つ聞きたい」
「何でしょうか?」
「羽賀さんは、私たちの味方なの? それとも敵?」
今度は羽賀は手を目に当てて天を仰いだ。その姿勢のまま軽く笑い。それから再び読めない表情になってまるの方を見た。
「正直に申しましょう。私はあなた方の味方でも、敵でもありません」
「そういうと思っていたわ」
「流石に分かっていますよね。……私、いや、『銀河第三渦状腕調停組織』はあなた方を利用しているに過ぎません。利害が一致していれば味方、相反していれば敵ともなり得ます」
まるはまた少しイライラとした動作を見せると、きっ、と羽賀を見返していった。
「そんな事は端から分かってるわ。そこじゃなくて。人間『羽賀俊樹』を含むあなたというパーソナリティは私たちの味方なの?」
聞かれた羽賀はそれとはっきりわかる表情の変化をした。そしてしばらくの間のあとに答えた。
「私は、あなたの友人ですよ。まる」
「有難う、それが聞ければ十分だわ。それで、私たちは多分望まれている結果を出したんだと思うけど」
「ええ、大正解でした」
「ここからは全くの白紙なの。わざわざ宇宙まで来て、私たちは何をすればいいの?」
§
帰りのエネルギーは心配しなくてもよい、という羽賀の説明に従い、「宇宙筏」を、指示に従って運行させていくと、行く先に周囲の宇宙と違い、背景の星雲や星々が無い、真っ黒な塊とでもいえばいいのだろうか。そういうものが見えてきた。遮蔽、という技術はいわば光学迷彩の行き着いた究極である。だが、これはそれに比べればあまりにお粗末だ。
「何かを偽装しているの? その割にはバレバレなんだけど」
「まあ、見ていてください」
羽賀は空中の何もない処を操作した。
「うちの筏にはそんな装備ない筈なんですけどねえ」
太田は口をとがらせながら言った。
「これは失礼、一応私自身の端末へのジェスチュア入力なのです」
だが、これにはまるが疑問を持った。
「羽賀さんの持ち物にしてはずいぶんチープなのね」
羽賀は乾いた笑いを浮かべる。
「ええ、これは私の持ち物ではないです。中身もね」
彼の操作に呼応するように、漆黒の塊が変化を見せた。亀裂が入り、そこから中身が現れてきた。
「これ、どれくらいの大きさが有るの?……いや、聞かなくてもいいわ。わかった」
広がっていく亀裂の下には、乳白色の船体が有った。全長1km、ドーム状の主船体800m、4本の有機形状ワープエンジンナセルが、主船体から延びる亜光速エンジン部に接続している。主船体にはぐるりと30門の高出力重核子砲。主船体中央下部には強力無比な次元転移砲1門。
懐かしい、とても懐かしい。
「ああ、私の家……」
まるの目から一筋の液体が流れていた。人型プローブの中のエメラルドグリーンの瞳にも、プローブのフィードバックでは抑えきれない熱いものが溢れていた。
船体の名前は、独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉……。
他の乗員も泣いていた。言葉にならなかった。いや、言葉は要らなかった。
「おかえりなさい、まるさん」
羽賀は静かに云った。
§
疑問はいっぱいあった。〈コピ・ルアック〉のセキュリティは解除されていて、暗証コード無しで入ることが出来た。他の乗員は居なかった。
「FERIS?」
まるはコンピュータに呼びかけてみた。返事はない。
「彼女は居ませんよ。他の乗員も」
羽賀は静かに云った。
「何がどうなっているの?」
まるは混乱して尋ねた。
「少しずつ説明します。少しずつね」
あれだけ騒いで修理した食糧プラントは無事だった。電源も無事。電源を稼働させる生体電池も問題なかった。コンピュータ系は船を維持する必要最小限は稼働していたが、FERISのFERISたるコアは物理的に存在していなかった。船を支えるためのドロイド、ドローン群もともに行方不明。386人の乗員も行方不明。
船の装備としては、次元転移砲のコアモジュールが喪失している。重核子砲門もすべてエネルギーコンジットが破損していた。
そして、搭載艇。〈渡会雁金〉と〈八女白折・改〉も姿を消していた。唯一、高度作業艇〈ブルボン・ピーベリー〉が残されていた。地上に居る〈川根焙じ・改〉と合わせて2隻が残されたことになる。
「我が家は戻って来たけれど、手足をもがれたも同然。か」
まるはちょっと残念ではあった。まあ、これだけの異常時、船が帰って来ただけでも奇跡なのだが。
「羽賀さん、どうなっているんです?」
「わかりました。では、場所を移して順を追って説明しましょう」
§
出口さんは情報汚染うんぬん以前に、あまり多くのカルチャーショックを与え続けるのはよくないという判断から、客室の一つをあてがうことにした。彼女が時間をつぶせるようにアレクシアが同行し、まるたち他の乗員は中央リフトを通り、ブリッジに到着した。
いつもはブリッジ下部構造には20人以上の乗員が働いているが、今はがらんとしていた。まるたちは上部構造に機能を集約させるために一通りの確認を済ませると、下部構造の中で一番広い、球体ホロスクリーン前に集まって、羽賀の話を聞くことにした。
そして、羽賀の長い話が始まった。
発端はまるたちが「アレクシアの料理天国」を売却し、打ち上げを行った夜に遡った。
飲酒時に人型プローブから僅かにまるに回されるアルコールで、まるもほろ酔いであった。そこに掛かってきた織田の交際を求める通信に、まるは切れた。本人はうろ覚えなのだが、威勢よく啖呵を切ってこっぴどく彼を振ったのだ。
「まあ、あれはタイミングが悪かったわよね。私もよく覚えてないんだけど」
まるはなんだか落ち着かない感じだった。
「まあ、これが問題の発端になるとは、誰も思いませんよね……。続けますね」
羽賀の話は続いた。
財力もある、社会的な地位もある、容姿も良い。そういう人物が言い寄っても、相手に袖にされるというのは、男女の話ではままある事ではある。織田氏も吹っ切ろうと思ってはいた。しかし、振られっぱなしではなんとなく癪になったので、一泡吹かせてやりたいと思ったらしい。
「うわあ、迷惑な話……」
アレクシアが呟く。羽賀氏は一息入れて続ける。
織田氏は〈コピ・ルアック〉に恨みを持つ人物を探した。しかし、敵対した勢力は殆どが逮捕されるか、逆に〈コピ・ルアック〉に協力関係を結んでいる事実に突き当たった。だが、この事実が織田氏に火をつけた。逆切れと言っても良いかもしれない。
そこで、彼は手を出してはいけないものに手を出した。
〈大和通商圏〉には、羽賀参事官を通して、『銀河第三渦状腕調停組織』が介入している。この組織は、本来は地球人圏と共に併存している異星人圏での問題を調停するためのものである。つまり、地球人圏には、直接の関わりを持つ種族は少ないものの、異星人はそこらじゅうに溢れているのだ。織田氏は、その中で数少ない、調停組織を通さずに話のできる異星人と連絡を付けた。そして、ほんの少し〈コピ・ルアック〉のクルーたちを驚かしてくれるように交渉したのだ。
一件、取引は成立したかに見えた。
だが、その契約は履行されなかったのだ。
「織田氏が契約しようとした相手は、『銀河第三渦状腕調停組織』によって行動を制限されました」
羽賀は静かに云った。
「違法行為をしようとした、っていうこと?」
まるが尋ねると、羽賀はため息をついた。
「そういう訳ではないのですが、彼らの行動が別の物を刺激してしまいました」
まるは眉をひそめた。話が読めない。
「どういうこと?」
「面倒臭い話なのです。織田氏と契約を持つという事は、地球人類の社会での広い販路を持つ織田氏とのコネクションを持つ、という意味が有ります」
「うん?」
「つまりそれは、地球人圏への介入を目論んでいる幾つかの種族の、地球人への交渉についての大きな利権なのです。当然のように、利権争いが発生してしまいました」
「ははあ……でも待って、地球人との交渉については既に〈EXTR183〉、つまり子の彼の種族が既にやっていることよね?」
「そこなのですが、ちょっと事情が違うのです。〈EXTR183〉は、地球人との交渉については『銀河第三渦状腕調停組織』公認なのですよ」
「ますます分からないわ」
「ええと……ここから先はちょっと気分を害されるお話になるかも知れませんが……」
「良いわよ。毒を喰らえば皿までだわ」
「彼らからしてみれば、地球人類は『未開』なのです。そして、同程度に未開だったのが〈EXTR183〉です。文化レベルが近い人種同士の直接交渉については、『銀河第三渦状腕調停組織』は寛容です」
まるは、どうでもいいわと思いつつ答えた。
「別に人類が、他の異星人からどう思われていようが関係ないわ。それで?」
「28世紀の地球人圏への利権は、そうですね……21世紀のこの地球人圏でいう処の、後進国に対する利権と同じです」
「つまり、未開人である地球人類は、異星人にとって広大なマーケットである、と」
「そうです。それを巡っての争いに発展してしまいました。そして、その矢面に立ったのがこの独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉でした」
「織田の阿呆が軽くちょっかいを掛けようとしたのを、異星人が過大評価しちゃった、とか?」
「まあ、簡単にまとめてしまえばそういう事ですね」
「それで、何で〈コピ・ルアック〉と私たちは個々に居るの?」
「これは隔離措置です。あなた方と航宙船〈コピ・ルアック〉は、異星人間の争いを避けるために、本来の時空への歴史的接続の蓋然性が低く、彼らから見つけにくいこの島時間に、『銀河第三渦状腕調停組織』によって『隔離』されているのです」
§
〈コピ・ルアック〉の他の乗員は標的になる可能性が極めて低い、という事で、前回休暇に使った惑星〈白浜〉のリゾート地に、場所を確保して保護しているらしい。FERISと船内ドロイド・ドローンの類、並びに搭載艇は、更に別の場所に隔離されたらしい。武器の類も、万が一の事を考えて動作できないようにしてあるそうだ。
「でも、異星人たちは私達より遙かに『発達』しているんでしょ? 〈コピ・ルアック〉の武装を解除した措置の意味が分からないわ」
まるの疑問に、羽賀は静かに答えた。
「進歩のベクトルが違うのですよ。彼らはこれほどまでに集積された破壊兵器や、高度化された人工知能に遭遇したことが有りません」
「え?」
「そしてまる。あなたです」
「えっ、えっ? 私?」
「あなたは生物的階梯をいくつも軽々と飛び越えて、生物としての「人」のポテンシャルを飛び越えました。これはピンインや阿於芽にも当てはまります」
彼らが話していると、ブリッジにつながる中央リフトの動作音がした。
「やあ、皆さんお揃いですか」
現れたのはまさに今話していたピンインだった。
「えっ?」
まるは先程から驚いてばかりの自分が馬鹿みたいに思えてきた。
「そう、阿於芽は単純にあなた方の手伝いをさせるためにここに送られたわけではないのです。彼もまた隔離対象でした。ピンイン、君もそうですね」
羽賀の言葉に、阿於芽は嫌そうな顔をした。
「えーっ、そうなんだ」
重要なことが一つ抜けている。まるは質問した。
「隔離対象。って、いつまで? どうすれば私たちは帰れるの?」
羽賀は答えなかった。
「羽賀さん!」
まるは詰め寄った。
「分からないのです。あなた方はあの時代、あの世界における政治的・歴史的な特異点になっています。私達のいくつもの予測が、あなた方があのままあそこに帰った場合に、〈コピ・ルアック〉とそのクルー達の悲劇的な終焉だけではなく、地球人類圏を巡った、様々な異星人を巻き込む長い戦争の発端になるという結論を出しています」
「じゃあ、私たちはここに永久に島流しですか?」
「それもあり得ません。あなた方が消えることは、その未来に予測されている幾つもの事象を壊滅させます。それはまた、人類の存亡にかかわる事態も含まれているんです」
「無茶苦茶だわ」
羽賀は目をつぶった。
「無理は承知です……大変申し訳ないですが、あなた方は、ここで何かを得て、元居た時空の事態を収拾することを望まれているのです」
まるは天を仰いだ。
「それは『銀河第三渦状腕調停組織』ですらできない事を、私たちにやれ、という事よね?」
「はい」
「冗談でしょう。せめてFERISでもいれば少しは先が見えるかもだけど」
羽賀は只静かに目をつむったままだった。
「まる、それなら何とかなるかもしれないよ」
阿於芽が口をはさむ。
「どういう事?」
「だって僕は、この事件後、一度FERISと話しているんだよ? ねえ、ピンイン」
ピンインは難しい顔をしながら頷いた。
「ああ、だが何とか出来るかどうかは分からないがね」
まるはピンインに詰め寄った。オセロットは結構大型の猫族だが、人型プローブをまとったまるに詰め寄られると、流石にたじたじとなった。
「だから、どういう事なの」
「ちょっと待ってくれよ。詳しくは一度地球に戻ってからにしないか」
「戻る……って?」
「〈コピ・ルアック〉で地球に降りるのさ」
§
独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉は、110G以上の加速に耐えられる亜高速航宙船である。しかも、外圧にも耐えることができるため、基本的には惑星の大気圏内での行動が可能だ。問題は、着陸できるデザインになっていないことである。
だが、着水なら可能だ。
「この船の偽装処置は、ピンイン君にお願いしました」
「急場でこんな巨大なものを隠すのは大変だったよ。ほんの2時間前までは船内環境維持の電力しかなかったからね」
FERISの高度知性部分がないだけなら、〈コピ・ルアック〉の運用を始めてしばらくはそうだったのだが、今回は必要最低限部分以外ごっそりなくなっているらしい。よく動かせたものだとまるは感心した。
「亜光速未満の航宙なら現状の乗員でも全然問題なく行えはするけれど、まさか着水をこの少人数でやるとはねえ」
まるは事態の展開に呆れてつつ、大田、加藤と一緒に操船処理を行っていた。
「レーダー偽装は出来るから、後は光学探査されないようにすることだけなんだがね」
「地上を光学探査している人工衛星群は、この時代にはほとんど全地表を網羅しているんじゃないの?」
「衛星を騙すくらいなら大した事をやらなくてもいい。フォースフィールドの偏光特性をちょっといじってやれば良いよ」
「このサイズのものが着水する衝撃は?」
「まあ、それはちょっと洒落にならないから、嵐の雲の下で行うかね」
そういいながら、ピンインは着水ポイントの割り出しを行っていた。
「ちょうどおあつらえ向きのが有る。台風13号「メーギー」か。カテゴリ5のスーパータイフーン、中心気圧885hPa 《ヘクトパスカル》。これは大荒れだな」
「船体壊れないでしょうね」
「戦闘モードのフォースフィールドさえ展開していれば、超音速での衝突に耐えたり、巨大ガス惑星〈タロス〉の大気にだって潜れるという話でしょう? あそこの竜巻とかに比べたら屁でもない筈です」
「……まあ、その気になれば恒星にだって潜れるけど……軌道を保つのは大変になるからね」
話していると、阿於芽が茶々を入れる。
「そこは根性で!」
「航宙船の操縦に根性とか言わないでよ」
まるは船内通信を入れた。
「これより本船は探知を逃れるために、地球海上の大規模嵐の中へ着水します。アレクシアさん、出口さんを固定してあげて」
『了解。無事を祈りますよ』
幾ら大丈夫、と、頭では分かってはいっても、荒れる大気に入っていくのは猛烈に覚悟が必要だ。
「ブリッジ要員も全員身体を固定。フォースフィールドを戦闘モードへ。姿勢制御を大気圏内モード『強』へ。船殻温度高速循環開始」
まるが指示を出すと太田が応える。
「了解船長。現在コースは大気圏突入コース、減速しつつコースを維持」
大気圏に突入したのか、船体に細かい振動が起きている。
まるが現状を読み上げる。
「フォースフィールド安定、船体は0.01度東方向に流されているので補正。上下角は維持」
「了解、西に0.01度転回」
前部モニターには、眼下に広がる巨大な白い「目」が映し出されている。白い雲の瞳に相当する部分にはぽっかりと穴が開いて、青い海が覗いている。超絶規模の台風の姿は、やはり畏怖を呼ぶものであった。
「これより台風上空の乱流に突入します」
まるはそう言いながら、視野を埋め尽くす立体モニターに映し出されている巨大な積乱雲と、その周囲に広がる巨大な台風に圧倒された。宇宙での現象にはそうそうスケール感はない、だからどんなに大きくてもぴんと来ないことがままある。地上はその点、対象が有るので相対的にどの程度の規模の減少波を体感できる。台風はインドネシア全域から台湾中国本土を巻き込んで広がっている。それはまるで地球という眼球に出来た白い瞳孔の様だった。
「流石にゾッとしないです」
加藤は刻一刻と変わる状況に対応する太田とまるのアシストに追われながら、肩をすくめた。
「無駄口叩いてる余裕があるとは流石、うちのルーキーは違うねぇ」
まるは軽くあしらいつつ、自分の作業。すなわち台風との格闘に専念した。
「台風に突入、広範囲の光視界失われます。以後は電磁波中心での観測に切り替え」
表示が鉛色の雲一食になる寸前、複雑な彩色の電磁波解析画像に変わった。
外部では凶悪な暴風が吹き荒れている。〈コピ・ルアック〉のフォースフィールドは戦闘用の黒褐色の状態に遷移しており、ギガトン級の核攻撃でもびくともしない状態であったし、FERIS用コンポーネントを根こそぎ持って行かれてポンコツ化したコンピュータで無ければ、この程度の惑星の嵐ならフルオートで着水できる性能はあった。だから、まるたちのやっていることはまあ、自分たちが船内で中でシェイクされて、例の緩衝材でボール詰めにならないための活動だと言えた。
「海面、見えました。着水します」
太田が淡々と報告する。巨大な船体は水面にタッチダウンすると、激しい水しぶきを上げた。
「これより潜航活動で日本国の長崎県沖に接近します。以後は自動制御可能です、おつかれさまー」
こうして、彼らは、我が家と共に地球に帰還した。
§
「さて、と」
まるは人型プローブの装着を解いて、本来の猫の姿でブリッジの船長席に居た。
「地球に戻ったはいいけど、どうやって上陸するつもりかしら」
羽賀は笑いながら答えた。
「さあ?」
だが、すぐに秋風が応える。
「大丈夫です。工作室が使えるなら直ぐに揚陸艇を用意します。それで……」
彼は阿於芽を見ると一言伝えた。
「阿於芽、〈川根焙じ・改〉はどうやって回収する?」
「どうやって、って……どうしようね?」
阿於芽は舌を脇に少し出して目を泳がせた。何にも考えていなかったらしい。
「出来ればすぐ回収して来てほしいんだがねえ。あれに搭載してある遮蔽装置があれば簡単に隠密活動できるから」
まるは仕方ないなぁという表情をしながら聞いた。
「阿於芽の持っている個人用遮蔽装置の効力範囲は?」
「んー、装着時に接触体をトレースして効力範囲を決めるんだから、シームレスにつながっているものなら結構広範囲に効果が出るんじゃない?」
「結構いい加減ねえ……接地面とかはどうやって効力範囲から除外してるのか、一寸謎だけど」
「それはまあ『常識的判定』をしてるんじゃない?」
<十分に発達した科学は、魔法と区別がつかない。か。異星人テクノロジーなんか嫌いだわ>
「じゃあ、取り敢えずそれを持ってきて、〈ブルボン・ピーベリー〉を遮蔽できたら、それで運べるから」
「わかったよ」
実際に〈ブルボン・ピーベリー〉に設置してみると、大体の部分は遮蔽できるのだが、長いマニピュレータ・アームだけが遮蔽されないことが分かった。
「変な感じ」
「まあ、これ位なら良いんじゃない?」
「やめてよ、それこそ『不気味な物体が浮遊』とか言ってニュースネタにされちゃうわ。秋風君、これ外せるかしら」
「やってみましょう」
アームは簡単に外れ、〈ブルボン・ピーベリー〉はコロンとした丸いカプセル状になった。
「こういう不具合が有るんじゃ、確かに通常の遮蔽擬装には使えないわね……。とりあえずこれで出発しましょうか」
「これって、空飛べるんだっけ?」
「高度作業艇は本来は真空中のEVA用なのよ。大気圏での作業は想定されていない。でもま、水中なら動けるわ」
§
到着した軍艦島では桟橋から入るわけにもいかず、北西部にある海岸に面した半壊した埠頭からのぼり、廃墟を歩くことになった。こういう行動には人の格好より、猫の方が都合がよい、という事で、阿於芽とまるは敢えて猫のままで上陸し、ぴょんぴょんと瓦礫を飛び越えて進んだ。
「まるはそのまま〈ピーベリー〉で帰ればよかったのに」
阿於芽は不思議そうに聞く。
「秋風君が一緒に帰ってくれ、って五月蠅くてねー」
「僕、信用されてないんだねえ」
「出会った時にあれだけの事をやった相手を、いきなり信用しろって云うのが無理な話なんじゃないの?」
(註:「珈琲豆は焙煎中」02~04話参照)
「ん? 僕、何の事か分からないやぁ」
「良い性格してるわ本当に」
「ねえまる」
「なによ」
「僕ら猫二匹なんだから、猫語でコミュニケーション取ればいいんじゃない? 喋ってるの聞かれたら問題でしょ?」
「馬鹿じゃないの? 簡単な意思と情緒しか伝わらないんだから、論理的なコミュニケーションにならないでしょ」
「にゃうん」
まるの言葉をあっさりスルーして、阿於芽は猫語に切り替えると、甘い鳴き声で誘った。
<ほんと、勝手だわ>
「あーう」
まるは尻尾をゆーらゆーらと揺らしながら、少し怒り混じりの威嚇で返した。
「なぁあ↓う」
阿於芽はちょっと悲しそうに返すと、すたすたと廃墟を歩いて、崩壊したビルのキャットウォークを抜けると、階段をのぼり、むき出しの鉄骨をそろそろと歩いて行った。ここを抜ければ着陸点は目と鼻の先だ。だが、その鉄骨は朽ちていてぶらぶらとしている、今にも折れそうだ。
「にゃっあっあっあっあっあっ」
まるは短い連続音声で危険を注意喚起した。だが、どう見ても阿於芽はロクに注意などせずに歩いている。
<しょうがないわね……>
まるは見回すと、安全そうな道から彼を追った。
「ふぁーーーっ」
近くまで来て、まるは怒りをあらわにしてこっちに来るようにと促した。
「にゃっ」
阿於芽は居に関せず、というより、楽しんでいるように尻尾をピンと立ててまるを誘う。
「もうっ、いい加減にしなさい……っ!?」
まるが切れて、ゴーグルの翻訳機能を再開させた直後。彼女の方の足場が崩れた。
<あ……!>
慌ててコンクリートにガリガリと爪を立てるが、そこも一緒に崩れ落ちていく。高さは7階である。19階から落ちて生存した猫もいるが、まるの落下先は瓦礫だった。流石に猫でも、これはダメかもしれない。
§
「羽賀参事官さん」
ラファエルは落ち着かないようにブリッジで猫二匹の帰還を待つ中、不安の矛先を彼に向けた。
「羽賀、で、結構ですよ。今私の肩書は意味を為しませんから」
「私たちをここに送り込んだのは、貴方ですよね」
「……はい。私です」
「出現した際の置かれていた立場とか、出現タイミングとか、色々と違っていましたが、あれは意図したものですか?」
「ええ」
「……なるほど」
「多少、意図とは違う結果になった方もおられましたが、大方は予想通りでしたよ」
「秋風君はもう少しましな状態になる予定でしたかね」
「ああ、まさか浮浪者状態に落ちるとは思っていませんでした。彼には申し訳ない事をしました」
その彼は今、工作室で嬉々として揚陸艇を設計、製作している。
「一番気になるのは、異星人〈EXTR183〉である『思索の杖』君が一緒に居る事ですがね」
「ああ、その件は割と重要なキーに……」
羽賀とラファエルの会話は、緊急通信で打ち切られた。
『副長! 船長が……』
「どうした?」
何気なく通話に出たラファエルは、戦慄した。
(続く)
明かされていく発端。帰ってきた〈コピ・ルアック〉。
しかし、まるの身に危機が……
彼らはどうなっていくのか。