第36話「孤影悄然のまる08:廃墟と宇宙(そら)と」
集まりつつある〈コピ・ルアック〉のクルーたち。
長崎を舞台に、話が収束していきます。
(承前)
長崎県端島……その異様な外見から、着いた別名は「軍艦島」。
世界でもっとも人口密度が高い先進都市であった島の末路という、極めてレアな廃墟という曰くもあり、2002年ころからの廃墟ブームに乗ってにわかに注目を集めた場所である。そのため、一部安全が確認された地域へのツアーも行われ始めていた。と言っても、島の大部分は廃棄されてから風化、老朽化が進み、極めて危険な地域となっており、許可のない人間の立ち入りは禁止されていた。
まる達〈コピ・ルアック〉のクルー達が合流の場所として選んだのは、そういった他の人間が立ち入らない特殊性を買っての事であった。
ただ、未だに問題もなくはなかった。〈川根焙じ・改〉には、28世紀の地球人類圏のテクノロジーに、異星人のオーバーテクノロジーを合わせた遮蔽装置技術が有るので、軍艦島までの隠密行動は造作もない事であった。だが、太田達が急造した「宇宙筏」は、軽量な骨組みの上に辛うじてフォースフィールド発生器を組み上げ、エンジンを取り付けたものであった。それでも21世紀初頭の科学ではお呼びも付かない構造物ではあったのだが、成層圏外への弾道軌道を実現するためには、どうしても一定以上の推進力を得る必要があり、その結果としての騒音や光などをどう解決するかという問題を抱えていたのである。
だが、その問題も、宇宙筏出発前の最終チェックに際して、秋風と現地スタッフがSNSを通じてやり取りする時間がわずかに有って、そこで簡単だが劇的な改修が行われた。
美しいトド:要するに、音を小さくして、漏れる光を限定的にすればいいんだよ。
美しいトド(ハンドル名)=秋風はこともなげに言う。それに対して、
疾風のアザラシ:そうなんだが、この時代にそれを実現する建材はなかなか無くてね。
基本設計に当たった疾風のアザラシ(ハンドル名)=渡辺は愚痴をこぼした。
美しいトド:何言ってんだよ、この時代に無い物を作って取り付けているくせに。
同じ技術者の渡辺が単純なことを見落としているので、秋風はちょっと呆れた。
疾風のアザラシ:?
美しいトド:フォースフィールドジェネレータ―。それは少なくても22世紀後半の発明品だよね。それって別に空気が漏れないようにする働きだけじゃない筈だが?
疾風のアザラシ:ああ、うん。でもジェネレーターに使うCPUがしょぼくて、これ以上フィールドを作れそうになくてね。
美しいトド:ちょっとソースコードを送ってくれないかな。
「阿於芽ー。ソースコードを受け取りたいんだけど、何かFTPサーバーとか、Subversionとか、コンピュータファイルを受け取るためのものは用意できるかな」
ソフトクリームの恨みは多少残っていたが、そこはそれ、技術者としてはまた別にきっちり割り切る秋風だった。阿於芽は阿於芽でソフトクリームを横から掻っ攫った事など既に忘却の彼方である。
「ん? ああ、適当なのでよければサーバーホスティングしてるから、URLとパスワード送るよ」
阿於芽はタカタカとURLを渡辺に送った。
疾風のアザラシ:ファイル送った、forcefieldCtrl.zip 確認して。
美しいトド:うん、受け取った。
疾風のアザラシ:どうかな?
美しいトド:解凍して、今ざっと見てる。
疾風のアザラシ:期待して待機。
秋風は渡辺から貰ったコードを猛スピードで閲覧して、カタカタ、と、数か所に手を入れて書庫ファイルを作成した。
美しいトド:確認したけど、3カ所ほどチューニングすれば2倍の速度を出せるね。
疾風のアザラシ:マジか! というか送って5分も経ってないんだけど!
美しいトド:君が使っているCPUの性能特性と、プログラムの間に著しい冗長性が見受けられるからね。改良したソースファイルをサーバーにアップしたから確認して。
疾風のアザラシ:確認した。凄すぎる。
美しいトド:これで浮いた分のCPU時間と、後は適当な追加電力で、騒音低減共鳴用フォースフィールドと、光子低減フィールドを作れるはず。
疾風のアザラシ:ありがとう! 秋風氏の天才ぶりには相変わらず溜飲が下がる。
美しいトド:良いからさっさとビルドして、宇宙船に組み込め。
この間30分。
全くの無音とか、光が漏れない、というのは無理があるが、「宇宙筏」の放つ音と光は、21世紀の打ち上げロケットとは比較にならない騒音と光、というより、ラジコンヘリレベルの騒音と、映写機の光源程度の光に抑えることに成功していた。
§
「端島上空到着、センサーで地上の強度をチェックするわ」
まるは操縦席でマニピュレーショングローブを使って計器をチェックした。
「ビル群、風化が酷いわねえ……平坦なところも、下に空洞が有ってボロボロになっていたりするわ」
ラファエルが心配そうにディスプレイを見る。
「着陸できそうな地点はありますかね」
「開けた平地はあるんだけど、乗り降りのときに周囲から見られる危険性があるので避けたいわね」
「とすると、ビル群の合間にある場所になりますか……」
「うん、そうすると足場が問題。私達の〈川根焙じ・改〉は、最悪の場合空中待機で良いんだけど、太田君の宇宙機が問題よね」
まるはそう言いながらセンサー表示をチェックしていく。
「ああ、ここ。島の中心から少し北西寄りのビルの間、太田君の宇宙機にいいかもしれない。下の建物の強度は問題なさそうだし」
まるが示したのは秋風も覗き込む。
「敷地のサイズも問題なさそうですね」
「ええ、あまり離れていないところに、もう一つ着陸可能地点が有るわ。ここなら〈川根焙じ・改〉も着陸できる」
ラファエルもうなずいて答える。
「じゃあ一度着陸して、誘導ビーコンを設置してから通信を送りましょう」
「了解。着陸態勢」
まるは操縦桿を操作して〈川根焙じ・改〉を静かに目標地点に向かわせた。近くで見ると軍艦島は瓦礫の山と言ったほうが良い風体で、本当に「廃墟」という言葉がそのまま当てはまった。
「着陸するから、全員座席について身体を固定。下が平らじゃないから、結構な衝撃が来ると思うわ」
まるがそういうと、全員が席に戻って身体をホールドする樹脂膜に身を任せた。まるは慎重に地上の瓦礫をスラスターで排除しつつ地上にタッチダウンしたが、それでも尚、着地点に積もった瓦礫がガラガラと崩れ、船体は大きく揺れた。
「全員無事を確認して」
点呼を取り、各自の無事を確認したところで、エンジンを停止させ、全員のホールドを解除した。
「よし、これで着地完了」
まるは着陸状態のチェックで、計器を確認し、それから船外の様子をチェックするためにマイクロプローブを射出した。マイクロプローブは全長2mmほどの超小型探査体である。大気中を漂って、周囲の様子を映像や各種解析情報で返してくれる。
「船長、ちょっと」
加藤に促されて、まるプローブから送られてくる船外の一部を凝視した。
「?」
見るとそこにはぞろぞろと船から降りてくる一団の姿が有った。
「ツアー客ね。情報が正しいとすれば、こちらに近付いてくる可能性はないけど、太田君たちの船が見られる可能性はあるかも」
「日中で一番上陸者が少ないのは正午からの時間対なんだよね?出口さん」
阿於芽の振りに、出口さんはかなり困惑した表情で答える。
「あ、えと、私、が東京、に出て来て、から、ツアー、が始まった、ので私、も詳しくは……」
いつにもまして聞き取りにくい喋り方は、たぶん彼女の自信の無さを反映しているのだろうなと、まるは感じた。
「太田君たちとの連絡は?」
まるは秋風に尋ねた。
「さっぱりですね、たぶん彼らの宇宙機には通信機能が無いのだと推測します」
秋風はお手上げの姿勢で返した。
「まあ、急造品だものねえ……」
「あ、でも予定ではそろそろドイツ組に合流してアメリカ組が出発する時間です」
「出発前に此方から送ったダイレクトメッセージを見てくれると良いんだけど」
そこは運を天に任せるしかない状態だった。
§
多分、ツアー客の中には、ちらりとそれが見えた人もいたのかも知れなかった。しかし、彼らの距離からでは細かい部分を確認できなかったし、何より彼らは目の前に広がる廃墟に夢中だった。
「宇宙筏」は着陸軌道の修正はフォースフィールドによって推進剤の噴出方向を曲げることで実現していた。慎重に水平を保ちつつ、位置を微調整しながら下りてくる。
「なんとか、こちらからの通信は傍受してくれていたみたいですね」
ラファエルは安どの声を出した。
「あとはあの瓦礫の山の上にちゃんと接地できるかどうかね」
皆が見守る中、大量のごみと瓦礫をまき散らしながら、宇宙機は下降し、タッチダウンした。ビルで囲まれたエリアを選んで正解である。どうにか巻き上げられた埃はビル街の外には漏れずに済んだ。もし外の平地だったら、もうもうと上がる土埃は誤魔化しようもなかっただろう。
船がタッチダウンしてから5分。宇宙筏の下部のフォースフィールドが溶けるように消えると、中からぞろぞろと人が歩いてきた。それは、実に懐かしい顔ぶれであった。
「みんな、お疲れ様」
まるは少し笑みを浮かべて到着を祝った。
「まだ新穂営業部長を発見できていませんがね。この顔ぶれのパターンからして、彼も何処かに潜伏しているのだと思えるのですが」
五条が足元の瓦礫を気にしながら、まるの方に歩み寄りつつ心配を口にした。
「新穂君かぁ……営業の腕を生かして商売しながら、どこかで元気にやってくれてると信じたいけど」
まるは尻尾をパタパタと振りながら瓦礫から瓦礫へとぴょんぴょんと飛び移り、辺りを見回していた。
「人間の作るものって、ほんと大仰で脆いわよねえ……」
「ええ、こういう廃墟を見ていると、何だか空しくなりますね」
まるの傍まで歩いてきたラファエルは、荒涼とした廃墟に目を細めながら足元の脆くなったコンクリートを転がした。
「でも、作り出したものを連綿と引き継いでいく力はある。それは地球の他の生き物にはない、有ったとしても使っていない力だわ」
ラファエルは眉を吊り上げた。
「……船長は、人間の言葉を使い、時としてその姿を借り、人に混じって働いておられますけど」
「うん?」
「人間、お好きですか?」
まるは目を閉じて暫く鼻をひくつかせていた。
「嫌いだったら、とっくにどこかの星に隠遁したでしょうね」
ひらりと一段高い瓦礫の上に乗り、ラファエルと目線の高さを合わせて振り返る。
「人と暮らすのは楽しいわ。でも、人にはなれない。私は所詮猫だから。だからこそ私は、人を興味深く思うのかもしれない」
「私は、船長と一緒に働けて楽しいですよ。人である私自身には、人という存在の客観的な評価とかは分からないですけど、船長と働いていると、人がより好きになれる気がします」
まるは尻尾をピン、と立てた。
「じゃ、その興味深い人間に乾杯するために、元の時代に戻る方法でも画策しに行きましょうか」
§
「さて、人間15人、猫2匹。〈川根焙じ・改〉を操縦できるのは私、阿於芽の2匹と、副長、太田、加藤の5人。人間は4人まで、猫なら2匹まで乗れる。単純に考えたら猫が4人の人間を4回運べばいいのよね」
「さて、問題はどこに下せばいいか、かなぁ」
阿於芽は計器をチェックしながら相槌を売った。
「目的地はどの付近になるのかしら?」
まるは出口さんの方を向いて尋ねた。
「うち、の、実家の、旅館、は、佐世保市、の外れに、あるので……」
出口はそういって地図アプリを弄って、目的地を調べ出す。
「ここ、とか?」
彼女が見せたのは、ちょっと広めの山の山頂だった。
「えっと……弓張岳?」
「ここも、観光地、なんだけど。外れ、の方なら、目につかない、と思う」
「長崎市とか島原の方なら、近場で良かったんじゃないかなぁ。どうせ宿代は掛かるんだし」
阿於芽が空気を読まずに発言する。
「良いじゃない、どうせこの程度なら距離は大して関係ないんだし」
まるはこともなげに受け流した。
「……じゃ取り敢えず、操縦はまるに任せた」
「ええ、あなたは先に降ろすから、車の手配でもしてて。さて、搭乗の順番は……」
ジト目で見る阿於芽を尻目に、まるはさっさと搭乗順序を決める話を始めていた。
大きな混乱もなく、一行は弓張岳の外れに到着し、何食わぬ顔で観光客に紛れ込んだ。阿於芽は17人の団体で移動できる車の調達に四苦八苦していたようだったが、どうにかマイクロバスを調達できたと連絡してきた。
「あの、船長」
「なに、太田君」
再び人型プローブに入ったまるは展望台に上り、吹く風に身を任せながら遠くを眺めていた。
「〈川根焙じ・改〉があるなら、わざわざ私の急造品の「宇宙筏」に頼る必要もないんじゃないかと思うのですが」
「でも、あれじゃ全員を収容できないでしょ」
「それはそうですが、全員でどこに行こうっていうんですか? 仮に宇宙に出ても、乗り換える先の航宙船はありませんし」
「んー。何というかね、予感が有るのよね」
「また予感、ですか?」
「おそらくこれはある種の挑戦。敵がもし私たちの命をどうにかするつもりなら、とっくに出来てるでしょう?」
「ほう?」
「多分、過去にばら撒かれたのは私たち上級船員だけ。そして、手助けのためにわざと阿於芽は見逃されたんじゃないかと思うのよね」
「何故そんな回りくどい……」
「いくつかパターンを考えているんだけど、イマイチぴんと来なくて」
「ほうほう」
「1:敵が私達を弄んでいる、2:実は私達を過去に送り込んだのは敵じゃない、3:私達は何か別の騒ぎに巻き込まれた」
「難しいですね」
「どの可能性にも一理あってね……。で、勘に頼るなら、3は除外。明らかに作為を感じることがいくつかあるから」
「作為? どういうことです?」
「太田君は1年前から21世紀に居るでしょう? 私は一カ月そこそこなのよ。人の配分にしても、役割分担を考えて配置したようになっているし」
「ふむ……」
「でね、役割分担を、っていう処を重点に考えるなら、2だと思うのよね」
「どうして……あ、そうか。私たちの事に詳しくないと分からないですよね」
「そう。そして、多少の失敗はあっても、基本的に私たちが傷つかないように配慮した形跡がある」
「なるほど。誰も死んだりしていないですしね」
「秋風君みたいに悲惨になっちゃった例もあるけど、それでも生き延びられるように何らかの手を回したと思うわ。彼が適材適所のお店に就職できているの、おかしいなと思わない? 直前まで浮浪者みたいな生活してたのに」
「おかげで、彼はこの時代の電子系の知識と技術を手に入れていましたしね」
「お蔭で、この時代に私たちを送り込んだ人物は絞り込んだんだけど、それが何故か、という処が分からないのよね。阿於芽までひっぱり出したり。その割には私たちにある程度苦労を強いたり」
「……ああ……」
「とにかく、ことの真偽と、ホストの真意を確かめるには、全員で宇宙に出るしかないわ」
二人が話していると、まるが阿於芽から渡された通信機が通知を知らせてきた。
「取り敢えず、宿に行きましょうか」
§
出口さんが怒鳴っていた。
これまで聞いたこともないような早口で、電話に対して捲し立てている。しかも、宇宙語のような言葉を。
「うちちゃんと伝えたとばってん、何で部屋ば取っとってくれんと!? え? そがんこといわれてももうお客連れてきとっとよ? 無理じゃなかさ、何ばいいよっとね!」
加藤がビビッている。
「せ、船長……」
「彼女、早口だったのねえ」
まるはといえば、てんで場違いな印象を述べるに留まっていた。
<そっか、方言……>
暫く電話と格闘していたが、何とか納得できる答えを引き出せたらしい。顔を紅潮させて息を荒くしていたが、やっと落ち着いてきたようだった。と、まるたちが自分を注視しているのを見て、興奮で赤くなっていた顔がさらにトマトの様に赤くなった。
「あ……」
「気にしなくていいのよ。それにしても、方言かぁ」
「……と、東京に出、たときに、これで失敗、しちゃって……」
すると、薬研医師が彼女の方にすたすたと歩み寄って、手にした無針注射器を彼女の首にすっと当てて注射した。
「!?」
「さて、喋ってみたまえ」
「いきなり喋れと言われても……えっ?」
「トラウマをちょっと軽くするお薬でね」
これにはまるがびっくりした。
「先生、そんなもの何処で……」
「ん?どこでも何も、これは私の商売道具でね。以前から持っているよ」
「この時代に来た時から?」
「まあ、そうだな。私としては他の者が何も持っていなかったことがむしろ意外だったがね」
<薬研先生の薬は奪わなかったのか……私達をここに送った奴、何かの保険のつもりなの?>
「阿於芽、今〈コピ・ルアック〉がどうなっているか知っているの?」
慣れぬワインディング・カーブで、骨董品の大型車を運転している阿於芽に話しかけるのはちょっと躊躇したが、まるは思い切って聞いた。
「残念ながら。僕がブリーフィングを受けたのは、「緊急事態だから」って呼び出された先の停滞空間だったからね」
「でもFERISとは話が出来ていたのね」
「ああ、うん」
「最後に重要な質問。〈川根焙じ・改〉の計器には時空間エンジンの表示は無かった。どうやってこの時代に来たの?」
「そもそも使ってないからさ。僕の推論が正しいなら、〈コピ・ルアック〉も、この時代に来ていると思うよ」
阿於芽は何気なく行った。しかし、それは他のクルー達の精神にガツン、と一撃を与えるのに十分だった。
「ちょっと、ちょっと待って。ここは21世紀なのよね?」
「さあ? 正直、僕にはわからないんだ。何しろ気が付いたらもう、いきなり停滞フィールドの中だったからね」
§
マイクロバスの中の一同は、ちょっとしたパニックになっていた。
「過去のつもりで行動していたけど、違うのかしら。精巧に作られた贋物の世界とか?」
まるの問いかけに、ラファエルは異を唱えた。
「いや、流石にそれは考えにくいのでは? 他の国に到着したメンバーもいたんです。こんなスケールで偽の世界を用意するとかは非現実的過ぎですよ」
「でも、異星人の尺度はさっぱりわからないから、なにも否定できないわ」
「それは……」
秋風がそれに応える。
「ゲーデルの不完全性定理ですね。ある系の中に居る者は、その系が正しいかどうかを証明できない」
「悪魔の証明かもよ。私たちが過去に居ないことは時間線の外に出ない限り証明できない」
まるが応酬した。
「あああ、これで認識が振り出しに戻っちゃったわね」
「まあまあ、ここが僕らの過去であれ、そうでない別の所であれ、今やらなきゃいけないことには大きな変更はないんじゃないの?」
運転で四苦八苦しながら、阿於芽が珍しく正論を吐いた。
「……それもそうね」
彼は一斉に黙りこくった。そして、まるが仕切り直した。
「とにかく、今は一度腰を落ち着けて、新穂君を探して、それから宇宙に出て見ましょう。地上に居るより何か情報が手に入るかも」
しかし、そうはいってみたものの、肝心の新穂の行方については誰も手掛かりすら掴んでいない状態だった。
「誰も新穂くんの手掛かりは掴んでいないのよね?」
そういって車内を見回したが、誰もが芳しくない表情で首を振った。
出口さんは社内の沈んだ雰囲気に、慌ててフォローを入れようとした。
「あ、あの皆さん。とにかく宿で落ち着きましょう。何かできることを思いつくかも知れないですから」
まるは息を吐いた。
「そうね、今色々考えても仕方ないわよね」
それから宿まで、みんな押し黙ったまま、時折道順の確認などをしながら、マイクロバスは走って行った。
§
宿に着くと何やら騒がしかった。出口さんが旅館の窓口に行って問いかける。
「何のあったとね?(何が有ったの?)」
「あんた……若奥さんやなかね!(あなたは、若奥さんじゃないですか)」
「うん、今日帰ったと(うん、今日帰ったの)」
「いや、そいがさ。あんお客さんが予約ば入れたとに通っとらんばいって、えすかごとやぐらしかとばい(いや、それがね。あのお客さんが予約を入れたのに通っていないって、怖い位に五月蠅いことこの上なくて)」
「そがんとね……(そうなの……)」
「ごめん、分かんないんだけど」
まるが困惑して話しかける。
「あ、ごめんなさい。何だか予約を入れたはずだって言って怒ってるお客さんがいるそうなの。ネット予約に登録して日が浅いから、システムの使い方を間違えたのかも」
「何だか大変ね……、どんなお客なのか見てみたいわ」
まるは伸びをしてフロントを覗き込んだ。そこには、巨漢の男性と思しき人物と、ひょろりとした男の二人組がいた。
「凄いデカい人ね……」
まるの感想に、ラファエルも同意する。
「人種が違うにしてもこれはちょっと、って感じですね。スモウレスラーとか、その手の特殊な人かもしれないですね」
2人が評していると、痩せたほうの男の声が聞こえてくる。
「だいたい、今朝の段階では予約が開いていた筈です。何でいきなり部屋が無くなっているんですか」
「申し訳ありません。システム外でご予約いただいた団体様がおりまして、上手くその情報が伝わっていなかったものと……」
「そんなことが理由になると思っているんですか。ちゃんとしてください、とにかく責任者を呼んでくださいますよね。わたくしはちゃんと予約して、契約は締結されているんです」
確かに大変な剣幕でまくしたてているのだが、微妙に芝居臭い。すると、五条が眉間にしわを寄せてやって来た。
「何か、聞き覚えのある声の気がしますな……」
そういうと、すたすたとその騒いでいる客の所に行く。
「まあまあ、ちょっとよろしいですか」
そういって肩を叩く。
「何ですか貴方はっ!……って、五条さん!?」
五条はまるの方を見てにかっと笑って一言。
「新穂くんみーつけたっ」
まるは目を丸くした。
「なっ……」
「偶然にしては出来過ぎですねえ。というか、あの巨漢、誰?」
阿於芽が突っ込む。まるはすぐピンときて、出口さんに伝える。
「あの、この方たちは私達の知り合いなので、同室で処理して頂けますか」
「え、はい。わかりました」
彼女はフロントに事情を伝えた。程なく二人組は広めの男性部屋に割り当てられることになった。
部屋に通された後、いったん全員で男性部屋に集合した。
「で、その男は誰?」
阿於芽が再度突っ込む。
『私か?』
不思議な響きを持つ声がした。彼はフードを取り、そしてマスクを外した。人型を模したヘルメットの中は液体に満たされている。そこから、複眼と触角が見て取れた。
「……!?」
出口さんが叫び声をあげようとしたので慌てて垂髪が口をふさぐ。
「しいいいいっ」
「『思索の杖』じゃない、あなたもこの時代に?」
『そうだ。私は今から三ヵ月前に新穂と共に横浜の倉庫に送られた』
新穂が補足する。
「そこからが大変でねえ……幸い彼は食事は『小食』でね、一緒に持ってきてあった栄養補助パックで今まで足りているわけなんですが、与圧低温服の維持の方が大問題で……」
「ネットとか見ていなかったのかな?」
「すみません、この時代のインターネット、ですか。ろくに触る機会が無くて、なにしろ行商人まがいの生活をしていましたから」
「なるほどね、孤立するわけだわ」
「ですが、先月辺りから航宙船の反応が有る、ってたまたま東京に来た時にぐそくんが言い出しましてね」
「ぐそくん?」
『私の愛称だそうだ』
「だって、いちいち人前で『思索の杖』なんていう訳にもいかないじゃないですか」
まるは少し笑って、それから真顔になった。
「それで?」
「ぐそくんの協力で、センサーアレイを作って、その船の行先を調べたんですよ。そしたら長崎だって」
「そこから急きょ予約して移動してきたの?」
「ええ、そこまで働いて稼いでいた資金の半分ほどを使い込んじゃいましたけどね。この時代に航宙船の反応なんて、他にない、って確信して」
「ちょっと待ってよ。〈川根焙じ・改〉はずっと遮蔽装置を使っているのよ。どうやって反応を検知したの?」
『なるほど、だから時々しか検出できないのか。おそらくゲートを開いたときに反応が漏れていたのではないかな?』
この答えに阿於芽は自分の迂闊を思い知った。
「あああ、なるほど、乗り降りの時か」
まるも納得して頷き、話しを続けた。
「何にしても良かったわ。これで多分全員そろったと思うし」
「全員、ですか?」
「ええ、十中八九、〈コピ・ルアック〉の乗員で、上級船員、というより、ある人物に覚えられている人だけがこの地球上に居るんだと思う」
そういうと立ち上がって伸びをした。
「さて、と。じゃあ、食堂に降りてご飯を食べて、お風呂にでも入って。今夜はゆっくり寝ましょ」
この言葉に、阿於芽が顔を歪める。
「えー、僕お風呂入らないよ」
「うるさい、私とあなたはプローブ解除してから、内風呂で誰かに洗ってもらうのよ。観念しなさい」
「やだー」
子供のように駄々をこねる阿於芽、推定100歳オーバーであった。
§
旅館の料理は魚料理中心で、とても新鮮だった。カタクチイワシ、サザエ、飛び魚、鰤等のお刺身、透明な烏賊の活き作り、殻ごと焼いた海栗、カメノテ(亀の手のような恰好をした海辺の生き物、貝類に思えるが実はカニの仲間)のお味噌汁等々、珍味に溢れていて、皆は舌鼓を打った。
その後、男性部屋から叫び声が一瞬聞こえて、それから静かになった。なんでも、半分異星人の猫と生粋の異星人の対決が有ったらしい。勝者は生粋の異星人の方であった。
「雄の黒猫って、なんか臭くなりそうな印象なのよね」
まるはそういって、人型プローブを解除し、ヘッドセットとマニピュレータを外すと、アレクシアの裾を噛んで引っ張って内風呂に入って行った。暫くして、洗われてドライヤーでフカフカになったまるが戻ってきた。
「じゃ、改めてお風呂にいこっか」
そういうと人型プローブを見に付ける。
「船長、何か意味あります?」
「裸と裸の付き合いで親睦を深められるじゃない?」
「船長のそれ、裸じゃないですよね」
「細かいことは良いじゃない」
そんな会話をしながら女性陣が大浴場に行く頃、激戦を繰り広げた黒猫と異星人を残して、男性陣も大浴場へと向かっていた。
「あら、殿方も?」
「女性陣も今からお風呂ですか、というか、何で船長まで」
「良いじゃない、気にしない気にしない」
そしてお互いのお風呂に行く。
女性陣、特に〈コピ・ルアック〉の乗員はみな自慢していいような体形だった。特筆すべきはアレクシアさんのHカップだろうか。成人女性にしてこの体型かという垂髪女史はまあ、特殊な需要という事にしておこう。宇宙の生活では怠け気味になってしまうので、皆意識的に運動して体型維持に努めているのである。出口さんだけは少しふくよかだが、まあ許容範囲という感じだろうか。
対する男性陣は、トドとアザラシはまあ論外として、あとは全員引き締まった体であった。特に全身傷だらけの小峰の裸は迫力物である。
ゆったりお風呂に入った後はお約束の風呂上がりの牛乳、場末のゲームセンター、卓球、のフルコースであった。男性陣は特に卓球で盛り上がっていたが、
「温泉卓球は体力じゃない、っていうの知ってますか?」
と、秋風は何だかわからない知識を披露し、軽々と身構えて参戦したは良いものの、ラファエルに瞬殺されて、部屋の隅の自販機と壁の間に座り込んでしまった。男性に交じって参戦したボーテはラファエル、五条、新穂とごぼう抜きしたものの、その原因がはだけた胸だと知ってリタイア。あとはgdgdになった。
めいめいが楽しんだとは男女それぞれの部屋に戻り、翌日は早いというのに女子は恋ばなと怪談、男子は猥談で盛り上がっていた。まあ、まるとラファエルがそれぞれ参加していたので、おとがめが無い事をあらかじめ予測したうえでの展開であった。
「で、結局船長と阿於芽ってどうなんです? 焼けぼっくいに火が付くとか」
定標が興味津々でまるに聞く。まるはといえば、人型プローブを解除して、折り重ねた布団の上に寝そべっていたが、面倒くさそうに尻尾をパタンパタンと振って応えた。
「べつにい。知能が高い猫、という共通点があるくらいで……そうねえ、頭でっかちで出来の悪い弟みたいな感覚があるのよね。恋愛感情はないわ」
垂髪が布団のまま、ずいっと身を寄せてくる。
「となると、本命はあっちですか」
「ピンインは種族が違うし、大体あれこそ本物のガキじゃない」
アレクシアは目を細めて聞いていたが、ふと思い出したように答えた。
「じゃあ、種族を超えた恋とかで、船員の誰かとか」
さすがにこれにはまるは耳を後ろに寝せて、明らかに嫌悪の表情になる。
「やめてよ、私そんなゲテモノ趣味はないわよ」
「あらあ、でも織田会長の求愛はきっぱり断らずに逃げ回っておられましたよね?」
「だから余計に嫌なのよ。あれは商売も関係したから、無下にもできなくて。でもここに来る直前の記憶では、きっちり御断りを入れた筈なんだけど」
「ああ、宴会の後にすごい剣幕の電話がかかってきてたのはそれですか」
「げ、そうなんだ」
定標はすかさず突っ込む。
「逆恨みで私らを過去に送ったとか……」
「それはないわ、私が猫のまま放り出されていたんだもの」
ボーテも頭をかしげた。
「そうそう。〈大和通商圏〉って、日本語が公用語なのに、私とアレクシアさん、それに薬研さんその他、なぜドイツに飛ばされていたんでしょうね」
「いろいろ謎だけど、なんとなくわかる気がするのよね。それは明日になればきっと明らかになるわ」
そっと目を閉じるまるだった。
§
朝食のバイキングを手早く済ませると、全員は早朝でチェックアウトし、昨日チャーターした自動車で再び弓張岳に登った。阿於芽が運転をギブアップしたので、運転は太田が引き受けた。弓張岳を目指すのは、そこに停泊させている〈川根焙じ・改〉を使うためだった。
弓張岳からは〈川根焙じ・改〉で移動した。追加で2人増えたが、川口さんが残るため、何とか4往復で全員を軍艦島まで運ぶことに成功した。
「宇宙筏」に全員が搭乗し、シートベルトで体を固定したところで、まるが音頭を取った。
「さて、ぐずぐずしてるとまたツアー客が来てしまうわ。行きましょうか」
太田が応じ、カウントダウンが開始される。
「最終チェック問題なし、出発まであと10カウント」
9,8,7,6,5,4,3,2,1
「発進」
真夏の樹で鳴く蝉の大群のような音を立てて、「宇宙筏」は発進した。
「船長、目標地点は?」
「惑星間空間ならどこでも。エンジンの帰還可能限界いっぱいいっぱいまで加速して!」
「了解! メインロケットの推進剤、帰還可能限界ぎりぎりまで加速に使います」
〈川根焙じ・改〉とは違い、加速すればそれだけGがモロにかかってしまう。船と乗員は6Gの加速に耐えながら、宇宙空間目がけて飛んでいった。
地球から50万キロほど離れたときだった。それは突然訪れた。船がいきなり、がこん、と揺れた。何かにロックされて曳航されるような感覚であった。
「まったく、無茶をしますね」
船体自信を振動させて声が聞こえてきた。
「こうすればあなたが動いてくれるはずと思ったので」
「別の可能性は考えませんでしたか?」
「他の人へのお膳立てが、どう見ても甘々だったから、これはきっと私たちに故意にこの世界で何事かをさせようとしている、一言で言っていってしまえば『裏で糸引くおじ様』の姿が垣間見えたのよね」
「やれやれ、まるさんにはかないません」
「そんな事ないと思うわよ。何でもできるワイルドカードですもの、羽賀さんは」
(続く)
やっぱり現れたワイルドカード。
話はどう転がっていくのでしょうか。