第35話「孤影悄然のまる07:成層圏を超えて」
ついに集結を始めた〈コピ・ルアック〉の一行。
向かうは小石川後楽園。そして長崎!
(承前)
小石川後楽園は、東京都心に位置する有料庭園である。江戸時代に水戸藩初代藩主の徳川頼房が作らせた庭園で、中には紅葉、花菖蒲、桜、梅園や池、人工の小山などがあり、季節折々の彩りを見せる。近年では小学生の学習のために作られた水田なども存在する。
早朝、矢田と朝食をとり、必要な機材をカートとバッグに詰めて、しばしの別れの挨拶をした。
「いってらっしゃい」
「うん、行ってくる。来週末には戻るわ」
「うん」
簡単な挨拶だったが、まるは近づく別れを実感してしまった。
そんな気持ちを振り切るように、まるは振り返らずに八王子駅で電車に乗り、9時前には飯田橋駅に降り立っていた。飯田橋の東口を出て、そこから陸橋の下を過ぎて飯田橋の五差路を抜け、水道橋方面に少し歩き、そこから北に見える横断歩道の先の真っ直ぐな道を進むと、小石川後楽園の西門が見えた。
西門をくぐってちょっと行くと、そこには和風の集会所と記された建物と発券所があった。丁度今しがた開園したようで、中には誰もいない。
「まだ誰も来ていないみたいね……入園料300円、私、ラファエル、秋風君、加藤君、にゃんたさんの5人か、予め券を買っておこうかな」
まるは券を5人分買うと、発券所の前にあるベンチに座って待った。すると、発券所のお年を召した婦人が声をかけてきた。
「外人のお姉さん、日本語がお上手でいらっしゃるのね」
<そういえば、イタリア人っぽく見えるんだったっけ>
「ええ、(育ての)父が日本人ですので」
<まあ、土岐さん日本人だから、嘘は言ってないわよね>
いや、厳密に言えば、28世紀に日本という国は存在しない。地球を離れ、星々に領土を拡大し、様々な国やものと融合した〈大和通商圏〉が存在するだけだ。もっとも、様々な形で日本の名残は残っていたし、〈大和通商圏〉は発展的解消をした日本、という捉え方も出来なくはないか。
「あら、お父さんが日本の方なのね。お綺麗でいらっしゃる」
まるはにっこり笑って返した。FERISが勝手にデザインした身体を褒められても、あまりうれしくはない。
<私自身を見せたらこの夫人はどういう反応をするんだろ>
勿論、試したりしたら色々と台無しになってしまうのでやらない。でも、入園した人が出てこないと、この夫人は慌てちゃうんじゃないかな。などと考えていると、脇に人影を感じた。
「お早いお着きですね」
振り返ると、ラファエル副長の姿が有った。
「副……ラファエル、早いわね。はいこれ入場券」
「ああ、これはどうも」
そういった後、ラファエルはくるりと周りを見渡して、すっと売店の方に向かう。しばしの後、手にソフトクリームを二つ持ってきた。
「はい、マルティナさん」
こういう気の利かせ方は流石だなと思う。
「ありがとう」
まるも素直に受け取った。
「集合は10時でしたっけ」
「うん、思いっきり早く来ちゃったけどね」
「まあ、あなたの事ですから、早く来ると思って先に待っていようかと思ったのですけど」
「私に先を越されて残念ね」
「そうですね」
二人は笑った。売店の夫人も結構お年を召していたが、二人の方がずっと年上である。だが見た目はイタリア人のカップルにしか見えない。それが流暢な日本語で会話している様はちょっと不思議な感じだった。
二人がソフトクリームを食べ終わる頃、息を切らせながらやって来たのは秋風だった。無精髭を剃り、神も出来るだけ撫でつけて、何とか体裁を作ってきている。
「あら、結構早いわね」
「お二人には、負けますよ。ああ、副長お久しぶりです……これでも精一杯早く来たつもりだったんですけどねえ」
回りなど関係なしにラファエルを副長と呼ぶ辺りは、流石に空気を読まない秋風である。
「いやいや、3番手は流石ですよ」
ラファエルは笑って賞賛する。
「そりゃ、若手の加藤坊やには負けませんよ」
「じゃこれ、入場券。あとこれで適当に何か買って食べといて、私たちはもう食べちゃったから」
と、入場券と一緒に千円を渡す。
「ああこれはどうも」
割と素直に券とお金を受け取った後、妙な顔をする秋風。
「何か、子供にお小遣いを渡す感覚じゃないですよね」
「万年欠食中年が何を言うかな、良いからソフトクリームでもお饅頭でも、何でも買ってきなさいな」
ちょっと口をとがらせたが、まあいいやという表情になって売店に行く秋風。
時を同じくして、男女2人連れが庭園にやって来た。
「あ、みんな来てるんですね」
二人はにゃんた嬢と加藤だった。
「あらお2人ご一緒で」
「にゃんたさんが連絡くれまして、江古田で合流してから来ました」
「加藤、くん。ちゃんと、来れる、かちょっと、心配した、ので」
「有難うにゃんたさん。じゃ入場券」
「あ、ありがとうございます」
「ありが、とう、です。あと、こういう、所で、にゃんたは、ちょっと」
「あ、ごめんなさい……ってお名前聞いてたっけ」
「あ、えと。まだ。……私の、本名は、出口、です」
「出口さん?」
「……はい、出口、由美です」
「なんだ、良い名前じゃない」
「え、でも、平凡、すぎて」
「十分変わってると思うわよ? 長崎ローカルなんじゃない?」
<うちのクルーも珍名が多いけど、同格位に珍しい気がするし>
全員がそろったと思ったところへ、さらに入口から人が入ってきた。
「こんな時期にこんなに朝早くからお客? 想定外だわ」
「やあ、何だみんな揃ったんだー」
現れたのは阿於芽だった。
「あれ、もうみんな来ちゃってたんだ」
「阿於芽?! なんで?」
まるが驚いてるのにも我関せずと、阿於芽はキョロキョロと目を動かし、加藤を見つけると叫んで駆け寄った。
「あー、加藤君の嘘つき―」
加藤はたじろいで後ずさった。
「嘘?」
阿於芽はむくれながら話を続けた。
「ここに宇宙艇降ろすの大変だったんだよ、確かに面積は広いけど、木ばっかり生えてて、航宙船なんて降ろせないよ。別にここじゃなくても都内の目立たない公園なら、城北中央公園とか小金井公園の隅っことか、いろいろあったよねえ」
「でも、お金ないと入れないのは担保になると思ったし、都心にあってみんなが集まり易いと思ったんですよ」
「まあ、それは一理はあるけど。宇宙艇が使えなきゃ意味ないですよね」
「ええ……」
阿於芽に言い込められる加藤が哀れで、まるは助け舟を出した。
「でもまあ、なんとかしたから来たんでしょ?」
「ええ、苦労しましたけどね」
「で、どうやって出てきたの?」
「ああそれは、個人用遮蔽装置を使ってですね……」
「ああわかった、もうそれで十分。じゃあなんでこっちにわざわざ来るのよ、余計な料金掛かっちゃうでしょ?」
「それは大丈夫です。ちゃんと入りなおしに来たんですよ」
「面倒ね」
「だって僕、まだ朝ご飯てべてないんですよ」
「もう出発して長崎に行くんだから、向こうで食べればいいじゃない」
「そういう訳にもいかないですよっと。じゃお弁当はパスして、ソフトクリーム買ってくる。他に食べる人―」
「あ、私とラファエルは食べた。ほかの人は……」
見ると、既に秋風がバニラと抹茶のソフトを買ってにこにこと戻ってきていた。
「あ、じゃあ僕これ貰いっ」
そう言いながら、阿於芽は秋風の方手からバニラのソフトクリームをひったくった。
「あ、ひどい」
しょげる秋風をなだめながら、まるは阿於芽に爪を向けた。まあ、人の爪なのでそんなに迫力はない。
「ただでとは言わないし、後で埋め合わせするよ。時間無いんでしょ、買う時間を省け多分いいじゃない?」
「もう……、秋風君、長崎に着いたら向こうの名物のミルクセーキっていう珍しいアイスが食べ放題よ」
「うっ、うっ……はい」
「さ、とにかく阿於芽は自分の券を買って。みんな入るわよ」
§
小石川後楽園に入場すると、中央に大きな樹。見るとしだれ桜と書いてある。今は桜の季節でもないし、そろそろ葉も紅葉したり、落ち始める時期ではあったが、これが春なら見事なんだろうなとまるは思った。
「どこら辺に停めたの? 見渡した限りでは痕跡もないけど」
後から悠々と入ってきた阿於芽は、しょうがないなぁという風に肩をすくめて答える。
「そりゃあ、人目に触れさせるわけにはいかないから、遮蔽装置を使っているよ」
「それは分かっているけど、着陸させているなら、地面に変化位は出ているかと思って」
「ああ、地面には着陸させなかったからね。じゃこれを付けて」
阿於芽は眼鏡を取りだした。アンダーリムのレンズが大きいまるっこい眼鏡だ。
「これ付けて見てよ」
「趣味臭い眼鏡ねえ」
まるは眼鏡を受け取って掛けた。人型プローブは視力に問題が出る訳でもないので、本来眼鏡を掛ける必要はないのだが、銀髪碧眼(ここまで描写が抜けていたが、フェリスが最初にデザインしたのは白髪で紫の目だったが、人前に出る段階で少しマイナーチェンジされている)の眼鏡っ子というのはかなりマニアックである。
眼鏡をかけてぐるりと見回すと、あった。小石川後楽園のシンボルともいえる「大泉水」という池の上に、それは浮いていた。
「……あのさ」
「ん、なんだい?」
「これ、〈川根焙じ・改〉よね。何で時空間エンジンの付いた〈渡会雁金〉じゃないの?あっちの方が外形も小さくて搭乗人員も多いのに」
「これしか持ち出せなかったんですよ、FERISがいろいろ手を尽くしてくれたんですけど」
「そもそも、〈コピ・ルアック〉やFERIS本体はどんな状態だったの? 他にも大きな疑問はあるけど」
「僕も直接は見ていないんだ。フォースフィールドで隔離されていて近付けなくてね。お蔭で敵の正体もつかめていない」
「そう、その敵の意図がさっぱりわからない。何で過去の地球に島流しなの?過去から時間改変されたら自分の存在が危うくない?」
「高次元の存在らしいからね。僕や羽賀さんにも類似の存在が混じっているから少しは感知出来るんだけど」
「何で高次存在なんかに私たちが……」
「さあね。それよりさっさと乗っちゃって、そろそろ客が増える時間だし」
阿於芽がめいめいに例の眼鏡を配った。池の縁に降りれる階段まで行くと、〈川根焙じ・改〉から水面ギリギリまでタラップを降ろしてある。
「ふあ……」
一番驚いていたのはにゃんた改め出口さんだ。無理もない、本物の航宙船(と言っても搭載艇なのだが)なんて、彼女は見るのは初めてなのだから。
「驚くのも無理ないですけど、今は急いで乗ってください」
加藤は出口さんを促して〈川根焙じ・改〉に乗り込んだ。
「流石に人が6人だと狭いよね。よし、じゃあまると僕はプローブを解除」
まると阿於芽は元の猫の姿にもどった。
「あ゛ーっ。うん、やっぱりこっちが楽っ」
まるはそういって伸びをした。2匹が解除した後のナノプローブは船体奥の収納庫に吸い込まれていった。
「操縦はまるにお任せするよ、僕じゃ下手くそでみんなが酔っちゃうと思うから」
「了解」
そういうとまるは猫用の操縦席をポップアップさせて跨った。
「皆さん着席してベルト着用お願いね」
加藤は出口さんにベルトの着用法を教えてから着席した。
「準備出来たわね、じゃあ、行くわよ」
〈川根焙じ・改〉は静かに上昇した。
「航空機に衝突しないように、地上200kmまで上昇します」
前方のモニターには徐々に上昇し、雲を抜け、青空の空間に達し、そしてそれが見る間に濃紺に変わって、輝く地平線の上の漆黒の空間に変わっていく様が映し出された。
「……すご、い……」
「この時代だと、一握りの人しかこの高度に達することすら出来ないんだよねえ」
阿於芽は感慨深げに彼女の反応を見ながら言った。
「たかだか日本の地域から地域の移動にこの軌道を使うんだから、無駄遣いよね」
そう言いながら、まるは計器のチェックをした。
「よし、もう長崎上空。着陸ポイントはどこがいいのかしら」
「あ? え?」
移動が早すぎて出口さんはあっけにとられていた。
「上昇軌道ですでにカーブを描いていたし、そのまま移動したのよ」
「でも、加速、を感じ、なかった……」
「本来あんな上昇速度だったらそれだけで5Gくらいの加速で押しつぶされてるわ。重力制御しているの」
「あ、ああ。私の、常識で、考えちゃ、駄目、なんだね」
彼女はそう言うと、座席のロックを外して立ち上がろうとした。
「あ、駄目よ。訓練を受けてない人は座ってて。座席の横にあるパネルに触ればコンソールが呼び出せるから、それを見て」
出口さんは大人しく従った。まるが指示した通りに座席横のパネルに触ると立体映像が出た。彼女は物珍しそうに画像をつつく。すると、画像は手触りと同時に曲がった。
「あっ」
思わず小さく叫んで手を引っ込める。
「あ、そうか……。エアフィールドディスプレイなんてこの時代には無いわね。理屈とか考えずに、取り敢えずメニューを手で触れば操作できるわよ」
出口さんは言われた様にやってみた。
「えっと、地図、は?」
「ああ、惑星モニタリングから、近隣地表詳細を選んで。拡大したい時は、ええと、スマートフォンでやるみたいに指二本で引っ張って」
言われるままに空中のモニターをいじると、地上の地図が出る。
「移動、は?」
「あ、地図をつまんで引っ張ればいいわよ」
まるに言われるままに、プニッとした感触の地図をつまんで引っ張ると、非表示部分がするすると出てくる。
出口さんは暫くマップをいじっていたが、ふと顔を上げた。
「これ、今の、地上?」
「そうよ、人がいないなら、実際の地表にもいないわ」
「じゃ、ここに、降りられる?」
彼女が指し示したのは、背後が海に面した割と大きな駅の裏手にある海だった。
「なるほど、ここならいいわ」
まるは下降軌道を取り、一気に目的地まで降りていった。
§
彼等が降り立ったのは、長崎県の北西部にある、佐世保駅の裏手だった。イベントなどがある時は賑わう事もあるが、普段は閑散としている。柱の陰に降下ポイントを定めたので、人に見られる事は無かった。
「なんだか不思議な駅ねえ」
再び人型プローブに身を包んだまるは、駅の中に入って伸びをしながら言った。
「異国情緒、とでもいうのでしょうかね」
ラファエルがやって来て言った。
「うん、そんなのかな?」
加藤と阿於芽が駅の入口にある大きな逆さになった涙滴型のオブジェに見入っていた。
「ねえねえ、あれ、『佐世保駒』っていうんだってさ。変な格好だねえ」
そこに、出口さんと一緒にぐるっと駅の周囲を見てきた秋風がやってくる。
「私が、居た、ころとは、ずいぶん、変わってます、ね。勝手が、違っちゃって」
そういうと、出口さんは恥かしそうに下を向く。
「で、良く分からないんでぐるっと調べたら、駅の周辺に喫茶店が有りました、そこでいったん落ち着きましょう」
秋風がそういって皆を促した。
「そうね、一度腰を落ち着けてから、どうするか考えたほうが良いわね」
まるもそれに従う。
「あ、太田、さんから、連絡、きてます」
「え、どれどれ」
見ると「にゃんた」宛のダイレクトメッセージでは「出発した、詳細は船長のアカウントに」とだけ来ていた。慌ててまるは自分へのメッセージを確認する。
ミスターサトー:これから出発して1時間程度でベルリン組を回収し、長崎の指定地点に向かいます
悪魔船長:了解。こちらは阿於芽と共に長崎の佐世保市に到着
ミスターサトー:早いですね
悪魔船長:渡会雁金が有ればもっと事は簡単だったのだけど、川根焙じ・改が有ったからね
ミスターサトー:川根焙じ・改!それは凄い
悪魔船長:其方で用意した宇宙機も早く見たいわ
ミスターサトー:宇宙筏といった方が正確な代物です。では予定の時間に。
悪魔船長:了解
「さて、向こうも動き出したみたい」
まるが言うと、ラファエルが頷いて応じた。
「漁船で行く予定だったけど、〈川根焙じ・改〉があるから不要になったし、どうしましょうかね?」
それには秋風が提案した。
「早めにお昼ごはんにしませんか?せっかく21世紀の長崎に来たのだったら、伝説の鯨料理をば」
「海産物か、いいかもね。お店は調べてる?」
「ええ、もちろん」
流石は秋風、という処だ。
「デザートもちゃんとあるお店よね」
「ミルクセーキもあるのを確認しました。他の方もそれでよいですか?」
異存は出なかったので、全員で早めの御飯に出かけることとなった。
§
太田は急造の宇宙機の最終チェックを行っていた。
「五条さん、燃料インジェクターをチェックしてくださいますか」
「了解。まさか物流部長やってて原始的な宇宙機の組み立てを手伝うとは思わなかったよ」
太田は笑うと、コンピュータのチェックをやっている渡辺の方を見た。
「どうです?」
「この時代の低速なプロセッサでも、何とか使い物になる程度にはしましたけど、キャパシティは高くないですね。取り敢えず飛べる、という感じでしょうか」
太田は真剣な顔で渡辺の作業を覗き込みながら言った。
「フォースフィールド発生装置がこの宇宙機の肝ですが、それには一定のコンピュータの処理能力が必須です。なんとか維持できるようにしてください」
「多分、船長たちの所に居る秋風部長と合流できれば、何とか出来るんじゃないかと思いますよ」
「そこまで保ってくれるかどうか、ですね」
彼らが急造したものは、チタン合金のフレームを軸として、カーボングラファイトの繭で覆ってエアロゲルの断熱材を吹き付け、表面をタングステンカーバイトの薄膜で覆った船体に、フォースフィールドジェネレータを装備することで気密性と耐摩擦性を確保し、同じくフォースフィールドで覆う事で断熱、耐圧、気密を確保した容器に液体水素、液体酸素を詰めたロケットエンジンブースターを付けたものだ。彼らはこの材料を確保するためにNASAの出入り業者と懇意になったり、ありとあらゆる、と言っても正当な手段を使ってお金をかき集めて、宇宙機の建造に当てていた。
「燃料消費が激しいから、燃料を満タンにしても、低空弾道飛行を3回やるのがせいぜいです。あとは向こうの能力に賭けるしかない」
太田が神妙な声で言うと、垂髪女史が励ましに来た。
「大丈夫、船長たちと一緒なら何でもできますよ」
「うん。そうだな」
彼らが息を合わせたところに、サンドイッチの山を持って定標女史がやってきた。
「さて、向こうに向かう前に食べてください」
「ドイツに着いてから、ソーセージ食べても良いかなぁと思っていたんだがね」
五条はそう言いながらも定標女史の持ってきたサンドイッチに手を伸ばしていた。
「ベルリンの連中はどうしているんだかね」
五条はもぐもぐとサンドイッチを咀嚼しながら話した。
「さて、向こうもこっちと同じくらい大変みたいですよ」
垂髪女史もサンドイッチを受けとりながら答える。
「いる人員が人員だしねえ……」
渡辺は天を仰ぎながらそう言った。
「食べたら出発しましょう、とにかく時間がもうないですし」
太田はそういうと、サンドイッチを受け取った。
§
ドイツ語は知っていたし、母星の衛星〈メディア〉の〈メディア騎士団国〉では〈大和通商圏〉公用語の日本語と並んで使われる言葉だったから、充分話せると思っていたが、甘かった。大和の言葉と混じり合う事で、細かな点がかなり変化していたのだ。ドーラの喋り方は、例えて言うなら日本育ちのドイツ人と言ったところであった。
彼女が21世紀に出現したのは4カ月前。最初のひと月は済むところも仕事もろくになくて、本当に大変だった。先ず気がついた時には、彼女はとある都市の路地に、シャツに軍用パンツという格好で倒れていた。パニックに陥りそうな自分を抑えて、機転で身ぐるみを剥がされて記憶を失ったふりをして役所に転がり込むと、調査を重ねてもさっぱり身元が分からなかったため、身元不明人という事で、保護観察の状態で仮の住民票と、働き口が紹介された。そして、パン屋で働きながら中古のパソコンを手に入れて、SNSを使って仲間がいないか探し始めたのだった。そして、アレクシアと再会し、薬研先生が同じドイツに居ることが分かった事で、必ずしも、人種によって出現先が変わっているわけではないことが分かった。だが、肝心の船長や副長についての情報は見つからず、不安な日々を過ごしていたのだった。
「で、太田航宙士はいつ?」
アレクシアが荷物を整理しながら聞いた。彼女は先月からドーラと一緒に暮らしていたのだ。
「あと1時間くらいで到着するそうだ。宇宙機を見られたくないって云うのは分かるけど、ちょっと距離が有るから移動時間がギリギリだな」
ぶっきらぼうにドーラが応える。時を同じくしてドアホンの呼び出しが鳴った。
「はいはい」
アレクシアはスーツケースを閉じながらドアホンに呼びかける。まあ、そんな事をしても相手に聞こえる訳ではないのであんまり意味はないのだが。
"Wer sind Sie?(どちら様ですか?)"
アレクシアがドアホンにたどり着いて応対する。
『あー、私だよ』
「あら薬研先生、現地で待ち合わせじゃなかったかしら」
そういって、玄関に向かうとドアを開ける。そこには薬研医師と小峰がいた。
「瀬木君が車を調達してくれてね。小峰君を拾ってやって来たのさ」
「あ、じゃあ丁度全員そろったのね」
玄関先で会話をしていると、部屋の中からドーラが外を見て声を掛けた。
「ああ、先生、小峰、私らもそろそろ出るころだ」
薬研医師は笑いながら答える。
「ボーテ砲術長、ご無沙汰ですな」
「ああ、じゃあ行こうか」
「二人とも結構な荷物だなぁ、ちゃんと載せられるのかね?」
「予め太田には許可を貰っている、時間が無いから急ごう」
「わかったわかった」
彼らは、席が用意した車……中古のバンに乗り込んだ。
「よくこんな車が調達できたわね」
そういうと、瀬木は眼鏡をきらりと光らせて応えた。
「まあ、法律なんて基本は同じですし、法を知っていれば裏をかく方法も造作もない事です」
その台詞に薬研は苦笑いを浮かべる。
「瀬木君、こっちに来てからワイルドになったよなぁ。まあ、お蔭でにわか21世紀人の私が医者なんて社会的信用の必要な仕事をやっていられるわけだが」
雑談をしながら、彼らの乗りこんだ車は走り出した。
§
「……にしても不思議よね」
まるはデザートの杏仁豆腐を食べながら腕組みした。
「なにがです?」
加藤もデザートに手を伸ばしながら聞いた。
「この時代で発見できているのは、400人の乗員のうち、上級船員14人だけなのよ」
「上級船員全員じゃないですしね、新穂営業部長がまだ見つかっていない」
「多分探し漏れていると思うから、彼も入れて15人。正確にいうと、加藤君はまだ上級船員ではなくて候補生だけど」
「あ、そうでした」
加藤は頭を掻く。
「出現場所にも規則性が無いですね。ボーテとアレクサンドル、小峰、瀬木、薬研の5人がEU、しかもドイツ近隣。太田、船長、私、秋風、加藤が日本。五条、垂髪、定標、渡辺がUSA」
「5人ずつ……という可能性としては新穂くんはアメリカって事よね」
「残りの386人は一体何処に居るのかなぁ……万が一の事が有ったらご家族に顔向けできないわ」
まるは眉間にしわを寄せた。
やり取りをボーっと聞いていた出口さんは居心地が悪そうにしていた。
「ああ、御免なさい、内輪の話ばかりで」
まるが謝ると、出口さんは顔を赤らめた。
「い、いいえ。私の、方が、余計に、混ざってる、から」
話していると、阿於芽が腰を上げた。
「さて、もう一人の部外者の僕が先に口火を切りますか。そろそろ時間だから、船に戻ろう。
だが、向かった駅の裏では、ちょっとしたトラブルが有った。パン工場からの車が停車していて駅構内の店に、荷卸しをしていたのだ。
「どうする? 発見される危険は冒したくないよ」
阿於芽はまるに聞いた。
「待っていてもどれくらいかかるか分からないし……個人用の遮蔽装置は、どれくらい持ってきているの?」
「1個だけだよ、僕だけなら船に戻れるから何処かに移動させる手はあるけど、どこに行けばいい?」
「お昼にこの付近……かぁ。出口さん、何か思いつく?」
「えっと……」
彼女はスマートフォンを取りだすと地図を見ていた。
「公園は……人がいる、よね」
「そうね。人気が無くて開けたところが良いわ。今朝はちょっと運が良かっただけかなぁ」
話しているところに、加藤が口をはさんだ。
「要は、乗り込んでいるところが見えなきゃいいんですよね?」
「そうだけど。何かアイデアあるの?」
「人があまり出入りしない建物に一度入って、出てくる所で待ち構えて置いて乗るとか」
加藤の言葉に、出口さんは何かを思い出した。
「あ、それなら。駅前の、バスの、ロータリーに、トイレが」
出口さんが指差したマップを見て、阿於芽は頷くと行動を開始した。
「じゃあ、バスが来ない間にそこに入ってもらって乗り込もうか」
阿於芽が物陰で遮蔽装置を動かした。まるが通信デバイスをONにしておくと、阿於芽から通信が来た。
『オッケー、移動して』
全員でぞろぞろ移動するのも何なので、男性3人、女性2人に分かれてバラバラに移動した。
「じゃあ男性3人は一旦トイレに入って」
言われるままに男性が入ったところを見計らって阿於芽に連絡する。
「入ったわ、男子トイレの前に入り口を開いて」
『おっけい』
それを受けて、まるが男性組に連絡する。
「阿於芽が入口を開いたわ、入り口は視認できるから乗り込んで」
『よし、3人確保』
「私たちも行きましょう」
出口さんを誘導して、トイレに向かう。そろそろ秋だというのにまだ日差しが強い。2人でトイレに入った段階で呼ぼうとしたところで、別の女性がトイレに入る。
「ちょっと待って、無関係な人がトイレに入ったわ」
女性がトイレに入ってしまったところで再び連絡。
「大丈夫、来て」
『じゃ入口を開けるよ』
阿於芽が入口を開いたところに駆け込む。すでに彼は人型プローブを解除していた。まるもすぐにプローブを解除すると、出口を椅子に案内し、阿於芽と操縦を代わる。
「で、どこに向かうんでしたっけ」
「端島。地図に、は多分、『軍艦島』って書い、てある、と思う」
§
軍艦島。長崎市の西南に浮かぶ廃墟の島。古くは炭鉱で栄え、世界一の人口密度を誇った最新都市でもあった。少し離れた島から見るそれは、まるで巨大な軍艦にも見える。昭和49年に炭鉱が閉山となり、人が離れた結果、廃墟と化した。
ただ、近年は廃墟ブームに押され、ツアーなども行われていて、その時だけは賑わっている。
「割と有名なところなんでしょ?」
「うん。今日も、ツアー、が来て、いる、と思う」
そこに加藤が来て説明する。
「彼女の話では、ツアーは安全って言われているごく一部に限られるそうです。こっちのエリアは調査隊しか寄り付かないそうで」
「でも、飛翔体が来たりしたら騒ぎにならないかしら」
「それはもう、この廃墟に新たな伝説が付け加わることになるでしょうね。成層圏外から飛来して、直後に〈川根焙じ・改〉に積載している遮蔽装置で隠しますから、謎の現象どまりになる筈です」
秋風がこともなげに言う。
「地質が不安定で、あちこちが崩れやすくなっているようなので、〈川根焙じ・改〉で予め着陸地点を調査する必要が有ります」
ラファエルが注意をつけ足した。
「と言ってるうちに、海外組は合流を済ませたそうよ」
「じゃあ、軍艦島にレッツゴー」
「阿於芽、それ古いわ」
それが分かる分、まるもこの時代に少しずつ毒されていた。
§
太田言う処の「宇宙筏」は、どうにか大きな問題もなく動作し、成層圏航路で地球を1/4半周し、ドイツ組を郊外の森の中で回収した。
「ドイツ観光は無理かな」
五条がちょっと残念そうに聞いたので、太田は苦笑しながら答える。
「ええ、発見されるのが怖いですからすぐに出発します」
「そうか、残念」
「さて、日本までの航路は倍の長さが有ります。船が問題なく到着してくれればいいんですが」
「燃料の積み込み終わりました。出れますよ」
小峰が報告する。
「船全体そのものが重たいロケットだと、この少量の推進剤じゃ済まなくて、この時代のロケットは巨大だったんですよね」
「そうそう。この船はその気になれば二人で持ち運べるからね」
「じゃあ、皆さん乗り込んで、安全ベルトを締めてください」
「フォースフィールド安定、燃料問題なし。軌道計算完了、いつでも出れますよ」
渡辺が状態を報告した。
「じゃあ、『宇宙筏』発進!」
「メインロケット点火。強い加速にご注意ください」
「宇宙筏」はその下部にあるロケットの噴射を開始した。
「高速移動のために成層圏外まで到達後、弾道飛行で日本国、長崎県の軍艦島に向かう」
太田がミッション読み上げをしている最中に、船は急速に上昇していった。
(続く)
宇宙と言っても、今回は弾道飛行まで出したが、次回はいよいよ惑星間空間に向かいます!
彼らを過去に置き去りにした敵とは、そしてその目的は? 〈コピ・ルアック〉と残りの仲間は今どこに? 徐々にまるとその仲間たちは本領を発揮していきます。