第32話「孤影悄然のまる04:まると猫の街」
21世紀の世界で画策を進めるまる、SNSで知り合った絵描きさんとオフラインミーティングに出かけます。場所は東京ど真ん中の「神楽坂」。さて、どんな展開が待ち受けているのでしょうか。
(承前)
予約の時間まで、まるたちはファストフード店で軽く時間を潰し、予約20分ほど前に移動を開始した。
店に行く途中にはゲームセンターが有るので、その店頭が待ち合わせ場所になっていた。未だ相手の姿は無く、直子が店頭にある音ゲーをやりたいと言い出して、流石に妊娠中は止めてくれと小坂に説得される一幕が有った。矢田はクレーンゲームに興味を示し、果敢に挑戦していたが、どうにも設定が塩っぱくて、500円ほど興じた後、彼女は断念した。
「ふうん、お金を払ってやるゲームか、カジノみたいなもの?」
「いや、ゲームセンターって言って、対価を求めるのが主な目的じゃなくて、ただ遊ぶのが主な目的のゲームにお金を払って興じる場所だよ」
「店頭のは玩具とか食べ物とか入って居るみたいだけど」
「うん、ああいうのをプライズゲームって言って、成功すると狙った品物がもらえるんだ」
「……射的みたいなもの?」
「……僕はむしろ、何故まるがゲーセンのゲームを知らなくて、射的を知っているのかに突っ込みを入れたいね」
「歴史の長い物の方が、長い目で見ると残っていたりするものよ」
「そういうものかなぁ」
他愛もない話題をしていると、背後から、ちょっともさっとした格好の女性が近づいてきた。髪の毛は2つのお下げに分けているが、ちょっとポサポサとした毛が目立つ。
「失礼、します、……悪魔船長、さん?」
最初、女性は直子に声を掛けた。
「え?」
矢田が慌てて答える。
「あ、私です……にゃん……た、さんですか?」
「はい、私、にゃんた、です」
<文章からだと女性だって分らなかったわ>
まるはしげしげと彼女を見た。中年かな。年齢は割と高めだと思えた。手にはスタイラス・ペンで作ったと思しきペンダコがある。SNSのプロフィールに書いてある、PCで絵描きを生業にしているという話は嘘ではなさそうだ。
にゃんたと名乗る女性はかなりシャイのようだ。目を合わせようとせず、周りを気にしている。
「本名は、ちょっと、ごめん、なさい」
そういって、敢えてハンドル名での付き合いをお願いしてくるあたり、やはり周囲に対して警戒心が有るように思える。
「とりあえず、お店の方に行きましょうか」
小坂が促して扇動した。
「あ、はい」
4人と一匹は、ぞろぞろと予約を入れているお店に向かった。店は混んでいて、予約していなかったら到底座席は確保できなかったろうという風情だった。
「ご予約の小坂様以下4名様と、ペットの猫ちゃん1匹ですね」
「はい、そうです」
「テラス席の方にご案内します」
ペット同伴はテラス席なのだそうだった。おそらく躾けられていない動物が店内で騒ぐのを予防するためだろう。しかし、きちんと躾けられている家のペットまで同列に扱うのはどうかなと思う。まるは複雑な面持ちでテラスに連れて行かれるまで待機した。
にゃんた嬢は、始終もじもじおどおどと周囲を見回している。割とお洒落なお店で、周囲はぱりっとした格好の男女が多い。小坂夫妻と矢田も、フォーマルとはいかないが、それなりに外出向けの格好をしているため、明らかに彼女は浮いてしまっている。
<秋風君なんかと同じタイプの人種なのかしらね。この手の子は自信を付けさせるまでが大変なのよね>
まるは不安そうににゃんた嬢を見守った。
座席に着くと、予め頼んでおいたランチのコース料理が運ばれてくる。小坂は予約を入れる際、まるの食事にも細かく注文を付けていた。猫保護のプロフェッショナルの面目躍如である。対するリストランテ側も、だてに商売をしているわけではないから、大丈夫、と言っていたようだが、小坂が細かい指摘をし始めたら折れたようだ。
猫は専用の味付けである必要があるが、家族として育てられている猫は、食事の見た目が他の人と大きく違うと差別感を味わってしまう、とか。人間と違って蛋白質に中心を置いた配分であることが大事、とか。
<私に対する配慮は嬉しいんだけど、同じだけの配慮をにゃんた嬢にもしてあげていればよかったわね……>
一応、まるがにゃんた嬢に、好き嫌いとか、食事に関連する病気の有無は尋ねておいたのだが、それ以前の問題が有ったようだ。「仕事を頼む打ち合わせですから、食事代はこちらで持ちます(当然ながら、小坂のポケットマネーから出ているので、まるも頭が上がらない)」と、伝えて履いたが、それでも恐縮の度合いが半端ではない。
『これは、仕事の話を先に振った方がリラックスしてもらえるかも』
まるはスマートフォンを操作して矢田に伝える。矢田は頷いたが、どうしようかと考えあぐねているようだ。
『ああ、ごめんなさい。まず、何か作品を見せて頂けますか、って聞いて』
「にゃんた、さん。何か作品を見せて頂けますか?」
彼女ははっとした顔をして、それから、持ってきていた大き目のバッグを開けると、テーブルにノートPCを置いた。矢田や小坂から借りているものとは別物の、凄くごつい外見のもので、動作させるとCPUファンの音が響いた。
<結構本格的ね。これゲーミングPCってやつよね>
そう、ゲーム用に速度をチューニングされてパワーアップされ、グラフィックも強化された特別なPCだ。
『かっこいいPCですね、って』
「かっこいいPCですね~」
矢田がまるの指示通りに話すと、にゃんたは顔を赤らめながら、PCを操作してファイルを探した。3Dモデリングソフトが立ち上がり、更に彼女が操作すると、かわいい系のキャラクタが踊っていた」
『凄いですね。あと、メカも描けるって伺っていたのですけど。と』
「すごいすごい。えっと、確かカメ、じゃない、メカも描けるって伺っていたのですが」
二人羽織で喋っているが、多少矢田のアドリブが入るのは致し方ない。
「あ、ちょっと……待って、ください」
にゃんた嬢はPCをカタカタと操作する。
やっているところに、丁度、前菜が運ばれてきた。
まるもカートから出すように促されると、ゼリー寄せの肉料理の皿が置かれた。
<あら、結構おいしそう>
まるが身を乗り出した瞬間、身に着けていたホルダーからスマートフォンが滑り落ちて床にカタン、と落ちた。
まるが慌てて取ろうとしたが、一瞬早く店員が拾ってしまう。
「あのこれ、猫ちゃんが悪戯していましたよ」
そういいながら端末を小坂に渡す。
にゃんた嬢以外の全員の顔から「サーッ」という音が聞こえるように血の気が引いたのは言うまでもない。
§
<ちょっと、馬鹿店員、何してくれるのよっ>
まるは抗議の目を店員に向けたが、当然知らんぷりである。まさか猫が端末を操作していたなど、想像できる方がちょっと外れている。
3人と一匹は顔を見合わせて困惑した。今更、まるにスマートフォンを返す、というのも異常すぎる。にゃんた嬢は、ファイルのデモを動かし始めていたが、他の人々のおかしな雰囲気に振り返って、きょとんとしていた。
真っ先に矢田がその状態に気が付いて、フォローを入れる。
「ああ、あ。ちょっとそこのまるちゃん……小坂さんの猫が悪さをしていたので」
「まるちゃん、って云う、のですか、なんか、ラーメン、みたいな猫ですね」
やたらと区切って喋る喋り方は、人前でトチらない様にと慎重になっているからかな、と、まるは想像した。
<ほんと、最初に出会ったころの秋風君みたいだわ>
「あ、いや、えと、『まる』って云う名前で」
「まるですか。純和風な名前ですね」
思わぬところでにゃんた嬢が食いついてきた。そういえば、にゃんた、という名前を付けるくらいだ。猫はかなり好きだと思われる。ここでまるは思い切ったアドリブに出た。
「にゃっ、うるるるる」
そう鳴きながら、にゃんた嬢の方に行くと、膝に乗ったのだ。
「あ、まる」
そう小坂が言いながら近づいたが、まるが普通の猫ではないことをすぐに思い出し、彼女の作戦だという事に気が付いた。そして、小坂もそれに乗ってみることにした。
「まる、にゃんたさんが気に入ったようですね」
「え、あ、そう、なんだ」
と言いながら顔を緩ませる。人間にとって、心を許してくる小動物は癒しだ。まるは自分のその属性を120%活用してみようと思っていた。
「なーん」
そう鳴きながら体を擦りつける。身に着けているホルダーは、何となく猫用の衣服にも見えるので、不自然さはないだろうとまるは思った。そして、にゃんた嬢のノートPCの方を見て、画面を凝視した。画面では、独特なフォルムの宇宙船が船体から、丁度〈コピ・ルアック〉のナセルのようなものを展開し、光を放って飛んでいく様が再生されていた。
「にゃっ」
そう一声鳴いて、PCの前に行く。
<ええと、このソフトって確か、フリー3Dモデラーの有名なやつね。少し操作法は勉強したわ>
3Dモデラーとは、ゲームなどで使う3次元の物体をデザインしたり、それにアニメーションを付けるツールと思えばいいだろう。フリーとはフリーソフト、つまりより多くの人に使ってもらうため、有志が無償で頒布しているアプリの事だ。
まるはそれとなく、PCのキーを弄って、アニメーションの再生を止めて、モデルの細部がズームするように操作してみた。
「あ」
にゃんた嬢は自分のPCを猫に触られてびっくりしていたが、その結果が思わぬことになって、更に驚いていた。まるはすとっ、と飛び降りて、小坂の膝の上に行った。
「何か済みません、こら、まる」
小坂がわざと膝の上のまるに声を掛ける。
「あ、いえ、良いんです、丁度こういう、操作をやりたい、と、思っていたので……」
<よし、掴みはおっけい>
小坂を見上げると、こっそり丸に先程渡されたスマートフォンを手渡そうとしていた。しかし、今のこの角度だとどうしてもにゃんた嬢にそれが見えてしまう。よし。
「にゃう」
そう言いながら、わざと小坂の料理の方に手を伸ばそうとして見せた。
「あ、こら」
小坂もまるの演技の意味を感じ取って、まるを彼女の席に運んでいった。
「まるの分はここにあるよ」
そう言いながらまるを前菜の前に連れて行くと同時に、こっそりホルダーの奥にスマートフォンを滑り込ませる。
<サンキュー、小坂さん。ナイスフォロー>
まるは早速矢田に通信した。
『良いデザインですよね。まるも気に入ったから近付いちゃったんじゃないですか、と』
「この宇宙船、中々いいデザインですね。まるちゃんも気に入ったからつい触っちゃったんだと思いますよ」
「え、あ、ありがとう、ございます」
矢田に言われて、にゃんた嬢はまた顔を赤らめる。
<何度も赤くなって、まるで宇宙港の管制用のシグナル灯みたいな子ね>
まるがそう思っていると、小坂が音頭を取ってくれた。
「さ、まあ、取り敢えず食事をしてしまいましょうか」
先程からの顛末で、少し態度の軟化したにゃんた嬢は、何とか落ち着いて料理を味わう事が出来たようだった。まるも取り敢えずスマートフォンは見えない様にして、出されてくる料理を食べた。
先程までの緊張ムードも溶け、和やかに食事は進んでいった。
§
食後の珈琲が運ばれてきた段階で、打ち合わせの話が再開した。
『では、具体的なお話しをさせて頂けますか、と』
「ではにゃんたさん、具体的なお話をさせて頂いてよいですか?」
「あ、はい」
矢田はあらかじめまると何度か話して描いたスケッチを取りだした。〈八女白折・改〉をイメージしたデザイン画だ。三面図を起こすのは難しかったため、斜め表と斜め裏の2方向からの絵になっている。
「こういう宇宙船と、後はいくつかの形の隕石をデザインしてほしいんです」
「宇宙船、と、隕石。ですね」
「ええと、まずこれを見て頂けますか。うちで作っているソフトのプロトタイプです」
そう言いながら、小坂が、まるが作りかけた宇宙レースゲームの画像を見せた。出てくる物体は幾何学図形になっている。これでも十分にゲームとして成り立つのだが、まるとしては「武装貨物船競争」を彷彿とさせる画面を作りたいというのが主眼だった。
「よく、動いてます、ね。かっこいい」
そう感想を述べながらにゃんた嬢は見入っていた。
「これの完成度を上げたいので、データを作ってほしい、という事なんですよね」
「なる、ほど」
しばしにゃんた嬢は考えていたが、やがて頷いた。
「ハンドル、名を、乗せて頂けるなら、データを、提供、したいと、思います」
「ああ、無償という訳ではないです。売り上げが上がったらお支払いしたい」
「あ……はい」
またにゃんた嬢は顔を赤らめる。そして、ぐるっと3人を見回して、思わぬことを言った。
「でも、お三人は、悪魔船長、では。無いです。よね?」
<突然何を言い出すのこの子は?>
にゃんた嬢はいきなりまるの方に来る。そしてこっそりと耳打ちした。
「まる、ちゃん。悪魔船長。ですよね」
まるの瞳孔が開いた。
「さっきから、ずっと、まる、ちゃん、がスマートフォン、弄ってました、から」
『ばれてる』
まるは、矢田に連絡を送った。
§
まあ、ばれてしまえば何という事も無かった。それはそうだ。小坂も矢田も、少々びっくりはしたものの、あっさり受け入れたではないか。21世紀ともなれば、人間なんて、多少の事では驚かないようになっているものらしかった。
人が少ない所で改めて話したい、という、にゃんた嬢の申し入れと、この付近に多少土地勘があるという彼女の案内で、彼らは神楽坂の二つ目の坂にある、神楽坂の氏神様、「赤城神社」の境内にやって来た。
「つい、先日、改装が、終わった、神社。今は、お祭りも、やっていないから、静か」
そう言いながら、赤城神社の本殿に上る道の左脇に続く裏参道の途中、真新しい神楽殿の下にある駐車場の前に場所を確保した。
「じゃあ改めまして、私は悪魔船長こと、まるです。みたとおり、猫です」
まるはアプリを通してあいさつした。
「にゃんた、です」
矢田は何となく不満そうに言った。
「ああ、私何だかバカみたい。私が下手だったから、気付かれちゃったのかしら」
にゃんた嬢は改めて顔を赤らめて手を振った。
「あ、とんでも、ない。私が、猫、好き、だから、ずっと見てたら、分かった」
<あ、割と感覚は鋭いのね。多分この話し方も、感受性が強すぎるせいなのかしら>
ささっとスマートフォンを操作して感想を話す。
「とっても感受性が強いんですね、にゃんたさんは」
「まるも、すごい。なんで、しゃべれるの?」
「それは……秘密。未来から来た、とだけ言っておくわ。あんまり派手に行動すると、未来が変わって、帰れなくなっちゃうの」
暫く考えてから、その言葉を飲み込んで、にゃんたは返した。
「うん、わかった」
会話を横から聞いていた小坂嫁……直子は感心しながら言った。
「それにしても、神楽坂にお詳しいんですね」
「あ、はい。ここ、猫の街、だから」
「猫の街?」
「そう。昔から、猫が、いっぱい」
「うん、それは臭いで分かる」
まるは、この街についてから、始終漂う猫の体臭が気になっていた。
「そして、ここ今年、から、猫で、町興し、やってる。猫好き、だから、ここも好き」
「ああ、そういう繋がりなのね」
たどたどしい言葉とは裏腹に、にゃんた嬢に強い意志を感じるまるだった。
<秋風君と同じで、この子は磨けば光るんだろうなぁ……でも、私が色々と手を貸しちゃダメ、何がどう災いして、歴史が変わるか分からないから>
強い個性に惹かれながらも、その個性が強いが上に、まるは慎重にならざるを得なかった。この時代に来て、何人か親しく出来る友人が出来たようなつもりでいたまるだったが、いずれ来る別れのための準備を第一に考えなければいけない。やはりまるは、未だ一人ぼっちだったのだ。
§
「ちょっと良いかしら」
まるは一向に言った。
「一人で、この付近を散策してみたいわ」
最初に難色を示したのは小坂だった。
「どんな危険があるか分からないから、簡単にはいそうですかと承服は出来ないな。何の為に行きたいんだい?」
この辺りに詳しいというにゃんた嬢も同様に答えた。
「うん、地元猫、もいるから、よそ者は、警戒、されるかも、しれないし?」
「まさにその地元猫を見てみたいの。大丈夫、普通の猫に負けるようなへまはしないから」
「僕たちの誰かが付いて行く、というのは?」
「多分、人間じゃ通れないような道を歩くことになると思うわ」
「でも何で?」
まるはどう伝えようかと考えて躊躇した。論理的な理由があるわけではない。ただ、勘が働いたというべきなのだろうか。
「はっきりどうこう、と言えないのが辛いんだけど。何だか予感がするの。ここの猫を調べたら、何か私の仲間に関する手がかりが得られそうな、そんな感じ」
「飛躍しすぎている。どういう理屈なんだよ。……って、理屈はないんだっけ」
「私も馬鹿馬鹿しいとは思うんだけど。ここが猫の街として、最近になって町興しをしている、という話がかなり頭に引っかかって離れないの」
「つまり、猫の街という話に惹かれて、君の仲間が立ち寄る可能性を考えているんだね」
「論理的でもなんでもないレベルなのだけど。そして、彼らが来たら、多分猫を探すわ」
「なるほど、猫が何か覚えているかを調べるのか。ならば理屈としては理解はできるかな。でも、君は普通の猫とコミュニケーションは取れるのかな」
「多分、人間と類人猿よりは、マシなコミュニケーションが取れるかも、文明から隔絶された未開人と、都会の人間レベルかなぁ」
という比喩をしつつ、まるも今一ピンと来ていなかった。28世紀には未開人そのものが居ないからだ。というより、21世紀のこの時代にも、ジャングルの奥地等に住む人々にも、何らかの手段で文明人が接触を試みてしまっている。未開人と明確に云える人種は、ほぼ絶滅しているのではないだろうか。
「ふむ……だが、相手が未開人だとするならば、防備が無いとやはりきつい気がするな」
それは分かっていた。猫は基本的に狩人仕様の体を持っている。本気で向かってこられたら、幾らまるが自称「強い」と言っていても、無傷で済む保証はない。
「リスクは承知しているのよ。でも、なんというか、今を逃したくない。そんな気持ちが有るの」
矢田が口をはさむ。
「うん、じゃあ、こうしようか」
矢田はしゃがみこんでまるに顔を向けた。
「まるはスマートフォン持っているわよね、通話をONにして歩ける?」
「出来るけど、それじゃ私は喋れないわ」
「喋る必要はないわ。まず、端末のだいたいの場所は「端末を探す」っていうサービスで分かるし、危険が近づいたら、何か普通の猫がしない合図の音を出してもらえばいいのよ」
「ああ、なるほど」
暫くまるは考えた。普通の猫が出さない音で、まるが出せる音……。まるは、少し前から暇を見つけては練習していたことを実践してみた。それは、この時代に面白動画として流されている猫の動画からヒントを得たものだった。
「ちょっと聞いてて」
そういうと、まるは一生懸命声を出してみた。
「やヴぁい」
まるの口からは、明らかにそういう人語が飛び出してきた。
噴き出す小坂。
「何それ、最高」
矢田もくすくす笑いが止まらないようだった。
「普通の猫がしない何か、っていうからやったのに、みんな酷いわ」
「いや、ごめんごめん。分かった、じゃあ、通話を切らずに、最大30分という処でどうだろう」
「分かったわ。じゃあ、いま以降通話だけONにするわね」
そういうと、アプリを終了させて、矢田に通話する。
「うん、繋がったよ」
「じゃあ、30分後にここで」
「にゃっ」
この探索が、命運を大きく分けることとなった。
§
赤城神社の表の鳥居をくぐって右手に向かう。パン屋の前を過ぎると、猫の臭いが結構している。まるも知性化しているとはいえ、猫の残したマークはまだ十分に分かる。
<ああ、ここは子育て中のお母さんがいるのか……気が立ってるわよねえ……>
及び腰になって引き返す。
<うちの船員が来る、となると、裏路地とかよね>
神社向かって左側の探索はいったんあきらめて、右側に向かう。何だか妙なにおいがする。これはアレクシアから嗅がされたことがあるわ。チーズ、しかもかなりにおいがきついウォッシュタイプとかの臭い。
<これだけ強い臭いがする場所には、あんまり猫は居付かないかな>
さっさとその路地を通り過ぎようとした。しかし、左手をふと見ると、猫グッズのお店、というのが目についた。
<ん?>
まるは店の前の数段の階段をそっと登って、半開きの扉からそっと首を突っ込んで中を見る。店の中には所狭しと雑貨が置いてある、猫関係の雑貨もいくつか見て取れたが、まるの位置からだとテーブルの上や、棚の上の物などは見ることが出来ない。それより、臭いだ。
<グッズだけじゃなくて、妙に猫の臭いが……どうしよう、中に入るべきだろうか?>
さらにしばらく見ていると、突然声がした。
「あ、こら、どこの猫?」
<やばいっ>
まるは慌てて逃げ出す。しかし、それ以上追いかけては来ない。
<やっぱり、何だか気になる……>
周囲の声を聞きつけて、矢田が電話から声を掛ける。
「まるちゃん、何かあった?」
「にゃ……にゃいっ」
無理やりそう答えて、店を後にする。だが、たかが猫の臭いがしただけの店が、とても気になっていた。
<何だろう、なんであの店がそんなに気になるのかな……>
店から少し進むと、また猫の臭い。先程はかすかなにおいだったので判別できなかったが、今度は明らかに臭う。同じ個体の臭いだろう。でも、なぜその臭いが気になるのかが分からない。
臭いは左手の道から。見ると、その先には公園が有った。
<公園なんて、嫌な予感しかしないんだけど>
近づくと、臭いは強烈なポプラの樹の臭いと、鳩の糞の臭いでかき消されてしまった。
<うーん、ここじゃないのかな?>
公園の中には土曜日という事もあって、親子連れがいっぱいいた。人間の子供、猫の嫌いな生き物ナンバーワンのものだ。
<これは、君子危うきに何とかだわね>
子供を避けて、公演の探索を諦め、ぐるりとまわりを見回す。臭いが漂ってきそうな方向は、やはりこの公園のような気がする。というか、臭いの元がこの公園に向かっていったのだ。
<子供がたくさんいる方向に歩いて行く猫なんて、どういう神経しているのかしら>
と、一度思ってから考え直した。
<ああ、野良だったら、取り敢えず人が集まっているところに行って、ご飯のお相伴を考える、なんてこともあるかも知れないわね>
公園の入り口から左側に行き、側面の道を歩いて、遠巻きに公園の内部を再度観察した。
子供は遊具の周りに群がるようにしていた。だいたいの子供には親が付き添っている。まあ、よほどの事が無い限り子供に苛められる、という事は無さそうだ。
<じゃ、こっちから入って、中を調べてみようかしら>
そっと中に入り、ベンチの陰から様子を伺う。だが、猫の姿はどこにも見当たらない。
<もうここを通り過ぎちゃったのかしら……>
ベンチを見回すと、老人と、カップル、それに……それに、何だか変な格好の若い男がいる。男の風体を言葉で表すならば、「ヴィジュアル系」で「流行の先から突き抜けたような恰好」だろうか。青いメッシュを入れたざんばらの髪、皮に鋲をたくさんあしらったパンツスタイル。上半身は透ける様な素材の上に、やはり鋲を打ち付けた皮ジャン。顔は……見たことはない。
<16~7歳くらいに見えるわね。確かこの時代だと学生よね。今日は土曜か、学校は無いんだろうけど、こんな時間からこんな場所を、しかもあんな格好でうろつくなんて、ろくでもないに違いないわ>
まるはそういう風に考えたが、そのついでに、彼の格好の由来を思い出した。
<あ、でも、こういうのネットで見たことあるわ。確か、パンクロッカーとか言うんだったっけ。それにしても場違い感ハンパないわね。目立つのは嫌だし、関わりたくないから退散しようっと>
まるがそう決めて、踵を返した途端、そのパンクロッカーが、まるめがけて突進してきた。
<げっ?!>
まるは慌てて逃げた。公園の出口を抜けて、突然現れた砂利道を転びそうになりながら走った。
「やヴぁいやヴぁいやヴぁいやヴぁい!!!!!」
まるはポケットのスマートフォンに向かって叫び続けた。ダッシュしている最中だと、スマートフォンの重さがとてもつらい。これはちょっと誤算だったなと思っていると、見る間に相手が追い付いてきた。
<ギャーッ、冗談じゃないわっ!>
必死になって走っているうちに坂道になったので、そこを全速力で駆け降りた。相手は流石に同じ真似は出来ないようで、徐々に引き離せた。
<なんとか逃げられたかな?>
そう思って振り返ると、パンクロッカーは肩で息をしつつも追いかけて来ていた。風邪は追い風、ロッカーの体臭がまるの鼻についた。
<え?>
それは、猫の体臭だった。かすかに記憶に引っかかる例の体臭。何なの一体。
「いい加減にしてくれないか、まる」
まる、と呼ばれて、まるは全身の毛が総毛立った。尻尾なんてバットみたいになっている。
<私の名前を知ってる?! こいつは誰?>
「激しく運動したら人型プローブだけじゃなくて、僕の体力も使うんだから。勘弁してよ」
<ひとがたぷろおぶうう? それに、僕って自称……>
「せっかく、〈コピ・ルアック〉のクルーの危機を救いに馳せ参じた騎兵隊をむげに扱わないでよ」
そう言いながら、周囲に誰もいないことを確認すると、相手は人型プローブを解除して、その青い目を煌めかせたのだった。
(続く)
ついに元の時代とのつながりを見つけたまる。
次回より急展開です。