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航宙船長「まる」  作者: 吉村ことり
孤影悄然のまる ――21世紀とまる――
30/72

第30話「孤影悄然のまる02:天才猫と珈琲豆の宴」

孤影悄然のまる、シリーズ第2話をお届けします。

一人きりで21世紀に置き去りにされたまる、協力者も見つかりそうですが、これからどうやって道を切り開いて行くのでしょうか。それと、〈コピ・ルアック〉の仲間はどうなったのでしょうか。

(承前)


 思ったほどの混乱はなかった。

 まるは「カリカリ」を並べ直して、一生懸命次の文字を形作った。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■■■□■■■■■■■■■■□■■■□■□■■■□■□■□■

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■■■□■■■■■■■□■■□■■□■■■■■■□■■■■■

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

「これは……確かブルートゥースの小さいキーボードが有ったかな」

「でも、ただキーボードだけじゃ意味が無いですよね?」

「そうか」

 まるの目には、事務所の脇にあるパソコンが写っていた。骨董品どころではない、彼女にしてみたら、化石のようなマシンだ。

「お前、あれが触りたいのか?」

「にゃっ」

「規則で、身体を拭いたり、トイレをさせるとき以外、ここから出すわけにもいかないんだが……」

「でも、こういう事態って規則の予想を超えていますよね」

「誰が猫に言葉で話しかけられるって思う?」

「私たち、なんでこんなに冷静に対処してるんでしょうね?」

 二人は顔を見合わせてしばらく無言だったが、突然笑い出した。

「ああ、もう。こんな事態に規則だなんだというのは無意味だね。おいで」

 そういうと、小坂という男性はケージを開けて、まるを外に出した。

<ありがとう>

 まるはひょいひょいと移動して、パソコンの前に行った。

「ちょっと待てよ、今メモ帳を開くから」

 男性の言葉に、まるは大人しく待った。

「さて、何か書きたいことが有るんだな」

「にゃうん」

 まるはそういうとキーボードに手を伸ばした。QWERTY配列のキーボードという、よく意味の分からない文化は、28世紀になっても生き残っていたから、あとは打ちにくいキーを肉球で抑える作業だけだった。

「watasi ha maru」

 スクリーンを見ながら、キーボードでそう打った。

「まるちゃん?」

「にゃっ」

 女性の声にこたえて、改行を打つと次を書き始める。

<いきなり28世紀から来たとか書くのは愚の骨頂かしら? でも、今の事態が既にありえない事なのよね。さてどうしよう>

 キーボードを見て類推する。漢字を入力する方法がよく分からなかった。

「nihongo uchikata wakaranai」

「ええと……あ、この子、キーボードは分かっても、日本語入力が分からないんだ」

「いや、事はそんなに単純じゃない。日本語入力という概念が分かっているんだが、このPCでの使い方が分からないんだ」

「一体この子、何なんでしょうね」

「どこかの研究所から逃げてきた、とか?」

「nigeta chigau, demo naisho」

「逃げて来たんじゃない……って、私らの言葉が分かるのか。内緒にしてほしいのか?」

「にゃっ」

「ねえ、まるちゃんはどこから来たの?」

 まるは暫く考えて、文字を打った。

「mirai」


§


 その後、2時間ほどのやり取りの後、まるは女性職員「矢田」の家で預かられる事になった。男性の家の方が色々電子機器などはありそうだったのだが、お子さまが居て猫が来ると騒がれそうだというのがまず引っかかった。

「狭くてごめんね」

「にゃーう」

 移動用のケージを開けてまるは部屋に通された。

<畳張りの部屋かぁ。ちょっと雑然とした感じ>

 まるは部屋をくるくると見回した。28世紀の個人宅とはあまりにも違う。いや、時代の違いだけではなく、まるの居た生活は土岐氏然り、織田氏然り、友人付き合いをする神楽嬢然り、富豪のそれであったから、庶民の家というもの自体が珍しかったのもある。

「うちも以前は猫を飼っていたのだけれど、あなたに普通の猫の道具を使わせるのはおかしい気がするわね」

「にゃっ」

 人に触れているうちに、まるは仲間たちの事を思い出していた。

<今頃、みんなはどうしているのかな。こんな事態に巻き込まれているのは私だけなのかしら>

「これ使えるかしら?」

 矢田が持ってきたのは、ちょっと使い込んだ雰囲気の、大きな折りたたみ式のコンピュータだった。まるには分からないが、若干型落ちのデスクノートというタイプのものだ。

「私のパソコンはいろいろ使わなきゃいけないので、貸しっぱなしには出来ないのよね。明日には小坂さんが開いているパソコンを貸してくれるそうだけど、それまではこれで我慢してくれる?」

「にゃあ」

 取り敢えず電源を入れると、OSの起動ロゴが出た。

「型落ちなんだけど、それでも去年まで使ったものだから」

 やがて、OSの待機画面になった。まるは小坂に教えてもらった手順でメモ帳を開いて、キーボードを打つ。日本語入力の方法も教えてもらったから、だいぶ会話が捗るようになっていた。

「矢田さん、ありがとう」

 画面を覗き込んでいた矢田は、まるに笑いかけた。

「どういたしまして。じゃ、ご飯を用意してあげるわね」

 彼女らの職場は実際は物流会社の資材管理部署であった。猫の保護としての業務は、正規の仕事の傍らで行っている副業のようなもので、NPO法人からの業務委託と、会社の社会貢献の一環として認められたものであった。まるはまだ自分自身の事について、彼女らには慎重に話していた。

「ねえねえ、まるちゃんは未来って、どんな時代から来たの?」

 当然出る興味だろう。予め、「時間改変のリスクが有るから詳しくは話せない」と、釘は挿しておいたのだが、どうしても風俗とかは気になるらしい。

「人類は宇宙に進出してる。私も普段は宇宙で暮らしてた」

「へええ。まるちゃんは誰かの飼い猫だったのかしら」

「昔は……。今は自分で稼いでる」

「凄いなぁ、未来の猫ってそうなんだ」

「違う、私だけ」

 こう書くと、不思議そうな顔をして矢田はまるの顔を覗き込む。

「他の猫は?」

「今の時代と大差ない」

「何故まるちゃんだけが?」

「偶然の出来事。これ以上は御免なさい」

 まあ、確かに偶然の事故だったのだが、明確な事実は、どこで漏れるか分からないから伝えないほうが良いだろう。

「あんまり言えないのよね。……でも、凄い猫なのね、まるちゃん」

 そういうと、彼女はご飯を用意しに再びその場を去った。

<私は……私が凄いんじゃないわ。仲間のお蔭よ>

 近くに人がいる、という事実が、かえって彼女の孤独感を煽っていた。


§


 事態は進展していた。少なくとも、まるが何かの事故で死傷する危険や、飢えて倒れる可能性はほとんどなくなっていた。しかし、事態の解決についてはさっぱりという状態だった。

 まず、ここが本当に彼女の過去か、という問題が有った。何らかのバーチャル環境に居る可能性は否定できなかった。もしバーチャル環境だとしても、それを知るすべはほぼなかった。そして、仮に過去だとしても、彼女の知る時間線に直結できるものなのかも分からなかった。つまりは、何も分からない、という事だ。おしまい。

 ……そんな事で思考停止しているわけにもいかなかった。

 彼女は必死で、ここに来る直前の記憶を思い返していた。何か、ここに来る事態につながるヒントは無かったのか。

 彼女は、「料理天国」売却後の打ち上げパーティーまで記憶を遡っていた。


 盛大に飲んで騒ぐために、彼女はマルティナ装備だった。はた目から見ると未成年にさえ見えるマルティナ=人型プローブなので、浴びるように飲む、という光景はちょっといただけない感じでもあったが、一度は仲間たちとこうやって盛大にどんちゃん騒ぎをやりたい、と思っていたまるでもあった。なんといっても、彼女は貨物船乗りの船長なのだから。

 普段は滅多に飲んだところを見ないラファエル副長も、今日は鼻の先が赤くなるくらいには飲んでいた。飲めないで不服そうにしているのは、未成年の加藤だったが、それでも周りに合わせて楽しく騒いでいた。冷静にビールをジョッキで何杯もお代わりしているのはドーラ嬢。祖先からのビール呑みであるからまあ、当然と言えば言えた。しかし、よく見ると、その眼は既に座っていた。周囲の人間は怖くて近寄れず、制止も出来ない有様であった。

「みんな飲みすぎるなよー」

 そういいながら自分も日本酒の熱燗の徳利を並べているのは薬研医師。招待した土岐氏も並んで酒を酌み交わしていた。

「薫子飲んでるー?」

「何よ、那由多こそ飲み足りないんじゃないの?」

 総務と経理のコンビも周囲を肴に大いに盛り上がっていた。

「何よ貴女達、全然足りてないんじゃない?」

 まるは二人の前の席に自分のグラスを持って座った。

「船長~。待ってましたっ」

「まさか船長とこんな風に飲めるなんて」

 3人の所に、仏頂面でいくつもジョッキを抱えたドーラも合流した。面白そうに脇から見ていたアレクシアもグラスと料理を持って参戦。5人の女の周りに異様なオーラが漂い始めた。

「小峰さん、あそこ怖いですな」

「五条さん、紳士危うきに近寄らず、目を合わせない様にしましょう」

 男たちが遠巻きにするなか、最恐の女子会が始まっていた。


<あの時……確か……>


 そう、この飲み会の最中にFERISフェリスからの通信が入ったのだ。


§


 矢田が出ていくときに、ご飯用にカリカリの袋を渡された。封は切ってあるのでお皿を使って適当に食べてね。お水は前の猫が使っていた給水器を洗って用意しておいたから。とのことだった。

<まあ、傷みやすいごはんよりマシだけど>

 問題は、食べる分だけをどうやってお皿に移すかだったが、お皿を袋の端に持ってきて、袋を倒して、中身を前脚で皿の上に掻き出した。

<私の時代のに比べると大味なのは、やっぱり量産技術の差なんでしょうね>

 などと考えながら少し食べて、水を飲み、それから貸してもらっているパソコンの所に行ってスイッチを入れた。中にはメッセンジャーソフトもインストールされていて、必要な時は呼び掛けてねと言われていた。

 まるはメッセンジャーが起動するのを確認したが、今はこれと言って伝えることも無かったのでそのまま放置して、ブラウザを立ち上げて、社会情勢などを見に行くことにした。

 まず、今いる場所が八王子市だという事を確認した。科学技術の進歩を見たが、かなり幼稚なレベルであり、彼女が欲しい機材をそろえるのはかなり骨だという事が分かった。日本という国がかなり疲弊しているのも見て取れた。どうにも閉塞的な状況の様だ。

<あれ、確か……日本って、この時期2~3回、壊滅的な天災に襲われるのよね。最初のがもう直ぐだった筈>

 だがその事実は公表してはいけないことだ。歴史が変わってしまう可能性がある。歴史が変わったら、最悪の場合、まるは元の世界に戻れなくなる。矢田や小坂について、まだ完全に信用できているわけではない。実のところ、未来から来たことを伝えてしまったのも早計かと思っている。まあ、だからと言って、適当な嘘を伝えて、後から辻褄が合わなくなるのも彼女としては避けたいところではあったのだが。

<ちょっと外を見て回りたいけど、施錠されちゃったし、普通に出て回るのは難しいなぁ>

 ふと、ブラウザを使っていたマシンをみた。

<ふむ。物理的に出て回れないなら、ネットワークで何かできるか確かめてみようか>

 まるはこの時代に至るまでのネットワークの歴史や、使えるプログラム言語その他を、自分の記憶と照合しながら調べて行った。

<ふむふむ、コモンゲイトウェイインターフェース、なるほど、無料レンタルサーバでプログラム、と。玩具みたいだけどある程度は出来るのね。にしても、ガチで使おうと思うとグローブが欲しいわね……>

 しかし、まるに細かい操作や工作を可能にする、例の「グローブ」を作るために必須な部品であるナノアクチュエータは、21世紀半ばにならないと開発されない。それを組み立てるためのオートマイクロアッセンブリも無い。この時代で代用品を作るのは至難の技だろう。

<どういう経緯にしろ、この不便な時代に私を送り込んだ奴には、覚悟してもらうわ>

 グローブより原始的な方法で、操作を改善したほうが頭が良い。矢田さんには悪いけど、ちょっと部屋を物色させてもらおう。

 彼女の机の上にはアクセサリなどが置いてあった。その中からボタンと、リボンと接着剤を探し出す。よし、これで簡単に作ってみようか。工具を探すと鋏とカッターが出てきた。

<どっちも猫の手じゃ使いにくいなぁ>

 そう思いながら、鋏にリボンを挟んで、身体で何度か押して切り、前足を入れて鋏を広げて、を繰り返して、リボンを必要な長さに切った。そこにボタンを置いて、慎重に接着剤を絞り出す。くっついたところに更に重ねてボタンを置き、また接着剤。これを繰り返して、リボンの上に3枚のボタンを張り合わせた。丁度キーボードのキーを押しこめるくらいの長さだ。

<くさいなぁ。溶剤使っているのか。酔わないように注意しないと>

 しばらく放置した後、様子を見るときちんと固着している様だったので、リボンの端を口に咥え、もう片方に爪を掛けて前脚に回すと縛った。

「コン、コン」

 ワンキーではあるけれど、これでずいぶん押しやすくなる。

「カン、コン、コン、コン、コココン」

 軽快な音を響かせながら、まるはコンピュータを操作し続けた。


§


「ただいま。まるちゃん」

 矢田がそういって帰って来た時、まるはコンピュータの前で丸くなって寝ていた。

「すぐにはっと起きて彼女の前に歩いて行くが、その片足にはリボンがしばりつけてあり、接着したボタンがカタカタと音を立てた。

「あら? 何それ?」

 まるははっとしたが、すぐに自分が借りているパソコンの前に行き、メモ帳を開いて「カカカカカ」っと軽快な音を立てて文章を打った。

「ごめんなさい、コンピュータを使いやすくするために、勝手に使っちゃいました」

 矢田は怒るどころか感心した。

「すごいわね。これ自分でやったの? ちょっと不恰好だけど、肉球だと周りのキーまで押しちゃうのを、これで目的のキーだけ操作できるようにしたのね」

 言われてまるは更にメモ帳に書いた。

「もう少し細かい操作ができるものを作りたいけど、私の手だとこれが精いっぱい」

 まるの描いた分を見て暫く考えていた矢田は、まるの方を見て言った。

「よし、分かったわ、どんなものが欲しいかイメージを出来るだけ伝えてくれる? 私も手伝ってあげる」

 予想外の申し出だった。

「ありがとう。出来るだけ書いてみる」

 そしてまるはいろいろと注文を書き出してみた。縛る必要なく、スポッと嵌められるようなものが嬉しい事。出来れば両前脚で操作したいが、その際は体を支える台のようなものが欲しい事。

「うん、何となくわかった。時間を空けて作ってみるわ。で、今日はそれで何をやっていたの?」

 聞かれたまるは、無料Webページを使ってプログラムを書いていたことを伝えた。

「デザインとかは上手く出来ないから、動きを見せる様なもの中心なんだけど」

 そういってまるが見せたものは、「武装貨物船競争」での搭載船レースをモチーフにした、3Dの宇宙レース物のアプリだった。

「なに、これ凄いじゃない?」

「ちょっとしたゲーム。これを今のスマートフォン。という機械向けに作って売れば、私の食費や、やりたいことに掛けたい収入が得られると思った」

 まるの書いた文章を見て、矢田は目を丸くした。

「これをまるちゃんが?」

「うん、ちょっと出来が悪い。でも余り出来が良い物でも困るから」

 そう、歴史に名前を残すほどの出来のアプリではだめだ。中堅で、少しくらいお小遣い稼ぎができる程度の物を作らなければ。

「私じゃこれの価値は分からないし、これでお金を稼ぐ方法も分からないけど、小坂さんならわかるかも。明日連れて行ってあげるから、小坂さんと相談してみて」

「わかった」

 お礼にさし上げても良い位だったが、可能ならば自分の資金も欲しい、ここは交渉のしどころだと思った。


§


「面白いどころの話じゃないな。凄いよこれは」

 小坂はWeb上のアプリの出来を称賛した。

<あら、やり過ぎたかな?>

「猫が作った、なんてことを言えたら間違いなくヒットするんだろうけどね」

「あまりヒットはさせたくない。必要十分なお金を得られればいい」

 そうキーボードで打つまるに対して、小坂は苦笑した。

「欲が無いな、まるは」

「あまり派手な事をすると、元の時代に帰れなくなる。時間には弾力がある。ある程度までの改変なら、自然と元に戻るから大丈夫」

「そうか……歴史が思いっきり変わるようなことをしたらダメなんだね」

「そう、小坂頭いい」

「おや、褒められちゃったよ」

 おどけて見せたが、すぐに真顔になった。

「お金が欲しい、と言っていたね。君の食費程度であれば大したことはない。正直、何に使いたいか教えてもらえるだろうか?」

 まるは躊躇した。今どの程度の事を話せるだろうか。敬意をかんがみる限り、協力者は居てくれた方が助かる。資金を稼ぐにしても、まる自身では不可能だ。誰か人間に代理をして貰わなければいけない。しかし、彼はそこまで信用に足りるのだろうか。

「僕を値踏みしているね?」

 まるの視線の意味は、あっさりと看破されてしまった。

「うん。話していいかどうか迷っている。小坂を信用できるかどうか、まだ決めかねている」

 小坂は腕組みをして考えた。

「うーん、まいったね。どうすれば信用してもらえるんだろう」

 そんなに簡単に信頼関係は築けるものではない。まるもその一線ですごく悩んでいた。彼女の身の上を飲み込んで、今まで黙ってくれているのは感謝したい。しかし、それがいつまで続くのだろうか。気が変わって、メディアに彼女の事を触れ回られたら、確実に歴史が変わってしまうだろう。

「そうだ、僕自身のクリティカルな事実をまるに教えよう。ばれたら社会的に辛くなるようなものだ」

「なぜそうするの?」

「それが有れば、もし僕が君をメディアに売ったとしても、君は公で僕を貶めることができる。痛み分けだ」

 大した交換条件だ。

「それが本当だという証拠もあるのね?」

「ああ、耳打ちで良いかな」

「どうぞ」

 こそこそ、と、小坂はまるの耳に何事か呟いた。

「!?」

 まるは目を大きく見開いて小坂を見る。

「内緒だぞ、証拠は後で見せるから。」

 小坂はちょっと顔を赤くしている。

「分かったわ。商売お任せしましょう。必要な機材をそろえて貰えたら嬉しいな。端末と専用のパソコンが必要なのよね?」

 まるはマシンガンのようにメモ帳に文章をつづり出す。

「よし、その分は何とかしよう」

「ありがとう」

 こうやって、まるの資金稼ぎ計画が始動した。


§


 まるは矢田が仕事をしている最中、事務所の脇のケージで微睡まどろんでいた。そして、例の宴会の続きを思い出していた。

「なに? FERISフェリス、宴会の途中で呼び出したりして」

『申し訳ありません。織田氏からの何度も連絡が入っていて、船内の業務で立て込んでいる、と断っていたのですけど、先程別の部署同士のやり取りで、今宴会だという話が先方に漏れてしまったようで……』

「あら、仕方ないわね。出るわ」

 まるとしては商売の話の不備などが有ったのかという不安もあり、まだ酒はほとんど回っていなかったので、頭をしゃっきりした状態で話せる自信が有った。

「お待たせしました」

『ようやく連絡が付きましたな』

 織田氏は少しイライラとした雰囲気であった。

「何か業務に不備でも?」

『違う、そうじゃない』

「?」

『私はまだ、君からの返事を聞いていない』

<……あ、交際の申し込みの話か>

 実際は交際の申し込みなどというレベルではない、マルティナは織田氏に求婚されていたのだ。

「それならお断りを申し上げたと思っていたのですが」

 そう、「武装貨物船競争」が終わった直後、まるは一度丁重に断りの連絡を入れていたのだ。

『あんな簡単な話で済ませたつもりなのですか』

 織田は食い下がる。

「だって、私はどうしてもそういう感情を持てないんです」

『だから、私はあきらめない、とお伝えした』

「どうすればわかって頂けるのですか」

「こちらこそ、どうすれば応えて頂けるのですか」

 茶番だ。その時のまるはそう思った。もとより人間の恋愛になど興味はないし、一歩譲っても織田氏には商売にかけた誠意以外に、魅力を感じることが無い。何よりこの押せば結果が出ると思っている強引さは如何ともし難い。正直ストーカーに近い。

 通信回線に聞こえないように、まるはプローブ内部からの通信でFERISフェリスに伝えた。

「ごめん、正直私この人苦手。どうしたらいいと思う?」

『私も人間の恋愛に関してはお手上げですね。恋愛に詳しそうな人を助っ人で呼びましょうか?』

「女子連中?」

『女の集団でやり込められた、となると、彼のプライドを著しく傷つけるのではないでしょうか』

「となると、誰かなぁ」

『妻帯者は居ましたっけ』

「……ええと、新穂くん?」

 彼は奥さんと一緒にこの船に乗っている。奥さんは総務部勤務だ。

『……あんまり役には立たないですね』

「そうだ、副長に私の彼という事で口裏を合わせて貰えれば」

『後で火種になりそうで怖いですが』

「とにかく、ラファエル副長に事情を説明して連れて来てくれる?」

『了解しました』

 暫くしてラファエル副長から通信が入る。

『こちら副長、船長、事情は伺いました』

 ちょっとばかり舌が回っていない。

「大丈夫?」

『へーきへーき、そちらに伺って、織田氏を黙らせましょう』

 こうやって裏で話をしている間、まる当人とは別に、マルティナはもじもじとしたままで黙っている風情を保っていた。

「マルティナさん、ここに居ましたか」

 わざとらしくラファエルが通信しているまるの所に来る。

『何だね船長、私は個人的な事で彼女とお話ししているのだ。ちょっと無粋ではないかな』

 織田がかなりむっとした表情でラファエルを見る。

「ええと、無粋と言いますと、こういう事ですかな」

 そういうなり、ラファエルはマルティナを抱きかかえて、キスをした。ぶっちゃけ、酔っ払いである。

<ちょっと待って、そこまでやれとは頼んでないわよ>

 中のまるもこれはちょっとびっくりした。五感は神経リンクを通して直接つながっている。流石に知人からのキスは、例えばあいさつ程度であっても経験が殆どない。あるとすれば土岐さんから位のものだ。

『なっ……!』

「こういう事ですので、彼女は連れて行きます」

 ラファエルはそういうと、まるの手を引いてエスコートした。まるはといえば、馬鹿みたいに申し訳なさそうな愛想笑いをしながら、握られていない方の手をひらひらと振って織田氏に別れを告げた。

「これで良かったのかしら?」

『さあ?人間の事はよく分かりませんが、織田氏が嫉妬に狂っておかしなことをされないことを祈りますね』

 さすがに、社会的な立場がある以上、織田氏もそこまで馬鹿なことはしないだろうな。と、まるは考えた。

 その時は。


§


 はっ、と、まるは目を覚ました。

<まさか……ね>

 だいたい、織田氏には最終的にまるの正体は明かしていない。まるが本来の猫の姿で、しかも時空間エンジンでも使わないと到達できないような、21世紀の日本などという場所に島流しになっている事態とは、直接のリンクはなさそうに思えた。

<こんな時代に私を連れて来れる可能性があるのは、私が猫であるという事を知っている、〈コピ・ルアック〉の乗員か、もしくは羽賀参事官、またはその同類……ということになるかしら>

 羽賀参事官の同類と言えば阿於芽あおめが居るが、彼はピンインの元に保護されているはずだ。うちの船員の可能性は……あまり高くは無さそうに思う。羽賀参事官自身には、私をこの時代に連れてくる理由が無い。現状で考えつく可能性は無かった。

<一体、何が起きたのかなぁ……>

 まるが考えていると、大きな紙袋を抱えた矢田が、小坂と帰ってきた。

「ほらほらまるちゃん、小坂さんからこれをまるちゃんへ、だって」

 紙袋を見て、ぴくっ、と反応したまるだったが、すぐに平静を取り戻して中を覗く。中には銀色のノートパソコンと、小さな端末、それにケーブル類が入っていた。

「ゲームを作って売るための一式、以前趣味でやろうとして持っていたのを、家内に持ってきてもらったよ」

<家内、って、奥さんか>

「うにゃっ!」

「スマートフォンの契約はまだ生きてるし、デベロッパー契約も3ヶ月残っているから、そのままソフトを作って登録できるはずだ。やり方に関しては、ネットを見れるそうだから、自力で何とかやってもらえるかな?」

「にゃーん」

 まるは尻尾をくねくねと振って、感謝を伝えた。でも、人間2人がよく分かってい無さそうだったので、PCの所にたたっと走って行って、メモ帳を開いてキーボードで打つ。

「有難う、帰ったら早速やってみる」

「荷物が多いから、僕が矢田の家までまるを連れていくよ?」

「にゃっ」

 何とかまるの計画は始動できそうである。


(続く)


未だわからぬ未来の趨勢。

まるは果敢に立ち向かいます。

次回をお楽しみに!

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