第28話「アレクシアの料理天国04:新規事業にトラブルはつきもの?」
最速公開となってしまいました。
「アレクシアの料理天国」シリーズ最終話です。
(承前)
たとえようもない不安がまるの胸中でぐるぐるし始めていた。
「チェーン展開とかにかまけ過ぎたわ、目玉のハンティングとフィッシングのあるディナークルーズの出来に注意を払ってなかったなんて」
お手洗いでさっとプローブを解除して、客室ブロックをあとにしてブリッジに向かう。
「秋風君、今ちょっといいかしら」
『はい船長、少し問題を抱えていますが、大丈夫という事にしておきます』
「何よそれ……その問題も後で聞くわ。ディナークルーズの〈白浜〉でのイベントの安全性について、至急調査チームを編成してくれないかしら」
『了解です』
「で、問題って何?」
『次元転移砲の制御室を冷蔵庫に使っていますよね』
「ああ、そういえば。まだ新しい冷蔵庫は着いていないのかな」
「到着はもう少し掛かります。培養タンク類は設置が終わって、エコシステムの形成中です。それに伴って、水循環システムも85%まで回復しました」
「もう少しで元通りかぁ。我慢のしどころね」
『そこなんですが、次元転移砲のシステムに結露が発生している様でして、掃除の為に一度庫内のものを外に出したいのです』
「分かった、アレクシアに話は通しておきますので、相談して頂戴」
『有難うございます』
「こちらまる、料理部、アレクシア料理長は?」
『こちら料理部、アレクシア料理長は隣の星系で「ミシシッピ」でのクルーズの視察に出ています』
「もう、大事な時に……誰か冷蔵庫の運用についてわかる人は居る?」
『アレクシア料理長と補佐の小坂が……でも。二人とも出払っております』
「参ったわね。……仕方ない、私が行ってみる」
『お手間を掛けます、こちらでも料理長に連絡を取ってみます』
§
次元転移砲の制御室は、ドーム状の施設内に、エネルギーコンジットとその調整機構、モニタリング施設が集合したものだ。モニタリング施設は隔離されているが、その他の部分は空間に剥き出しである。本来は低温で乾燥した環境なのだが、冷蔵庫に使ってしまった際、保存物から出る水分が氷結し、人の出入りによってそれが結露に変わってしまったのだ。室内温度は2℃~-1℃で、置いている物体が氷結しない様に空気循環されている。本来ならその循環器の中にある除湿器で湿度が調整されるはずなのだが、そこがうまく動作していないらしい。
まるはマルティナ装備を展開した。一応鏡を覗くと、そばかすと鼻は元通りにされていた。これで簡易な気密服の代わりをすることは、逆の目に遭ったので承知している。
制御室のロックを外すと、冷気がさあっっと流れ出てきた。室内は……白銀の世界になっていた。
「霜がびっしりついてるわね。これ設定温度間違えたんじゃない?」
まるからの通信に、秋風が淡々と答えてきた。
『恐らく、温度調整用センサーもダメージを受けたのでしょう。不純物を含む水は導体ですが、霜は良導体とは言い難い、まあ、半導体ですね。それでショートの逆で、本来導通するべき回路に支障が出て、動作に問題が出ているのだと思われます』
「霜の結晶が隙間をこじ開けるように成長しちゃうせいかしらね。とにかく、ここを乾燥させなきゃね。物品は結構あるみたい。応援を呼ぶ必要があるわ」
『技術部も手一杯ですから、資材部……いえ、小峰部隊を派遣しましょう』
「陸戦部隊を出すほどじゃない気もするけど」
『物資の輸送とかに関して言えば、彼らの右に出る部隊は、〈コピ・ルアック〉には居ませんよ』
「まあ、それもそうかもね」
取り敢えずそう話しながら、まるは、冷蔵物品の確認をした。大抵は袋詰めされ、棚に入れられた食品である。その多くはハーブ類などだが、中にはネットに入った生鮮野菜などもある。
「こういうのが水気の発生源なのかしらね……」
だが、途中で問題のありそうなものを発見した。
そこには、ラックに無数の寸胴が並べられていた。
「鍋? 何が入っているのかしら」
鍋についているのぞき窓から中を確認してみると、それは対流の代わりになる自動攪拌装置付きの鍋で、入っているのはどうやらスープの様だった。表面には脂が浮いている。スープストックを作る際、一度冷却して脂を分離させる必要があるのだが、その作業のためにここを使っているらしい。本来、重力の無い部屋なので、冷却には不向きなはずなのだが、空気循環によって風があたることを利用して、自動攪拌装置の付いた鍋で対処しているらしい。
「参ったわね。こういうのに使う許可は出さなかったはずなのだけれど」
奥で、更に拙いものを発見した。スープストックの寸胴のうち一つが、蓋が開いて中身がこぼれ、その周囲で表面張力の為に空中で粒状に凍結してしまっていた。スープの食材で色がついて、まるで淡い色のガラス玉の前衛芸術の様だ。
「成程、ここでできた氷の粒を除湿器が吸い込んで故障したのかな」
まるは通信を入れた。
「船長より秋風部長」
『何でしょうか、船長』
「もう小峰君たちはこちらに向かっている?」
『もうじき到着の予定ですが』
「ああそう……ひとつ寄こしてもらいたい物があるの。地上でフィッシングに使っているネットが有るわよね。あれを何人かに持たせて頂戴。ちょっと厄介なものを発見したわ」
『厄介、ですか』
「何故かスープストックが冷却されていて、そのうちの一つが漏れて、周囲に氷の粒をまき散らしているの。あれはネットか何かで回収しないと無理だし、漏れた小さな飛沫が氷粒になって、機器に入り込んで問題を起こしているのだと思うわ」
『なるほど、わかりました。後発の部隊に持たせるようにします』
「お願い」
だが、まるはまだこの時、迫る危機を知らなかった。
§
まるが冷蔵庫で奮戦している丁度その時、織田氏の所に、〈キングハウンド〉のイライジャから緊急連絡が入っていた。
「緊急通信、緊急通信。こちら〈キングハウンド〉の躑躅森。まる……マルティナ嬢から緊急時は其方に連絡をしろと頼まれている」
「こちら〈黒船〉の織田。了解している。緊急事態の概要は?」
「宙賊連合に未参加の宙賊が攻撃を画策しているらしい。『料理天国』のワープシップを狙う可能性がある。たまたま船員同士が居合わせて雑談を耳にしたらしい」
「面倒だな。標的は明らかになっているか?」
「残念ながら絞り込めていないが、標的のある宙域は〈らせんの目〉なのは間違いない。恐らくは特に力を入れている〈白浜〉周辺だろう。警戒を強化してほしい。こちらもその周辺に戦力を割く」
「了解した」
通信を切ってから、織田は少し顔をしかめた。毒には毒を、か。だがあの躑躅森という男は、ごろつきには違いないがチンピラではない。どこでマルティナ嬢と繋がったのだろうか。気に食わない。気に食わないが、有能な人物の働きは認めるのが織田のポリシーでもある。あの躑躅森は「出来る」。それなりの処遇が必要だろう。
<おっと、それより各所に危険を連絡する必要があるな>
「こちら〈黒船〉の織田。緊急通信が入った。各所に通達してくれ」
§
〈コピ・ルアック〉の次元転移砲制御室。ミニ投網でビーズ玉レベルの飛沫は救えないことが分かって、技術部に遭った特殊ネットまでひっぱり出してきて、ようやく氷粒の回収が終わった。
「船長、お疲れ様でした」
「それが全然未だなのよね。これからこの中の冷蔵品を別の場所に移して、結露を取って、また品物を戻さなきゃいけない。それが終わったら料理部に、臨時冷蔵庫の使い方についてねじ込みに行かなきゃ」
『船長、よろしいですか?』
「ええ、まだ途中だけど一段落ついたところよ」
『調査の依頼のあった〈白浜〉のイベント海域のフォースフィールドですが、綻びが出ていますね。大型生物の侵入が懸念されます』
「〈白浜〉のあの付近の海域に、危険生物はいる?」
『います、俗称「軟体ザメ」かなり凶悪な捕食生物ですね、過去観光客が犠牲になった事例も……』
「急いで地上に連絡を入れて!事故が起きてからじゃ洒落にならないわ」
緊急連絡は直ちに地上の管理署に届けられたが、一歩遅かった。
「観客が巨大な蛇のような生き物を見たと言って騒いでます!」
地上に残っていた加藤は管理所に赴いて作業に加わっていた。
「避難誘導はどうなっている?」
「取り敢えず死傷者やけが人は出ていません。ただ混乱が酷くて収拾がつきにくいですね。このままだと被害が出てしまう可能性もあります」
「了解。とにかくけが人が出ないことを最優先に誘導してください」
てきぱきと指示をする。船長と長く一緒に居たせいか、多少のリーダーシップが身についてきた加藤であった。
<これは、フィッシングは営業停止になる可能性があるかなぁ>
「蛇のような生き物は、現地生物で「白浜ウミヘビ」と呼ばれる捕食生物です」
「蛇ですか、毒とかが心配ですね」
「あ、毒はないそうです。ただ、その体に骨は無く、頭部付近に大きな枠の様な骨格と、牙の並んだ大きな口がある為、別名「軟体ザメ」と呼ばれています」
「軟体生物?」
「地球産の生物の基準だとそうなりますね。銛などが効きにくく、電撃にも強いので退治が面倒です」
「対処法は?」
「通常は逃がすのですが、こういう人間の領域に紛れ込んだ個体は、口に爆弾を放り込んで爆破するという手が使えるそうです。でも、上手く銜え込んでくれればいいのですが、結構面倒です」
「ふうん……やってみるか。こういう事態の為に爆弾とか用意してあるかな」
「一応、以前の責任者の薬研医師が手配して置くようにと言われていましたので、グレネードガンがあります」
手渡されたのは、今でいう「うまい棒」サイズの筒のような武器。
「下のロックを外してスイッチで射出します」
「弾は一発だけか……これ、一つだけ?」
「替えの装弾パックが有ります、これをセットし直せば使えます。打ち出した後、殻になった部分に横からカチッと音がするまで差し込んでください。全部で4発分です」
「じゃあ一発、退治に行ってみようかな」
「あ、相手は水中に居ますから、水上用のジェットスケートではなくて潜水装備をお出しします」
「分かりました、お願いします」
加藤は渡された薄い気密服に着替えた。構造は宇宙服と大差ないが、宇宙服が無い圧に耐える者なのに対して、潜水装備は外圧に耐えるものだし、人体の浮力を抑える仕組みのために、薄手なのにずっしりとしていた。装着して首のロックを締めると、ピタッと気密にして与圧される。直ぐに埠頭まで行って水中に飛び込むと、手足には水圧で推進するためのジェットが付いていた。身体の挙動をアシストする形で動くようだ。
<うん、これなら何とか動けるな。さて行ってみよう>
泳ぎだした彼の視野に、うすぼんやりととぐろを巻いている巨体が見えていた。
<かなりでかいな……10mくらいはあるのか?>
そして、その巨体は、ゆらゆらと加藤のいる方向に泳ぎだしてきた。
〈そっちもやってくるなら好都合、いくぞ!>
§
加藤が〈白浜〉で戦闘を開始したころ、〈コピ・ルアック〉にも別の緊急事態が迫りつつあった。
「なに、『軟体ザメ』が出たの? けが人は?」
「いません。今、加藤が退治に向かったそうです」
ラファエル副長はブリッジでまるを出迎えながら伝えた。
「加藤君が。くれぐれも無理をしないように伝えてね」
「船長!中規模の宙賊船がこちらに向かっています、通信には一切応じません」
『船長、この船について、〈黒船〉の織田氏から緊急通信です。該当航宙船は宙賊連合に参加していない船で、敵対の意思有り』
FERISが補足情報を流す。
「乗員以外の人員を安全な場所に誘導して、戦闘態勢に移行!」
「戦闘態勢に移行了解しました」
ドーラ砲術長が復唱する。
「船舷無重力ラウンジその他に居るクルーズの乗客の誘導、既に開始しています。ドラム部の疑似重力区画に誘導中」
ラファエル副長が客の状態を申告する。
「了解、私はまた次元転移砲の制御室に向かうわ。あれがいつ必要になるか分からない」
「小峰以下陸戦部隊が行っています。彼らに任せておけば」
「上級船員でないと、転移砲の再起動の為の安全ロックを解除できないでしょう。ラファエル、指揮をお願い。『船長の役目』でしょ」
ラファエル副長ははっとした。乗客がいる現在、彼が船長の代役なのだ。今動ける上級船員で、現状の役に立つのは、例によってまるだけだった。
「あまり無理しない様にお願いします。最悪の場合、転移砲は使わずに乗り切ることを考えましょう」
「了解」
ブリッジから船体を前後に貫く中央リフトで移動して、それから船体中央を上下に貫くコアシャフトで次元転移砲制御室まで一直線。現在、運び出しは70%程度。ただし、結露については最初の氷粒の除去の際に、一緒に霜も採取していた所為か、一部難あり程度には回復しているようだった。
『現状でも、人員が退出すれば転移砲を60%程度の出力で運用可能ですが、エネルギーコンジットが水蒸気で破裂してしまう可能性が懸念されます』
FERISが現状を分析してまるに伝える。
「出来るだけの霜を除去して、物品も運び出した方がいいわね。せっかく食糧庫関係を修理しているのに、ここが壊れたらまた修理期間が出来ちゃうわ」
「90%以上の物品を排出すれば、動作上の問題はなくなる筈です」
「了解。急がせるわ」
『こちらアレクシア、まる船長へ』
まるが現着して物品の運び出しに協力し始めた所で、通信が入ってきた。
「ああ、アレクシア。冷蔵庫が酷い事になっててねえ」
『その件は副料理長の小坂が謝罪して来ました。私も目が届かずに申し訳ありません』
「仕方ないわ。機械とかあんまり詳しくない子なのよね」
『すみません。もう少し専門バカじゃなくて、航宙船についても学ばせます』
「謝罪は良いわ。今ちょうど、次元転移砲の中から物品を外に出している最中なの」
『了解です。……あの、迷惑ついでに宜しいですか?』
「なに?」
『冷蔵物の中で、スパイスの入っている袋が有ったと思うのですが、大変貴重なスパイスがいくつかあるので、優先して運び出していただけないでしょうか』
「物は分かる?」
『青い袋に入っているはずです。結構な量になりますが、お願いできますか?』
「わかったわ」
制御室の中を探してみると、あった。かなり大きな袋で50袋。無重力とはいっても慣性質量というものがある。これだけのものを短期間で運び出すのは結構骨だ。幸い陸戦部隊は通常は資材部の人員として働いている。重い荷物を無重力の場所で動かすのには慣れていた。
「こちらに来て手伝って、貴重なものらしいから優先して運び出したいの」
まるの呼びかけに、小峰が部下2名を連れてやって来た。
「手伝います」
そういって運び出していく袋に、何となく嗅いだことのある香りを感じ取った。
「あ、これキャットにっ……ぷ……」
ちょっと眩暈がしたが、流石に装着中の人型プローブが毒性を感知してリミッターを掛けてきたため、倒れるには至らなかった。
「アレクシアも、こういうものが混じっているなら、最初に断ってほしいなぁ」
ちょっとふわふわしつつ、更に輸送の手伝いをする。
『ブリッジより転移砲制御室へ、敵が無人破壊兵器を射出してきました。重力波砲だけで防ぐのは困難な感じです。其方の進捗はどうですか?』
まるはクラクラする頭を出来るだけしゃっきりさせようとしながら答えた。
「えと、現状は85%程度。あともう少しでうんよう可能になる……予定」
『……まる船ち……マルティナさん、大丈夫ですか? 合成音声がおかしいですが』
「物品の中のハーブをちょと吸っちゃって。大半は……ふ、防いだんですけど。ちょっとだけくらくらしてる」
『休んで、他の物に作業を任せてください』
「そうする」
そういったきり、まるの意識が遠のいた。
§
<一発無駄にしたか>
加藤が発射したグレネードガンの弾は、「軟体ザメ」の頭に当たって跳ね返ってしまった。爆発の振動は結構厳しく、軟体ザメも彼も暫く痺れてしまっていた。「軟体ザメ」が口を開けているときに確実に射出して逃げなければ。
グレネードガンの弾の爆発には指向性が有り、発射方向に扇状に爆発が広がるようだ。衝撃波は後ろにも多少は来るが、へっぴり腰で撃たなければ、こちらに大きなダメージが来ることはなさそうだ。
腰につけた替えのカートリッジを取りだして、グレネードガンにカチリと装着する。
<口を開いてくれればいいんだよな>
距離を取りつつ、顔面手前辺りを狙って再度発射する。爆発の衝撃で「軟体ザメ」は弾き飛ばされたが、ろくにダメージは負っていないようだ。
<残り2発か……、これ、あと一発外して、最後の弾で成功するなんてパターン? やだねそんなの>
余計な事を考えつつ、3発目を装着して狙う。先程の衝撃でかなり怒っているようで、口を大きく空けて襲ってきた。チャンスだ。
<無駄弾はもう撃ちたくないからな。上手く入ってくれよ>
迫りくる「軟体ザメ」は、恐怖の的以外何物でもなかった。正直、加藤は腰が引けかけていたが、ぐっと腹に力を込めた。
<負けてたまるかっ>
彼の土壇場の意地を込めた弾が発射された。
「すぽん」
弾は「軟体ザメ」の口の中に消えた。
「ぼふっ」
細長く見えた「軟体ザメ」の体が、まるでレモンのような形状に膨らむと、破裂した。
<よし!>
だが、逸れて遠くに行った外し弾の衝撃と違い、敵の体を至近距離で吹き飛ばした際の衝撃は結構きつい形で加藤を襲った。きつい衝撃波で、彼は意識を失った。
§
「船長、まる船長!」
小峰に揺さぶられて、まるは正気を取り戻した。
「……何分経った?!」
「ほんの15秒ほどです」
「残りはどれくらい?」
「あと5袋位ですね。再起動が有りますので、船長はここで休んでいてください」
「いや、もう大丈夫。急がないと敵が来るわ。それに、どうせ再起動時にはコンソールに行かなきゃ」
「……わかりました」
まるはまだちょっとクラクラする頭をぶるぶるっと振った。プローブも同じ動きをしたので、無重力の空中でくるくると回ってしまった。慌てるまるを小峰が捉えて引きずりおろす。
「不注意ですよ」
「だって、猫だもん。反射的にやっちゃうものは仕方ない」
そうやって、ハーブの袋にたどり着いて、再び持って行く。キャットニップのような働きのあるハーブは、幸いもう残っていなかった。まるが持ったのはスペアミントの袋。
「うー、あんまり好きじゃない香り。まあ、気付けにはちょうどいいか」
猫がミントが嫌い、というのは俗説。まるも少量なら香りは好きだが、強いのは苦手だった。さらに、残念なことにネコはアロマオイルを大量に代謝することは出来ない。勿論毒性と見做された分は吸入されてもまるには直接届かないが、先程のキャットニップの件もあり、ちょっと慎重になった。
「敵が近づいています。急ぎましょう」
小峰の先導でまるは荷物を運び出した。
「あとどれくらい?」
「もう大丈夫でしょう。敵も来ています。あとのものは犠牲にするしかないですね」
「そう……って、ちょっと待って、あそこにあるの、青い袋?」
見ると、一つだけぽつんと外れたところに、例の青い袋が置いてあった。
「行くわ」
まるが動き出すと、小峰が付いてきた。
「私も行きます。船長はコンソールに行ってリセット処理を」
「……分かったわ」
最後の袋を小峰に任せて、まるはリセット処理に向かった。リセットをタイマーを設定して動作させ、後は時間内に全員退出。そうすれば、次元転移砲が使えるようになる。いま中に残っているのは、小峰とまるだけ。
「小峰君!回収に掛かる時間は?」
「20秒下さい!」
<よし、リセットまで20秒にセット。離脱しなきゃ>
まるはそうやってコンソールから離れた。が、通り道でぷん、と、嗅ぎ慣れた香りを感じた。
「あれ、これって……」
見るとそこには、枯れ節(黴付けをして旨味を増した鰹節)の山が有った。
「なんでこんなところに」
「船長、あと15秒です!」
「わかってる!」
まるは枯れ節の山を担いで床をタンッと蹴って出口に向かった。
14,13,12,11,10,9,8,7,6,5,4。着いたっ。
「ゲート閉じます!」
ゲートを閉じたのがリセット2秒前だった。
「バチッ」
中に残った食料はダメになった。
「転移砲制御室よりブリッジへ、準備完了!撃って!」
『了解』
次元転移砲が充てんされていくのを間近で見るのはちょっとした恐怖だ。
エネルギーコンジットがまばゆく光り、僅かに残っていた食料は塵と化した。
『充てん完了、発射!』
次元転移砲の発射は目には見えない。轟音も無い。ただ、その射線に有ったものが一瞬光り、そして消滅するだけだ。だがそれは強力無比な一撃だ。敵を畏怖させるにはちょうど良い。
『敵、降伏しました』
「はあああああぁ」
まるはへたり込んだ。
「最後に何を運んできたんですか……って鰹節ですか」
「ただの鰹節じゃないわ、最上級の枯れ節よこれ」
「好きですね船長」
「だって、猫だもん♪」
§
加藤が気がついた時には、援護に来たジェットボートに助けられていた。「軟体ザメ」はバラバラになっていたが、回収されていた。何でも、干物にすると旨いらしい。味と食感は、スルメと鯵の干物の良いとこどりで、少し海鞘の様な海臭さが有るらしい。
「上の方も大変だったそうだ。宙賊に襲われていたからね」
責任を感じて飛んできたという、薬研医師が加藤の解放に当たっていた。
「〈コピ・ルアック〉は無事だったんですか」
「船長たちの尽力で次元転移砲が使えるようになったから、それで一撃やったら降伏したそうだ」
「無敵すぎる武器だしねえ……」
「一応、センサーで調べはしておいたが、体で痛い処とかはないかな?」
「特にはないです」
「なら良いが、とにかく大事を取って一日は無理をしない様に。船長、私のいう事を無視して睡眠時間を削った挙句、ハーブにやられて気を失ったらしいからね」
「やりかねないですね……」
「しょうがない猫だ。まあ、土産に『軟体ザメ』の干物でも食べさせてやるか」
薬研と加藤は二人で乾いた笑いを立てた。
§
数日後、冷蔵庫が納品され、調整を受けていた。基本的にこれで、航宙船〈コピ・ルアック〉は通常営業が可能となった。
「え?」
ラファエル副長は目を白黒させていた。
「全店舗の権利を、ビジネス特許ごと織田氏に売り払ったって云ったのよ。もともと彼の供出が有ってのものだし。もちろん、〈白浜〉のビーチの使用権については土岐氏と私たちに支払われるし、〈コピ・ルアック〉乗員は全て今後無期限で「アレクシアの料理天国」は利用無料よ。あ、「アレクシアの」も、名前から取ってもらう事になっているわ」
「神楽コーポレーションと宙賊連合は?」
「ああ、彼らは織田氏と直接契約だから、私がどうのこうの云う必要もないわ」
「料理部は?」
「とっくの昔に全員戻ってきているわよ? その処理でアレクシアは飛びまわっていたんだし」
「もしかして、最初っからこうするおつもりでした?」
「当然でしょう? 余計な業務抱えていたら、貨物業務に支障が出るのは分かり切っていたし。おかげさまでたっぷり稼がせて頂いたわ」
「そうですか」
「うん、面倒くさいのはもう終わりっ。私も芸能活動なんてお断りだわ」
「〈EXTR183〉の公演は?」
「あれは劇団側で直接織田氏と契約してもらったわ。思索の杖はちょっと手伝ったらうちに戻ってくるそうよ。〈川根焙じ・改〉のパイロットポジション希望だって」
まるは猫の姿のままうーんと伸びをした。
「やっぱりこの格好の方が落ち着くわぁ。マルティナ装備だと人用の美味しいもの一杯食べられるのは利点だけどね」
「それは良いんですが」
「織田氏から交際申し込まれてましたよね。あの件は片付いたんですか?」
「……」
「船長?」
「あー、そんな話もあったわねえ」
「あったわねえじゃないですよ。ちゃんと正式にお断り入れて頂かないと、また色々後で面倒が起きますよ」
「わかったわ、わかったわよ。断りは入れる」
「正体を明かすべきじゃないんですか?」
ラファエル副長の提案を天を仰いで暫く考えていたまるだったが、ちょっとぶるっとして答えた。
「そんなことしたら、ろくでもない結果になると思わない?」
「まあ、一生恨まれることになりそうですな」
「猫の場合は女性主導で全部けりがつくけど、人間はそんなに単純に事は進まないでしょ?」
「いつまでも隠しておけるとは、正直思いにくいです。誰かが、例えば土岐氏が口を滑らせてしまいそうで」
「それが一番怖いわ」
『お話し中ですが、織田氏から通信が入っています。繋ぎますか?』
FERISが横やりを入れてきた。
「噂をすれば。ですね」
「んもう、面倒くさいっ」
まるはマルティナ=人型プローブを出現させる。
『お取込み中でしたかな?』
「あ、いいえ大丈夫ですわ」
『副長業務お疲れ様です。実は今回尽力いただいたお礼に、会食にご招待したいと思っております。ラファエル船長の許可が頂ければ、ですが』
「ええ? ああ。構いませんよ」
「ちょ、ラファ……」
〈コピ・ルアック〉は無事に元に戻ったが、織田氏とマルティナの件は、まだまだ後を引きそうではある。
独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉は、まる船長と400人の仲間とともに、明日も宇宙を飛び回る。
予定より1話早く終わってしまいました。
インターミッション的な話を挟むべきかどうか悩みましたが、次回から、最長のシリーズとなる予定の話を、一話繰り上げでお送りすることにします。
題して「孤影悄然のまる」シリーズ。
斯うご期待!