【#063】 Darkness -蜥蜴の尻尾-
今回のお話は次話から始まるクライマックスシリーズの序曲の裏側です。
前話の主人公がヒロキに対して、今回はクーアがメインとなっています。
「ん‥‥―――むにゃむにゃ。‥‥んん」
クーアは、昨夜の宴で盛り上がった料理と酒の味の余韻に浸りながら目をゆっくりと開ける。ぐしぐしと自分の手を目元で丸くして眠気を飛ばそうとする。
でも、まだ眠い。――けど、私に自由をくれたご主人様に迷惑を懸けてはならない。と重い頭を上げて周囲に目を配る。
まず映ったのは、親方と呼ばれるデンさん。
この旅館『桜牡丹』の女将さんをしているキヨさんの父親で、禍福層の造船所でお仕事をしていると言っていた。親しみやすい人だってすぐに分かった。女将さんも仲居さんのアヤネさんもいい人。
キヨさんもアヤネさんも私が奴隷なのに、良くしてくれる。
お客だからじゃない。まるでカトリーヌがいるみたいな感覚がした。
ううん。違う、カトリーヌはもう居ない。
この人たちはカトリーヌじゃないんだ。
私は幸せ者だ。
これも全部―――と。ご主人のヒロキを探すが広い部屋には、酒瓶を抱いたデンさんだけと散らかった昨夜の食べカスばかり。
「‥‥―――あれ、ご主人様?」
くしゃくしゃになった白い髪や身だしなみをレインに教えて貰った通りに整えて、一旦深呼吸する。落ち着いたところで部屋を静かに飛び出して、番頭さんが居る一階の玄関口まで降りると竹箒で掃く音が聞こえた。
障子戸を引いて、こっそり顔を覗かせる。
掃いていたのは、アヤネさんだった。女将さんと違って着物を何重にも重ね着をしていない性か、ほっそりした身体に見える。
接客と違って手足を動かしやすいように、裾を捲り上げているので露出した白い肌に女の私でも虜になってしまいそうになる。
視線を感じ取ったのか、アヤネは此方を見る。
「あら、もう起きたの?
最近の子は朝が早いのね。
女将さんは別格だけど、あのヒロキ君って子もこんな朝っぱらからジョギングなんて人間出来てるわね」
ほぉぇ?
ご主人様…そうか、先に起きちゃってたのか。
う~。それならそうと、起こしてくれても良かったのに。
悄気るクーアにアヤネは、苦笑してから思い出すように頼まれたことを言う。
「―――ああ、そう言えば。
そのヒロキ君から頼まれたことがあったっけかな。どうかな? お姉さんと一緒に、美味しいお握りでも作って彼にプレゼントするってのは」
アヤネは思う。
頼まれたことなんてない。だけど、こんな年頃の可愛い娘がこんな顔じゃ台無し! シワは女の天敵だよ。女将さんのシワは別格だけどさ……。
「美味しい…お握り? うん。作りたい!」
真っ直ぐな目で見られると罪悪感に刈られるアヤネだったが、純真無垢な乙女を放ってはおけない。という純粋な気持ちに背を押されてクーアの手を取る。
私はアヤネ。ただのアヤネ。転生者のアヤネ。奴隷だった女。だから家名なんて持ってないし、この娘の気持ちを誰よりも組んで上げられる。
この旅館に足を踏み入れた時から仕草で分かった。彼女のよそよそしさは、自由を無意識に恐れが視線と違和感で映えて見えた。
その瞬間から彼は、彼女を連れて入ってきた彼は私達の敵だ。と憎い目で見てしまいそうで素っ気ない返答をしていた。
でも彼は違った。
彼女を。クーアを。心の底から愛していると彼の表情や優しい声色。気遣い溢れる言葉が言っている。これは主人と奴隷の関係を越えた絆がそこにはあった。
宴会で初めて涙を流した。嬉しかったんだ。まだ世界には、こんなにも優しく接してくれる人がいるってだけで、こんなにも一緒に笑えるものだなんて知らなかった。
私は彼等を影からでもいい。
"全力でサポートしたい。と。"
それは女将さんも同じ気持ちだったようで本当に嬉しかった。
だから、そんな彼女には笑っていて欲しい。と思うのは職業病じゃない。素直な私の中にある本当の気持ち。
「ほら、お握りはこうやって握るんだよ」
お握りに決まった握り方なんてない。好きな人を想うから。味は変わるし、美味しくなる。引き立てるのは私じゃなくて……。
あなただよ。クーア。
アヤネがチョイスした具材は三つで四種のお握りをクーアに伝授しようと考えていた。
一つはノーマルな塩むすび。美味しい塩むすびに必要なのは『炊きたてのご飯』『氷水』『キレイな布巾』そしてシェンリル王国特産の『海老塩』。
塩むすびで一番のポイントは、ご飯の美味しさを最大限引き出す『炊きたてのご飯』にある。炊きたてであるからこそ、ふっくらと。形よく。美味しい塩むすびに仕上がる。
『氷水』は、炊きたてご飯から出る熱を防ぐために手をしっかりと冷やして水気を『キレイな布巾』である程度拭き取ることで、ご飯が手にくっつかなくなる。
塩加減は、指三本で塩を摘まむくらいの加減が丁度いい。と言われているけど、ここからは彼女に任せよう。
私が手伝うのはあくまでも下準備だけ。ここから彼女の戦いだよ。
「ん~と、これでいいかな?」
クーアは必死におむすびを握っていた。
ご主人様。私の大切な人に笑って欲しい。こんな立派な髪飾りや料理をご馳走してくれているのに、私は恩を返すどころか貰ってばかりいる。
これじゃダメだって分かってる。――けど、何時もそんなご主人様に甘えている。笑って言葉を返してくれるご主人様に甘えてばかり。だめ、ダメだよ。このままじゃあ、私はレインさんに追い付けない。
レインさんは多分。ううん、きっとご主人様のことが心の底から好きなんだ。私だって女の子だもん。それくらい分かるし、ご主人様もレインさんのことが好きなんだ。と思う。カエデさんがいた頃にそう思った。
ご主人様は鈍感だから、きっと私のことなんて異性の対象に入ってない。それでもいい。私はいまのご主人様が好きなんだ。この『好き』は女の子としての気持ちだけど、ご主人様には私以上に幸せになって欲しい。
だって私はご主人様といるだけで十分幸せだから。
よいしょ、よいしょ。とアヤネさんから次に『鮭むすび』『昆布むすび』『梅むすび』を習って愛情をたっぷりと注いで握っていく。
アヤネさんがなぜこのチョイスにしたのかは直ぐに分かった。ご主人様は、どういう訳か日本食にコダワリがあるから。それは多分、私の直感的なものだけど特別な思い入れがあるように思えた。
アヤネさんからすれば、宴会でセレクトしたメニューが日本食に片寄ったところがあったからといっていたけど。どうなのかな?
ふっくら、ほかほか。の美味しいおむすびの匂いに誘われてデンさんが二つ摘まみ食いしたのにアヤネさんが菜箸で叩き上げる。
ギャーギャー、ワイワイ。する二人を見てクーアは自然と笑っていた。微笑ましい光景・家族以上の絆を感じさせる空間に華を咲かせていた。
親方のデンさんが仕事に出掛けると言うので、クーアは自分が作ったおむすびをどうぞ。と言って装い竹皮で包んで渡したところ何故か涙目に。
クエスチョンマークを一つ二つ浮かべる純粋な可愛さに今度はアヤネさんが抱き付いてくる。
「いい娘。いい娘。もう、お姉さんの妹にしたいくらいだよ」
ふにふに。とアヤネは抱きついたまま頬を押し当てて来る。クーアは困惑しながらアタフタする。
「ごめんなさい。
アヤネさん、私は―――ご主人様のお傍に居たいので、その…ごめんなさい。それは出来ません」
「いいの。いいの。
今言ったのは忘れて。クーアは、そのままの純粋さで居てくれれば…それで、いいの‥‥」
ソッと抱き締めるアヤネ。
彼女から熱いものが流れて来るのを感じた。これは彼女の温もりだと、彼女の心が温かいんだ。って思った。
だけど、それは私の勘違いだった。
冷たい。どんどん冷たくなっていくアヤネさんの手を。倒れる彼女に何が起こったのか? それはトラウマの記憶が私に囁いた。
誰かに背中を刺されたのだ。抱き締める手が背中に突き刺さった棒状の物がそれを教えてくれた。
「贄に純粋さなんての必要ないんだよ」
ピクッと耳を震わせる。
その声色を知っていたからだ。聞きたくなかった。もう二度と、彼処にいた頃の自分を思い出しくないからだ。
「どうして…今度は奪うんですか。
コガネイさん。彼女は、アヤネさんは、関係ないでしょ!」
「関係はあるさ。
彼女の霊魂はデイドラの儀式に転用される供物となる。
そして君のその鬼人族の血肉いや処女肉と霊魂は、偉大なる力を秘めている。
故に代用させて貰うぞ――。この俺を復活させる依り代になってもらう。
もう時間がないんだよ。あのガキの性で、身体が拒絶反応を起こし始めた」
人間の皮がぐちゃぐちゃに壊れて、原型がなくなる寸前のコガネイはフードを羽織って醜い容姿を隠す。
「俺が一体何のために態々、一つの国を潰してまでこの国に鬼人族の奴隷を引き入れたというのに…グガ…これでは意味がない」
吐血して苦しみ塗れに答えるコガネイの言葉が一体、何を意味しているのかクーアには理解できなかった。それでも次第によくない感情と思考が頭を通過する。
一つの国を潰した? 何それ、やだ。まさか、そんなの嘘だ。
私は。私は最初から『贄』になるだけに連れて来られたって言うの?
いや…いや、
「――来ないで!」
叫ぶが誰の気配もしない。
親切な番頭さんも。美味しい料理を作ってくれた板前さんも。みんな、みんな…何も感じない。嘘だ。嘘だ。こんなの嘘……。
コガネイがクーアに触れようとした瞬間――薄く青い膜が膨れ上がり手が弾かれる。
「―――クソッタレが!
この感覚は!? また、あのガキか。多重結界術式を髪飾りに組み込むとはな。
遣ってくれる。これでは手が出せない‥‥が、貴様に選択権はない」
震える手を必死に押さえながら、クーアは答える。
「どういう意味?」
着いて来い! と言わんばかりに指で合図して来るように強要される。
この結界は、どうやらご主人様の力らしく彼も手が出せない。それなら大丈夫かもしれない。と彼に従うのはイヤだが、拒否すれば逆鱗に触れてしまうかもしれない。
そう思い、彼の後を追うクーアはコガネイが指差す方を見て仰天する。驚く口を両手で押さえる。
「ガフ…俺がここに来た目的は、霊魂の回収と貴様の身体だ。
コイツらは無関係だ。さて三十番、よぉく考えろよ。
自分と三人の命を天秤に掛けた時、どちらを取る?」
イヤだ。そんなの嘘だ。
板前さん。番頭さん。仲居さん。みんな縛られて……。
「…お願い……します。止め…て、お願い」
「涙ながらのお願いなど無意味だ。
言った筈だ。彼等は無関係だが、俺の目的は霊魂の回収だ。
もう分かるだろ。簡単に彼等を殺せるんだ。こんな風にな!」
コガネイの手から放たれたのは赤い閃光。
赤い燃えるような魔法弾だ。弧を描く軌道は、赤黒い血色を弾けさせて一つの頭部が無くなった。赤い飛沫と着弾・炸裂した魔法弾の音に、二人の縛られた人間たちが身を震わせる。
ガクン。とクーアは膝を着く。
心が壊れそうで寒くて、両手で自分の両腕を擦って落ち着かせようとするものの。目の前の光景があの時分のトラウマを甦らせる。
ドックン。と心臓が真新しい産声を上がらせる。燃える血が覚醒を促して、秘められた力が身体の奥底から爆発した。
網膜に焼き付くオレンジの瞳が何を意味するか知るコガネイは、鼻で嗤って魔法弾を二つ散らせる――がクーアの放った覚醒の衝撃波が魔法弾を弾かせる。
「なるほど…【鬼人化】か。
その年齢で発動出来るとは驚きだ。しかし守りきれるのか?」
チラッと見やる。―――が、もう遅かった。
クーアが振り向くよりも早くコガネイの大口径の魔法弾一発で鮮血が宙を舞った。
コガネイは、一瞬でも意識が沈んだその瞬間を狙って結界の内側に微弱な振動を送って眩暈を引き起こさせる。
バサッ――。と倒れるクーアを担いでコガネイは旅館に火を放った。
ポタリ、ポタポタ…ボチャッ。と口からも鼻からも止まらぬ黒い血が炭火に消えていく。
「…ゴフ、もう時間がないか」
クーアを担いだコガネイは数百度の熱が立ち込める炎の中から火花を散らせて消え去った。
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業火に燃える木造四階建ての旅館に逸早く気付いた職人たちが、バケツリレーで消火活動に当たるが激しい火の波は唸りをあげて呑み込んでいく。
消化が終わる頃には、残り火と黒白の炭だけで焼け落ちた旅館の真ん中で一人の大男が女の名を叫びながら大泣きしていた。
「うわぁあああ、なんじゃい。キヨ、キヨ、キヨォ!」
「おい、デンさん。デンさん !」
なんじゃい、黙っとれ! と声を荒げて若い職人衆を押し退けるが、
「お父ちゃん!」
久々に聞いた娘の自分を呼ぶ声に涙ながらに振り向く。間違いなく、そこにはキヨ、自慢の娘キヨが汗だくで立っていた。
「大丈夫やで、それよりもアヤネに、ゴロハチ、シュンペイ、シノさんは、どないした。それから、クーアちゃんは?」
キヨの言葉に皆が静まり返る。
ああ、なんという……。無念でならない絶叫に禍福層の住人が膝を落とし、呻き声が宙を乱反射した悲痛の叫びが心を震わせた。
立ち竦む職人たちを掻き分けるように現れた厭に軽装な騎士は声を張り上げて叫ぶ。
「呆けている暇などない!」
その言葉に震えた手を強く握り締める職人の誰かが騎士に反旗を翻す。
「―――なんだよ!
ふざけんじゃねぇよ! アンタ等、国の人間が動くのは決まって後でだ。なんも変わってないんじゃねぇかよ! 二年前もそうだ。全部が終わった後で行動に移しやがる。
俺たち国民は、結局自分で身を護らなきゃなんない。テメェ等に分かるのか!?」
騎士は言い返せないでいたが、女の騎士は一歩前へ出て職人の頬を平手打ちする。
軽いけれど、想いが乗っかった平手打ちに職人の男は女騎士の目元を見て瞳孔を開かせる。泣いていたのだ。
「私達はただの後始末を押し付けられて、何も感情がないと本気で思ってるの?」
女騎士は思う。
…――だってツラい。私だってツラいよ。
心の底から痛々しいほどに、壊れそうなほどに、苦しいほどに、だけど…誰かが遣らないといけない。それが例え精神を崩壊させてでもと。
騎士の役目は何も国民を守ることだけではない。災害や事件に巻き込まれた遺骸を墓守り・神職の人に渡すか、家族のもとへと送り届ける義務があるのだ。
そしてこれは女騎士なら誰もが通る道でもある。どうして女騎士なのか? それは平均的に見ても女性の方が器用値が高いかららしい。その性もあって、大抵事件現場には若い女騎士が集められる。
女騎士は涙を拭って、埋もれた悲鳴をあげただろうか、それとも即死で声も上げられずに逝ってしまっただろうか? と考えながら思いに老ける。
二年前の大事件で多くの人がこの世を去った。今でも墓石が最上階層の王都に置かれてある。私達は誓った。もう災厄は御免だと。
それなのに―――。
再び込み上がってくる涙をギュッと抑えていると、彼女が私に言ってくれた。
彼女の名はフェイさん。
私達、女騎士の鏡であり、誇りであり、尊敬に値する女性初の騎士団長。
「アカネ。泣かない!
これは私達にしかできない責務。だから頑張りなさい。
それと代役で申し訳ないけど、ここの指揮を執ってもらえる?」
「はい、それは構いませんけど‥‥何方へ」
「ごめんなさい。
国王様からの特務でね。内容は話せないけど、ここは任せるわ!」
そう言ってフェイは足早に行ってしまった。
残されたアカネは、よし! と一人意気込んで自分の与えられた仕事を全うするべく声を張り上げたのであった。
クライマックスシリーズは現状、三部構成の予定です。




