【#108】 Secret peace Part.Ⅰ -夢、叶えし鎮魂歌《蜂起篇①》-
何処だ。目が・・・霞んだ。あの後から何れくらいの時間が経ったのか分からぬ間にパチッバチッと枝木が爆ぜる音だけが聞こえていた。焚き火から微かに臭う炭の薫りと燃える火力が肌に汗を募らせる。しかし、汗の雫は火に力負けして蒸発していく。それはまるで今の自分と重なって見えた。
何れだけ自分を犠牲にしても決して逃れること叶わない運命。何れだけ数の言葉を何度も吐いて、何度も呟いて、幾度も叫んでも、人が何時か訪れる死に対する恐怖で身を按じるよりも早くに死んでしまえたら・・・どれだけ楽だっただろうか。一途な愛を知る前に、仲間を大切に想う前に、死ねていたら俺はこの辛くて残酷な日々を送ることもなかった。
『そう思うことは勝手なキミの妄想だよ。』
違う。
『違わないさ。どれだけの罪をその背中に背負ってきた?キミはまだ忘却の彼方へ追いやってはいない証拠だ。将大大輝君・・・、いや<黒の英雄>ヒロキ君。キミは既に一つの真実に辿り着いた立派な探求者だ。』
探求者だぁ?ふざけるな!俺は周りに不幸しか運ばない。救うだけで人が死んでいく。そんなのは・・・もう見たくない。現に、俺のちゃちな蟠りがジャイガードを苦しませたじゃないか。それにこの事件だって元を辿れば、俺が招いたもの。俺はもう・・・消えたい。
『つまり・・・キミ自身の霊魂を完全消滅を所望したいとそう言うわけかな。それは私個人としてもオススメ出来ない。霊魂とはプレイヤーの情報源。事象を記憶するエピソード記憶には、時間や場所そのときの感情が含まれる。そしてもうひとつ、特定の場所や時間に関係せず物事の意味を表わす一般的な知識や情報についての意味記憶。その二つが霊魂の重要なパーツの一部分に値する。』
何が言いたいんだ。
『キミは自分では覚えていないだろう。一度、キミは自ら望んで記憶の一部を消滅させたという事実を。』
馬鹿なこと言うな。どうして・・・どうして、それをオマエは知っているんだ!?
焚き火の向こうでお茶を啜っていた人物を俺は知っていた。最初の禁忌を犯した時からずっと俺の中でいた魔導書。カルマって名前は俺がプレゼントしたんだから忘れるわけがない。今の今まで喋る度に口調をコロコロ変えてきたが何だっていうんだ。
カルマが実体化している時点で此処が現実から遠退いた精神世界だというのは分かる。ならどうしてこうも地味なのか、焚き火にテント。イスは三つで、寝床は俺が使っているけどそんなことは今はどうでもよかった。
「オマエは誰だ?」
『成る程。冷静になれば思考能力は向上する点は、彼にそっくりだ。私は魔導師でも況してや魔導書でもない。天涯の王と呼ばれたハローワールドの創造主たちの一人にして、神に喧嘩を売った愚者イズマルクさ。』
◇最上層 甲邱 魔法工学研究所◇
爵位会以降、レインさんはずっと自分の部屋に閉じ籠ったまま出てきません。愛しの彼氏にもあの一件での出来事の一端はお話しになったそうですが伝えないまま遠征に出ていかれたとのこと。今頃は『ヘンタイ冒険者』などと囁かれている頃合いでしょうが嗤えませんね。本当に笑えません。そう思いながら研究所を歩く。
彼女に近寄る研究者は誰もいなかった。可憐で花が似合う豊かな微笑みを返してくれる筆頭のレインさんなら兎も角、サワラビさんの不適で腹黒い笑みを見たならそれが最期だと悟らなければならない。それが研究者全員が唯一一致する認識だった。
今もそれは変わりない。例の灰色事件でウォンシェンと言う若い近衛兵がレインさんに楯突いたと誤認識しただけで彼を自分の手駒をさせられている。だから研究者は無視してでも自分の手を止めることなく作業に熱が入っていた。
魔法工学研究所では、新しい魔法術式の開発に専念することが研究者の仕事内容に挙げられるのだが、ダンジョンで採取された素材や素材同士を調合・錬金術による再構成で生まれ変わった新しい物質を解析する場所でもある。サワラビは、とある事情と私情を挟んだ意味合いでレインを盗聴していた時、耳にした万能鉱物【賢者の石】の生成に総力を注ぎ込む地下研究室で足を止めていた。
其処には所長のヘレンがいた。当然と言えば当然なのだが、彼の英雄が口にした「構築能力というのはいい線だよ」の一言が彼女を此処に留めていた。様々な構築能力を試してはいるものの未だに成果はでないままに、灰色事件は過ぎて今に至っている。着いていけなくなった研究者の多くは、栄養失調で倒れていっている現状でサワラビの存在に気付いたヘレンがガラスをすり抜けてきた。
「どういう腹積もりかな。我輩の邪魔を優先するよりも筆頭をヤドカリの宿から出すのが役目でしょうに。」
「レインさんはレインさんの役目を忠実に遂行しているに過ぎません。伝令班が伝えた筈ですから爵位会での一件は御存知でしょう。ダイヤモンド家の当主の次男坊ビクター=ダイヤモンドが国王と連なる貴族の手前で発した爆弾発言が民衆の耳にまだ入っていないのが幸いです。」
「――貴族の企ては何時もが下らない遊戯ですが、ダイヤモンド家が関わってくると少々事の意味が変わってくるもの。英雄、色を好む。とは言うがビクターの小僧は商売人であったろう。今、そなたの旧友たちが嗅ぎ回った結果は最悪の最悪じゃよ。例の灰色事件最大の黒幕と言っても過言ではない。巧く隠蔽工作しておるが、工作員も既に見つけていると聞く。」
と、其処へ例の如く伝令班の人間だろう黄色の衣を纏った軽装姿の男は普段通りの口調で「申し上げます!」と声を大にする。ヘレンはその申し立てが気に入らず、
「被験体にされたくなかったら、早く言いなさい。」
「ひっ・・・」と身を縮込ませる伝令を仰せつかった男は、生唾をゴクリといなして答える。
「せ、先刻。通信班がキャッチした信号弾メモリアルから情報を解析したところ、先日遠征に向かった一躍からでして・・・ダンジョン【黒結晶洞窟-鬼火山】にて災害発生。死傷者多数。黒楽譜によれば、」
其処で語られたのは死者たち。黒楽譜とは、別名ブラックリストと呼ばれる勇敢な死亡者を敬うもの。読み上げられた多くは若いものの共に名声を挙げた大型新人ばかり。その中でもギルド『ジャイアント・フラッグ』が一人を残して壊滅という信じがたい報せが飛び込んできた。完全な異常事態を意味した黒楽譜の最後で言葉を詰まらせる。
イヤな予感がした。またレインさんを悲しませるような気がして、堪らなく男を非情な瞳でみては躊躇う彼を焦らせ精神錯乱の魔法を介して強制的に読ませたその一言は、あまりにも辛い悲痛の叫びとなった。
翌日。サワラビは、レインが塞ぎ混んだ部屋の前まで来てもまだ決心着かぬ自身を恥ながらノックする。声はなかったが気配で察知した彼女は布団に蹲っているのが見えた。まだ泣いているのだろう蒼い魂の流動は薄らいで霞れている。
「レインさん。わたし、サワラビです。」
「・・・・・・・・・。」
「そろそろ出てきませんか?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「ツラい気持ちは分かります。」
「分からないよ。サワラビさんには、わたしの気持ちなんて分かる筈がない!」
「どうして・・・そんなことを?」
「サワラビさんは、誰かを一途に心から愛したことある?一度離してしまったあの手をもう一度強く握った告白した時に契約刻印をヒロキに施したの。古い時代の古式魔法。彼が無茶しないよう保険を懸けていたけど・・・それもムダになっちゃった。」
「古式魔法?そんな危険な魔法をどうして!?」とは言えぬ間にレインは続きを語り出す。
「わたしが施したのは彼に限界を踏み込まさせないようブレーキを心臓に組み込んだつもりだったけど・・・術者のわたしが分かるぐらい見事に昨夜破壊されたの。ヒロキがもしも次に限界を越えた時に、<調律者>がいなければ無事ではすまない。サワラビさんなら知っているでしょ。禁忌魔法を研究していた貴女なら・・・一度使用しただけで張り裂ける身体の悲鳴を少なくとも二度も手を着けて無事なわけがない!」
レインさんの言うとおり私がこの研究所に赴いてからというもの研究分野に撰んだのは禁忌魔法という題目。歴史上に存在する魔法の中でもほとんど手付かずのまま放置されていた神霊種たる神をも殺す魔法に興味本意で突っ込んだものの発見出来たのは、使えることのできるのが古代人と魔王種のバケモノだけということ。そして使用者の多くは一度の魔法発現だけで大きな力を奪われるか、死して大地に還るかのどちらか。
「レインさん・・・。」
ドアに寄り掛かることしか出来ないそんなサワラビに絶望の瞳が奮える中、穢れた姿の野獣は真っ黒な血痕まみれに今尚傷口から大量の血を流しながら床を影と赤で滲ませていた。手駒のウォンシェンが駆け寄って来るものの、鋭い覇気が一帯を埋め尽くし力なき兵は次々と倒れていく。
「賊風情が立ち入っていい場所ではありませんよ。」
しかし頂けませんね。此処で負ったキズは一つもない。寧ろ、モンスターから受けた方のキズが深いとは。賊風情の侵入を許す門番は後でヘレンさんにでも明け渡しましょうか。そんなことを内心思っていたのだが、銀の毛並みをした野獣は首から下げていたカプセルを飲み込んで産まれたままの一人の人間となり驚愕する。
「ち、畜生が。毎度毎度、この痛みは何とかしてもらいたいもんだぜ。」
絶句するサワラビの瞳に映るそれが悪魔に見えた彼女が取る行動は、切断切除とばかりに護身用ノコギリナイフを手にした。
「おい!待て早まるな!」
「その悪魔を切り落とすことが今の私の使命ですので動かないで下さい。」
「ちょ、待ってて。僕が来たのはだな。だから人の話を最後まで聞けって!ちょんぎったら蜥蜴の尻尾みてぇーな治癒能力はねぇーんだ。」
「逃げないで下さい。仮にも女性のレインさんの部屋の前で悪魔を露出させるなど言語道断。正しく切除をした上でホルマリン漬けにしますので安心下さいませ。」
「安心できるか!レインちゃんが其処にいるんなら僕のこと分かるだろう。僕だ。ディアンマだ。ヒロキのパーティーメンバーのディアンマだって!」
「そんな出任せが通じるとお思いですか。悪魔はこの聖剣【オプティマス】に切除され灰に還るのです!」
「それ!護身用だろう。ってか、さっきホルマリン漬けとかいってなかったか。しかも聖剣は物騒な形をしてるわけねぇーだろが!」
「おや、まあ知らないのも当然です。聖剣とは選び抜かれた聖者たちの血と肉と骨を持って生まれる死者を刈り取る武器なのです。その草臥れた悪魔を切り落とすには絶好の武器と言うわけですから・・・さあ追い詰めましたよ。大人しくしていれば痛くありません。」
「さりげなく草臥れたとか言いやがったな。ちょっとだけご無沙汰なだけだ。本気になりゃあ、大きくなるけど・・・アンタじゃゴメンだね。」
「――聞き捨てなりませんわね。」
冷ややかな視線が下腹部に落ちたその時だった。「もう、五月蝿い!」声を大にして幾つもの鍵を魔法で一斉解除した後にドアをバーンと豪快に開けた先に飛び込んだ二人を凝視した。カツカツ、とテンポ良く歩いてきたレインはケガを負ったディアンマに手を貸して起き上げるなり自分の部屋に放り込んだ。
「――サワラビさん。」
その声はあまりにも冷たかった。萎縮したサワラビは、「・・・はい。」と言うのが精一杯で否応なく正座する。
「今日は帰って。ディアンマの治療があるから。要件が出来たら呼ぶからそれまで自室で待機・・・しなかったら聖剣生成方法の秘密をバラしたこと魔法協会に言うからね。」
そう言ってレインはガチャガチャ・・・と自室に施した幾つもの鍵を施錠して患者に向き直る。恐れ多く無言の圧力とレインの怖い一面を間近で見たディアンマも思わず正座して萎縮しきっていると、全裸状態の自分を仰向けに寝かせて診断を始めた。そこに悪魔を見た羞恥はなく真顔な彼女は真剣そのものでさっきまで自分がアホみたいに思えてきた。
「なあ、レインちゃん?」
「黙って。今は診断中だから黙って。」
暫くして診断を終えたレインは、ディアンマに布団を被せて書類にペンを落としていくその姿は何時も慌てている子供でなく薬師のレインで素直にヒロキが羨ましく思ってしまった。アイツはこういうところも見ているのだろうか、とかどうでもいいこと考えていれば声が掛かる。
「それで、どうしてディアンマさんが此処に居るの?」
ディアンマは内心困っていた。ヒロキに頼まれたことは二つ。一つは、有毒ガスが入ったガラスカプセルをサワラビさんと言う秘書官に届けること。もう一つはあの便箋を目の前のレインちゃんに渡すことにある。どうして両方ともをレインちゃんに渡してはダメなのか尋ねる前にヒロキは前に行ってしまったが、それには余計な重荷を背負わせない為にだろうかと考えたが。
「レインちゃん。この遠征で僕は少なからず、ヒロキって言う一人の人間を見てきた。だから、アイツには・・・ヒロキには幸せになってもらいたいんだ。アイツが背負ったもんのすべてを肩替わりが出来なくても、一緒に背負うことはできる。だから・・・託された以上のこと遣ってでもアイツに恩を着せてやる。そう決めたんだ。だから、コイツをレインちゃんに託す。僕に出来ることがあるなら何でも言ってくれないか。」
そう言ってレインに便箋とガラスカプセルを託し、受け取った便箋に書かれた文面を読み終えた彼女の頬は赤く溢れる涙の流星を何度も拭って自分に泣き顔を見せたくなかったのだろう。咄嗟の判断で反対を向くが、枯れた声で何故か返された言葉は「ありがとう。」だった。そして早くもレインからの指令を受けることになった。
それは現状で最も有力な最強パーティーを作ってダンジョン【黒結晶洞窟】へ救出部隊を送ると言うことだった。筆を取ったレインが記した救出部隊編成のリストに書き上げられたのは、自分が知る限りは恐ろしいほどの最高戦力に等しいが何故そうするのか糸口が掴めぬ間に部屋を追いやられた。
自室に残ったレインは、渡された便箋を胸に抱いてベッドにダイブする。
「ディアンマさんは裏切らなかったよ。最初からこうなるって分かってて託したんでしょ。わたしも諦めない。これは約束の為だもんね。だから・・・ヒロキも守ってよ。」
さらに翌日。表参道を闊歩する遠征組の救出部隊の編成メンバーを多くのプレイヤーが目撃したその日、瞬く間に広がった噂は独り歩きを始めてシェンリル王国全土に知れ渡ることになった。
◇とある貴族邸宅◇
我欲しか興味のない邸宅の主人は、吉報を天上の窓から醜くムダな労力を使うプレイヤーを嘲笑い最上級の洋酒をグラスに注いでいく。豪快に果実食材【氷晶林檎】を砕いた果汁で満たし一口。
「さて、話を聴こうか。吉報なんだろう。ええ?なんせ、ぼくちんの余韻を邪魔したんだから。」
痩せ細った執事は、薄笑いして答える。
「例の小汚ない盗人も令嬢も英雄も排除しました。これで根回しは完了です。ビクター様、次のご指示を。」
ビクターは、悦に浸る顔を顕しに証拠隠滅を執行する。金さえ払えばなんだろうと仕事を引き受けてくれる仮面の集団を使って、地下牢で解体させた執事の潰れた顔面にグラスで殴打。飛び散った血が頬にへばりつく。
「沈めろ。貴様の顔は見飽きたんだよ。」
へばりついた血痕を長い巻き舌で舐めとって反吐を吐いたビクターは、最高級の洋酒をボトルごと呆気なく捨て去るのだった。それを見ていた仮面の集団の一人が声を漏らす。
「ブタに真珠とは、この事だよだよね。」