生徒会ワルツ
この地域の冬は厳しい。11月の末から雷を合図に霰がバスを待つ剥き出しの脚を打ち付ける。黒いタイツを履けるのは12月に入ってから。スカートのウエストを折って丈を短くすることは自殺行為に等しい。白いハイソックスとスカートの間は寒さと霰の攻撃で既に赤くなっていた。
早朝6時03分。定刻から3分遅れて到着した始発に乗って私は高校へ向かう。始業まで時間はたっぷりあるが、生徒会室のストーブ当番を鳥居と交替したから今週いっぱい二度寝はバスの中ですることになる。古くからあるお屋敷通りを抜けて、百貨店が目印の繁華街で下車。学校のある高台に向かって緩やかな坂を上ること15分、大学病院の隣に教会と併設の中学、高等学校がある。アナベルだ。本当は漢字表記の正式名称があるがそれは割愛、創立当初から戦中の一時期を除いて今日までアナベルはアナベルなのだ。
一歩踏み出すごとにミシッと小さく軋む廊下の先へ進むと、生徒会室という名の物置き部屋、変わり者の巣窟、憩いの場、昼寝部屋、あまり近付きたくない場所……人によって様々な解釈がされている部屋にたどり着く。ドアの脇に立て掛けられた当番表のネームプレートから鳥居はなの札を外し、私の名前――遠藤優輝に付け替える。地域ではそこそこ名の通った鳥居生花店はアナベルと近隣の系列教会の装花を請け負っている。クリスマスに向けて店頭も忙しくなるこの時期は社長令嬢とは名ばかり、彼女も働き手として朝から手伝いに駆り出される。遅刻ギリギリで教室に駆け込むのは冬の風物詩だ。そんな親孝行な友人のためなら苦手な朝だって起きようと思える。が、眠たいものは眠たい。「SUPER COOOOOOL」と書かれたフリスクを適当に口の中に入れ、ストーブのスイッチを入れる。棚から出した年代物のヤカンに水を入れてストーブに乗せるのも忘れない。寒い冬を快適に過ごしてこそ、より良い学生生活と図書館活動について思案できるというのが図書委員長としての考えだ。紅茶にするか、コーヒーにするか、それともココアか。ストックを見ながら考えていると軽く2回、ドアがノックされた。麻子さんだ。
「どうぞ入って!おはよう麻子さん」
「おはよ、優輝早いね。私も紅茶ほしいな」
生徒会室に通い詰めれば1ヶ月も経たない内に近づく足音とノックで来訪者が分かる。
「はいはい、ミルク無し蜂蜜少々ね」
「ありがと。朝食べてきてないでしょ?姉さんが昨日帰ってきて生徒会にお土産くれたの」
コートを椅子にかけ、明らかに手編みと分かるマフラーをお菓子の紙袋と入れ替えに鞄に押し込む。
「わー!先輩帰って来てるんだ!」
「うん、向こうで着る冬もの回収しにきたんだって。明日ここにも顔出すって言ってた」
そう言うと、麻子さんは紙袋からバウムクーヘンや焼き菓子を次々に机へ出していく。綾瀬麻子、学内活動の会計を取り仕切る生徒会の頭脳。アナベルより遥かに偏差値の高い都会の姉妹校から転校してきた彼女を素直に尊敬する反面、なんとも言えない気持ちも抱いていた。――初恋の人の妹。私の気も知らないで楽し気に一つひとつお菓子の説明をする彼女に何の非もないが、心のもやもやは晴れない。
「これが抹茶のフィナンシェでしょ。それで、これが横浜のカサブランカのベイクドチーズケーキ!」
「OGがやってるお店だっけ。前のお家のご近所さんの」
「そう!これをね、優輝と食べたかったの」
長身の割に小さな手が備え付けの果物ナイフで丁寧に切り分けていく。色々な気持ちを抱きながらも麻子さんと親しい友人でいられるのは非の打ち所がない彼女の性格に救われているからだとしみじみ思いながら、いつもより丁寧に紅茶を淹れる。
「中にね、リンゴの煮たのが入ってるの。優輝、好きでしょ」
温まってきた部屋にシナモンの薫りが広がる。幸せの薫りだ。
「んー!リンゴのシャクシャクが!ジュワッて!麻子さん!」
「はいはい、どうどう。落ち着け優輝。目が覚めた?あぁ、朝から美味しい紅茶とケーキ、早起きした甲斐があったわー」
メゾソプラノの声がクスクスと笑いながら私を宥める。
麻子さんは中等部2年生の夏休みに転校してきた。形ばかりの進路相談で登校していた私が職員室から出ようとドアを開けたところで学校見学に来ていた綾瀬家と鉢合わせしたと記憶している。
「ごちそうさま、先輩にも後でメールでお礼しとくけど、麻子さんからも伝えて」
「はいはい、喜んでくれて何よりよ」
食器を下げながら、セーラーの胸ポケットに麻子さんがキャラメルを忍ばせる。
「分かってらっしゃる」
「まぁね」
「女の子にモテる秘訣は?」
「日々のちょっとしたサプライズと、本命を公にしないことかな」
「参考にしとく」
お互い冗談とも本気ともとれない、やり取りを交わす。頭の回転が速い彼女の面白い回答を聞くのが好きだ。
「それじゃあ、ぼちぼち礼拝堂に行こっか。スミ子がもう鍵開けてるはずだから」
「一緒に来たの?」
「いや、さっき窓からお団子頭が見えた」
「間違いない」
いくつかある礼拝堂の鍵の一本は歴代の宗教委員長が管理している。今はスミ子こと阿部すみれが所持し、毎朝8時前には扉を開けている。学校の前の大通りを挟んで向かい側にある第二教会の末っ子は教会の英語教室に通っていた私の幼馴染で、恋路を応援してくれている大事な友人の1人だ。
「麻子さん、パーティーのプレゼントもう決めた?」
「もちろん。クラスのも生徒会のも教会のも全部ね」
「今年も手作りお菓子オーダー券?」
「僭越ながら。けど、それはクラス用。あとの2つはお楽しみだよ」
「良いなぁ、私も2組になりたかった」
「来年のクラス替えに期待だね」
他愛ない話をしながら礼拝堂に向かうと、中からパイプオルガンの音色が聞こえてきた。自然と口数も少なくなる。入口で掃除をしていた委員の子たちと軽く挨拶を交わし、中に入る。
賛美歌○番、この学校の誰もが知っているクリスマスの定番「もろびとこぞりて」。条件反射で口ずさむ。直ぐに麻子さんが低音を重ねてきた。今日も楽しく1日過ごせそうな気がする。
1番を歌い終わるとちょうど檀上で牧師先生が使う巨大な聖書を抱えたすみれが舞台袖から現れた。台に設置したところで、入り口付近にいた私たちに気づき小さく手を振る。先生がいる手前、大きな声で「お菓子ー!」とは叫べないので手で降りてくるように合図を送ると、すぐに駆け寄ってきた。
「おはよー、ゆーき、麻子ちゃん」
「おはよう、すみれ。朝からお疲れさま」
「姉さんのお土産のお菓子、おすそ分けに持ってきたよ。これなら今つまめるでしょ?」
麻子さんが胸ポケットから赤と緑の包みを差し出すと、すかさず
「そ、それは!すみれの好きなグラミス・キャッスルの東京限定の…」
「「「塩生キャラメル、それもクリスマスパッケージ」」」
「きゃー!!麻子ちゃん神ー!」
かろうじて150㎝になったらしい華奢なすみれが、麻子に飛びつく。いつものことだ。
「崇めて良いよー」
「崇めるー!」
「すみれは私より麻子さんが良いのね・・・・・・この浮気者っ」
すみれのぷにぷにとした頬を冷えた両手で挟む。冷たいと笑うすみれのお団子頭から教会に飾られていた百合の香りがした。
「ゆーき。私はね、みんな好きなの。選べないの」
「みんなの前に「お菓子をくれる人が」が抜けてると思うんだけど」
「女子高生だもん」
「はいはい」
飲食禁止の礼拝堂でこうも堂々とお菓子を食べる宗教委員長は後にも先にもすみれぐらいだろうなぁ、と思いながら意味不明な言い分を受け流す。
「さ、そろそろ時間だよ」
「2人ともありがと。またお昼にね」
「うん、お疲れさま」
朝の礼拝は中等部と高等部が毎日交代で礼拝堂を使う。生徒会役員は教室外から直接礼拝堂に向かうことを許可されているが、委員会と生徒会の仕事で休み時間と放課後はほとんど図書館と生徒会室に出ずっぱり、時間がある日は教室からクラスメイトと並んで行くに越したことはない。
8時25分から30分の間、各クラスが礼拝堂前の混雑防止のために決められたルートを進む。50年ほど前に校舎が今の形に改築された際、当時の高等部生徒会と教師が編み出したらしい。白い建物を夏はコバルトブルー、それ以外の季節は臙脂のセーラー服の少女たちが校門に面した回廊を颯爽と教室から礼拝堂へ向かうのはアナベル名物だ。
「優輝、ちょっと付き合って」
教室へ向かう階段を前に麻子が優輝の手を引いて生徒会室の方へと向きを変える。
「え?忘れもの?」
返事を返さない麻子にいつもと違うものを感じつつも、おとなしく付いて行く。
いつもより少し早く礼拝の準備を終えたすみれは2個目のキャラメルを口に放り込んだ。甘くてしょっぱい。しょっぱくて甘い。3ヶ月前の日のことを思いだす。
夏休みが明けた最初の登校日、クラスに鞄を置いて礼拝堂へ鍵を開けに行くと扉の前に麻子の姿があった。
「おはよう麻子ちゃん!久しぶりー!」
「すみれ……」
先週の文化祭の予算会議から1週間ぶりに会う友に挨拶がてら飛びつく。しかし、いつもの演技がかった反応はなく、すみれに飛びつかれるままに軽く抱き返すだけに留まった。
「ゆーきと何かあった?」
「・・・・・・」
黙って首を横に振る麻子に「重症だ」と言いながら苦笑する。10年以上の付き合いの幼馴染も大事だが、麻子も大事な友人だ。単純に誰か1人の味方になどなれない。
「すみれ的には、言えば良いのにって思ってる」
「だって優輝は璃子のこと・・・・・・っ」
普段の気丈な姿からは想像できないほど、優輝の話になると感情が乱れる。本人もそのことで苦労しているようだ。
「自分が怖い。優輝に拒絶されるのも怖い」
「麻子ちゃんは頭良いけどお馬鹿さんだよ。確かにゆーきは璃子先輩が好きだよ。3年間片思いだよ。けど、そこで麻子ちゃんが気持ちを伝えてなんで拒絶するの?」
「だって……」
「麻子ちゃん、私たちアナベルで過ごせるのもあと1年半だよ。私たち3人とも上京するけど、受ける学校も専攻も全然違う。私は専門学校だから内申キープするだけだけど、2人は相当勉強しなきゃじゃん」
雰囲気こそふわふわしているが、すみれの意見はいつも的確だ。3月の末に生徒会の仕事を引退して、3年次にクラスが一緒にならなければ、校内での接点は確実に減ってしまう。
「すみれ、どうしよう私……」
「自分が一番分かってるでしょ。人に言わさないの」
「いじわる」
「私ね、ゆーきのことが大好き。付き合いたいとかじゃなくて、友情もあるけど家族的な感じで」
「・・・・・・」
「麻子ちゃんは?」
コバルトブルーのセーラー襟と空が溶けて混じり合う。
「……好き。すみれと違って、恋愛感情の好き」
確実に来る秋に向けて蝉が最期の歌を歌う。
「本人に言わなきゃ」
微笑みながらそう言うと、お団子から落ちてきた後れ毛を手早く直し、すみれは礼拝堂の鍵を開けた。




