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消滅の楔  作者: 倉永さな
【一章】迷惑な居候
35/37

《二十八》

     § § § § §


 ゆらゆらと暖かい。

 意識がふわふわとしている。

 なんだか春の日差しの元、まどろんでいるような感覚。

 彩名はあまりの気持ち良さに、このままずっとそうしていたいと思っていた。

 しかしそれは、彩名を呼ぶ声で遮られてしまった。


「彩名っ」


 低い男の声。

 ここ数日、この声に何度も名前を呼ばれているということは分かったが、今はそっとしておいてほしい。

 だから彩名はうっとうしそうに腕を上げて払おうとしたのだが。

 なんだか妙な違和感。

 身体を動かそうにも、動かないのだ。

 彩名はまどろみの中で引っかかりを覚えた。


「彩名、大丈夫かっ」


 また、名前が呼ばれた。

 今度はさらに心配しているかのような声。

 頬をぺちぺちと叩かれ、ぬくもりを感じる。

 それが心地よくて、彩名は自然と笑みを浮かべていた。


「おいっ、暢気によだれ垂らして笑みを浮かべるな、彩名っ!」


 さらにはっきりとした声に、彩名の意識は一気に浮上した。

 うっすらと目を開けると、目の前に真っ黒なぼさぼさ頭。眼光鋭い男の顔。


「……か、らす?」


 どうして鴉が自分を見下ろしているのだろう。

 お腹が空いたからご飯を作れと言いに来たのだろうか。

 それにしても、今、何時?

 まだ目覚ましが鳴ってないから、早すぎると思うんだけど。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、急に抱きしめられた。


「彩名、目を覚ました!」


 きつく抱きしめられて苦しいのに、それがなんだか嬉しいのはどうしてだろう。

 ちょっと前だったら、こんなことをされていたら悲鳴を上げてみぞおち辺りにパンチを一発お見舞いしていただろうが、今は離して欲しくないと思っている。


「ったく、心配掛けさせるな、この馬鹿っ!」


 そういった鴉の声がちょっとだけ潤んでいるように聞こえたのは、気のせいだろうか。

 なにか言いたいと思ったのに、身体が重くて言うことを効かない。

 心配を掛けさせたのなら、ごめんなさいと言わないと。

 そう思ったのに、まだぼんやりとしていて、鴉にされるがままだ。


 彩名が目を覚ましたのはどうやら本堂だったようだ。

 彩名が気がついたと知った秀道がやってきて、ゆっくり休むようにと言われた。

 自力で動けない彩名は鴉に抱えられ、自室へと戻っていた。彩名はベッドに横たわり、安堵していた。

 鴉曰く、身体がかなり弱っているから、数日はベッドで寝ているようにとのことだった。秀道もそれは了承しているようで、学校にもすでに連絡してあると言うことだった。


「じゃあ、俺は戻る……って」


 身体は思うように動かなかったけど、彩名は部屋を出ていこうとする鴉の手を握ったまま離さなかった。


「あのな、状況、分かってるのか? とにかくゆっくり……」


 鴉と秀道に言われたように、寝るのが一番の休養だというのは分かっている。だけど鴉が離れて行くのが嫌だったのだ。

 思うように口を開けない彩名は、鴉の手を離さず、小さく首を振った。


「ったく……」


 鴉は迷惑そうな表情を浮かべながらも、仕方がなさそうに彩名の横に座り込んだ。


「寝付くまではいてやる」


 ぶっきらぼうな言葉の中に優しさを見つけ、彩名は泣きそうになってしまった。

 こんなことで泣いてしまうのが恥ずかしくて、彩名はきつく目を閉じて、誤魔化した。


 部屋の中が静まり返った。

 だけど鴉と繋いだ手は妙に熱を持っていて、そこに心臓が乗り移ってきたかのようにずくずくとしている。

 非常事態だったから意識していなかったけれど、よくよく考えてみれば、鴉にずっと抱っこされて寺に戻ってきたし、本堂で目覚めたときもきつく抱きしめられた。

 これってむちゃくちゃ急接近じゃない? と今更ながら、心臓がばくばくと言い始めた。

 それに、と彩名は気がついた。

 ふと鴉と繋いでいる左手を視ると、小指にはなぜか赤ではない、黒い糸が繋がっている。

 そういえば鴉を解放するために赤い糸を切ったはずだし、それに、どうして鴉は未だにここにいる?

 赤い糸を断ち切るのが失敗して、黒くなってしまったのだろうか。

 これでは、お互いを不幸にしてしまう。

 好きな相手に不幸になって欲しいと思う人なんて、いないと思う。

 だから早く、断ち切らなければ。

 黒い糸に手を伸ばそうにも、思うように身体が動かないから、思うだけだった。

 布団のぬくもりと、鴉の手のぬくもりに彩名は徐々に眠くなってきた。

 とりあえず、眠ってしまおう。体力が回復してから黒い糸を切っても、遅くない。

 彩名は自分にそう言い聞かせ、眠りに身を委ねることにした。


     § § § § §


 ほんわかとしたぬくもりを感じて、彩名は目を覚ました。

 ふと目を開けると、目の前にはなぜか鋭い眼光があった。だけど瞳の光の中に甘さを見つけ、彩名は戸惑った。


「うおっ、起きたか」


 彩名が目を覚ましたことに鴉は挙動が怪しかったが、彩名は追求はしなかった。なんだか触れてはいけないような気がしたからだ。


「えっと……今、何時?」


 久しぶりに声を出したら、ずいぶんと掠れていた。しかも喉の奥で痰が絡むような感じがしたけど、何度か咳払いをすれば治まった。


「さあな。じーさんは普段通りにすべてをこなしていたぞ」


 ということは、すでに朝なのだろう。言われてみれば、カーテンの隙間から朝日がこぼれてきていた。


「あ……ご飯、作らなきゃ」


 起き上がろうとする彩名を、鴉は肩を押さえて止めた。


「おまえは自分の状況が分かってるのかっ」


 鴉に怒鳴られ、彩名はきょとんとした。


「死にかけてたんだぞ!」


 死にかけていたという言葉はさすがに大げさだと彩名は思ったが、よく寝たつもりなのに、今まで感じたことのないだるさに苛まれていた。

 なんだか身体と魂がかみ合ってないような違和感が彩名を支配していた。


「体力が回復するまで、大人しく寝ていろ」

「でも……」

「なんだ」

「鴉のご飯」

「ああ、それなら心配要らない。きちんともらってる」


 それは秀道が作ってくれたものを食べているという意味なのだろうか。そうだとしても、なんだか言い回しが妙だなと思いつつも、彩名はそう解釈して、納得した。

 鴉は腰を浮かし、彩名と繋いでいた手を解こうとした。


「じじいに彩名が起きたと伝えて……って、おまえな」

「やだ。行かないで」


 彩名はぎゅっと鴉の手を掴み、引っ張った。

 どうしてだろう。鴉が側からいなくなるのが酷く不安なのだ。


「一人にしないで」


 身体が弱っているから、気持ちまで弱っているせいかもしれない。

 とにかく鴉に側にいて欲しいのだ。


「ったく。ずっと手を握ってるから、部屋に戻れなかったんだからな」


 そう文句を言いながら、鴉は先ほどと同じように彩名の枕元に腰を下ろしてくれた。


「そもそも、俺のこと、嫌いなんだろう?」


 呆れたような鴉の言葉に、彩名は小さく首を振った。


「……鴉、わたしのことが死ぬほど嫌いなら、別に無理してここにいなくても」


 彩名の消え入りそうな声に、鴉は手を繋いでいない手で困ったように頭をくしゃくしゃっとかき回した。


「……嫌いだったら、戻ってこねーよ」

「……え?」


 予想外の鴉の答えに、彩名は固まった。


「赤い糸がだれかと繋がってると知った時、正直、うっとうしいと思ったよ。だけど今は、赤い糸の存在に、感謝している」


 鴉の意外な告白に、彩名は息を止めて聞き入った。



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