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消滅の楔  作者: 倉永さな
【一章】迷惑な居候
34/37

《二十七》

     § § § § §


 よく知った気配に、由良は思わず、笑みを浮かべた。


「思ったよりも早かったわね、鴉」


 上機嫌な由良に対し、鴉は激しく憤っていた。


「彩名を返せ」


 鴉のいつにない低い声に、由良はおかしそうに笑いながら鴉の左小指を視た。そこに存在していた忌々しい赤い糸はきれいさっぱりなくなっていた。


「あら、どうして? めでたくその呪いの糸から解放されたんでしょう?」

「呪いなんかじゃない。あれは……あの赤い糸は、あいつの命だったんだ」


 悔しそうな言い様に、由良はおかしくて仕方がない。

 邪刻が好物とする不幸が鴉から流れ出てきていた。由良はその甘美な味に思わず舌なめずりしてしまう。

 鴉の不幸の味は、他のどんな人間のものよりも美味しい。だから由良は、鴉を手放せないでいた。

 無理矢理に縛り付け、ひざまずかせ、屈辱に歪む顔が由良の何よりのご馳走。

 久しぶりのその美味に、由良は自然と機嫌が良くなる。


「あら、今更。気がついてなかったの?」


 もっともっと、絶望を味わい、不幸になればよい。そしてまた、縛り付けられるといいのだ。

 由良から離れたいのに、逃れられないという屈辱を与えたい。

 だから由良はくすくすと笑いながら鴉に近寄った。


「あなたがアタシのところに戻ってくるのなら、元通りに戻してあげてもいいわ」

「……最初からそれが目的だったのか」


 くすくすと笑い続ける由良に対して、鴉は激しい怒りを覚えていた。

 胸の奥がかなりむかむかする。頭に血が上り、目の前が真っ赤に染まった。

 拳を握りしめると、怒りのあまり、震えていた。

 怒ったら由良の思うつぼだと分かっているのに、その感情を止めることが出来なかった。


「うおおおおおっ」


 鴉は咆哮すると、由良に殴り掛かった。

 真っ直ぐ、馬鹿正直に真正面から殴り掛かったところで由良に避けられるのは分かっていた。由良は余裕の表情を浮かべたまま、動こうとしない。

 怒りに支配されていた鴉だが、まだどこか冷静な気持ちが残っていた。

 鴉の拳が由良にぶつかるその直前。

 由良の身体が少しだけ後退して、鴉の拳の軌道上に淡い光の球が差し出された。

 鴉はとっさに拳を止めた。


「あら、いい判断」


 由良はやはりくすくすと耳障りな声で笑った。


「それはなんだ」


 鴉にとって、とても馴染みのある気配。だけど酷く不安定で、触れただけで霧散してしまいそうだった。


「言わなくても分かるでしょ」


 その一言で、鴉は理解した。


「どうして……彩名の魂が」


 彩名と鴉を結んでいる赤い糸が断ち切られたとき、彩名は崩れ落ちた。だけど魂はきちんと肉体という器の中に入っていたはずで……。


「もっと賢いかと思っていたけど、案外、馬鹿なのね」


 由良の馬鹿にした言葉にかちんときたが、どう考えても今のこの状況は不利すぎる。

 だから鴉は手のひらに爪が食い込むほど強い力で拳を握りしめ、耐えた。

 鴉の全身にぞわぞわとした怖気が走っていた。これはなんだろう。


「そもそも、赤い糸なんて存在しているわけ、ないじゃない」


 由良のその一言に、鴉は目を見開いた。


「そんなものがあれば、この世の中に邪刻なんて存在していないわ」


 由良の口から、まるで自分自身の存在を否定するかのような言葉。

 長い間、共にいたが、由良は一度たりとも自分を否定するような言葉を口にしたことはなかった。いつだって自信にあふれ、人間を見下し、馬鹿にしていた。


「あなたとあの娘が繋がっていたのは、赤い糸なんかじゃないわ」


 それならば、なんだというのだろう。

 鴉が気がついた時には、すでにその左小指に存在していた、赤い糸。

 鴉には視えないが、彩名には視えるという赤い糸も、それでは一体、なんだというのだ。


「本当に赤い糸があるというのなら、アタシがあの娘に授けた《消滅の楔》であなたたちの赤い糸が切れるわけ、ないじゃない」


 由良の告白に、鴉は目を見開いた。

 鴉と彩名は、二人を繋ぐ赤い糸を断ち切りたかった。引っ張っても切れないし、物理的なはさみなどで切れる様子もなかった。

 どこかに赤い糸を切ることができる何かがあると思い、二人はそれを模索しようとしていた。

 とそこへ、由良の妨害が入った。

 彩名が攫われ、取り戻しに行った。

 そしてその由良から赤い糸を断ち切る方法を教えられ……。

 ここでおかしいと気がついておけば良かったのだ。それなのに鴉も彩名もあっさりと由良の言葉を信じてしまっていた。


「赤い糸なんて、あるわけない」


 由良の一言に、鴉は首を振った。


「いや。俺には彩名との赤い糸しか視えなかったが、赤い糸は本当に存在する」

「そんなもの、ないわ」

「視えないからないと決めつけるのは、おかしいだろう。彩名には視えていた」


 由良はその言葉に驚き、手のひらの中の淡い光に指先がのめり込んだ。


「う……ぐぅ」


 その途端、どうしてだろう。

 鴉の身体に激痛が走った。

 身体の内側から引き裂くような、強烈な痛み。がんがんと頭を殴られているような感覚もある。


「嘘……。まさか、そんな」


 由良はさらに力を入れ、手のひらの淡い光を握りつぶそうとしていた。


「ぐあああっ!」


 さらに痛みが増し、鴉は立ってられなくなった。

 地面にひざまずき、自分の身体を抱きしめる。それでも痛みは増すばかり。


「どうしてあの小娘の魂なのに、あなたが痛がっているのよ!」


 由良は今にも握りつぶさんとばかりに淡い光の球に力を込めた。


「や……めろ」


 ようやく鴉はこの痛みの正体が分かった。


「それは彩名の魂であると同時に、俺でもある」

「だってあなた、とっくの昔に死んでいるじゃない」

「ああ……そうさ」


 由良の握り閉める力が弱まったので、鴉は少し、楽になった。肩で息をしながら、続ける。


「死んでいると言っても、おまえが俺の魂を黒い糸で無理矢理、この世に縛り付けていただろう」

「……そうね」

「どういう因果かは分からないが、彩名と俺が赤い糸で繋がった時、……正確に言えば、彩名が交通事故で一度、死んでしまったとき、俺は彩名を助けるために彩名に俺の魂の一部を引き渡した」


 それは、彩名と鴉が赤い糸で結びついていたからこそ出来た芸当。


「あの時、俺は……彩名を失いたくないと思ったんだ」


 あの悲惨な交通事故の現場で見たのは、事切れた彩名だった。

 血まみれになり、車のシートの間でぐったりとしていた小さな身体。

 徐々にどす黒くなっていく赤い糸を視て、鴉はいても立ってもいられなくなり、彩名に禁断の術を掛けてしまった。


「あなた……小娘を邪刻にしたっていうの?」


 鴉は違うと首を振った。


「俺は人間から邪刻にされた者だ。そんな能力はないだろう?」

「……そう、だけど」

「たぶんだが、俺と彩名が赤い糸で結ばれていたから、出来たことなんだと思う」


 だから、と鴉は続けた。


「彩名が死ねば、俺の命もない」


 それは由良にとって予想外の出来事だったようだ。

 手のひらに乗せている淡い光の球から指を離した。


「ねえ、鴉」


 掠れた由良の声に、鴉は視線だけ向けた。


「もう……アタシのところには」

「戻らない。俺の居場所は、彩名の側だ」


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