表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
消滅の楔  作者: 倉永さな
【一章】迷惑な居候
22/37

《十五》

     § § § § §


 十一時過ぎに予定通り、午前中の坐禅講座は終了した。

 本堂内がいつもよりもざわめいているような気がするのは、女性が多いからだろう。

 秀道は一礼をすると、本堂から出て行った。

 講座参加者が本堂でしばしの間、歓談するのは特に困るようなことはないため、後は参加者の意思に任せておくことにした。


「あの……!」


 そうやって出て行こうとした秀道を、一人の少女が呼び止めた。

 秀道は立ち止まり、少女に視線を向けた。

 淡い桃色のパーカーを羽織った少女だった。


(今日、一番に来てくれた子か)


 講座中、秀道の話を何となくで聞いているように見えたため、終わって呼び止められるとは思わなかったのだ。


「なんでしょうか」


 振り返るとき、堂内を見回してみたが、すでに鴉は本堂から出て行ったのか、見当たらなかった。

 もしもこの子に青い糸がついていたとき、どうすればいいのかと悩んでいると……。


「あのっ、あたし、彩名ちゃんと同じクラスの綾井知穂と申します」


 そう名乗ってきたのを聞き、秀道は目を細めた。


「ああ、あなたが知穂さんでしたか」


 夕食時、彩名から学校の様子を聞いていたのだが、その中でよく名前の挙がる子だった。話を聞く限りでは少し変わっている子なのかと思っていたが、こうしてみると、どこにでもいそうな普通の少女だった。


「あの、彩名ちゃんはいますか?」


 そこで秀道は気がついた。

 この子は彩名に会うために講座に参加をしたのか、と。

 なるほど、と秀道はうなずき、笑みを浮かべた。


「彩名なら、裏で掃除をしておるよ」

「掃除……ですか?」

「もう少ししたらお昼になるが、知穂さんも食べていくかい?」


 その誘いに、知穂はあからさまに表情を変えた。


「あのっ、いいん……です、か?」


 戸惑いの声を上げているが、歓喜に満ちている。


「あまり大したものは振る舞えないが、それでもよいのなら」

「…………」


 知穂は少しだけ考えていたようだが、すぐににっこりと笑みを浮かべた。


「お邪魔させていただきます!」


 たぶん、知穂はどうやって彩名と会おうかと悩んでいたのだろう。まさか秀道からそういう誘いがあるとは思っていなかったようで、そのことで戸惑っていたようだ。


「それでは、ご案内いたしましょう」


 そう言って、秀道は知穂に先立ち、歩き出した。知穂は慌てて秀道の後に小走りでついて来ている。

 この後、ちょっとした修羅場になることに、このときの秀道は知らない……。


     § § § § §


 鴉は坐禅講座の講座部分の時まで、堂内で気配を殺して様子を見ていた。


(やけに女が多いな……。普段からなのか?)


 大半の参加者が実は『噂の客人』である鴉見たさにやってきていたことを知らない鴉は、不思議な光景に首を傾げていた。

 堂内にいて、青い糸が付いている人を探さなくても良さそうなのに、鴉は律儀に秀道に言われたことを実行していた。


(意外にいないもんなんだな)


 あれだけ町中に青い糸がばらまかれていたのだ。一人くらい餌食になっている者がいても不思議はないのに、だれの指先にも青い糸はなかった。

 秀道は坐禅の取り組み方を説明している。


(──つまらんな)


 鴉は役目は終わったと言わんばかりにそっと堂内から外へと出た。

 そして回りにだれもいないことを確認すると、とんっと地面を蹴り、本堂の屋根へとのぼった。いつものように、瓦の上に大の字に寝転がった。


(あー、昼はまだかな)


 朝食もしっかり食べたはずなのに、鴉のお腹はすでにぐーっと鳴っている。


(見た目が好みだったら、問題なかったんだがな……)


 鴉はそうして、一人の女性を思い出した。しかし、どうしてだろう、前はあんなに鮮明に思い出せていたのに、今ではぼんやりとしか思い出せない。


(あんなに愛していたのに……忘れてしまうなんて)


 そのことに気がつき、鴉はぶるりと震えた。


(死んでも忘れないと……誓ったのに。『赤い糸』はあいつと繋がっていた──はずなの、に)


 炎に巻かれて、腕の中で息絶えていくのを看取った。

 もう、自分もダメだと思った時……。


(助けてやるって手を差し出された。どうして俺はあの時、素直に手を取ったんだ?)


 最愛の人が腕の中で息絶えた。だから後を追う覚悟でいたというのに。


(いや……違う。俺はあの時、炎の中で死んだ……)


 すっかり忘れていたことを鴉は思い出し、瓦の上に起き上がった。


(俺はあの時、死んだ……)


 鴉は自分の両手をじっと見つめた。


(どういう……ことだ? 由良ゆらは死んだ人間を生き返らせることができるのか?)


 鴉は右手を穴が空くほど視た。


(もしかして……)


 長い間、なにも食べなくても平気だった身体。そのはずなのに、彩名と再会してからはお腹が空いて仕方がない。


(そんな……馬鹿なことが)


 鴉は一つの仮説を立てたが、すぐに否定した。


(由良ほどの力の持ち主なら、死んだ人間を邪刻にすることくらい、朝飯前だろう。現に俺は由良に助けられて、邪刻になった)


 鴉を助けた邪刻・由良。

 長い間、共にしてきたが、鴉には未だに由良の正体が分かっていない。

 人間離れした、美しい女の姿をしている。


(まあ実際、邪刻であって、人間ではないのだがな)


 ふっと自分の思ったことに対して、鼻で笑ってしまった。


(由良がなにを思って俺を助けたのかなんて、由良にしか分からない。……まあ、気まぐれだから助けたんだろうが……)


 それにしても、と鴉は思う。


(執念深い由良からなんの音沙汰がないのは……どうにも嫌な予感がする)


 鴉はもう一度、右手をじっと見た。

 鴉の右中指から伸びていた黒い糸は、今は影も形もない。それなのに、どうしてだろう。ここ数日、この指がむずむずとしているのだ。


(近づいて来ている……のか?)


 気配はまったくないようだが、近くにいるのかもしれない。


(青い糸ってのが妙に引っかかりを覚えるんだよな……)


 鴉は彩名に聞くまで、そんなものが存在していたことを知らなかった。


(青い糸を追えば、由良に行き着くような気がするんだよな)


 由良の元にいるのが嫌になって、由良と繋がっていた黒い糸を断ち切って飛び出してきた鴉。


(黒の次は赤……か)


 鴉は今度は左手を視た。忌々しいほど赤い糸は、鴉をあざ笑うかのように日差しを浴びて、輝いて見えた。


(くっそ……)


 由良と繋がっていた黒い糸のように、今すぐ、断ち切ってしまいたい。


(俺は……だれに縛られることなく、好きなことをしたいんだ)


 鴉は無駄だと知りながら、赤い糸を千切ろうと手を伸ばした。


(ん……?)


 途端、下から風に乗り、いい匂いが漂ってきた。


「お、昼飯か!」


 平日の昼は、彩名が用意してくれている物を食べるだけ。味噌汁なんて面倒で、作って食べない。だが、今日は彩名がいる。


「よっと」


 鴉は屋根から滑り落ちるようにして降りると、一目散に庫裏へと向かった。


「今日のお昼は……」


 庫裏の引き戸を開け、鴉はその光景に固まった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。





web拍手 by FC2




― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ