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消滅の楔  作者: 倉永さな
【序章】『運命』の相手
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《一》

 家持彩名いえもち あやなはクラスメイトの綾井知穂あやい ちほとともに帰宅していた。

 いつもより少し時間が遅いものの、それでもまだ日が高い時分。

 それだからなのか、彩名はふとすれ違った人を思わず目で追いかけた。


(あの人の赤い糸、今にも切れそう……。それに、なんで赤い糸の周り、黒いモヤが掛かって視えるんだろう?)


 彩名は駆け寄って思わずその赤い糸を補強したくなったのだが、今は知穂と一緒だし、例え一人だったとしてもそんなことをすれば不審に思われてしまう。

 それに今日は、祖父の秀道から早く帰ってくるようにと言われていたのだ。

 気になりながら視線を戻すと、見知った顔が視界いっぱいに広がった。彩名は驚き、のけぞった。


「彩名ちゃんっ」

「──へっ?」


 目の前にいるのは、一緒に帰っている知穂だった。


「彩名ちゃんったら、さっきから呼びかけてるのにっ」

「え……あ、な、なぁに?」


 彩名は二・三度瞬きをして、それから引きつった笑みを知穂に向けた。


「彩名ちゃんの好みって」

「…………?」

「さっきすれ違ったみたいな人なの?」


 知穂に言われた意味が分からず、彩名は少しだけ考えた。


「ずいぶんと熱心に見ていたけど、ちょっと年上過ぎないかなあ」


 知穂の言っている『好み』がなんのことか分からなかったが、通りがかった人を熱心というか、食い入るように視てしまったのは確かだ。

 しかし視ていたのは左手首から先……もっと言えば、小指の先だけだったので、糸の持ち主を見ていなかった。


「年上?」


 彩名は思わず知穂に聞いていた。


「うん、年上。三十前後って感じのサラリーマン」


 知穂に言われ、思い出す。

 視界の隅に映った手首辺りの服は紺色で、スーツのようだった。だから余計に目を引いたのかもしれないが、彩名が思い出せたのはそこまでだった。


「手を見てたから、顔まで見てないよ」


 彩名の言葉に、知穂は眉をしかめた。


「彩名ちゃんって」

「?」

「手フェチ?」


 彩名は言われた言葉の意味が分からなくて、知穂の顔をじっと見た。


「手……ふぇ……?」


「手フェチ。まあ要するに、手が好きな人のことね」


 そういうわけではなかったので、彩名は慌てて首を振って否定した。


「ちっ、違うわよっ」

「まあ、あたしは彩名ちゃんがどんな好みでもいいんだけどっ。でも、こんな時間にサラリーマンがこの辺りをうろうろしてるなんて、ちょっと怪しいよね」


 言われてようやく彩名はどうして違和感を抱いたのか分かった。

 彩名と知穂の二人は現在、住宅街を歩いていた。

 朝の通学時間帯にスーツ姿の人を見かけることはあるが、帰宅時間にスーツ姿を見ることは皆無というと大げさだが、ほとんどない。

 しかも彩名と知穂はクラブ活動をしていないので、帰宅時間は早い。

 今日は彩名が日直で日誌を書いていたためにいつもより少しだけ遅いけれど、それでもまだ日が高い時間帯ではある。

 なにかが引っかかる。

 その引っかかりがなにかを考えようとしたところ、知穂にまた声を掛けられた。


「ねっ、今度の土曜日、少し出掛けられる?」

「土曜日……?」


 知穂に質問されて、彩名の考えは霧散してしまった。


「土曜日は、ちょっと無理、かなあ」

「えー、つまんないのー」

「うん、ごめんね。おじいちゃん一人でお寺はちょっと辛くて、せめて土日くらいはお手伝いしたいから」

「……分かった」


 知穂はつまらなさそうにそう言うと、無言になった。


 彩名は内心でもう一度、知穂に謝った。


(知穂ちゃん、ごめんね。わたしだって遊びに行きたいんだよ……)


 年頃の女の子である彩名は、休みの日はやはり、友だちとどこかに遊びに行きたい。

 でも、家庭の事情を思えば、そんなわがままも言っていられない。

 二人の間に気まずい空気が流れた。彩名はこの嫌な空気を変えたくて、話題を考えたのだが……。


(知穂ちゃんに貴之の話題を出したら機嫌が悪くなるし、明日は小テストだよねって話題も嫌だなあ)


 彩名は一通り思いつくことを思い浮かべたが、知穂が怒りそうな内容ばかりだった。

 不毛なことしか思いつかなかった彩名は知穂との会話を諦めて、すれ違った人のことを考えることにした。


(さっきの人、やっぱり気になるなあ……)


「あのねっ、知穂ちゃんっ」


 彩名は立ち止まり、鞄を持つ手に力を入れた。

 先ほどすれ違った人が気になって仕方がない。知穂をなんとか言いくるめて、追いかけよう。

 彩名はそう決めると、思い切って口を開いた。


「わっ、わたしっ、が、学校に、わ、忘れ物っ、し、しちゃったっ」


 普段、嘘をつくことはいけないと秀道に言われている彩名は、しどろもどろにそう口にするのが精一杯だった。


「忘れ物……?」

「そ、そうっ。えーっと、明日、英語でたぶん、当てられると思うんだ。だ、だからっ、よ、予習をその……っ」


 どうにかそこまで言って、彩名は知穂から離れようとしたのだが、知穂はのんびりと口を開いた。


「それなら、あたしの英語の教科書、貸してあげようか?」


 まさかの返しに、彩名は端から見ても分かるほど狼狽した。


「うー……と、えーっとっ」


 どうにか言い訳を考えて、知穂を先に家に帰したい。その一心で言い訳を考えるのだが、焦れば焦るほど、いい考えは浮かんで来ない。

 彩名はもじもじとして少し涙目になっていた。

 それを見て、知穂はなにかに気がついたらしい。彩名の態度がおかしいと分かっていながら、知穂はしたり顔でうなずいた。


「うんうん、分かった。じゃ、あたし、先に帰ってる」


 いつもならもっと追求してくる知穂なのに、あっさりと引いたことに彩名は気がつかず、ほっと胸をなで下ろした。


「知穂ちゃん、ごめんねっ」

「ううん、いいって。じゃあね」


 そう言うと、知穂はにこにこと笑みを浮かべて、二人が本来、帰る道へと歩き始めた。

 彩名はそれを見て大きく息を吸い、すれ違ったサラリーマンを追いかけることにした。


──知穂の聞き分けの良さに対して、彩名は警戒するべきだったのだ。


     § § § § §


 彩名は迷うことなく、今にも切れてしまいそうな赤い糸の持ち主を追いかけた。


(あんな赤い糸、初めて視た……)


 少しでも衝撃を受けたら千切れてしまいそうな、不安定な赤い糸。しかも黒いモヤがかかっているなんて、なんだか嫌な予感がする。

 彩名は手に汗をかいていることに気がつき、きつく鞄を握りしめるのだが、手汗のせいで鞄が何度も滑り落ちる。


(わたし、緊張してる……?)


 彩名は足を止め、スカートからハンカチを取り出すと鞄の取っ手に巻き付け、握り直した。手汗は止まらなかったけれど、滑り落ちることはなくなった。

 気を取り直し、彩名は歩き出す。



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