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子連れステュワードの縁由  作者: ことわりめぐむ
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3 - 2

 朝の仕事の一番は、主人を起こすこと。ヴィオロンがローレンに依頼したのは主人の支度の手伝いだった。

 モーニング・ティーをいれるため、移動式のワゴンに乗せたサモワールに炭を入れ湯を沸かす準備をし、上のポットに茶葉を入れる、紅茶液の用意をすると、サモワールごと屋敷の主人の部屋まで移動をはじめる。向かう途中の廊下の窓から見えた庭には、これから起こす予定の屋敷の主人、ヴラディーミルが剣の稽古をしていた。

 真剣なまなざしが、いつもの暴君とは違う人物に見えるのが不思議である。

 部屋の前までたどり着くと、扉をノックする。先ほど窓の外で剣の稽古をしているのを目撃したため、居ないのは知っていたが、とりあえずの礼儀である。

 当然室内からの反応は無い。

 炭は直ぐに燃え尽きる心配は無いが、湯気にさらされた茶葉がふやけすぎて入れ時を逃してしまうのが残念で、先に主人の朝の予定を確認しておくべきだったと後悔していた。

「あら、お久しぶりですわ。ローレン様」

 入り口でうつむきながら悩んでいると、不意に声をかけられた。声のほうを向くと、隣の扉の前でコウクナの姫が笑顔で立っている。

「フェイカ様‥‥」

 心の咎の一つとなっている女性の名前をついつぶやく。彼女がもういないと知っているのだが、頭の中は居ないはずの人間を認識してしまう。 

 目の前に居るのはその妹姫でヴラディーミル王子の妃。

「失礼しました。エリン様」

 隣国コウクナの五番目の姫エリンである。

「まだ、姉姫を覚えて居てくださるのね」

 五番目のコウクナの姫は笑うが表情が悲しそうに見えたのは、ローレンが後ろめたいせいだけではないと思う。

「ディーマ様は剣の稽古ですのでお部屋にはおられませんわ」

 彼女の親切に知っていますとも答えられなくて、困ったようにローレンは笑う。

「ディーマ様が朝ちゃんと起きられるなんて思ってもおられなかったのでしょう。今お呼びしますから」

 そう言って部屋の中に入ると扉を閉めた。

 取り残された状況下、普通執事が呼びに行くのではないだろうかと、頭を抱える。

「まだ続けたいから紅茶でも入れてもらいなさいですって、お待ちの間、かまわないかしら?」

 控えめにあけた扉から、少し首を傾けてこちらに質問するしぐさに、ローレンは「喜んで」と返事をした。

 開かれた女主人の部屋に入室すると、甘ったるい華やかな色や匂いがほのかに漂う。貴族の女性の部屋に入ったのはこれがはじめてで、慣れない香りにローレンは軽く頭痛を起こしていた。

 部屋の中に立つ夫人の姿が二人に見えるのは、頭痛のせいだろうか。

 女性独特の香りは、こうまでも自分を惑わすのかと痛む部位を抑えるが、そんな訳はない。よく見ると洋服の色が全く違うため、幻覚でないと認識した。

「えっと‥‥エリン様?そのお嬢様はどちらさまで」

 よく様子の似た相貌、背格好の女性が二人。一人は先ほどヴラディーミルに繋いだ彼の妻。もう一人は誰なのだろうとローレンは尋ねる。

「私の妹ですわ。身の回りをさせようと連れてきましたの」

 エリンよりも少し幼い表情が妹だと知る方法である。

 本人がいなければ、妹がエリンだと言われても誰も疑うことはないだろう。

 似た顔が二人並ぶことでエリンをフェイカと間違える幻影は見えなくなる。

「侍女のヴェーラでございます。ローレン様以後お見知り置きを」

 妹姫が侍女と名乗る。行儀見習いを兼ねてか、姉の心の支えとなるべく母国から送り込まれたか、今の発言からは予測もつかないが本人は、女主人の妹ではなく、侍女として仕事をするのだとローレンに伝えていた。

「影武者にもなりますのよ」

「お姉さ‥‥エリン様」

 言いなおした姉の名前が冷たく響く。恥ずかしいからおやめなさいとばかりの表情でヴェーラは姉を睨んだ。

 笑えない冗談ではあったが、夫人が気の毒であったため、口元に手を当てた。口元に手を当てたのは、ひきつった表情を隠すためではなく目線を二人から外すためだ。女性の様に添えるようにではなくて、咳込む直前の様な姿勢をとったため、必然的に目線が外れる。

 当初の目的であった、女主人へのモーニング・ティーを入れる作業に入った。

 手元の懐中時計に目をやりながら、ローレンの作業をまるで珍しいものを見るように見つめていた二人を気にすることなく作業を進めると、頭痛の原因で甘い香りをかき消すように、紅茶独特の茶葉の香りが部屋に漂う。

 出来上がった紅茶液を二人分カップに注ぎ、下の蛇口からお湯を注いで濃さを整える。

「お待たせいたしました」

 二人の前に紅茶の乗ったソーサーと小さなクッキー。黄色のジャムを差し出し軽く会釈した。

「‥‥おいしい」

 カップに口をつけたヴェーラが感想を漏らす。エリンも同じような感想を持ったようで微笑んで頷いた。

 エリンはそのまま、紅茶をうまいとほめられた事を満足そうに微笑むローレンのほうへ視線を動かすと「そんなお顔もされるのですね」と驚いた表情で言葉を漏らす。

「いつもと変わりませんが、何か変でしたか?」

「以前‥‥コウクナに来られた時も、このお屋敷で先ほどお見かけした時も眉間に皺を寄せておられて、笑われる姿ははじめて見ましたわ」

 そんなつもりはなかったと、表情を引きしめると、自然に無表情に戻る。

「‥‥」

 女主人と侍女の瞳でガラスに映った自分の表情に気がつくと、なるほどと納得した。せめて女主人の前だけでも気をつけようと思った。

「変わった紅茶の淹れ方をされるから、どんな味かと思ってしまいましたが‥‥」

「サモワールはご存知ないのですか」

 初めて見たと返事する代わりに二人は大きく頷いた。

「ポーランの貴族で使用している紅茶専用の器具ですよ」

 ローレンはサモワールで淹れる紅茶が好きだった。金属製の大きなそれは、装飾だけは細かくあでやかだが、傍でよく見なければ只の金属の壺にしか見えず、壺であれば陶器のそれに負けてしまう。紅茶以外に使用方法はなく、他に代用するすべもない。最近ではティーポットに茶葉を入れて直接抽出する方法が早くて楽なため、サモワール自体の使用方法も知らない貴族も増えている。分解して、組み立てる工程で、炭を入れ、茶葉を立て、時間をかけて湯を沸かし、湯気で茶葉の香りを楽しむ。少し手間をかける事が、楽しくて仕方ない。楽しんで入れたものの所為かサモワールを贔屓目に見ているためか、ティーポットのみで入れた紅茶より湯の味がマイルドになっている気がして、昔から好んでサモワールを使用していた。

 他国から来た姫君は、ティーポットからの紅茶しか飲んだ事がないのだろう。隣国から嫁いできて、今日の今まで、誰も彼女たちにサモワールを使った紅茶を淹れた事がないのだと理解する。

「もしかして‥‥ディーマ様は、紅茶はこれで?」

 気がついたようにエリンが質問をする。

「殿下でしたらたぶんご存じかと」

 質問の意図がよく分からなくて、『サモワールを知っているのか』と勝手な解釈をし、返事をすると「そうですか」と消えそうな声でうつむいてしまう。

 その様子に、何か気に障ったのか確認しようと思ったと同時に、寝室から続く扉がノックされヴラディーミルが現われた。

 エリンとヴェーラは立ち上がり主人に頭を下げる。

「待たせたなローレン。戻ったぞ」

 目的の人物が現れたので、夫人たちに礼をして部屋を出る。主人と夫人の二つの部屋をつなぐ寝室に入る気は全くなかったため、一度廊下へで、主人の部屋へと向かうためだ。

「寝室を通れば早いのに、お前は昔から気を遣いすぎだ」

「エリン様も嫌がるでしょう」

 入り口で仁王立ちするヴラディーミルをどかして、応接セットの前までたどり着くと、先ほどと同じく紅茶液に湯を足す。先ほどより、紅茶液の濃度が濃くなっているため、湯の分量は多少多めに入れ、砂糖とミルクを置いた。

「よく覚えているな‥‥私がミルクだと」

「ラリサが、殿下はミルクだから珍しいと言っていましたから」

 ラリサとは、ヴィオロンと同じくローレンの屋敷で働いていたメイドである。

 好みの分量の砂糖とミルクをカップに入れ、ティ・スプーンをひと回し。ミルク独特の甘い香りが漂う中ヴラディーミルが満足げにカップに口をつける。

「サモワールは香りが良いのだが、優雅さに欠ける‥‥」

 よい香りは時間と共に消えていく。匂いが拡散されるのとカップの茶が飲むことで無くなっていくからだ。サモワールを使用すると、カップから紅茶が無くなっても香りは残る。漂う匂いの元は濃い紅茶液を頭に乗せたサモワールから漂わせているからだ。

「それは殿下の偏見です。サモワールほど有意義な器具はないですよ」

 ローレンは得意げに笑うとサモワールの蛇口から湯を小さなタブに注ぐ。ドレスグローブを外すと、乾いたタオルを浸して強く絞って簡単な蒸しタオルをつくり主人に渡した。

「こういう使い方も可能なわけですよ」

「便利アイテムとしても有意義なのは認めよう。だが、足して飲むというのが、潔くない」

 ティーポットであれば、茶葉の多さと蒸す時間を計算し、自分にあった飲みやすい茶を入れることが出来る。対して、サモワールは濃い紅茶液に湯を足して自分の飲みやすい濃さを調節する、その便利な方法をヴラディーミルが好きではないのだった。

「そうでしたか‥‥」

 好みは人それぞれ、ローレンが好きなものを主人が好むとは限らない。主人の好みに合わせるのが使用人というものだろう。

 本来ならば‥‥。

「では、明日からもサモワールで」

「何故そうなる」

「ポーラン人でサモワールを使用されないのはどうかと思うのですよ」

 本当は主人の苦手な事をささやかに行いたいのだが、直接そんな言葉を言えるはずもない。目の前の相手に子供だと馬鹿にされるのは自分のプライドが傷ついてしまう。だから、至極もっともだと誰もが思う個人的な意見を理由にした。

「まぁ、サモワールは香りが良いからな。衣服からほんのり漂う辺りは優雅かもしれん」

 小さなローレンの悪意も気にすることはなく、主は残りの紅茶を飲み干した。

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