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「‥‥でなんで、僕が責任者なのだ」
何の責任者なのかは分からないが、役職『責任者』が不服そうな声を漏らす。
「私はローレン様にお仕えしているという前提でこの屋敷に配置されています。使用人の責任者としてローレン様がお仕事をしているお手伝いをするわけですよ」
なにもおかしくはないでしょうとヴィオロンはローレンに返した。
「おかしいだろ、責任者が下の者に教えてもらって業務をこなすなど」
「責任者ですから、基本業務は監視ですよ。実務なんて覚える必要はありません」
「出来ないことを監視・確認なんてできるか」
理論上は仕組みを知っているし、ヴィオロンの言う意味も理解できる。だが、責任者なんて役職で、具体的な業務を知らないし、できないのは問題ではないのか。
「まず、役職をしっかり覚えていただきましょうか。他の者の前で責任者なんて言っていたら、笑われてしまいますしね」
「おまえが、教えたのだろう」
数分前に「貴方は責任者としてお仕事をしていただきます」と言った者が、その言葉を否定し笑う。当然ローレンは納得がいかなくて、抗議の声を上げた。
「分かりやすく言いすぎました。大変申し訳ありません」
素直に言われた通りの言葉を覚え発言する主に椅子を引くと目の前のテーブルに手帳を差し出した。少し古ぼけた手帳には手書きの組織図が書かれてある。ヴィオロンが書いたのだろうかとローレンは思いながら、引かれた椅子に浅く腰かけると説明が開始される。まずは図の一番上とその次に連なる円(組織図であれば人、または役職である)を指さしてヴィオロンは言った。下位の位置に幾つもの円があることから、『責任者』という立場を説明するつもりなのだろう。
「ローレン様はステュワードもしくはバトラーと呼ばれる執事職の仕事をしていただきます。ほとんどは私が致しますので、本務は何もしていただく必要はありません」
「そのステュワードとバトラーとはなんだ」
円の内部には、今ヴィオロンが言った『ハウス・ステュワード』と『バトラー』と記載されているが、ローレンの理解できる言語ではなかったため読めず、ヴィオロンが話した言葉を繰り返す。
「ポーランでは皆様『執事』と呼んでおられますし、区別されている屋敷は少ないと思われますので、ローレン様も聞きなれない言葉だと思います。
ステュワードは主人のかわりに屋敷の財産の管理を行います。フットマンやメイドなど使用人を雇用・解雇も自由です。領土の境界を管理し、土地を貸し与え、賃借料を徴収します。賃借の結果トラブルとなった場合鎮圧させる必要がありますが、ヴラディーミル様は管理する領地はありませんので、この作業は不必要でしょう。財産管理を一任されていますので、資金を何に使うのか、何に使われたのか、どれだけ不足なのかを確認・使用許可を行います。主人が不在の場合次に権限を持つのがステュワードです。ヴラディーミル様が奥様と共に、屋敷を留守にされた場合は、すべての権限がステュワードに委譲されるわけですね。
バトラーは、主に施設管理を行います。施設とは、屋敷・庭・馬舎・食事・人材を指します。ステュワードが屋敷の外を管理するかわりに、バトラーは内部をすべて管理するわけです。屋敷の維持はフットマンやメイドに任せます、庭は庭師に、馬舎と馬は馬番に、食事はシェフに、人材は、女性の部分をハウスキーパーに任せています。食卓に出る食器の管理と添えるワインだけは、他者に任す事は許されません。ステュワードが居ない屋敷では、バトラーが両方を兼務します。あとヴァレットの居ない屋敷では、そのかわりもするはずですね」
「フットマンとヴァレットとは」
「フットマンとは、メイドの男性職ですよ。本来はメイドがフットマンの女性職でしたが、最近ではメイドの方が多くなっていますしね、ローレン様にはこちらの方が分かりやすいかと。こちらの国ではメイドが表立つのが当たり前となっているようですね。ヴァレットは、主人の身の回りのお世話をする人間ですね。洋服を選んだり、マナーを注意したり、飲み物の管理をしたり‥‥」
「飲み物とはそんなに重要なものなのか」
「‥‥人として生きるのに、一番大切です‥‥人とは、神の血、ワインと共にあるわけですよ。他者は飲み物で主人の知性を疑うのですから、使用人は主人が恥ずかしい思いをしないために飲み物を選ぶわけです。まぁ、選ぶワインで同じ料理も味が変わりますから、腕を振るったコックのために最高の組み合わせを差し出す楽しみもあります」
「ホントに文化が違うのだな」
「ええ、ワインや紅茶に大量のジャムを添えて舐めるのが当たり前だと言われた日には、国に帰りたくなりましたね」
「ジャムは大事だろ。舐めるのが嫌なら、混ぜて溶かしこめばいい」
「‥‥ジャムがおかしいのですよ」
「ハウスキーパーは具体的には何をしている?女性の部分を任せるというだけ、女性なのだろうが」
「家事のすべてを決める権限を持っている女性です。後は、メイド達の責任者‥‥という形ですか、メイド達の教育をお任せしています。相応しくない女性の報告は彼女から頂くので、こちらとは直接関わりが多いかと」
聞きたい事を確認し、分からない言葉が尽きるとローレンは表情を歪めた。
長い説明で理解できなかったわけではなかったが、思っていた以上に複雑な使用人事情に頭が拒絶反応を起こしたのだ。
「使用人とひとくくりにしていたのだが‥‥」
「使用人になって初めて分かる序列です。ヴラディーミル様は私の国の方式がお気に召したようで、他の貴族のお屋敷はここまで明確には分かれていませんよ。それに‥‥ローレン様は何もされなくても、対外的に恥はかかせません」
ヴィオロンはこんな熱い男だっただろうかと記憶をたどる。口調そのものは昔と全く変わらないのだが、『大切にされている』という気持ちがじわじわと感じられるのが、ある意味暑苦しい。
質問をすれば返してくるし、聞けば教えてくれる、足りなければ補足し、ローレンの機嫌を損ねそうになったら距離を置く。当時は、業務上必要最小限の会話と、親しくならないように接せられていた、むしろ関わり合いを拒まれていたように思う。ただ、こんなヴィオロンが本当の姿であっても悪くない気はしていた。
「ローレン様、明日からは使用人として生活していただきますので、朝は早いのですが」
「何時ぐらいに起床すれば影響がない?」
「八時にはお支度が済んでいれば問題ないと」
「‥‥それで早いのか」
「はい。では、今夜は軽くお召し上がりになって、お休みください」そう言われて目の前に軽食を差し出されたことで、自分の空腹を思い出す。
「よく知っていたな」
「お顔の色でなんとなく‥‥」
王子のせいで夕餉を逃してしまっていたが、食べるもののなく、また、少ししか食べなくても平気という生活に慣れてしまったため、あえて食事の話はしていなかった。何も話していないのに「なんとなく」事情を察してしまうのは付き人として素晴らしいスキルなのだと思う。改めてヴィオロンを評価し、かなり遅い夕餉を胃の中に落とした。