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子連れステュワードの縁由  作者: ことわりめぐむ
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2 - 3

 扉の前に王子が立つと入り口の鈴を鳴らす。かなり分厚い扉がゆっくり開かれると玄関ホールが目に入った。

「お帰りなさいませ、坊ちゃま」

 玄関ホールには、知っている姿が頭を下げ、挨拶をする。

「ヴィオロン」

 懐かしい元付き人に嬉しさのあまり、相手の名前を呼んだ。

「お久しぶりです。坊ちゃま」

 元主人に変わりのない挨拶をする。

 ローレンが貴族と同じ身分を過ごしていた頃に屋敷の執事だとはじめから居たのがヴィオロンである。背の高い青年は、ふさわしくない行為を行うと一度は注意をするが主人の意思が変わらない場合は、静かに控え、なんともすごしやすい相手だったと思い出す。

 因みに、田舎の山奥から突然身分の高い存在にさせられたローレンに、服の着せ方、選び方、言葉遣いなど貴族社会で生きていくための礼儀作法や知識を教え込んだのもヴィオロンである。

「元気だったのだな」

 変わらないその姿に、自然に笑顔がこぼれるが、

 気がついた。

「ヴィオロンは何故捕まった」

「いくあてを探していましたら、普通に捕まりました」

「気の毒に」

 屋敷の主人の悪口となる悲劇を堂々と語り合う二人に嫌な顔をせずヴラディーミルが笑顔で割り込んでくる。

「因みに餌は、お前だローレン」

「ヴィオロン?」

「なんでしょう」

 元主人の不快な表情を気にせず、丁寧に聞き返す。

「なんなのだ、それは」

「言葉どおりですよ。ヴラディーミル様が坊ちゃまに会わせてくださると言われ、こんな土地まで連れて来られたのです」

「こんな土地って、アレキサンドリナよりはいい場所だと思うが」

「そうでしたか、大変失礼いたしました」

「ヴィオロンがいれば、私が執事になどならなくても構わないでしょう」

 執事経験がローレンの屋敷に居た期間は少なくともある男性が屋敷に居る。経験が全くない自分を必要とする意味が分からないとヴラディーミルに質問すると、屋敷の主は気だるそうに答えた。

「そういうわけでもないのだ」

「?」

 ローレンは言葉の意味が理解できなくて一瞬不思議そうに眉根を寄せる。

「ローレン様、私は、ウラディーミル様にお仕えする気はありません」

 ローレンの疑問を解決する言葉を伝えると、ヴィオロンは小さく笑う。

「って事を言うのだよ」

 その言葉は聞き飽きたと顔に書いてある。あきらめの悪い王子様はヴィオロンを何度も説得し、何度も同じ回答を受けていた。何度も繰り返される勧誘の説得に、嫌な顔ひとつしないで、やんわりと、笑顔を絶やさずに答えを伝える。双方とも、普通の人間ならば諦めるか怒るかしている状況を、ただ、変化無しに繰り返し、いまだにあきらめていない。

 執事にすることも、執事になることも。

「‥‥ではなぜここにいる?」

 ローレンの疑問はもっともである、仕える気が無いのであれば屋敷にいるのはおかしい。

「ヴィオロンは霧の国からあいつがワザワザ連れて来た、有能な執事なのだよ。ステュワードとバトラーの両方を難なくこなし、その指示も的確だと言う。フットマンが数名いれば、ヴァレットの仕事も任せられる。さらに家庭教師も併任できる素晴らしい男だ。妻も居ないから住み込みもさせられる」

 ローレンは王子の言葉に眉をひそめた。唯一家庭教師という言葉だけが理解できるが、後は何を言っているのか分からない単語がヴラディーミルの口から出てくる。

「そんな、有能な男が昔から私の屋敷で仕えるのは嫌だというのだ」

「仕える主人は自分で選べるのが、この使用人職の良いところです」

 子供のようにほおを膨らませ不満をローレンにぶつけるヴラディーミルとは対照的に、静かな表情でこっそり漏らす言葉にローレンは驚いた。

「そんなおまえが、よく僕の屋敷に居てくれたな‥‥」

「私の選んだ主人はローレン坊ちゃまです」

「そう繰り返すのでな、ローレンを我が屋敷に連れてこれば、ヴィオロンが付いてくるだろうと話をすると、かまわんと言ったのだ」

「‥‥ヴィオロン。長い間会わないうちに、性格が変わっていないか」

「全くの気のせいです」


 屋敷のしかも執事となると、現状の薄汚れた姿で屋敷を歩くのは問題だと、ローレンはヴィオロンに浴室へ連れてこられた。ヴラディーミルも当然のようについてくると言っていたが『客人の行動に付き添うのは無礼ですよ』とヴィオロンに窘められた。

 今は、ローレンもヴィオロンも客人扱いなのだと認識をする。ただ、客人が主人を窘めるのが普通なのかは疑問であったが。

「ヴィオロンは、何故、僕の屋敷に居たんだ?ヴラディーミル様が嫌だというのはよく分かるが、他の貴族の屋敷でも欲しがっただろう」

 タブを隠すように引いてあるカーテン越しにヴィオロンの存在が確認できるため聞いてみる。

「当たり前のことですが、この国の方はこの国の礼儀を執事に求める。私は祖国では有能とされていても、こちらの礼儀は全く知らない。相手への敬称の使い方でさえ知らないのです。私達は7名国から連れてこられましたが、皆、礼儀をわきまえない使用人だとレッテルを貼られてしまいました」

 連れて来られたという個所に引っかかりを感じたが、その疑問より相手への敬称への対応に思い当たる過去があるため、そちらを質問する。

「確かに、ヴラディーミル・カールルエヴィチ様と殿下の事を呼ばないな」

 ここポーランでは、親しくないものの名前を呼ぶ時や、敬意を払う際に、対象の初めの名前と父の名前を合わせて言う。父の名は家と立場を表しているため、名前より重要視されていた。貴族でなかったとしても、本人の初めの名前のみで相手を呼ぶことは、無礼な行為に当たる。

「我が国では、自分より上の方をそのように呼ばないのですよ。ローレン様は貴族ではないから、咎められる事もないだろうと‥‥貴方の屋敷に逃げ込んだのです。何も知らない貴方には、実は私の国の礼儀作法はお教えできましたが、こちらでの正しい作法は、勉強しながら実行しておりましたので、とてもバランスの悪いものになっていたかと」

「知らなかったな、そんなそぶりは全く無かったし。何でも出来る完璧な執事だと思っていた」

 ヴイオロンと会話を続けながら腕を動かし、湯が体の汚れを洗い落とした事を目視すると、髪に含まれた水分を搾り落とす。カーテンを引くと立っていたヴィオロンが恥ずかしそうに答えるのが目に入った。

「私にもプライドがありますので」

「屋敷にいるときも、そういってくれればよかったのに。頭の固い男だとばかり‥‥」

 どこへ行くにも傍にいて、何かにつけ世話をやいてもらっていたが会話はあまり弾まなかった事を思い出す。メイド達も恐ろしい存在として、一線を引いていた。

「バトラーは自分の感情を表に出してはいけないとなっています。屋敷の主である坊ちゃまにこんな話は出来ませんよ。今だからこそのお話です」

 汚れを落とした後はクロークに連れて行かれる。

「執事用のクロークがあるのか‥‥」

「このお屋敷の規模ですと、上位使用人には色んなものが頂けるみたいですよ」

 さてさてとヴィオロンがローレンに見繕ったのはフロックコート。

 ヴィオロンは黒のフロックコート。ローレンは灰色のフロックコート。上着の丈の長いスーツである。

「個人の趣味に文句は言わないが、フロックコートであれば、ドレスグローブは灰色ではないのか」

 ヴィオロンの黒の袖口から出ている真っ白の手袋を指さしてローレンは言う。

「執事は基本‥‥私服です。かといってだらしのない服装では、問題があると思われませんか」

 優しく問いかけるヴィオロンの言葉に素直にうなずくローレン。その態度に満足そうに微笑むとヴィオロンは続ける。

「結果的に正装に近い服装になってしまいます。主人も正装、使用人も正装。知らない方が見ればどちらが主人か迷うでしょう。ですので、執事はワザと『外す』のですよ」

「外す‥‥」

「ローレン様は『外す』のはお嫌いでしたし、ワザと『外す』事が出来るように、灰色のフロックコートをお選びしたのですよ。これならば、洋服に合わせなければならない灰色のドレスグローブはかえって嫌味ですので、抵抗なく『白』または『黒』が合わせられるでしょう」

「相手には、タキシードと組み合わせを間違えていると認識されるのだな」

 露骨に嫌な顔をして話を聞いている。

「使用人は、仕方のないことなのですよ」

 渡された黒の手袋に違和感を感じる、作法が合っていないからではなく、右と左の生地の分厚さが違うように感じられた。指を通すと厚さの違いは気のせいではないことがよく分かった。

 ローレンが左手のドレスグローブに指を通した状態で停止しているのに気がついて、ヴィオロンは「特注というわけではありませんが、右より左の方が厚くて強い生地になっています。利き腕とは逆の方が酷使しますから、ワザと丈夫に作ってあります」と語った。

 どのように酷使するのかは想像がつかなかったが、これから覚えていけば良いと説明を求めるのはやめて、五本の指を奥まで押し込み、隙間を埋めた。

「イジャスラーフ様のバトラーは年季の入ったジエントルマンですよ。元々、イジャラスラーフ様は軍服ですから、『外す』必要はないと思うのですが、ワザと古い組み合わせをスマートに着こなされています。年齢も私どもとは違い、大分高齢の方ですから、それも違和感がないのですね」

「古いスタイルも『外し』で問題ないのだな」

 ローレンの問いにヴィオロンは「そうですね」と答えた。


「やっと来たか」

 汚れた小作人から、ジェントルマンに様相を変えたローレンはヴラディーミルの待つ部屋へと案内された。

 部屋にはウラディーミルが座席に着き、壁際に背の高い顔の整った青年たちが整列している。

 ヴィオロンの後ろに並び、屋敷の主の前まで来ると頭を下げる。

「やはりお前には、スーツ姿が似合っているな」

「久しぶりすぎて、窮屈ですね」

 『外し』した手袋を隠したくて両手を後ろに回す。そのしぐさにヴィオロンは気がつき「すぐになれますよ」と言った。

「今日からお前を私の屋敷の執事へと任えることを許す。私と大切なものを守ってくれ」

「殿下‥‥」

 望んで執事となるわけではないのだが、形式的な言葉とそうでない後半の言葉に少し胸が熱くなった。この言葉にて、ローレンはこの屋敷の執事となった。

 ローレンがヴラディーミルの言葉に、胸を熱くしたことを後悔するのは、もう少し先の話である。


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