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「なぜ、アルトゥール様が長期滞在。いや、なぜ、帰られる日が未定なのだ?」
ローレンは廊下で出会い頭に聞いたダヴィードの報告に驚く。
やっと、妹君がお帰りになられた所に今度はその双子の王子が滞在するとのことだ。しかも、帰る予定は未定らしい。
「英雄様は今、配属される部隊がないそうだ。死神なんて言われるんだし、王都でぷらぷらしてるのも精神的に嫌なんじゃないか」
ダヴィードの嫌そうな口調と、歓迎してない表情を自分もしてないかと心配しながら、話を聞いていたローレンは「死神」と言う単語に反応する。
アルトゥール第四王子は英雄と称えられていたのは知っていたが、死神など嫌悪する冠がついているのは初耳だ。
「死神?」
「ほら、ここで眠りこけてただろ。その間に英雄様の部隊は全滅したんだとさ」
「全滅って‥‥今は、戦争なんかしていないだろ」
「演習中だから、痛いんだぜ」
英雄の居る飛行部隊の演習。
具体的に何をするのかは、ローレンは知らない。ただ、全滅するような演習をはたして演習などと呼んで良いものか疑問に思う。
「嫌な臭いがするだろ。バカ王子は弟には甘いからな」
「兄が弟を大切にして何が悪いんだ」
身内が庇わなければ、誰が助けの手をさしのべるのだろう。素直にローレンはそう思う。
我が身がかわいい人間が増える世の中。他人が困っていたって我関せずである。
そんな中、人が庇護しようとするならば、我が身に近い遺伝子を保守するのが性であろう。
「坊っちゃんは、甘過ぎだな。頭の中まで大好きなジャムになってんじゃないか?」
「そう思うなら、抉って喰ってみろ」
「もしそうだとしても頭なんか嫌だぜ。ま、身内なんか一番最初に蹴落とす相手だな」
貴族の中、少なくともダヴィードの回りは身内こそが天敵だ。下級であっても貴族は貴族。もとは、ベリラントの王族だ。だが家督を継げるのは、一人。
頂点に立てるのは、たった一人。
後は、名前はあっても実質は二番手以降である。
優先されるのは血筋、順番、強さ‥‥。横に並ぶのは先ずは兄弟で、大体は同じ物を持っている。だから、先ずの相手を叩き潰さねば自分は上に上がれない。
それは、ダヴィードの一族だけではなく、どこも似たり寄ったりのはずだ。
「お前がひねくれているだけだ」
「坊っちゃんは純粋だなぁ」
対象とする親族も居ない、しかも元成り上がりには関係ない話だなと心中で思うといつものトーンにダヴィードは戻す。
彼は、自分自身の家督争いには全く興味はない。むしろ対象外にならないかと願っている。名前だけ当主など欲しい奴に、薔薇でも巻き付けてくれてやりたい。それよりも、真剣に欲しいと願うのは、今目の前で複雑な表情をする男の椅子だ。
死神−−−−
死を司るとされる神。冥府においては魂の管理者とされる。
国教においては、生物に死を知らしめ、冥府まで護送する天使‥‥。
大アルカナ13番目のカードで、正位置であると不吉な象徴。その姿は痛んだローブを身にまとった髑髏。誰もが畏怖する存在の一つ。
アルトゥールはいつの間にか、自分に着けられた「死神」という名前と同じカードを逆さまにして睨みつける。
同じ戦場にいて、自分以外命を落とすならその例えもわかろう。むしろ、全滅部隊の生き残りなら、英雄とは違う意味で尊敬される。
納得はしないが。
ただ、現実は‥‥兄の屋敷で意識を喪失していただけ。
兄の屋敷が見え、見つからないように着地点を思案しながら太陽を見た瞬間。上空で視界が真っ白になった。息の吸い方が分からなくなり、気がついたら暗闇で目覚めた。痛む体とオーリガの説教で墜落して、意識喪失になったと知るが‥‥よくも命が失われなかったものだと驚いた。
「どなたかが、死にかけた王子の命を救うために、何人もの命を対価にしたそうよ」
「自分の居ない間に隊が手柄をとらぬよう。魂が眠っている体を抜け出して、隊を全滅させたのですって」
ひそひそと超自然的な現象をさも事実だと言わんばかりに噂する。
死神に、奪う命の変わりに、他の命を差し出した。
消えかけた命を補うため、自らが他者の命を吸い上げた。
悪魔のような力は、忌み子であるがゆえ存在すると噂される。
失われなかった命が、周りには受け入れられない。自分でも、墜落して助かったのは恐ろしい奇跡だと自覚はしているが、畏怖や侮蔑の眼差しを向けられる事は無い筈だ。
「バカらしい!」
そんな一言で、ご婦人方を追い払ったのはヴラディーミル。
「配属される部隊がないなら、慌てて探すこともない。向こうから頭下げてお願いしますって言ってくるまで、私のところで休暇をとればいい」
兄は、そう言って手をさしのべてくれた。
自分の身内は兄にあまりよい印象を持っていない。側に居ることで、迷惑をかけるのはいけないと思うのだが、その差し伸べられた手にすがってしまい、現在ここにいるわけだ。
「トゥーラ? 起きているか」
思えばやって来る。それが兄、ヴラディーミル。
「どうぞ」
英雄の見慣れない弱々しい姿を目の当たりにし、ヴラディーミルは、相手にもよくわかる大きさのため息をついた。
「休暇をとれと言ったが、部屋の中で腐っていろとは言ってない」
「なれないもので‥‥申し訳ありません」
「息の抜き方も知らぬとは、お前は頑張りすぎるから目立つんだ。ちょちょっと手を抜いても構わんのに」
兄は力を抜けと気を使う‥‥頑張らなくていいと、支えてくれる。
「知っているか、私は英雄様に嫉妬しているわけだ。トゥーラが休暇を満喫している間に勝ちに行こうと企んでいるわけだ。まんまと罠にかかったな」
その言葉に不可がかからぬよう。意味のない嘘を混ぜてくれる。
「とりあえず根っこが腐る前に太陽に挨拶にいくぞ」
何を言っても、弱々しい反応しか示さない相手が心配になり外へと提案する。
部屋からでるとミハイールを呼び、弟の外套を用意させた。
中央のフロアから、一階に降りる階段で、不機嫌な表情のパーシャを見つけた。こっそり隠れるように壁に体重を預けているので、小さな声で呼び掛ける。
「どうしました? パーシャ」
「ダヴィードがパパを独占してるの」
見れば、その視線の先には、廊下に立つ二人の青年。
距離はかなり遠く、髪の色でそれがローレンとダヴィードだと分かる小ささだ。ここから彼女は二人の動向を窺っているのだろう。
「それは悪い使用人ですね。注意しないと」
頼んでもいないのに、進んで問題を起こそうとする好意をパーシャは服の裾を引いて止める。
「王子様もお客様でお忙しいのよ」
彼女が指すのは弟王子。確かにパーシャには客人だなとヴラディーミルは軽く笑い、向きを直角に変えた。
「ああ。問題ないな。パーシャ。彼はトゥーラ。私の自慢の弟で、オーリガの双子の片割れ」
「先生の‥‥かたわれ?」
「絵本をくれたのは、実は彼なのですよ」
ローレンがパーシャに何と言って手渡したのかは知らないが、弟の名前を出していない以上、真実は伝えられていない。
「そうなの」
ヴラディーミルの読みどおり、パーシャは目を見開いて声を漏らした。
ローレンからヴラディーミルより預かったとしか伝えられなかった絵本に目の前の王子以外の送り主がいたとは驚きだ。
あの絵本のお陰で、オーリガ先生にも会え、言葉を覚えた。最近は身の回りの本を読みつくし、知っていることが増えてとても幸せだ。
「ご本。ありがとうございますなの」
パーシャは、視線をアルトゥールに向け、頭を下げて礼を表す。
「貴方がお噂のステュワードの娘さんですか‥‥確かに。兄さまと同じ色の髪ですね」
動く度ヒラヒラ揺れるリボンよりも、編み込んで束ねられた頂点の色に自然と目が行き、探るようにその言葉を兄に伝えた。
「私に似て、素晴らしくかわいいだろう」
弟の誤解を否定するために肯定ととられそうな真逆の言葉を吐き出し、表情を歪めて笑う。
アルトゥールは兄の怒りを少しだけ感じとって、その話題には触れないでおこうと脅えた。ただ、直接的に『違う』と否定しない回りくどさには、何か在るのかと勘ぐってしまったのだが‥‥。
そんな弟にパーシャは興奮した様子で感謝を伝える。
「頂いたおかげさまで、沢山楽しかったの」
キッチンで楽しくした食事。
夜の鬼ごっこ。
眠りにつく数分間まえに読み聞かせた本。
ローレンと一緒の時間に、間にあった本。
大好きなパパと過ごす時間が増えるきっかけになったのだから、素敵なプレゼントだ。
「そこまで喜んで貰える物じゃなかったですが」
内容など推敲せず、地方で少し人気のある作家のものを適当に選んだだけだった。中央には並びもしない下級の絵本が逆に珍しいかと安易に考えたのが、正解だったようだ。
「素敵なものでした」
幸せそうに微笑みをもらい称賛される弟に、ヴラディーミルは割り込むようにパーシャにスプーンを差し出した。
「さて、お姫様にはこのスプーンを差し上げましょう」
「何なの?」
何故このタイミングでスプーンなのかとパーシャは疑問に思い、言葉にだすが物は受けとる。
受け取ったのは銀色のスプーン。光にかざすと縦に細い筋が山程見える。模様と違う無造作な筋は、傷なのだろう。
「お食事からはお休みする予定のお嬢さんです。でもね、彼女は働き者だから、お休みはとらない。パーシャを悪い事から守ってくれるそうですよ」
働き者の銀のスプーンの話を聞くと不審そうな表情が笑顔に変わった。
「負けず嫌い? ですか?」
「負けず嫌い‥‥だな」
小さなお姫様の得点を稼いだ事が気に入らないのを見透かされる。
「スプーンはゴミにはなっても、お守りにはなりませんよ」
「ふふん。夢の無い。知らぬようだな、霧の国では、銀食器、特にスプーンには精霊が宿るとされ、古ければ古いほどお守りとして有効なのだぞ」
真相は他国の話であるため、確かめることはできないが、それが、兄の作り話であったとしても関係ない。勝ち誇った子供の様な笑顔に、アルトゥールは「やはり。ここが一番気が楽だ」と安心するのだ。
「では、パーシャ。ご一緒に如何ですか?」
「いなくなると心配するのよ」
ヴラディーミルの誘いを断るように首をふると、パーシャはローレン達を指差した。
「では、隠れていないで強引に奪うと‥‥」
「無理なの〜」
最後まで語らせないで、パーシャは顔を赤らめると、一歩下がる。ヴラディーミルには、ローレンをダヴィードから取り上げるのに何故照れるのかよく分からないが、ローレンを構うチャンスだとパーシャの目線まで膝を落とした。
「では、あそこの王子様をさらってきますよ」
そう小さく伝えると、低い体勢のまま二人に向かって走り出した。