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ある晴れた昼下がり。ローレンはいつもの執務室で一人、市場の状況を確認する作業をしていた。
本格的に寒くなると値段が高騰する食材を今のうちに仕入れておかなければならない。買い付けの人件費を想定しなければ肉や魚介類を無視できるのだが‥‥資産上、人件費を無視などできるわけもなく、氷室で保管できる期間を考えると早いうちに燻製にしておくべきかなと頭を悩ませていた。
そんな中、廊下をガシャガシャと金属が擦れ合う音が響く‥‥なんとなく嫌な気がして、作業の手を止め扉を睨みつける。
期待を裏切らず音は部屋の前で止まり、ノックの音と同時に開かれる扉。
返事を待たずに入るのならばノックなど不必要でないかとローレンは入室してきたラベルを見やった。
彼は、制服は着ているもの、油で色んな所を汚しとても人前に出る姿ではない。
新しい制服ならば、ローレンではなくヴィオロンに支給許可をもらうはずのため、身なりに関しては今回は関係ないのだろう。
「ラベル‥‥どうした」
情けない姿に怒りよりも疑問が口から出る。
「ローレン様!! お願いがあります!!」
ラベルはお願いと言うよりは、脅迫という勢いでローレンに詰め寄った。
どこかで聞いたような展開だ。
以前は性別が違ったが‥‥。
「願い‥‥とは?」
「一月ほどフットマン業務をお休みさせていただいて、誰も近づけない個室を御貸しください!!!!」
「それは‥‥僕に頼む内容なのか?」
先ずは直属の責任者に頼むべきだと考えると、ローレンではなくダヴィードに許しを乞うべきだ。
だが、ダヴィードならばラベルが一月も休みをとるのを許すはずがない。
東館の調度品は彼が守っているのだから。
「ローレン様しかご理解できませんからお願いできません!!」
「理由を聞いてもいいのだろうか‥‥」
ラベルは貴族には珍しく、ローレンの父を科学者として尊敬しているらしい。そして、その息子なら同レベルの知能を持っているとローレンを少し誤解している。
ローレン様しか‥‥などという断りを入れるのは、その誤解が彼の頭を充満し、耳辺りから溢れでている時の思考だと考え、素直に理由を聞くべきかを悩んだ。
だが、聞かなければ話は進まない。
「これですよ」
木製のテーブルに麻の袋を置く。
ガシャンと金属音がし、油の臭いが少しした。
やはり、そうなのかと、臭いと音に頭を抱える。
「ローレン様にしか理解できないと思いますので!! ご説明上げますと‥‥」
「わかった。 わかった、用意するし、許可もする!」
「いや。まだこれが何かをお話できていません!!」
「それは聞いても解らないから、いらない」
「またまた。大丈夫ですよ。ここには僕とローレン様しか居ませんから!!」
そういいながら麻袋から剥き出しにされたのは、キラキラする卵形の何か。大きさは小さな雌鳥ほど、卵形の下にそれを支える台座がついている。
聖杯だと言われれば、そのようにも見える金属の物質がそこにはあった。
「これは?」
「イースター・エッグですよ」
「復活祭の?」
ローレンが知っているイースター・エッグは本物の卵や殻に派手な色を塗りつけた物だ。貴族社会で恥を欠かぬ様にとヴィオロンに教えられた霧の国の文化のひとつである。
ラベルのそれは、確かに形は卵だがその記憶の物と全く違うものだった。
まず、材質がどう見ても食べ物には見えない。
「どこかの宝石商の方が細工つきのイースター・エッグを作っておられるらしいのですが‥‥手に入れることは難しい様で、なら、エリン様が是非ともそれを作れと」
「殿下に内緒で‥‥だな」
ラベルは頷く。
秘密裏に使用人に作成させる‥‥大切な夫へのギフトにするつもりなのだろう。
「形や装飾はなんとか見栄えよく出来たのですが、仕掛けが上手く行かなくて」
「見た目がそれだけ美しければ、調度品としての価値は高いんじゃないのか」
「ダメですよ。宝石商に勝つには見た目ではなく、中身が大切なのです。
こう、あれですよ、蓋を開けたら先の尖った物が飛び出してくるとか、炎が舞い上がるとか!!」
ナイフやアイスピックが飛び出したり、炎が飛び出すなど何たる凶器。ラベルの狂気に軽く眩暈を起こす。
「‥‥もらう相手に怪我をさせないものを作ってくれ。むしろ、謎を込めるなら開けられない様に作ればいい」
「は! なるほど、開錠にパズルを組み込むわけですね。さすがローレン様!!」
相手の知らない勝負を始めている彼は、言うこと全てがアイデアになってしまう。
アイデアを引き出す手段として、会話を続けられるのも迷惑である。意見の受け渡しが正しく行われない相手なら尚更だ。
「とりあえず、誰も見つからない部屋を探して来よう。それまで、ここを好きに使ってくれ、施錠するから」
「ありがとうございます」
彼の感謝の声に少し歪な愛想笑いを浮かべ、ローレンは廊下から鍵をかけた。
ひとまず、問題を封印する。
屋敷の部屋は鍵のみが、施錠、開錠を行える。内側だろうが開くことはできない。室内に居るラベルに鍵は渡していないため、ローレンは無意識に厄介払いをしたわけだ。
だが、閉じ込めたラベルをそのままには出来ないし、占領された執務室は業務を行うために必要な場所であるため、早急に彼の依頼を叶える必要があった。
屋敷の誰も近づかない場所、なんて思い付きもしない。とんでもない課題を押し付けられ、該当箇所を探すことにした。
図面は頭の中に入っているが、普段自分が立ち寄ろうともしない場所に侵入するのはまだ慣れない。
とりあえずはヴィオロンに相談しようと近くのフットマンに所在を確認する。
探し主がいる部屋に通されると、そこにはミハイールがいた。
ローレンの姿に彼は、軽く頭を下げる。
「ミハイールと細かな打ち合わせがあるのなら、別に後でもかまわない。僕はあらためる」
先に話をしている彼らを中断させてまでする話ではない。順序でいけば、自らが譲るべきだろうと考え部屋を出ようとした。
本音は、ミハイールと同席するのが嫌だというワガママなのだが、それを言うわけにはいかない‥‥。
「個別の指示は終了しております。ローレン様のご依頼の方が優先です」
逃げ出そうとする相手からそう言われて部屋を出るタイミングを失う。
席を引かれ、気まずそうに腰をかけると
「ミハイールには申し訳ないが、席を外してもらえないだろうか‥‥」と言葉を漏らした。
そんな感じで、数分前にミハイール払いをしたのだが、何故かローレンはミハイールと二人きりでその部屋でカップから昇る湯気を見つめていた。
人から隔離されたいラベルの願いを叶えるため、関係者の数を減らそうと彼に退席を依頼したのだが‥‥心の奥底の本音が眠った神の機嫌を損ねたらしい。
実は‥‥と伝えはじめたラベルの依頼をなぜかヴィオロン自らが完了させるために場所を手配しにいっている。
代わりにミハイールが戻ってきて待機しているのだ。
彼はヴィオロンの命で居るわけだが‥‥何故、待機させられているのかローレンには分からず、退室を強制できず、気まずい時間を潰している所である。
やはり、眠っている神様が意地悪をしているのだろう‥‥人を毛嫌いするものではない。
「ローレン様もやっぱりネクロマンシーを軽蔑されますか」
ローレンのぎこちない態度に気づいていたミハイールは、少し寂しそうに呟いた。
ネクロマンシーとは、死者を自由に操る技術である。
死体がそこにあるだけで人は怯えるのに、それを自由自在に操る行為に通常ならば拒絶するだろうと、ダヴィードは言っていた。
ミハイール本人も自覚しているのか、ローレンが距離を置こうとしている理由にそれを当てはめる。
「は? あ、いや。ネクロマンシーには問題ない」
だが、ローレンがミハイールの側に居たくないのは、それが直接の原因ではない。
「ネクロマンシーには?」
「あ‥‥うーん。そう‥‥だな。誤解されるなら、話をしておくべきか」
ミハイールがその理由を知るために食らいつくように繰り返す。
他人に隠すということは、技術を使えるが本人はあまりそれを嬉しく思ってないのだと推測する。
禍々しいと言えばそのとおりの力。
人がそれで自分を否定していないか気になる気持ちは分からないことはない。
でも、ローレンにしたらネクロマンシーなどどうでもいいことだ。ちょっと珍しい技術が使えるだけで、ラベルとそう変わらない。
「確かに僕は‥‥殿下がハロウィンと称するあれをした日からミハイールを避けている。だがそれはネクロマンシーを嫌がっているわけではなくて‥‥
‥‥お前がパーシャに危害を加えたからだ」
正直に続けるローレンの言葉に、ミハイールは両目を見開いて固まった。
「演技だとしても許せない‥‥」
先日のように、犯人と決めつけて危害を加えそうになった自分とミハイールの距離を置いて、冷静さを保とうとした。
彼の名前が出る度に保った冷静さが崩れてゆき、また修復しようと時間をかける。
怒りが収まらない限りは、ミハイールの側には居られない。その怒りは収まる予定はないため永久に距離を置いたまま。
言葉を理解して、自分を軽蔑するか、真摯に受け止めて距離を保ってくれるか、彼から離れて行ってくれれば悩ましい事など何も無い。
「‥‥あれは、僕がしたことじゃない! 僕がパーシャを傷つけるなんてあり得ない!!」
だがミハイールは‥‥
ローレンの言葉を否定した。
「ありえないだと‥‥僕は現場を目撃している。殿下も同じだ。お前が操る死者だろう。お前が違うと言うなら、一体誰だ!!」
白い首を締め付ける骨。解放された跡がその時の危険さを想像させ嫌悪する。
死神が娘の命を奪う一瞬前‥‥。
思い出すだけでも恐ろしい、大切なものが消える瞬間。
「誰ではなく‥‥それとも、制御不能になったとでも言い訳するのか」
「あれは勝‥‥‥‥」
何かを言いかけて口ごもる。
「な、何でもありません」
止めた言葉の後は、荒げた口調がいつものミハイールに戻っていた。
ただ、少しぎこちない。
途切れた言葉から想像できる容易な言葉は、「活動」「過失」「過度」「勝手」‥‥
「‥‥そうなのか」
ミハイールの態度がおかしい事に気がついたローレンは、詰め寄るように顔をのぞきこむ。しばらく視線を合わせないように泳がしていたが、無言で睨み付けるローレンの圧に耐えられなくなり「見栄をはっても仕方ないですね」と話し出した。
「あれは暴走でした‥‥。暴走と気付くのに時間がかかり、パーシャを傷つけたのは申し訳ないと思っています。ローレン様の仰有られた通り、過度の奇跡は自身を患わす。僕はもう少しで彼女を失う所でした。あれを奇跡だとは認めませんが、彼女を失いかけたのは事実です」
「ミハイールでも‥‥見栄とかあるんだな」
丁寧な口調を崩して否定した姿。その後に知らされる彼の恥。
ミハイールから語られる事実にローレンの怒りは、空気に溶けるように拡散していた。
思い出せばそこにあるのだが、集めなければ形を成さない。
「沢山ありますよ。完璧な私を演じていますから」
「なんでも優雅に遅滞無く処理していたものでつい‥‥」
「僕の演技に騙されておられたわけですね。光栄です」
「で、制御不能の事なのだが‥‥何か影響してないか」
「何かとは」
「いや、天使だとか」
説明がつかない現象は全て天使が起こしていると決めつける自分の脳にストップをかける。通常人間は、悪いこと=天使の公式はあり得ない。
「‥‥悪魔とか」
だから、付け加えた。
「いえ、これに関してはそんな神々しい話は無いですね。気がついたら拐われ、パーシャが何かを言った瞬間に死者が怒りに任せた‥‥見ていた映像です。今までは、走る方向が狂ったり、墜落したりなど、歩行の制御が乱れた事はありますが、大体、団体で。今回のように他は正常なのに、自我を持って単独行動など始めてで」
「何かが乗り移った様な‥‥か」
天使が地上に降りてくる媒介は人間の死体‥‥。
入り込んだ肉体に自らの姿を投影させ行動する。今回の死者は、肉は無く骨だけだった。天使が入り込んだのかなど他者が見て分かるものではない。
ローレンが目の当たりにした天使達は、肉体があって存在できた。もしかしたら、肉がない存在は変化があっても分からないのかもしれない。骨格の少しの変化など誰が判断できよう。
「そうですね。そう言うと悪魔の仕業なのでしょうか」
ポソリとミハイールは呟く。
言うとおり悪魔であったとしても、何故パーシャを狙うのだろう。
理由のない不安が、少し前の記憶と重なる。
パーシャはあの夜。ぼんやりソラの世界へと続く光を放っていた――――
「天使と言うと‥‥僕の毒は、代々伝わるものです。成分は親族のみの秘密です。嘘かホントか、大昔天使様が教えてくれた調合だということですよ」
信じられないでしょとミハイールは笑う。
「いや。ありえるだろう」
父がそうされたと同じように、ヒューイックがマーロを使ってベリラント人に吹き込んだのならありえる話だ。
それとも‥‥他の天使かもしれない。
「‥‥信じているんですか?」
思った以上に素直なのだなと嘲笑する。
「じゃあ僕がその天使の末裔だって言っても信じます?」
今作った感のある冗談交じりの言葉にローレンは「その可能性はないんじゃないのか」と否定した。
以前ローレンの前に現れたスノウと言う天使の様に人間の少女に恋をしてその子孫を作った可能性はあるだろうが、少しの期間しか地上にいられない天使という存在は儚げで――――子孫を残せない様なそんな気がした。
「ローレン様。ご用意が出来ました。ご案内します」
飛び込むように部屋に入り込んだヴィオロンが成果を報告する。肩で息をしているものの、言葉を乱していないのはさすがとしか言いようがない。
「悪いなヴィオロン。とりあえず休め。場所を教えてくれれば自分で行く」
「ご案内します」
笑顔を崩さず、先程と同じ言葉を伝える。ローレンの提案は基本的には無視だ。
言い争う必要もないためローレンは素直にヴィオロンに従うことにした。
「要らぬ誤解をして、気分を害してすまなかった」
部屋を出る際に一言ミハイールに伝える。
ローレンが連れ出された事で、ミハイールがこの部屋に居る意味は無くなった。
ヴィオロンの不在の間のローレンの護衛を依頼されていたのだが、御互いの確執を話し合い、ただ仲直りをしただけだ。有事が何もなかったのだから良しとする。
室内を片付ける間、終わりに話していた会話を思い出す。
‥‥僕らの一族は毒を天使に教えてもらったって事より、天使の末裔って言う方が有力説されているのに‥‥
ローレンは真っ向から否定した。
薬や、悪魔なんかの話は受け入れるのに‥‥。
ただ、それが真実であると自分の舌の刻印の意味が曖昧になる。純血のベリラント人だという事実が真実として成り立たなくなる矛盾。
ミハイールの直系が嘘であるのか、天使の末裔なんて不可思議な存在は御伽話として意味の無いものなのか、真実は分からない。
ただ――――――
「やはりおられましたか。聖霊は貴方と伴に‥‥」
異国の儀式だと言われ、黒いローブを着て、蝋燭を持たされ参加させられたあの日。
あの占い師が言った、その一言。
やはりおられましたか‥‥その意図が理解できない。
「どういう意味でしょうか」
「聖霊は天使の光を喰うのですよ‥‥」
質問しても、納得のいく回答は得られず‥‥曖昧なまま相手は居なくなると、きみの悪さだけが残る。
セイレイと呼ばれる存在がちゃんと居たとして、天使の光を食べるというのならば、ミハイール自身から天使に関係する何かがあると解釈しても良いのでは無いのかと思う。
もしこの身が天使の末裔ならば‥‥
おぞましいあの技術も天使が元々使っていた技術なのだというのなら‥‥
言い伝えは、ただの希望でしかない――――――
いつもお世話になっています。googleさんのトップがファベルジェ生誕記念になっていたのがこの話のキッカケです。(ドナ●ナではありませんw)
レプリカでもいいから誰かでっかいのくれないかなぁ‥‥ε=ε=(っ*´□`)っ
サモワールもそうですが、北の調度品はお部屋に飾りたくなりますねw
珍しい調度品やお酒(話のネタに組み込めるようなww)があったら、教えてください~〆(・ω・o)♪