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負傷した可能性の高いアルトゥールが治療のために移動され、オーリガを回収するとヴラディーミルはそれから時間が取れないでいた。
医師の手配はミハイールとヴィオロンが、飛行機の調査はダヴィードとラベルが嬉々として行っていたため、諸作業に屋敷の主、自らの手は取っていない。
彼が時間を割いたのは、気を失った王子の傍で取り乱す双子の王女を宥める事だった。
眠って静かになったため、自室に戻りローレンを呼び出す。
ローレンの止まった時間は、その長い間に落ち着きを取り戻していた。
「何でお前は大人しく隠れていられない」
「申し訳ありません」
見つかる原因は誰であっただろうと喉から出て直ぐ奥歯で噛み潰す。だが『隠れていろ』の真実の意味を理解したローレンとしては、自身の弱さをヴラディーミルが予想し、庇おうとしていた事実に反抗する気も削がれていた。
「まぁ、トゥーラが助かったのだ。お前のおかげだから、あまり責めるわけにも行かないな」
「あれを助かったと言いますか」
彼はあれ以来、目を開けない。
どんな衝撃だったかは、受けた当の本人でなければ理解できないが、半日も意識を取り戻せないのは誰の目から見ても重症である。
「命があれば『助かった』だ。ダヴィードの話によると、飛行機から燃料は漏れてなかったが破損した部品が操縦席に向かって突き刺さっていたらしいし、あのまま放置していたらもしかしたらそのまま串刺しだったかもな」
ローレンがパイロットを救出するため操縦席を覗き込んだ時は破損した部品など無かった気がする。
ヴラディーミルの話す‥‥、ダヴィードの報告をそのまま鵜呑みにした通りであれば、ローレン一人でパイロットを無事に下ろす事が出来ないと思われる。ダウィードが嘘の報告をしたか、爆発はしなかったもの、後々、調査までに内部が崩壊していたか‥‥のどちらかだ。なんとなく前者ではないかと眉を顰めて話を聞く。
「ただ、オーリガ様には見つかってしまいましたし、恐らく私がいるせいの事故だと思われていますよ」
「非科学的な‥‥お前一人がどうやってトゥーラの趣味の飛行機に細工できるのだ」
そんなことは誰だって分かっている。だが人は不安で仕方が無い時に何かのせいにしなければ落ち着くところが無い。それが理由もなく自分なのだとしたら、自分が耐えれば丸く収まるならそれでいい。
「僕で気が晴れるなら‥‥」
「そんな非常識な女ではない。あいつも分かっているハズだ。お前があれを愚弄するな!!」
机を叩き怒りを露にするウラディーミル。珍しく彼は冷静さを欠いていた。
「申し訳ないです‥‥」
ウラディーミルの態度に、卑屈なセリフをはいてしまった事を詫びるローレン。いつもの第三者的な位置でローレンをからかって遊ぶ王子はそこにはいない。
「悪い‥‥だから会わせたくなかったのだ」
焦って怒鳴る姿。頭を抱え項垂れる態度。取り乱すなど滅多に見せない姿にオーリガの事が大事なのだなと、ふと思う。
ウラディーミルは、国王には敵意を持った眼差しで睨めつけていた。だが、他の兄弟への態度は間近で見たことは無い。父親にあの態度であるから、他の王族にも似たようなものかと思い込んでいた。
科学者の息子という言葉に硬直するローレン。その彼に向かって憎憎しげにオーリガの言葉が続く。
「なぜ、忌々しいお前がここにいるのです!!」
オーリガはローレンを認識すると怒りを吐き出す。
ここにいる、それだけで彼女の怒りの対象だ。他に特別な理由は無い。
昔からローレンは、貴族たちにそう言う扱いを受けていた。彼らにとって忌み嫌う理由は特に重要ではない、それは身分の嫉妬、それは技術への脅威。大人にもなれず子供にだって戻れない年齢の少年には、気丈に振る舞っていたって慣れられるものではなく、自身への咎として体に刻みつけるしかない。だから、必要な時間だけ耐え、不必要な時間は他人との距離を置き、できうる時間を屋敷の中に隠れる方法で回避していた。
貴族には罵られ、平民には恐れられ、貧民には狙われる。彼はどこにも行く場所はない。
父の死により身分から解放されても、咎は残りその言葉を聞くだけで心は怖がる。
言葉自体に何の意味も無いのに‥‥。
「オーリガ‥‥」
意味もなく、ただ感情的に怒鳴りつける異母妹をヴラディーミルは遮るように間に立つ。
騒ぎを聞き付けたヴィオロンが、ローレンと目の前で寝かされているアルトゥールに駆け寄る。主人の異変には気づいていたものの、目の前の王子の方が重症と判断し軽い診断をすると、ミハイールに命じ移動させる。
目の前の異質しか見えていなかったオーリガは、移動される姿を目視し初めてそこに双子の弟が居ることに気がついた。視線の対象をローレンからアルトゥールに移行すると彼女は聞き取れないほど小さな悲鳴を上げて、駆け寄っていった。
「オーリガ。ミハイールの邪魔だ」
異母兄が側で静止させるが、聞く彼女ではない。連れていかれる片割れと伴に屋敷の奥へ消えていく。
その間、ローレンは反論も出来ずただ呆然と時間を止めているしかできなかった。
「ローレン様。帰りましょうか」
ヴィオロンは、負傷者が運び出されアザーズが居なくなるのを待ってから、隠れる必要のなくなった主人の手を取ると静かにそう言うが、相手は反応もせず座り込んだまま。
運動の要になる身体の各部位を補助し立ち上がらせると、部屋へと移動させた。
それから、しばらくしてローレンの時間は動き出す。
★
「先生。悲しいの?」
お食事の時間になっても、勉強の時間になっても、現れない先生をパーシャは探してここにたどり着いた。
見つけ出して、先の予定を強要しにきたわけではない。勉強は楽しいけれど、パパと一緒にいる時間が少なくなってしまうから、どちらかと言えばやりたくない。だが、時間になっても決められた部屋に現れないのは正確な先生に何か異変があったのかと心配になり探す。
見つけ出した彼女は、日が陰り薄暗くなった部屋で一人泣いていた。
その姿はパーシャの目には異変にしかうつらない。
「パーシャ‥‥」
返された声は悲しそうで、戸惑いながら側によると、ぎゅっと抱き締められた。
「この方はどなた?」
ベッドに寝かされた男の人。王子様にも先生にもちょっとずつ似ている彼は、青白い顔をして、只、眠ったまま‥‥。
「これは罪深きアルトゥール。私の弟よ。遊び疲れて眠っているのよ」
何故先生が罪深きと言ったか分からないが、悲しいのはこの人が眠っているせいだとは理解した。
「先生を悲しませるのは悪い人なのね」
「そうね。悪い人ですわ」
悲しい表情は変わらぬまま、先生は少し笑う。
影を落とすそんな表情は切なくて、なんとかしようとパーシャはこっそり考えた。
なんとかしてくれそうな人は、王子様。パパ。ヴェーラ。ぐらいしか思い付かない。
王子様は何でもできる。パパは何でも知っている。ヴェーラは魔法が使えるってパパが誉めていたから、きっとどうにかしてくれる。
パパと王子様は大切な話をしているので、お部屋に入れないとの事だ。仕方がないと隣のヴェーラ達のお部屋に入り込む。
「その悪い方はどうされたって」
「眠ったままなのよ」
「お気の毒に、なんとか出来ませんの?」
先生の話をヴェーラに話すとエリンがそう声をかける。
「ね‥‥姉さま。ミハイールやお医者様でもできないことを私ができるわけないでしょう」
エリンは優しい。でも、直接いい案は無くて、ヴェーラも無理なようだった。
魔法が使えても、万能なわけではない‥‥。
「役に立たないですわね、ん~占い師様に聞いてみましょうかしら」
「うらないしさま?」
「なんでも教えてくださる方ですわ。きっとパーシャにもいいアイデアを下さいますわよ」
彼女はとびっきりの笑顔でそう言うとパーシャの背中を押して部屋の外に出る。
廊下に出ると、隣の部屋から大きな音とともに男性の声がして、パーシャの心臓を飛び上がらせた。エリンはそれらは気にせずに手を引いて先を進む。
パパは大きな声を出さない。王子様も静かに話す。あんな、誰かが驚くような声は誰が出しているのだろうと首を傾げるだけで正体を確かめる事は出来ない。
「ヴェーラ‥‥」
「大丈夫。ちょっと行き違いがあるだけよ」
ヴェーラはパーシャと同じく音に気がついていたようで、パーシャの疑問の声に安心させるように頭をなでて言った。
占い師はミハイールが管理する建物に部屋をもらっていた。
「パーシャ。お久しぶりです」
パーシャ達の姿を見るとミハイールは駆け寄ってくる。エリンとヴェーラに会釈をし、パーシャには幸せそうな声で、そう言った。
ハロウィンパーティーでご挨拶したのだから、お久し振りなんて言われるのは、少し変だ。
「昨日ぶりなのよ」
相手にもわかるように損ねた機嫌を顔に出して呟く。
「もう一日。間があります」
「じゃあお久しぶりじゃないの」分かってるじゃないと更に表情を強張らせ彼を見上げた。
「一時離れても、僕にとってはお久しぶりなんですよ」
同じ目線にかがむミハイールは珍しく睦しげで、何か言葉を繋いで会話を続け、近くにいる。
あれ、珍しくないかな‥‥彼はいつもこうだっけか?
「いつもは言わないのに」
ミハイールの態度は少し変だ。昨日のパパもいつもと違うし、さっきのお部屋の声もおかしい。
疑問に頭を巡らせるパーシャの横で、話を続けるミハイールをエリンは遮って微笑む。
「ミハイール様はヴェーラと一緒に廊下でお待ちくださいな」
「え、私も入れないの?」
「だってご用事があるのはパーシャだもの。貴女達は必要ないでしょ」
「えー」
廊下でお留守番を指示されたヴェーラは抗議の声を上げた。
「男性とは言え、お客様のお部屋に大勢で押し掛けるのも失礼ですからね」
その反面、ミハイールは笑顔で承諾する。彼の言葉にヴェーラも渋々だが承諾するしかない。
「入りますわ。占い師様」
ノックをし、ゆっくり開けた扉の先にはローブに身を包んだ黒髪の男が背中を向けて立っていた。
彼は振り返らずに「今夜のディナーはお決まりになったのでは?それともどうかされましたか」と言う。少々ため息交じりなのが気にはなるが、口調は穏やかだ。
「私ではなく、可愛い娘がお願いに上がりましたの」そういってパーシャを前にだすと、あまり色んなことを気にしていないエリンはにっこり笑う。
彼はフードを深く被り、こちらを振り向く。少し薄暗い部屋で顔の半分以上を隠されると、全く表情が伺えない。
占い師は少し手前に歩み始めるが、すぐに足を止めてしまった。「‥‥ぇ‥‥ん」と聞き取れない音で、小さく呟くと固まったように動かない。
「占い師様?」
「あ、いや。ぼんやりしていたもので、失礼致しました」
固まっている姿にエリンが疑問の声をかけると、彼は慌てて謝罪する。
「パーシャ。占い師様よ」
「うらないしさま?」
「どんな事をお調べしましょうか?」
エリンが占い師と呼んだ人は少し嫌な気配がする。きっと知らない男の人だから、緊張しているのだと思うのだけど。
でも、何だか懐かしいような‥‥。
相手はフードで顔を隠しているから誰だかは分からない。もしかして知っている人なのだろうか。
下から顔が見えないかと見上げるが、口元がうっすらと影になって見えるだけで、顔というものは認識できない。
「‥‥というわけですの。何か良い案はございませんかしら」
「ね‥‥ぁ。いや。あなたもそれを望みますか」
エリン様から話を聞くと、占い師はパーシャに尋ねた。
「先生は笑顔の方がいいの」
なんだか嫌な感じがしたとしても、この人がなんとかしてくれるならお願いしたい。
「そうですね」
彼はそう言うと、表情を緩める。顔の半分はフードに隠れて見えないけれど、見える口元が笑顔の形をしていた。
★
真っ暗な空間で、オーリガはアルトゥールの手を握り締めていた。
感じられるのはその体温だけ。暖かい、目は開けないけれど、それが生きている証拠。
室内に誰も入るなと散々追い払っていたので、フットマンやメイドでさえ彼女の世話には現れない。火も誰も点けには来なかったのである。
「どうされましたか」
暗闇の中突然声がした、オーリガにはそう感じられた。扉を開け、誰かが室内に入ってきたのなら分かると思っていたからだ。
声のほうを見ると確かにそこに人が立っている。フードをとって男はオーリガに問いかけていた。
彼女は知らない人間が空間に突然現れた事を警戒したが、疲れきって頭の中が痺れていた。誰であろうと構わない、聞いてほしいとそう思う。
「アルトゥールが、意識を取り戻さないの」
「アルトゥール?」
「私の双子の片割れ」
「それはあなたの大切な人?」
「大切な私の弟‥‥彼を失ったら私は何かを失ってしまうわ」
淡々と言葉を交わしあうとオーリガの涙がこぼれだす。男はそっとそれを拭ってくれた。近づいた顔の距離に彼が黒い髪。黒い目であることを認識できる。
この暗闇でオーリガは相手を認識できてしまう不思議さを疑問に思わず、その深い黒の瞳に綺麗だと思ってしまった。
「なんとか‥‥しましょうか」
「できるの?」
「天使に魂を差し出す勇気があれば」
「天使は対価を求めないわ」
魂などの対価を求めるのは悪魔だろう。オーリガが書物などで目にした事がある悪魔は、人間の魂を貨幣として扱っていた。悪魔は、仕事をする対価に魂を稼ぐ‥‥。天使はそんな事はしなかった。
「僕は天使じゃない。魂はいらない。ほんの少し静寂が欲しいだけだ」
「必要ならばなんでもあげる。この命でさえも」
「そんな汚い命。不必要だ‥‥とりあえず部屋からでろ」
「?」
「今、僕と交わした会話は忘れるんだ」
男は黒い瞳で睨み付けると、オーリガを追い出して扉を閉めた。
しばらくすると、中から絶叫が聞こえる。
呆けた状態のオーリガはその声が知った声で、絶叫が異質なものだと認識できずにただ扉が開くのを待っていた。
声は止み。ゆっくり扉は開かれる。