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「パパァ〜」
ディナーのセットが終了した頃にダヴィードがパーシャを連れて現れた。
オーリガ先生の本日後半戦は少しの間だがパーシャを拘束していた。その間ダヴィードに「パパを探して」と依頼していた娘は、夕食のお誘いを断ってココにやってきていた。
「パーシャ悪かった。約束破って先にキラのところにいて」
「パパとのランチをお約束してたわけじゃないけど、勝手にどこかに行ってごめんなさい」
双方はお互いに謝る。
ローレンは主人の命とは言え、娘に何も言わず隠れた事。
パーシャは忙しい父の邪魔をしたくない故に、無断で傍を離れた事。
「だから、夜はお断りしたの」
「断って大丈夫なのか?」
「大丈夫。オーリガ先生は本当は王子様と一緒にご飯したいだけなのよ」
「?」
娘の言葉の意図はよく分からなかったが、とりあえず問題がない事だけを理解し、よしとした。パーシャは『王子様』絡みでは秘密が多い。恐らく、遠回しに彼女なりに報告はしているつもりだが、ローレンに上手く伝わらない。父は知らなくても、物事は問題なく回るものだから敢えて問いつめる必要はないと、そこで興味を絶っているのも原因だ。
「じゃあパーシャのご飯はまだなのか」
キラが聞いた言葉に笑顔で頷く。
「じゃあ、パパと一緒にディナーが出来るといいんだが」
キラは言いにくそうに続けた。
「実は、パパは十二時までここから出ちゃあいけないルールになっていて、お仕事もご飯もココで食べる事になっているんだが‥‥」
そんなシンデレラみたいなルールが有ったのかとローレンは思うが否定はしない。一緒に外で食事が出来ないという理由は大体合っている。
「パーシャもココでパパと一緒に食事をされますか? あんまり、綺麗なところじゃないけど」
「ホント」
パーシャはルーダの言葉を聞いて、ローレンを伺う。
「邪魔にならないか」
「全く問題なしです」
質問に即答するルーダの笑顔は何か企んでいるようで、ローレンは素直に了承できかねていた。ただ、断る理由が思い付かず、快諾することになる。
「よかったですね。キラ様。超豪華なメニューにしてくださいネ」
「分かったぜ。少し遅くなるが待っててくれ」
「望みはそれか‥‥」
少ない自分の引き出しを反省したが、ルーダの企みがかわいらしい物で、軽く安堵した。
「ルーダ!緑が足りないぞ」
「はーい」
「そう言えば」
ローレンは姿勢を崩さずパーシャの瞳を見た。が、キラが言うように緑には見えず、暗い金色が髪の間から反射する。
「緑にはやはり見えないな」
「だよなぁ。ミドリかなぁ?」
ローレンの言葉を受け、無神経にダヴィードはパーシャの瞳を覗き込んだ。
目を見るのは、きっと問題はないと思うが、問題なのはその距離だ。前髪が交じり合いもう少し近づくと唇が頬に触れる距離‥‥。
「だ‥‥だぁ。うぁ」言葉にならない声をもらし、パーシャは瞳を閉じ相手を押し返した。
「目閉じたら、見えないだろ。何してんだよ」
「ダヴィード‥‥」
低い声が怒りを現しているのは誰が聞いてもよく分かった。
その声に寒気がし、笑顔で振り向く。
普段、女性なら(一部の男性も使用可能)この笑顔で頬を赤らめ、怒りをおさめてくれるのだが。今回は相手が悪かった。
異性など全く興味がない女性と、日ごろからその愛情表現に嫌悪する父親である。
適度に痛めつけられ、厨房から追い出されることとなる。
「‥‥俺があんなちびっ子に欲情するかよ」
彼は、パーシャでなくとも、自分以外の人間に特別な興味は持たない。常に口にしている冗談は、本当に冗談である。だから無意識のうちに、あんな行動をとってしまうのだ。
必要であれば、本気で恋をする振りもできるし、寝ろと命じられれば別に嫌悪は無い。部下は役に立つから大切にしているが、それ以上は本当は無い。
ただ、心のほとんどを占めている虚無が、ローレンを羨ましいと思ってしまう。この屋敷で見る彼は、いろんな感情で愛され、まっすぐな父性を娘に向けている。
本当は、偽者の親子なのに。
双方とも必死で線を繋げようとしている。
それはそれで、問題はないし、関係ないから邪魔もしない。むしろ助けてやっている気がする。
その対価がこれだとは、自分としても割に合わないなと破損した上着を脱いだ。
「ダヴィード探しましたよ」
上着を取り替えようとクロークへ向かう途中、ヴィオロンに声をかけられる。
「申し訳ありません」
「ローレン様がおられませんから、私がディナーの給仕に入ります。他の作業で忙しいところ悪いですが補助を」
「了解しました。上着を直してきます」
「‥‥上着よりも、シャツからなんとかしたほうがいいですね」
ダヴィードがだらしないのはいつもの事だが、ヴィオロンが注意することはない。それは、服を着崩しているだけで、見た目にもあまり違和感がないからである。
それなのに、口から出てしまったのは、ダヴィードのシャツが破れていたためであろう。
気づいていなかったダヴィードは胸元を見て、驚いた。
「‥‥早急に対応致します」
上着が当たらない部分が、解れ、触れるとボロボロと崩れる。ローレンとキラの仕打ちが思った以上にダメージだったと舌打ちし、クロークへ足を早めた。
ここで、説明しておかないと誤解を招く恐れがあるため記述するが、ローレンとキラは適度に痛めつけたが上着が破損するほど危害は加えていない。仮に、本気で危害を加えたとしても、対ダヴィードが簡単にかわしてしまうため結論は変わらない。
後日、針子が傷んだ上着の破損箇所を直そうと分解すると、あるはずの布が欠損していた。
「不良品かしら?」見るとそう思ってしまう。
腐食したように解れる布は、二重構造の外側になっており、これならば着用前に気がつく位置だが使用者はダヴィードである。多分気にしてなかったのだろうと気にせず作業を進める事で、何も問題にはならない。
「あら、夜もご不在ですの?」
給仕にローレンではなく、昼はミハイールが、夜はヴィオロンが立つ事でエリンは疑問に思う。どうやったらヴラディーミルの変わりにローレンを引き立たせられるか思案するのに、ローレンの姿を見たいと思った先から会うことが出来ない。
「所用で不在にしております。ご不便はおかけしません」
「会えない事がご不便ですのよ。ヴィオロン様、もしかしてお隠しになられました?」
悪巧みを相談したのはヴィオロンだけである。あの内容に興味はないと感じたのだが、そうではなくローレンの身の危険を察した彼がエリンに会わせまいとしているのかと勘ぐってしまう。
「エリン様のご提案は、上手くいけば私も賛成ですよ。あの方は人を惹き付けますから」
「あら、含みのある言い様ですわね」
「お考えすぎです」
「どなたがおられないのかしら」
ヴィオロンとエリンが笑顔で腹黒い話をしているのに気がつきオーリガが話の主を気にする。
「お前が気にする話ではない。早く席に着いたらどうだ?」
回答は、夫人や執事ではなく、主からされる。その焦った口調から何かを隠しているのは分かるのだが、ヴラディーミルが言う以上、オーリガは口を出すつもりはなく、黙って席に着いた。
「あら、ディーマ様。ご機嫌がよろしくないのですか」
ヴィオロンとの会話を切り上げ、大人しく席に着いたエリンは真っ直ぐヴラディーミルを見る。エリンは表情こそ笑顔だが、その瞳は笑ってはいない。
ヴラディーミルが話に割り込む姿を見るのは久しぶりで、数少ない症例は体調が悪い時と血管が切れそうなほど大声で怒っていた時である。どちらとも、感情的で心に余裕がない状況であった。
何かヴラディーミルにとって都合の悪い出来事が起こっており原因は彼女であろうと、斜め前に座るオーリガには一瞬でも視線を合わせる事はない。
「いや。単に空腹に耐えかねているだけですよ」
エリンにはとてもまぶしい笑顔でヴラディーミルは答える。
口元の笑みがいつもよりもぎこちなく、かえって不安になるが、夫がそう言う以上、エリンは突っ込んで聞く勇気はない。
「そうですか。ヴィオロン様。お支度を急いでくださいな」
自分の心に芽生える不安を悟られないように、ヴィオロンに用意を急がせた。
二人が笑顔で対応する様をオーリガは面白くない表情で追いかける。エリンに、急がされ笑顔で答える執事をどこかで見た気がするなと記憶を辿ると、結論が口から溢れでる。
「あの執事‥‥どこかで見たと思っていましたら、霧の国の献上品ですのね。あの科学者の屋敷仕えをクビになって行方不明と聞いていましたがお兄様の物になったんですの」
オーリガの言葉にヴラディーミルは笑顔を崩す。
事情を知らないエリンでさえ『献上品』という言葉に嫌悪感を抱く。聞こえているハズの当のヴィオロンは表情も変えず、作業を進めていた。
「オーリガ。物扱いは失礼だろう。彼はこの屋敷の執事達の教育係だ。悪いなヴィオロン」
「事実ですから、お気になさらず」
『献上品』ヴィオロンは言われ慣れた言葉に今さら嫌悪など抱かない。ただ久しぶりにその言葉を聞いたと思う。霧の国から差し出された紳士の存在など王族と一部の貴族しか知らないし、王族でも一見してヴィオロンがそれだと分かるものは少ない。ローレンの屋敷に仕えていた事も記憶されている。さすが博識だと苦笑するしかない。
ヴラディーミルがオーリガからローレンを遠ざけた理由がこれかと理解した。
「そういえばパーシャはいないのか?」
「パパと一緒にキッチンでディナーだそうですわ。父親がコックなのでしたら、そうおっしゃられれば良かったのに、使用人だと言われるから誰かと悩んでしまいましたわ」
「は? ああ。悪かった」
「ヴィオロン様。合っていますの?」ワインを注ぎ入れるヴィオロンにエリンが小声で質問すると「少々誤解があるようですが、黙っておきましょう」と、動作を止めないでこっそり言われる。
ヴラディーミルが嘘をつき、オーリガが誤解する。ローレンは彼女が来てから姿が見えない。
それらから思い付いたものを理解して、エリンは笑顔を張り付けた。
素直に笑えないのは、やはり焼きもちなのだろうかと、自身に問う。
「ヴィオロン様は大人ですのね」
対象は違うが、きっと同じ様な理由で心を痛めていると予測されるヴィオロンは作り笑いと分かるような笑顔は決して見せない。