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子連れステュワードの縁由  作者: ことわりめぐむ
24/35

9 - 1

思った以上に新幹線が暇だったので、

おさぼりしなくて書けました。

 ローレンは昨夜、壊してしまった調度品の報告書を書いていた。

「そんなもの錬金術使えばいいじゃん」とダヴィードは言うが、奇跡の力を使うのには抵抗がある。もし一歩ゆずって使用したとして、破壊してから時間がたっている物達は戻るとは思えない。

 あのシェルフには、思った以上に高価な小さいものが多数詰め込まれていたようで、書類をまとめるのも時間がかかる。

「パパ。お仕事手伝おうか?」

「大丈夫」

 今日は、向かいの応接セットにはパーシャがいる。仕事中は相手をしてやれないため、ダヴィードかミハイールのどちらかに預けるのだが、殺人未遂のミハイールに大切な娘を預ける気はなく、では、ダヴィードかというと未遂現場が東館であるため、本人が気にしていないと言っても近づけたくないのが親の心境である。

「パパは僕がイイコになるのを邪魔しているの?」

 唇を尖らせて上目遣いで少しすねた声を出す。自分の仕事を手伝えば良い子であるだなんて、考えも単純すぎてかわいらしい。損ねた娘の機嫌を更に曲げないように優しく事実を伝えた。

「このお手伝いできなくてもパーシャに関しては良い子だよ」 

「ホント?プレゼント貰える?」

「プレゼント?」

 口に出して気がついた。

 諸聖人の日が終わったのなら次のイベントといえばあれだ。

「サンタは神様の弟だから、イイコにしてないとプレゼントくれないなんて意地悪はしないよ」

 神様が地上を見てないのだから、その弟だっていうサンタ‥‥正しくはサンタ・クロースと言う天使だって地上を見てやしないだろう。

 昔、ワガママな天使に聞いた事を思い出す。


 天使の名前はスノウと言う。

 昔ローレンが貴族社会で生きていた時に運命が交わった人物だ。

「クリスマスは父の誕生日で、弟の叔父さんはその日の前の夜にプレゼントをばらまくんだよ」

 クリスマスと聞いて彼ははじめて会った夜と同じ言葉を言った。

「それは前にも聞いた。だが、お前の話だとサンタは神の弟なのか」

「サンタ叔父さんだけじゃなくて、クロース叔父さんも二人で弟。僕らと同じ天使様だよ。父さんが今日も無事に眠りについていたのを地上の人達に祝わせるために幸せを運ぶ仕事をしてる」その幸せは何かなんて僕は知らないけどね~とニコニコしてスノウは語るのだ。

「坊っちゃまももらったでしょ」

「あいにく、無いな」

 クリスマスなど家族で祝った記憶は幼い頃にほんの数回だけだ。その際にもらったプレゼントといえば、サンタではなく、発明好きの父からもらった良く分からない物だった。

「気づいてないだけだよ」

「可愛いローシャちゃんも、王子様も。幸せな人も不幸な人も、もちろん犯罪者も、叔父さんは分け隔てなくプレゼントをばらまいているよ」

「バカらしい。気づいてない物がプレゼントになるか」

 犯罪者と言う言葉に胸が苦しくなり話を切り上げようとする。

「頭固いなぁ。仕方ない。今年は僕も何かをあげるよ」

「お前の奇跡は僕に不利益を被るからいらない。余計な事をするんじゃない」

 あげるといっても、貧民街で居候している男にプレゼントなど出来る余裕があるわけがなく、彼がローレンに与えられる物は奇跡と呼ばれる魔法みたいなものだ。

 彼が奇跡を願うと、叶った場合はローレンに悪影響をほんの少しだけ与える。

「照れなくてもいいのに」

 否定しないあたりは、間違いなくそのつもりだったという事だ。

「照れるか」

 笑顔を絶やさない相手にローレンは怒りをぶつけた。


 遠い昔の思い出だ。

 あの時ローレンが、そんなクダラナイ話ができたのは彼しかいない。

 でも今は可愛いパーシャがいる。いつまで一緒にいられるか分からないけど、彼女を守らなければならない。

 サンタがプレゼントをくれるか否かなんて、クダラナイ話でさえ心を乱してはダメなのだ。

「それに、サンタ・クロースがプレゼントをくれなくても、僕がパーシャにあげるよ」

「大丈夫。プレゼントはベファーナがくれるのよ」

「ベファーナ?」

 それはどこの金持ちの女だろうと首をひねった。

「ジェド・マロースではなくて?」

 クリスマスの時期の御伽話と言えば、ポーランではサンタよりジェド・マロースの方が有名だ。この屋敷の誰かが普通パーシャにいらない事を吹き込むならこちらの名前が出てもおかしくない。ただ、いい子にしていないとジェド・マロースにさらわれちゃうわよと言う悪い魔法使いだの雪の悪魔だのという存在なのだからプレゼントをもらえる発想にはたどり着かない。

「優しい、可愛い、魔女様なのよ」

 両手を頬に沿わせ、幸せそうに口角を上げる。背景に小さな小花が見えるような、幸せな感情がおし寄せてくる。

 魔女というのだから、悪い物の象徴なのではないだろうかと文献に載っていた魔女と、昨日出会った魔女を思い出した。魔女と言うと、キラの仮装である。

 彼女の形容詞には優しいも可愛いも当てはまらないが、失礼な言葉を吐いたのは事実であり、謝罪に向かうべきだろうかと考えはじめると、退屈したようにパーシャが欠伸をするのが目にはいった。

「パーシャ。お仕事が片付いたら、キラの所に行くか?」

 キラの厨房は、なぜだかパーシャはお目通りが効く。ローレンだけでは、入室禁止とコックには会えないがパーシャが一緒であれば入っても咎められない。

 パーシャは満面の笑みを浮かべ返事をした。この笑顔を利用するのは心苦しいが仕方がない。


 玄関のベルの音がした。

 ヴラディーミルは昼過ぎに帰ってくるとヴィオロンから聞いていたことを思い出す。書類に集中していたため、あっという間に貴重な午前中が消費されていた。

 今から玄関に迎えにいっても遅いと判断したローレンはパーシャの手を引き主人の部屋へ向かった。

「キラのところはこっちじゃないのよ」

「殿下が帰ってきたんだ、お迎えするのも大切な仕事だよ」

 パーシャは「はーい」と素直に返事をした。


 ヴラディーミルはローレンがパーシャと一緒だと気がつくと表情を一瞬歪め、笑顔を貼りつけた。

「お帰りなさいなの。王子様」

「ただいま」

 普段と変わらない会話がされる。

 表情を歪めたのはローレンの見間違いかと思ったが、会話が落ち着くとすぐにパーシャをエリンの部屋に預けた。

 パーシャを払ってどんな無理難題を押し付ける気だと警戒しながら待っていると

「パーシャにとこれを預かってな。捨てるわけにもいかないし」

 リボンがかけられている薄い本をヴラディーミルはローレンに押し付けるように渡す。

「絵本ですか?」

 分厚さと表紙のイラストから絵本だと推測すると聞き返した。

「ああ」

 ヴラディーミルは言う。

 その不機嫌な表情に、内容がとんでもないのかと目を通すと‥‥別にたいしたことはない。

 キツネに奪われた家をウサギが取り返す話だ。昔読まされた記憶がある。

 家を奪われるというあたり、小さい娘に見せたくないのかもしれないが。もしかして内容ではなく、他人に物をもらったという事が気に入らないのかもしれない。

「ご機嫌が優れないようですが?」

 いつもなら絶対聞かない質問をする。

 誰が、何をして機嫌を損ねたのかなど下世話な興味はない。ただ、途切れた会話が珍しく気まずくて、聞いてしまったのだ。

「お前はどうして、そんな物を笑顔で受け取れるのかと精神的な心配をしているのだよ」

「この本に何か?」

 笑顔で受け取ったつもりはないが、相手がそういうのならそうなのだろうと反論はせずに問題の別の視点を問いかけた。

「何とも思わないなら持っていけ」その質問は主人の逆鱗に触れたようで、それだけ言うと部屋から追い出される事になる。

 本当にこの本は何なのだろうか‥‥。

 ローレンはため息をついて廊下を歩き出す。


「ローレン様。ごきげんよう」

 エリンのご機嫌は麗しく、先ほどのヴラディーミルととても対照的だ。

「ヴェーラ。ベファーナはいつ来るの?」

「魔女様はエピファニアに来るのよ」

 ここで先ほどパーシャに言われた『ベファーナ』の名前が聞けた。

 パーシャに魔女様の名前を教えたのはヴェーラで、彼女はポーランの南に位置するコウクナの姫である。成程、南部の文化なら耳慣れない言葉であっても疑問はない。

「クリスマスにサンタ様に。エピファニアにはベファーナにプレゼントを貰うのよ。だからベファーナに会うにはクリスマスが終わってからね」

「なんとも贅沢な話だな」

 わずか一週間ほどの間に二回もプレゼントをもらうつもりでいる辺り、贅沢というよりか欲が深い。

「サンタ様もベファーナもたいした物はくれないから贅沢じゃないでしょ」

 悪びれずヴェーラが言うと「たいした物って思えないのは貴方がいい子じゃないからよ」とエリンがたしなめた。

「でも、炭なんてもらったこと無いもの」

 木片から燃料を作る仕事をしていたローレンは、ヴェーラの発言に炭は貴重な物じゃないのかと思う。庶民が大切に思う物は王女様にとってはたいした物では無いのだろう。

 拗ねたヴェーラの隣にいるパーシャを手招きして呼ぶと「プレゼントだって、預かってきたよ」と先程の絵本を渡した。

「ローレン様」

「なにか?」

 このタイミングで怒りの声をかけられる原因は間違いなく渡した本であろう。いったいこの本はどれだけ内容が悪いのだろうか。

「何か。ではなくて、お気づきではないの?

 パーシャは文字が読めないのですわ」

「それは‥‥こんなに小さいのですし」

 絵本なのだから『絵』を見ているだけでも問題ないと思う。

「そんなの言い訳ではなくて?

 ローレン様が傍にいないとき一人でご本も読めないですのよ、可愛い娘が退屈なのはかわいそうではないでしょうか」

 確かに仕事中は完全に放置である。かといって目の届く所にいろと言うのであれば、彼女は何もする事が出来ない。

 誰かが話をしてやるならともかく、たった一人で何もできない退屈は地獄ではないだろうか。

 確かに、かわいそうな話である。

「かといって‥‥与えたものを没収するのはさらに可哀想かと」

「誰もそんなことを言っていませんのよ。例えば家庭教師を雇うとか」

「使用人の連れ子の時点で無理な相談です」

 本来ならばローレンが教えてやれば解決しそうなものだが、彼にその選択肢はない。

「別にローレン様だったら構わないのではなくて?」

「エリン様が許可下さっても私が困ります」

 女主人の言い分に賛同したが、言うとおりに出来ないのが使用人事情である。現在におけるヴェーラにしてもらっている身支度、ダヴィードやミハイールに依頼している託児行為でさえ世間一般的には贅沢な話だ。

 この屋敷には、身寄りがない娘を置いていただいているだけで感謝しなければならない。

「パーシャの教育については考えます。エリン様の頭を悩ませる内容ではありません」

 大変失礼な一言を女主人にぶつけるとパーシャの手を引いて退室した。エリンはまだ何か言っていたが、聞こえない振りをして扉を閉める。

「もう。逃げられましたわ」

「ローレン様が困っているのだから、ほおっておいてあげたら?」

 扉の向こうの親子にご執着な姉にヴェーラは表情を歪めて止めにはいる。

 傍観者として自分を悪者にした妹の態度に腹をたて、エリンは執着の対象を妹に向けた。

「ヴェーラはローレン様の事が好きなのでしょ」

「はぁ、何いって」

「ローレン様は素敵よね。貴方が好きになるのは良く分かるわ」

「姉さま!」

 どこからそんな話になるのだろうと、焦り、姉を止めようとする。

 ローレンに恋慕の情などないはずだと頭の中で繰り返す。

「でも、あの方にはもっと素敵になってもらわなきゃ」

「?」

「皆が、ローレン様を好きになれば、ディーマ様に目は向かないでしょ。このお屋敷には、女性が多いのよ。貴族の娘だって使用人として働いているわ。ディーマ様は皆様にお優しいし、あのお姿。いつ、誰が二番目になり得るかも知れないでしょ」

「はぁ‥‥」

 語りだす姉の言葉に正しい答えが分からない。むしろ放置しておきたいなと思いだした。

 ただ、その内容の行き着く先は結局ローレンを困らせるのではないかと心配になる。

「芽は摘んでおくのが良いのでしょうけど、むしり取るのも大人気ない。盾を作って防ぐしかないのよ」

 夫婦は似ると言うが、ヴラディーミル王子とその妃エリン王女はとても良く似ている。

 そんなつもりは無くとも、結果ローレンを困らせるという‥‥安易な発想が。



「文字が読めないのが問題になるとは、考えてもみなかったな」

 執務室にパーシャを座らせ、紅茶を入れると一息ついでに言葉を吐く。

 話題のパーシャ自体は全く問題にはしていないようだが、周りの大人はそうは行かない。

「絵本だけど‥‥」

「いいの」

 パーシャは両手で大切そうに抱えた絵本に視線を落とし、一言そう返す。

 気にすればとても良い様子には見えないが、それ以上もそれ以下も会話は続かない。

 気まずい雰囲気に進む紅茶はあっという間に空になった。

「新しいのを入れてくるよ」

 今日はなぜかポットで紅茶を入れていた。逃げ出すタイミングを計算していたようで、後味は悪いが、パーシャの沈黙が気になって仕方ない。

 いや、パーシャはいつも通りだろう。仕事中に退屈そうにはしているが無駄に声をかけては来ない。いつもと同じ沈黙だ。

「パーシャ相手に‥‥」ため息とともに情けない自分に言葉が漏れる。

「ローレン様。給仕致しましょうか」

 ティーセットを余っていたぬるま湯につけ、紅茶用の湯を沸かしているとヴィオロンが声をかけてきた。

「いや、むしろお前の分も用意するよ」

 何かしていた方が気が張れる。

「‥‥お任せいたします」そう言われたのを確認し、ソーサーをぬるま湯から取り出してしずくをふきとると三つ並べた。

「エリン様にお伺いしましたが‥‥」

「文字の話か‥‥お前に迷惑はかけないよ」

「ローレン様のお役に立てるのを迷惑だとは思いませんが」含みのあるいつもの言い方に大きなため息をつく。

「聞きたいと思っていたのだが‥‥、何故お前は僕なんかにそこまで思ってくれるのだ?」

 余りにも過保護な態度が気になりたずねたローレンに、ヴィオロンは困ったように笑う。

「貴方様は私が大切に思っていた方にそっくりなのですよ」

「大切に?」

「初めてお仕えしたご主人です。その頃、私はランプボーイとしてお勤めを果たしていました。フットマンになるには身長がいささか足りなかったのです。その主人はたかがランプボーイの私を友として扱ってくださったのですよ」

「僕は、お前を友だとは思った事はないのだが」

「そうですね。どちらかといえば気遣い方は家族ですかね‥‥」

「そんなつもりもなかったが」

 ヴィオロンに限らず、使用人達にはどう接するのが正解なのかは分からず、友と呼ぶよりは、身内の者として扱っていた感はある。

「あとは、私が作り上げた完璧な紳士ですから。最後まで完璧に終わるのを見届けたいのですよ」

「それは、大役だな」

『完璧な紳士』という単語がくすぐったくて、照れた心を相手に悟られないように目線を外す。

「目の届く内は目を光らせております故」

 ヴィオロンは笑顔を見せるが、向けられた目は笑ってはいない。彼はたまにこんな眼差しをする。他意はあるのかないのか、向けられた方は、禁断の果実を渡された受刑者のようで、言葉の意味を深く考える。

「で、読み書きの件ですが」

「あぁ。本当にそれはいい‥‥」

 忙しい彼を煩わせたくないのが主な理由だが、パーシャが希望しないものを天敵に任せられるかと再度断る。

 言葉は教えなくても学習できるのだから、読むのも放置していても問題ないと思うのは軽薄なのだろうか‥‥。そもそも自分はどうやって文字を覚えただろうと、仕舞われた記憶を引きずりだそうとする。

 思考に入り込んだローレンの脇で、ヴィオロンは音をたてずに紅茶の用意をはじめた。

 それにローレンが気がついたのは、懐中時計が指定の時刻を指した時だった。


 主人の部屋に強そうな眼差しを持った女性が一人。綺麗とただ表現するのでは正しくない。きつめの美人と表現されるのが正しいだろう。

 彼女は主の部屋で不機嫌な表情を隠そうとせず、むしろ睨み付けるような視線で威圧していた。

「どうして私が家庭教師の真似事をしないといけませんの?」

 だが、ヴラディーミルは全く気にしない様子で、いつもの気楽な笑顔を張り付けていた。

「トゥーラにもらった絵本が読めないなんてかわいそうだと思わないか」

 いつもと違うのは口調である。ヴラディーミルは女性に対しては、妻やパーシャでさえ丁寧な敬語で飾っているのだが、彼女にはローレン達と会話している口調のままである。

「学が無いのは本人の罪ですわ。それに何故アルトゥールの罪を私がカバーしなければならないのですか」

「罪なのか、それは?」

 学がないのは本人ではなく父親のせいだと心にしまいこみ。かわらぬ笑顔を彼女に向ける。

「お兄様をそこまで苦しめているのでしたら、アルトゥールこそが悪ですわ。飛行機しか能がないので無害だと思っていましたら、とんでもないところで害ですわね」

 パーシャに絵本をプレゼントしたのは彼女の口から出る罪深きアルトゥール。この国の第四王子で、彼女の双子のきょうだいである。

 彼女の名前はオーリガ。目の前のヴラディーミルの母違いの妹だ。

「オーリガ‥‥才女のお前にこんな願いをしなければならないのは、真に心苦しい。真似事ではなく、真剣に家庭教師をしてやってほしいのだ。だが、嫌なら仕方ない。私の頼みが聞けないか?」

 つい一呼吸前まで張り付けていた笑顔を真剣な眼差しに変え、頭を下げて依頼をする。

 空気の変わった脅迫に、彼女の今までの表情は変わり‥‥

「いえ、喜んでお受けします」

 答えてしまってからしまったと後悔するのはいつもの事である。オーリガは兄に弱い。

 無理なお願いを承諾したのは、これが初めてではない。

 笑顔のままヴラディーミルはパーシャを連れてくると「パーシャ。オーリガ先生だ。ごあいさつできるかな」と優しく背中を押す。

 どこの誰の子供か分からないような娘に何故「先生」と呼ばれて物事を教えなければならないのか、イライラとモヤモヤがオーリガの額に縦に皺を作っていた。

「よろしくお願いします」

 パーシャが王子に指示されて会釈の終わり際に言葉を漏らす。

 上げたまなざしがオーリガと重なると、彼女の態度が一転した。

「なんて‥‥おかわいらしい」

 鬼の形相から、笑顔に変わる。


 子供に教育を施さない鬼畜な親の元から保護された(正しくは誘拐されたという)パーシャは、ヴラディーミルの部屋でオーリガ先生に言葉を習っている。

 教えれば正しく理解し、抜けていることは質問してくる。そんな子供にオーリガは驚いていたが、教える事は苦痛ではない。

 文字の読み書き程度なら、二・三日で軽く基本は説明できる。オーリガはそう計算し、基本が終わる頃まで、屋敷に滞在することになった。

 もともと人懐っこいパーシャは数時間の対話の間に才女様の心をつかみ、雑談に話は弾む。

「お兄様はとても素敵なのですよ。戦争屋の男達と違い平和的に話し合いで折り合いをつけてくる。お兄様がお相手であれば私は幸せなのに」

 ヴラディーミルが生まれ、第五王妃ジゼルが亡くなった後、第二王妃ユーディフィは双子を身ごもった。自分より先に王子を身ごもった事を恨み呪ったせいでジゼルは亡くなったのだと信じていた彼女は、自身の腹の子供が生まれ双生児であったことをなくなった彼女の呪いであると思い込む。双子は、忌めるものと陰口を叩かれる存在で、命こそは奪われぬものの周りはいい顔をしなかった。

 オーリガとアルトゥールが不幸なのは第三王子のせいだと、母に洗脳された。

 第三王子だけでなく自分達を忌み嫌う全てを見下し、誰よりも高くのぼりつめるため、母の私怨に浸かり。裏づけもなくヴラディーミルを憎んでいた。

 だが、ある日。

「お前達は誰も追いつけないぐらい前に進み頑張っている。素晴らしいな」

 などと、まっすぐな笑顔でヴラディーミルが褒め、抱きしめて来たのだ。

 気がつけば才女だの英雄だのと二人は言われていた。だが、誰からも褒められた事のない二人はただの嫌味にしか聞こえず、未だ先を目指していた。

 今まで憎い相手だとしか思っていなかった相手だけが、自分達を見てくれた。

 二人にはそれだけで十分だった。 

 ドロドロとした怨恨の輪に溶け込んでいる自分達を精神面で助け出してくれたとオーリガは思っている。

「王子様のお妃様になれば解決なの」

「私はヴィクトゥールお兄様と縁談が決定されていますのよ‥‥」

 父は同じだが、母親が違えば問題ないとされる王族間の婚姻。第一王妃の息子と第二王妃の娘が結ばれる事は母親同士で決められたことだった。オーリガも忌まれた双子という名から第二王子の妃と変わると承諾している。

 どうせなら、第三王子の妃に変わる方がどれだけ嬉しい事か。

 自分の希望など通るはずもなく、決められた縁談は素直に従うから、せめて妹としてヴラディーミルの側にいる時間を増やして欲しいものだと常々思っていた。

 そんな淡い恋心らしきもの‥‥を抱いている彼女は、今の状況を傍観して見るとなんてチャンスなのだろうと気がついた。

 普段なら、ひと目時間が合えば、会えただけ。来た道をまっすぐ後戻り。

 願いという特別な出来事があったとしても、すぐさま解決してしまう。

 『家庭教師として、業務を終えるまで屋敷に居ていい』などと言われたのは初めてで、これは裏を返せばオーリガが満足するまで、ここに居ていいと言われたのも同然だ。

「パーシャ。頑張らないで、頑張るのよ」

 パーシャの物覚えが良ければその企みは一瞬で終わる。だが、手を抜くなんて許せなくて、パーシャが問題になれとこっそり願う。

 オーリガの良く分からない希望に、パーシャは首をかしげた。



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