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「ぼっちゃん。やっぱりここにいた」
語尾にハートマークが付くような甘い声がローレンにかかる。
「ダヴィードか。何のようだ」
少し不機嫌なローレンは、慕うように現れた男を邪険に扱う。それは娘のせいで、完全なるローレンの誤解であったが。
「ぼっちゃんに会えるかなぁって。居なかったら、その部屋の主に文句があった」
冷たい態度など気にもせず、そう言うとダヴィードはヴラディーミルの部屋を指差した。
「殿下はパーシャが拉致している。僕が会えないのに、お前も無理だろう」
ローレンが憎々しげに語ると、機嫌が少し悪いのが納得できた。先ほど出会った天使は「パパにはまだ会えない」と言っていた。ダヴィード宛の手紙の内容もローレンの隔離だったため、彼に何か隠しているのだろう。
知らされないほど、腹の立つ事はない。
「ちょっと見て欲しいものがあるんだよ」
ダヴィードはそう言って笑う。
「見て欲しいものって?」
ローレンの代わりにヴェーラが尋ねた。
「侍女様‥‥は女の子だしなぁ?」
口調からヴェーラだと想定し、話を続ける。一目では女主人か侍女かは判断が着かない。
「何よ。女性には話できない事?」
「あまりオススメしないけど、現場が外」
ヴェーラの言葉にダヴィードが答えると「外?」とローレンが興味を持った。
「構わないわ」
ヴェーラはダヴィードの見て欲しいものに興味は全くなかったが、ローレンは少し興味を持った様子で屋敷の中でイライラされるぐらいなら外に出た方が良いと考え返事をする。
連れだって屋敷の外へ出る。
「ここは‥‥」
ローレンは連れてこられた場所に見覚えがあった。
「覚えてるか」
そこは、パーシャを見つけた場所である。
「で、見せたいものは。これなんだぜ」
ダヴィードはパーシャが隠れていた茂みを分けて奥へ進む。ローレン達も後に続くと、頭の方はそうでも無いのに尖った小枝がやたら足元に突き刺さるため、本人が思うよりも遥かに遅い速度でついていく形となった。
先に行くダヴィードが、茂みから抜けると止まって振り返る。そこは、特に何もない場所である。
「これって何だ?」
一旦は状況を理解するため辺りを見回すが、案内人の意図が分からないため、質問すると残念そうに「え〜」と声を上げた。
「もしかして、枯れ枝の事かしら」
「侍女様、正解。今抜けてきた茂みは、ある一定の高さから下が部分的に枯れてるんだぜ。ふっしぎ〜」
ダヴィードが言った通り、膝より下の辺りの枝は乾燥して折れたものが尖っていた。
ローレンの歩行を妨げたのは、枯れた枝である。服に刺さった枯枝が歩行を妨げていたため、力任せに破壊しようと引っ張ったり、押し付けたりしたのだが、根本は青々としなやかなままだったためローレンが抵抗する力を分散させる。力任せでは上手くいかなかった。
「それだけか」
部分的に枯れる木は特別に珍しい物ではない。よく調べればその部分だけカビが生えていたり、虫が住み着いていたりするのが大体の原因だ。
「うん。それだけ」
ローレンの予想を裏切りダヴィードは笑顔でそう言った。
「帰る‥‥」
残念な答えに無表情で呟くと屋敷の方へ歩き出したローレンの行く手を塞ぐ様に布を被った人物がわらわらと現れる。
「なんだ、やっすい仮装だな」
バカにするようにダヴィードが言うのも当然で、相手は地面すれすれの大きな布を被っただけ。何人かは裾を泥で汚している。
目の部分に穴を開けていないため、顔は分からない。彼らが進行方向が見えるのは、恐らく目の荒い薄い布を被っているのだろう。
ダヴィードはバカにしたが、こちらからは人物が確認出来ないのに、仮装した本人達からは見えるのは正体を隠すという意味で正解ではないだろうかとローレンは思う。
「突然はろうぃんだなんて言われて、仮装しろと言われたのだろう、仕方ないんじゃないか」
そう、きっと目の前の布の集団もヴラディーミルの思いつきの被害者なのだろうとローレンはダヴィードをたしなめる。
「Trick or treat!!」
突然相手は聞いた事のない言葉を発した。
「何?」
分からない言葉を一人で胸に秘めておく事が出来ないヴェーラが尋ねると、同じく理解できないローレンは首をひねる。可能性としてはダヴィードが馬鹿にしたのを怒ったのかと考えられた。
「‥‥」
こちらからの答えを待つように仁王立ちした相手は、返事が出来ないと判断すると真ん中の人物が両手を伸ばしてきた。
青白い手がローレンに触れようとゆっくり伸ばされる。
「どういうつもりだ」
その手を叩き落とすようにダヴィードが払うと相手は力の方向に飛んでいった。
「やりすぎじゃないか?」
倒れた布から、はみ出た足は動く様子がない。
「俺はそんなつもりじゃねーよ」
ローレンが心配するが「あれぐらいでぶっ飛ぶとは思えないわ」とヴェーラが駆け寄るのを静止する。
「どう見たんだ侍女様は」
「健康的には不合格よね」
残りの布達もゆっくりとローレン達に向かって前進しはじめた。三人にというより、ローレンに向かって歩いている。
伸ばされた手を今度はヴェーラが払うと、同じ様に相手は力の方向に倒れ込む。他の布は倒れた仲間を見るように止まり、しばらくすると何事も無かったかのように前進する。
ヴェーラによって、飛ばされた相手は先の一人と同じく倒れたきりで動こうとしない。
「やりすぎだって、ぼっちゃんに叱られるぞ」
ダヴィードの笑みを含んだ言葉にヴェーラは「払っただけよ」と驚いて返事をした。自分の手を見つめ少し思案する。表情を変え、倒れた相手に視線を移すと相手に向かって走りだそうとして、布達に遮られた。
ヴェーラと相手のやり取りに違和感を覚え、ローレンはやっと異変に気がついた。
「屋敷の人間じゃないのか?」
「「どうかな」」
発音の違う同じ言葉を二人はローレンに返す。
そして同時に別々の布を剥ぎ取った。
ヴェーラの相手はぼろぼろの洋服を来た青白い男。ぼろぼろと言うよりは古すぎて腐蝕している。
ダヴィードの相手は、人間ですらなかった。骨が破れたドレスを纏っているのである。
「えっと、何これ」直接触れるのを拒絶したか、ヴェーラは取った布を右手に巻き付け相手を殴り飛ばした。倒れた相手は先の二体と同じく動かない。
「ハロウィンの真似事なんかしたから死者が帰ってきたんだろ」
ダヴィードがケインを振り払うと当たった相手は間接部分が離損する。飛び散った破片物を間近で見てローレンは現実を見失った。
「洋服からしたら女の子なのに、肉が無くなると大切にしようって気が失せるな」
ローレンの前に散らかる白い塊を土ごと足で横にすくいあげて蹴飛ばすと、ケインに着いた汚れを吹き飛ばすように上下に降る。
「一体ずつは大したことないのだけど」
「えー。俺は精神的に大ダメージだぜ」
「確かに嫌よね」
ローレンを間に挟み、周りを見て二人はアイコンタクトを取った。精神的にダメージを受けているダヴィードも、嫌って言うヴェーラも楽しそうに笑っている。
「ぼっちゃん。とりあえず逃げるぜ」
状況についていっていないローレンの手を取り、ダヴィードが走り出す。
「あいつら歩行はできても速度は期待できないから。逃げちゃえば大丈夫よ」
後を追いかける様にヴェーラがついてきてそう言った。
二人の息はとてもぴったりだった。相談も無しに阿吽の呼吸で戦場から逃走を図る。
二人の考えは、呆けているローレンを守ることを第一にしているため、効率的な役割分担になった。
まずもって、二人とも相手を直接攻撃したくない。ヴェーラが逃げると声をかけたとしても、プライドの高いローレンは逃げることに同意しないし、ダヴィードの様に手を繋いで逃走ルートの指示など出来るはずがない。素直に後続者の排除に回る。
「何体破壊してきた?」
「四体かな。振り向かずに走って来たから、良くわかんないけど」
「まぁ、辺りには白い布は見えないし大丈夫かな」
逃げ切った先にてヴェーラとダヴィードが話をしている横で、ローレンは肩で息をするのが精一杯だった。
三人の体力差はこんな所でも明確に現れる。
「あれは何だったんだ?」
息が落ち着いて来たと同時にローレンは疑問をぶつける。現実的でないあれは何度考えても答えは出ない。
「ゾンビよ」
「アンデッドだろ」
二人はしれっとローレンが心の中で否定した答えを語る。
「そんな非現実な話があるか」
「だってそれしか言いようがないぜ。そんな事より。最悪だぜ、俺、骨なんか殴っちゃったよぅ。服は替えが利くけど、杖は無いから新しいの買ってくれよな」
「勿体無い。じゃあ素手で殴れば良かったのに。洗ったらお仕舞いじゃない」
「無理。無理すぎる‥‥。手がおかしくなる。
侍女様は勇敢だな」
ヴェーラとダヴィードは相手が死者だと言う現実は差ほど気にもせず、歓談している。
「おかしいのは僕の方なのか‥‥」
一人だけ非現実を訴える自分が間違っているのかと、ローレンは頭を抱えた。
ふいに、不自然に色の違う枝が目につくので、見ているとそれは木の上から落ちていく。落ちた事より、色の違う枝は無くなった為その木特有の物ではない。
ローレンの視線を気に止め、同じ物を目視した二人は彼の疑問に同調する。落下物の側により、それを確認すると三人とも言葉をなくした。
落ちてきたのは枝などではなく、ヴラディーミルであった。
「もしかして、やばいな」
かかえ起こすようにダヴィードが手を触れる。ローレンもその後に続き頭に触れて違和感を覚えた。
ぬるりとした感触と共にドレスグローブにつく液体。白い袖口に付いた液体は赤い色をしていた。
触れた部分は温かさを感じない。ドレスグローブを介しても冷たさがじんわりと皮膚に伝わる。
「出血してるから動かすのは良くない。申し訳ないけどぼっちゃん、ヴィオロン様を呼んできてくれないか」
「分かった」
ダヴィードの指示に了解し屋敷に向かって走り出す。ヴェーラも後を追った。
「おい。大丈夫か」
残されたダヴィードがヴラディーミルにかけている声が耳に入る。
ヴィオロンが昔言っていた『頭は出血したほうが安全なのだ』と、出血している以上無事なのを祈りながら、もたつく足を前に動かした。
「さっきね、ヴラディーミル様が落ちてきたとき。頭から地面に落ちたの見たわよね」
意識がある以上、人はどうしても頭をかばうように落下する。頭から落下したという事であれば、意識がないと言う事だ。
ヴェーラは異変を訴える。
「僕は見ていない」
ローレンが見たのは、遠目に落ちる何かと、青白い顔をして横たわるヴラディーミルだけ、ヴェーラの言うようにどちらが頭なのかそもそも人間だとして見ていない。
触れた頭は体温も、血液もとても冷たい状態だった事を思い出す。
「人は、怪我をしてどれぐらいたてば体温がなくなる?」呟く様に自分に問いかける。怪我をしただけで冷たくなどならない。
多くはないが目の前で人が亡くなったことはあるが、あんなに冷たくなかったような気がする。
冷たかったのは、天使の媒介の死体だけ。
彼が冷えていたのは、外だからか、もう、手遅れだからか?