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子連れステュワードの縁由  作者: ことわりめぐむ
17/35

7 - 3

「なんだこれ‥‥」

 ジルの小さな木苺畑はその面積の半分の地面がえぐりとられていた。

「泥棒というよりは嫌がらせかな」

 残った苗には粘り気のある黒い物体が吹き付けられており、近くによれば異臭がする。残った苗も順調に実をつけるとは思えない環境である。

 もし、実がついたとしても食用として成り立つのか衛生面が不安だ。

「しかも、悪趣味な嫌がらせだ」

 苗の高さまで腰を落とすと、表情をゆがめて目前の畑を見つめる。

「この様子です。成長させて加工するより、本来は伐去したほうがいいかもしれません」

 悲しそうな表情でジルは畑を見つめた。

「そうするとジャムは‥‥」

 すべてにおいてジャムが大切なローレンである。

「木苺が無いとオレンジや林檎で作ることになります。切らすようなことは」

「色は?」

 ジルの言葉をさえぎってローレンは奇妙な質問をした。

「色 ですか?」

 ジルは疑問の表情で言葉を繰り返す。色を確認してどうするのだろうと瞳が不審がる。

「ええ」空気を読まないローレンは真剣な表情で返答した。

「木苺で作っているアプリコット色と赤黒い色のものは作れませんが」

 赤黒い色は初めてこの屋敷で食べた黒いジャムの事をさしているのだと判断し、ローレンは首を振った。

「それは問題ですね。木苺の件何とかしましょう」

「はあ。よろしくお願いします」

 話がついたところで、体に悪いとヴラディーミルはジルを室内に戻した。彼は屋敷までエスコートするのかと思えば、畑から目と鼻の先の場所には見守るだけでついては行かない、扉が閉じられ彼女の姿が見えなくなると振り返ってローレンに向かう。

「なんとかしましょうって、案はあるのか」

「ありません」

 無いと言われるのを待っていたように「なら、私に聞くがいい。先にあれを作ったのは私だからな」と笑顔で即答する。

「いえ。結構です」

 言葉を言い終わるまでに反射的に断る。ヴラディーミルに借りなど作ったら、何かあったらいつまでもその話題をいい続けるに違いない。参考になるとしても断るに限る。

「案はないのだろ」

 断ったのが気に入らないのか自分の意見を押し売りする。

「要りません」

「遠慮などするな」

「‥‥」

 恐らくこの繰り返しになると考え、ローレンは折れた。ヴラディーミルに雇われている以上覚悟しなければならないのだろう。

「はあ。では、前回はどのように調達されたのですか」

「前回も山から植え替えた」

「殿下お一人で、ですか?」

「木苺の苗などさして問題にはならん」

「まあ、大きいものではないですしね」

 目前の畑の木苺は細い木が間を開けて植えられている。背の高い木もローレンの胸の辺りだ。ヴラディーミルも鉢植えで移動させようと言う様に、ここにある木が特別なのではなく木苺とはこの様なものなのだろう。

「問題は場所だ」

「は?」

「準備をするぞ‥‥」

 今まで笑顔を貼り付けていた屋敷の主は口角をさらに上げ「山狩りだ」と一言。


 ★


 部屋いっぱいに広がる洋服。占めているそれらは乱雑に並べられているのではなく、ちゃんと解るものが分類して配置している。

 並ぶ洋服と洋服の隙間を、目的物を探しながらヴィオロンがローレンに語りかけた。

「山狩り‥‥言葉が間違っていませんか」

「多分そう思う。だが殿下が一度言った言葉は直すとは思えない」

「まあ、そうですね。では、ヴラディーミル様に付いて山に入られるのなら。起毛の固い頑丈なコートが必要ですね」

 ヴィオロンはそう言いながらクローク内のコートを探しに奥へ。

「動き難くないか?」

服の壁で姿の見えないヴィオロンに、少し大きな声で言うと、すぐ目の前の服の間から「丈の短いものなら、機動力はあるでしょう」と相手がコート片手に現れた。

「機動力はあっても、苗を掘り起こすのだから、上肢は自由な方がいい」

「野生に群生しているものを掘り起こすならば、怪我を想定してください。腕を損傷されれば、困ります。軍でも使用している生地ですから、慣れてください」

 ヴィオロンが押し付けるようにコートをローレンの目の前で広げる。メルトンウールの生地で出来たショート丈のコート。雪を弾く素材は防寒には最適だが、ウールを縮絨して作られているため少々重い。上肢の動きは制限される事を想定すると自然と嫌な表情になる。そこへ真逆の表情のヴラディーミルが現れた。山狩りと自分で言うだけあって、どこぞに狩りに行くスタイルである。

 手に持ったコートは、先程ヴィオロンがすすめてきた分厚い生地の物だ。

「ヴィオロン。熊と闘うから銃の携帯な」背中にかけた長い銃を見せつけるように背を向けた。

「え?」

 熊の話は初めて聞くローレンからは驚きの声が漏れた。

「熊!いけませんローレン様。そんな危険な場所にお二人だけで出掛けられるなど、私が代わりに」

 猛獣の名前に焦ったヴィオロンは、ヴラディーミルから銃を没収した。

 ヴィオロンの過保護に顔を歪めるも、自分の代わりに山狩りについていって怪我でもされれば、此方が困る。そう考えたローレンは、ヴラディーミルとヴィオロンの間に割って入り、その銃に手を触れた。

「だから、お前は頑丈なコートを選んでいたんだろ」

 具体的な獣の名前には驚いたものの、山に登る時点で、獣の想定ができていないと言えば嘘になる。熊が出ようが、狼が出ようが木苺狩りをやめる訳には行かない。

「さすがに熊に襲われたら、コートぐらいでは防げんぞ」

「だから、銃がいるのですよ。殿下はそう言う認識で指示されたのでしょう」

「‥‥う」

 焦った表情でヴラディーミルが頷くと取り返した銃を返した。

 銃を持った自分の手が微かに震えているのを隠すように直ぐに手を離す。

「あくまで護身用だ。心配するな」

 ヴィオロンを諭すと自分の銃を用意させる。

 肩から細いベルトで固定すると銃は背中にぶら下げられる形となるため、自分は所持していないと震える自身の手を騙す。『あくまで護身用』は自分の為の言葉だ。

 短銃が猟銃にかわっても、銃その物へのトラウマは無くなることはない。だが、今回は怖がっていたら、間違いなく喰われてしまうだろうと安易に想定されるため、騙してでも武器の携帯は必要である。

「ローレン様。そんなにジャムが大事でしたか」旅立つ主人の背中にヴィオロンがポツリと呟いた。


 ★


 茶色くなっていても生い茂る草。葉が落ち、先が鋭利になった固い枝。それらを掻き分けてヴラディーミルは進む。ローレンは主人が作った道を追いかける形でついていく。

 伸びきった草は自分の足元でさえ見えない。ブーツの靴底から感じる固い異物が石だとか、力を入れても踏み込めない土壌は水分が多いなどと感覚で見えない環境を感じるしかない。

 山は完全に獣道である。

 羊を追って山を歩きはしていたが、毎日誰かが通るため、踏み固められちゃんと道筋を現していた。今、歩いているのはそういう意味で道ではない。

「そういえば街でパーシャに付きまとう輩が居てな」

「え」不意にヴラディーミルが言った言葉に驚く。

 二人で、(正しくは『ダヴィード様』と三人だったらしいが)街に行った時点で善からぬ輩に出会い、目をつけられる可能性が高いと思ってはいたが、事実となると胸が騒ぐ。もう終わったことだと言うのに。

「あまり雰囲気の良い男ではなくて『この娘は貴方の娘ですか』なんて聞いてくるから、私の娘だと言って追い払ったが」

 親の居ない娘とすれば、誘拐は容易だ。なぜなら、親が側に居れば咎められる可能性が高い。だが、ヴラディーミルは腐っても王子である。どの街に買い出しに行って、どれだけ顔が知られているのか分からないことだらけだが、王子の娘と言う方もとても危険な臭いがした。

「もしかしたら、パーシャの血縁者だったかも」

 可能性は誘拐ばかりではない。パーシャは棄児である。

「それはないと思う。私の言葉に笑顔で『そうですか』と答えていたからな」

 遺棄した親なら笑顔で娘の幸せを祝福するのではと考えたが、あえて口にせずヴラディーミルの話に頷く。

「違うと判断したのは、そいつが珍しく眼も髪も真っ黒だったからだ」

「色に関しては片親だけで判断できないでしょう」

「まあ、そうなのだがな」

 とは言うものの、黒い親を持つ子供は黒い遺伝子を受け継ぐ可能性はかなり高い。ローレンが知っている人物も親が黒髪で、その息子も綺麗な黒い髪を受け継いでいた。

 先に行くヴラディーミルが歩みを止める。何かと思いローレンが側に寄ると、前方に警戒すべき相手がいた。

「さぁ。お出ましだ」

 山で熊に出くわすのは稀である。なぜなら熊は非日常を嫌い、向こうにしても稀に合う人を恐れ、会えて姿を見せないようにしているからだ。稀に出くわす可能性がある生き物に真っ正面から出会うのは運があると言うべきか、無いと言うべきか。

 相手が気づいていないうちに、この場を去るか、攻撃するか‥‥ローレンが持つ銃は散弾ではなくライフルタイプである。弾は、相手が熊と分かっていたため威力が増すダムダム弾へ加工をした物をヴィオロンに強く勧められたが、暴発リスクが携帯を拒絶した。

 自分が発射した銃身が破裂し、自身が致命傷を負っていては全く意味がない。そんな論理的な判断ではなく、単純に暴発と言う言葉に怯えた。

「さあ、熊!」

 悩むローレンなど気にせず熊に気づかれるよう大声を上げる。

 熊がこちらを向いてもヴラディーミルは驚きもしない。何か秘策があるのかとあせる気持ちで銃を結びつけているベルトを握りしめた。

 だが、仁王立ちし自信満々な表情が次第に疑問へと変わる。

「おかしいな。前回は私を見て逃げていったのだが」

 ローレンは耳を疑った。

 前回はなんだって?と心の中で舌打ちする。

「もしかして、今回もそれで行けると思っていましたか」

「私の威光に熊までも恐れると分かっていたしな。銃だって弾はない」

 悪びれる様子もなくヴラディーミルはそう言うと、ローレンは聞こえないように「ろくでもないな」と己の主を信じた事を呪った。確かによく見ればヴラディーミルの持つ銃は先込式の銃のようで、緊急時に役に立つのか不安な銃だ。もともと準備をしていた一発ならともかく『弾はない』と言い切ったのだから空砲に違いない、手慣れた軍人ならともかく、彼では向かってきたときに打ち返す時間は足りないことだろう。

 使用する意思がないのだ。

「何か言ったか」

「いいえ」

 熊は逃げ出す様子もなく二人を見て、二人は逃げ出すタイミングがつかめない。この状況で銃に頼らないわけには行かない。熊の視線は気になるが、銃の調子を確認しようと背中から前に回す。同時に相手にロックオンされた様で視線は仁王立ちする主人から、動かした銃を追う様に見えた。

 動いたと自覚した瞬間に熊はローレン達の前に立ち、掴んでいた銃を弾き飛ばす。

 持っていた武器を弾き飛ばされた事で、驚きローレンは後ろに下がってしまうが、数歩下がった所でむき出しになった木の根に足元を取られ、仰向けにバランスを崩した。

「ローレン‥‥お約束だな」

「殿下を逃がすためにわざとですよ」

 馬鹿にされた言葉に虚勢をはり、無理に笑顔を作って見せる。無駄に高いプライドとは何処でも強いと後で思う。

「殿下が喰われて僕だけが生き残るのはいかがかと」

「成る程、分かった。お前の意思にしたがおう」

 起き上がった周りには熊しか居らず、ヴラディーミルの姿は無い。しっかり逃げ出してくれたようだ。

 主が無事なら、いち国民というか使用人としての立場は何とか守れた。今度は自分が命を何とかする番である。

 飛ばされた銃は熊の向こう側である。ただ、銃をしっかり携帯していたとして、果たしてちゃんと叶うのかは疑問だ。

 熊と視線が合うと、ローレンの怯えを感じとる様にゆっくり側に寄ってきた。高いプライドで主と会話している時は襲いもしなかった猛獣が、一人になって武器も無い弱い存在を胃に納めようと側に歩み寄っているのだ。銃を弾き飛ばした時のような俊敏な動きが無いのは、いつでも逃げ出せよと獲物が逃げるのを煽っているのかも知れない。それともローレンが動かないのを知っているからだろうか。

「だめなの!」

 ローレンを遮るようにパーシャが目の前で手を広げた。脇から金色の小さな塊が現れて、ローレンは死を直感した時点でパーシャの幻影を見たのかと疑ったが、響きわたる高い声に現実と理解する。


 大人の男から幼子にターゲットが変わったとしても、相手は考慮などしてくれない。むしろ子供の方が鈍く、肉も柔らかいだろうから好物ではないだろうか。

 押さえつけようと熊は前足を振りかざし、まっすぐ二人へ下ろす。地面に尻が付いた状態で熊のスピードに反射は着いていけず、心だけは娘を庇おうと前にでた。何故こんなところに?などは後でいい。

「熊。私はこっちだ」

 逃がしたハズのヴラディーミルが石を投げつけ、熊に声をかける。

 意識がローレン達から、ヴラディーミルに向いたことで前足の動きは、パーシャに触れる寸前で停止していた。

 興奮した熊は動く獲物を優先して追いかけるらしい、それを意図してか逃げていくヴラディーミルへ熊は向きを変えると走り出した。

 残されたのは固まったままのパーシャと遅れて抱き締めているローレンである。

「パーシャ。無事?」

「パパ‥‥大丈夫?」

 ほとんど同時に小さな声を相手にかける。

「「良かった」」安堵も同時である。

「何でこんなところにいるんだ」

 無事が確認できると、疑問に思う状況を確認する。

「お家でね。パパと王子様が危ない所に行くって聞いたから、後を追いかけたの」

 山狩りは王子とローレンとヴィオロン以外知らないことだ。ヴィオロンがパーシャに話をするわけがないため、恐らく話をしていたのを隠れて聞いて、屋敷から後をついてきたのだろう。朝、見たままの洋服がそれを現していた。

「よく着いてこられたね」

 頬に付いた浅い傷を撫で、泥が跳ねた裾を払いながら、娘の無事を目視する。

「途中までは足跡があったから‥‥」

 正面からローレンの顔を見たくなくて視線をずらす。

「ついてくるなとは言ってなかったけど、こういう場合は家で留守番がお約束だろ」

 彼女が罪悪感から視線を合わせない事を悟るとローレンは叱るように言葉を続け、言いきると右手を掴み立ち上がる。

「僕はわるいこ?」

 繋がれた手を強く握り。うつむいて罪を問う。

「‥‥悪い娘だ」ローレンは彼女に視線は返さずに静かに言葉を吐く。

 自称が『僕』なのも、都合が悪くなると目を反らすのも決して良いことではない。こんな場所まで着いてくるのは言語道断だ。

「でも、ありがとう」

 自信の身を省みず、自分を守るために前に出てくれた行為は素直に嬉しかった。

「今、僕がありがとうって言えるのもパーシャが守ってくれたから」

「僕が無事なのは王子様のおかげ?」

「そうだな。だから助けに行かないと」

 落ちた銃を拾うと肩にかけ、ヴラディーミルと熊が行った方にパーシャの手を引いて向かう。


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