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この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体・事件とは一切関係ありません。
作中にメインで出てくる国名と人物は全く架空のものであり、実在はしていません。作品の世界観上、一部実在する国や文化を引用していますが、話の内容は完全なフィクションです。
因みに「北のまちに降る雪」の数年後の設定となっていますが、前作品を読まなくても問題なく読んで頂けると思います。
庭の片隅では、とても小さな女の子が座り込んでいた。
賊や敵国の間者かとビクビクしながら向かってきたため、口元に笑みが浮かぶ。男がそんな弱気でどうするのだと屋敷の主には馬鹿にされるかも知れないが、仕方がない、彼には戦うすべがないのだから‥‥。
幼女の年齢の違いはローレンにはよく分からなかったが、おそらく五歳から七歳程度と推定する。彼女は、とても長い金色の髪で隠れてはいたが、衣服を何も身に着けていなかった。
幼いのだから恥ずかしいとは感じていないかもしれないが、歳はかなり離れているとはいえ、ローレンとダヴィード、二人の男の目前に全裸のままでは彼女が可哀そうだと考え、上着を彼女にかける。彼のフロックコートでは丈が長すぎるため、上着のせいで歩行困難になるだろうと考たローレンは彼女を抱き上げた。
その間、少女は抵抗もせず、何も語らずこちらを見つめていた。
「どうした、僕の顔に何かついているか」
ローレンの顔をずっと見つめていた彼女の視線があまり嬉しくなくて尋ねると、かわいらしく小首をかしげる。
「もしかして、ぼっちゃんの隠し子だったりして、『パパ』とか思ってるんじゃねえの」
冷かすように舌を出してダヴィードが言うと、彼女は気がついたかのように「パパァ」と言って抱きついてきた。
「な‥‥なんでだ!!」
「ぱぱぁ?」
言葉にはしていたが、予想に反した言葉に、ダヴィードが驚きの声を漏らす。
「違う、違う。断じて違う」
そんな彼の視線に否定をするが、何の説得力も無い。無邪気な子供が「パパ」と言って抱きついているのだ。どこのだれが見ても、若い父親と娘として見えるのだろう。
「パパァ。この娘どうしますの?」
「だから、違うって‥‥髪の色も眼の色も全然違うだろう」
「いまどき、父親に似ない娘なんて、山ほどいるさ」
異民族同士姻族関係を結んでも咎められなくなった今の世の中、父親の因子よりも母親の因子が強ければ父と子が全く似ていないケースも珍しくない。
「大体、こんな大きな子供を作ろうと思ったら‥‥」
「分かってるって、お子様に子供は作れないない」
必死で親子でない事を証明しようと論説するローレンの言葉をさえぎるように、ダヴィードが軽く言葉を返すと二人は屋敷への歩みを速めた。
できるだけ人目につかないようにこそこそと屋敷の女主人の部屋に向かう。目的は女主人ではなくて、その侍女のヴェーラである。
「ぱぱぁ?」
幼子の発言を確認して、繰り返した彼女の第一声は、予想を裏切らず、想像していた通りの反応に顔をしかめたローレンだったが、説明するのだけは省略しない。
「先ほど庭をダヴィードと散歩していたら、この子が居たんだ。なぜか僕を父親と勘違いしている」
「はぁ‥‥」
あきれたようにヴェーラは言葉をもらす。その反応も予測済みだし、いちいち反応するつもりはないので、自分の用件を伝える。
「とりあえず、こんなカッコじゃ可哀そうだから、洋服を用意してもらえないだろうか」
「えっヤダ。このこ裸じゃない。なんかしたの」
「知らん」
コートを脱がそうとして、手を止めたヴェーラが怒気の篭った声でこちらを見るが、正直な話「何も知らない」のだから正直にそう答えた。
「ぱぱーぁ」
彼女たちが部屋の中に入ってしばらく待つと、洋服を着せられた幼女とヴェーラが出てきた。白を基調とした赤い小花模様のドレスに身を包んだ姿が愛らしい。長い金色の髪が走るたび流れるように揺れてベールの要に広がるのが、よくドレスに合っていた。
髪はほんの少し湿り気を帯びて、頬は少し赤みがさしている事から、湯を使って汚れを落としたのだろうと推測する。顔色が良いのも可愛らしさを際立たせていたに違いない。
「ヴェーラ。君はかなりセンスが良いんだな」
パパと言って抱きしめられている事実よりも、短時間で愛らしいレディに仕上げた感性に、素直に敬服する。
「そんな事よりも『パパ』はどうするつもりなのよ」
「とりあえず、『パパァ』ではなんともできないし、ヴィオロン様に報告だな」
ローレンは彼女に抱きしめられていると、なんとも言えない安堵感が体をじわじわと染めていくのを自覚していた。本当に知らない存在に「パパ」と呼ばれている事実や、彼女の所在をどうするかを悩んでいたことよりも、なぜか守らなければいけない想いに駆られている。
そんな『パパ』とは違い、傍で見ている二人はこの幼子の存在をどう扱うかローレンに尋ねるが、不幸な結末にならないように頭を悩ませていた。身元もはっきりしない者をこの屋敷は受け入れるだろうか‥‥答えは恐らく、否であるなと、ダヴィードは直ぐに結論を出したため、直接の上司に判断を仰ごうと思ったのである。
「そうだな」
幼子を抱き抱えたままローレンは立ち上がると、屋敷の執事が休む部屋に向かう。勿論、ヴェーラには軽く礼は済ませた。
「どうなったのか、明日、教えなさいよ」と彼女は扉を閉める前にこっそりと言っていたが、明日のモーニング・ティーの時間に結論は出るだろうかあやしい時刻である。
隠し子に間違われるのは些か否めないとして、誘拐してきたと勘違いされないように話を進めるのは、どうしたらいいのだろうかと悩みだすと、足が次第に重くなっていくのが不思議だった。
結論は先伸ばしでもかまわないから、相手が眠っていて欲しいと願いながら、部屋の扉をノックした。