三五歳も年上の勇者様に嫁がされた王女ですが、勇者様の孫に溺愛されて幸せです
わたくしは、王命により勇者様に嫁ぐことになった。
三五歳も年上の勇者様。
勇者様はとても長い年月をかけて旅をして、魔王を討伐した立派なお方。
わたくしは、そんな勇者様へのご褒美の一つだった。
勇者様がわたくしを妻に迎えることにより、王家と勇者様は末永く良好な関係を築けるのですって。
腹違いの姉や妹たちは、わたくしに「勇者と結婚できるなんて、うらやましいわ」と言った。
クスクス、クスクス、笑いながら。
侍女たちも同じよ。
「ローザ王女殿下、うらやましいですわ」
とクスクス、クスクス笑ったの。
わたくしの心を底冷えさせる、嫌なクスクス笑い……。
わたくしのお母様は、王妃殿下の侍女だったの。酔った国王陛下が王妃殿下とお母様を間違えたせいで、わたくしが生まれたのよ。
お母様はわたくしが幼い頃に亡くなって、それから長いこと、わたくしは一人ぼっちだった。
だから……。
たとえ三五歳も年上のお方でも、旦那様ができることが嬉しかった。
◇
わたくしは真っ白な婚礼馬車に乗り、勇者様の暮らす辺境に行った。
勇者様は、『魔境伯』という侯爵家相当の爵位を下賜されたのですって。
わたくしは王女だから、伯爵家以上でないと降嫁できないの。
勇者様は、わたくしが降嫁できる爵位を賜ったのね。
「王女様がこんな田舎まで、よく来たね!」
勇者様の暮らす『はじまりの村』で、最初に話しかけてくれたのは、勇者様の孫だった。
勇者様には幼馴染だった奥様がいて、お子様もお孫様もいらしたの。
わたくし、本当に驚いたわ。
「ようこそ、俺のかわいいお嫁さん」
勇者様の孫のジャン様は、わたくしにやさしく笑いかけてくださった。
平民らしい茶色の髪と瞳の青年で、肌は少し日焼けしていたわ。
身体つきは騎士みたいで、背が高くて……。
わたくしには、王都で見たことのある貴族の令息や、騎士、兄たちよりも、ずっと素敵に見えた。
「えっ、あの、でも、わたくし……」
わたくしは勇者様とジャン様を見比べた。
「あら、嫌だ。王女様ったら、あたしの亭主と結婚する気かい? ダメダメ。いくら王女様でも、うちの人は渡さないよ」
勇者様の奥様は、わたくしを抱きしめて泣いた。
出迎えてくれた村の他の方々も、皆様が泣いてしまって……。
「王女様は俺が幸せにするって言っただろ!」
ジャン様が、泣いている皆様を叱っていた。
◇
わたくしは、これまであまり人と話をしたことがなかったの。
だから、当たり前のことが、いろいろわからなくて……。
「まずは友達になろう」
とジャン様に言われた時は、とても悲しくなってしまった。
「お友達、ですか……?」
わたくし……、ジャン様のお嫁さんにしていただけるのではなかったの……?
もしかして、わたくしがやっぱり気に入らなかったのかしら……?
ジャン様は、わたくしを素敵なお花畑に連れてきてくれた。
でも……。
綺麗なお花から、一瞬で色が消えたみたいに思えた。
「ああ、違う! 違う! そうじゃなくて……。そんな悲しい顔しないで」
ジャン様は慌てて否定してくださった。
「あっ、ごめんなさい」
わたくしは急いで頭を下げた。
わたくしって、いつも失敗ばかりなの……。
「平民は結婚する前に、まず友達になるんだよ。それから恋人になって、夫婦になるんだ」
「そうなのですか!?」
わたくしは驚いて顔を上げた。
辺境に来てからは、驚くことばかりだった。
「ローザ様は王女様だから……。命令の通りに結婚するのが当たり前なんだろうけど……」
「わたくし、みんな命令されて結婚するのだと思っていました」
王立学園にいた貴族の子弟も、王族たちも、みんな命令されて結婚していた。
平民は違うなんて、全然知らなかったわ。
友達になって、恋人になって。
それから……。
それから、夫婦になるのね。
わたくしはジャン様に気に入ってもらえて、夫婦になってもらえるかしら……?
「ジャン様、わたくし、お気に召すようがんばります」
どんな辛いことにも耐えて、笑っていたら……。
もしかしたら、ジャン様はこんなわたくしでも、結婚してもいいと思ってくださるかもしれないわ。
ジャン様は近くにあったオレンジ色の花を摘んで、わたくしの髪に飾ってくれた。
「もっと仲良くなったら結婚しよう」
なんて真剣な声で言いながら。
「ありがとうございます、ジャン様。わたくし、髪飾りなんて初めてです!」
わたくしはうれしくなって、急いで勇者様たちの家に戻ったの。
勇者様ご夫妻は、わたくしに自分のお部屋もくれたのよ。
わたくしは数少ない荷物から、お母様の形見の手鏡を出して、髪に飾られたお花を見た。
「かわいいわ!」
割れた鏡の中で、オレンジ色のお花だけが、とても鮮やかに見えた。
「その鏡はなんなの?」
ジャン様はわたくしの大事な鏡を見て、不愉快そうに顔をしかめられた。
「お姉様たちが落としたから、ちょっと割れているけれど……。でも、ちゃんとまだ映って……。お母様の形見で……。だから……」
わたくしは急いで鏡を抱きしめた。
相手がジャン様でも、これだけは渡せない……。
侍女たちは割れた鏡を見て、みんなでわたくしを取り囲み、「ローザ王女殿下、そんなカラクタは捨てましょうね」とクスクス笑ったわ。
誰にいくら笑われても、これだけは手放すなんてできない。
この国の民は、お母様とわたくしを嫌っているの。お母様が王妃殿下から国王陛下を寝とったと言って、お母様のお墓に石を投げる者が後をたたない。
それでも、わたくしはお母様が大好きで……。
「宝物なんだね……。ローザ様、出かけてくるから、しばらく待っていて」
ジャン様は、部屋を出ていってしまわれた。
わたくしを一人残して……。
わたくしは悲しい気持ちで、寝台の横でひざまずいた。
まだ今日の務めを果たしていなかったのよ。
この国の王族は、聖なる力を持っている。王族のみんなでお祈りをして、国を守る結界を維持しているの。
わたくしも王宮にいた頃から、日々のお祈りを欠かしたことはなかった。
胸の前で手を組み、目を閉じる。
わたくしはこの国の空を想像しながら、結界が国を守ることを願うの。
そうすると、わたくしの聖なる力が、結界へと抜けていくのよ。
わたくしはお祈りをすると、どっと疲れてしまう。
この国には、わたくしが守りたい相手なんて一人もいない。
――王族の務めだから祈るだけ。
ここは空が近いからか、それとも、長旅で疲れたからか……。
わたくしはひどく疲れて、床に座って寝台に寄りかかった。
◇
「ローザ様、ローザ様、大丈夫か?」
ジャン様の声が、ひどく近くで聞こえた。
わたくしが目を開けると、ジャン様が心配そうな顔をして、わたくしを見ていた。
「こんなところで、どうしたんだ? 寝台で休んだらいいだろ?」
「お祈りをしたら疲れて……。それで……。申し訳ありません」
わたくしは急いで謝った。
「ああ、王族の『聖なる祈り』か……」
「はい」
「じいさんが魔王を倒したけど、魔王の影響がなくなって魔物が消えるまで、まだ十年はかかるらしいからな……」
ジャン様は表情を曇らせた。
物語では、魔王を倒すとあっという間に魔物は消滅するのに……。
わたくしはまだ十年も、辛いお祈りをしないといけない……。
「ローザ様はもう王族ではないんじゃないの?」
「え……?」
そんなことって、あるのかしら?
「命令書には、『ローザ王女を勇者の妻とする』って書いてあったよ。勇者の妻というのは王族なの?」
「王族は……、王家の者で……。公爵家も王族だけれど……」
「じいさんは『魔境伯』で、俺は『魔境伯』の孫だよ」
「では、侯爵家相当ですし、勇者様の妻は……。王族ではないみたいですわ」
わたくしったら、本当にダメね。まだ王族のつもりでいたなんて……。
一日も早く皆様に馴染まないといけないのに、いつまでもお姫様気取り……。
わたくしは自分が恥ずかしくなって、うつむいた。
「元平民の『魔境伯』の孫は嫌?」
ジャン様に心配そうに問われて、わたくしは慌てて顔を上げた。
「いいえ! いいえ! わたくし、王族の方が嫌です!」
言ってから、わたくしは、はっとして口を押さえた。こんなことを言ったら、ジャン様にはしたない娘だと思われてしまうわ……。
ジャン様はやさしい目をして、わたくしを抱き寄せてくれた。
「友達も、恋人も、すっ飛ばして……。もう結婚しよう。王家がローザ様を返せって言ってくる前に」
「あの……、でも……、段階を踏まないで……、いいのですか……?」
平民は、相手を見極めてから結婚するのではなかったの……?
「俺に……、ローザ様を守らせてほしい」
「ですが……、わたくし、勇者様の妻にって……」
「だったら、俺をローザ様だけの勇者にして?」
ジャン様に耳元でささやかれて、わたくしはすごくドキドキした。
ジャン様が、わたくしだけの勇者様になってくれる……。
わたくしだけのジャン様……。
そんなことって、許されるのかしら……?
ジャン様はわたくしを支えて立たせてくれた。
「これは恋人からの贈り物だよ」
ジャン様は床に落ちていた革袋を拾って、中から手鏡を出した。
枠が木でできた素朴な手鏡は、いかにも平民が使う品という感じだった。
「ジャン様、ありがとうございます」
わたくしは渡された手鏡で、自分の顔を見た。すごく久しぶりに、自分の顔をちゃんと見た気がした。
ジャン様のくれたオレンジ色のお花は、わたくしの金髪にも、青い瞳にも、とてもよく似合っていた。
「他の髪飾りや、リボンもあるよ」
ジャン様は木のテーブルの上に、素朴で愛らしい髪飾りや、赤やピンクのリボンを並べてくれた。
「まあ! 素敵だわ!」
ガラスでできたお花の髪飾りも、青緑色の石のついた髪飾りも、細い革のリボンも、みんな、みんな、とってもかわいいわ!
王宮で見たことのある豪華な宝石の髪飾りや、絹のリボンなんかより、ずっとずっと素敵よ。
わたくしは髪飾りを髪に刺してみたり、リボンを髪に当ててみたりした。
「わたくしが、こんなにアクセサリーをもらえるなんて!」
うれしくて、うれしくて。
胸がいっぱいになった。
「似合うよ」
ジャン様は褒めてくれた。
「ありがとうございます! 本当にうれしいです!」
「うん、良かった」
ジャン様は、またわたくしを抱きしめてくれた。
「ジャン様……?」
「絶対、幸せにするから」
「まあ! わたくし、もう幸せですわ!」
これまで生きてきて、今が一番幸せなくらいよ。
わたくしはこんなに幸せなことがあるなんて、これまで考えたこともなかった。
◇
ジャン様と友達になって。
恋人になって贈り物をもらって……。
わたくしは十日後には、ジャン様のお嫁さんにしていただいた。
ジャン様の手作りの花冠をかぶり、素朴なハイウエストの白いウェディングドレスを着たの。
ジャン様は白いシャツと白いトラウザーズ姿で、わたくしとお揃いの花冠をかぶっていたわ。
結婚式は、お花畑で挙げたのよ。色とりどりの綺麗なお花に囲まれて、すごくロマンチックな式だった。
『はじまりの村』の方々が、みんなでわたくしたちをお祝いしてくれた。
ジャン様のご両親も、魔物の討伐から帰ってきて参加してくれたわ。
魔物の脅威は、やっぱりなかなかなくならないの……。
「ジャン様、わたくしなどで、本当にいいのですか……?」
結婚式に参加してくれた村の女の子たちは、みんな愛らしくて、明るくて……。ジャン様と同じ茶色の髪と瞳で……。陰気な王女のわたくしとは、なにもかもが違うように思えた。
「やっぱり、元平民なんて嫌……?」
ジャン様から、逆に訊き返されてしまった。
「そんなことありません……! そうではなくて……」
わたくしは村の女性のお仕事が、まだあまり上手にできないの。井戸から水を運ぶのも、桶が重くてたくさん休憩してしまうし……。
得意の刺繍をハンカチやコースターに入れたら、ジャン様は「これは隣町の雑貨屋で売れそうだよ」なんて言ってくれたけれど……。
村のみんなみたいには、なかなかお仕事ができなくて……。
「じいさんに縁談が来た時、みんなで相談して、俺が王女様を気に入るようなら、俺が娶るってことで話がついていたんだ」
「俺が……、気に入るようなら……?」
「いくら相手が王女様だって、嫌な奴なら娶りたくないだろ?」
「それは……、そうですわね……」
わたくしは納得してしまった。わたくしだって、『嫌な奴』になんて嫁ぎたくないわ。以前は、そんなこと考えたこともなかったけれど……。
「俺はローザ様のこと、好きになったよ」
ジャン様はわたくしの髪の毛を一束、するりと手に取り、毛先に口づけた。
わたくしは顔が真っ赤になるのを感じた。
ジャン様ったら、さらりとすごいことをなさるのよ。
わたくし……、わたくし……、毎日ドキドキしっぱなし。
「わたくしも……、わたくしもです。あっという間に、ジャン様を好きになってしまいました」
わたくしは小さな声で告白した。
「好き。大好き」
ジャン様も小声で返してくれた。
わたくしは、結婚式の最中に、幸せすぎて死んでしまうかと思った。
◇
わたくしはこうして、正式に王族ではなくなった。
元平民で『魔境伯』の孫、ジャン様の妻になったの。
……ああ、違うわね。『わたくしだけの勇者ジャン様』の妻よ。
もう王族ではないから、王族の務めであるお祈りもやめたわ。
そうしたら、身体がすごく楽で、毎日がもっと楽しくなった。
わたくしの刺繍は、町の雑貨屋さんで本当に売れたの。
素朴な綿のハンカチに、素朴な綿の刺繍糸で、王宮刺繍を入れたのが珍しかったみたい。
遠くの町から買い付けに来る人までいたのよ。
それで、わたくしも、職人ギルドに所属させてもらえることになったの。
わたくしの刺繍はこの地方の名産品として登録してもらえて、正式に刺繍職人として後進の指導もすることになったのよ。
わたくしは自分でテーブルクロスなどの大物にも刺繍しつつ、村の女性たちに少しずつ王宮刺繍を教えていた。
村の女性たちも、この地方の刺繍をわたくしに教えてくれる。
わたくしたちは、みんなでいろいろ考えて、王宮刺繍と地方刺繍を組み合わせた、新しい図案を考えたりしているの。
「すっかり『職業婦人』だね」
なんて、ジャン様は苦笑していたわ。
「ええ、これでも職人ギルドの『刺繍マスター』の称号持ちですわ。敬っていただきたいですわね」
わたくしはジャン様に冗談で返せるようになったのよ。
「そんなローザも愛してるよ」
ジャン様は刺繍をしていると、背中から抱きしめてくれるの。
「もうっ、危ないですわ」
わたくしはジャン様に注意もできるのよ。ジャン様に怪我なんてさせたくないもの。
「ローザの針くらい避けるよ。勇者だからね」
ジャン様も無事に冒険者ギルドで『勇者』の称号を得てくださった。
この国の勇者様は、これで三人になったの。
ジャン様のおじいさま。
勇者様の娘であるジャン様のお母様。
そして、勇者様の孫のジャン様よ。
◇
わたくしが幸せに暮らしている間に、この国の空はどんどん変色していった。
元は薄い水色だったのに、だんだん緑がかってきて……。
今ではピンクと紫の混じったような濃い色になってしまったの。
「不穏な色をしている」
とジャン様のおじいさまが、空を見上げて言っていた。
そんなある日、王宮の馬車が、わたくしと勇者様を迎えに来たの。わたくしより三五歳も年上の勇者様を……。
わたくしたちは、国王陛下に結婚のご挨拶をしないといけないのですって……。
『王命に逆らって行かない』なんていう選択肢は、わたくしたちには考えられなかった。
「俺がローザと一緒に行くよ。ローザの夫は俺だからね」
ジャン様は、わたくしや、心配する村のみんなの前で宣言した。
王宮の使者たちは、困惑してジャン様を見ていたわ。
「あのう……、勇者様なのですか……?」
「もちろんだ」
ジャン様が冒険者ギルドの『勇者』の認定証を見せると、使者たちは顔を見合わせていた。納得できなかったのでしょうね。
わたくしは、そんな使者たちがおかしくて少し笑ってしまった。
「ローザのお父上にご挨拶かあ……。ちょっと緊張するな」
なんて、ジャン様はつぶやいていた。
わたくしのお父様……。式典の時に遠くから見たことのある方だわ。
わたくしと『三五歳も年上の勇者様』との縁談がまとまった時にも、お話をすることのなかった方……。
わたくしは王宮にいた頃、少しだけ『お父様』からのお祝いの言葉を期待した。
けれど……。
『お父様』は使用人を通してですら、なんのお言葉もくださらなかった。
それなのに、今頃になって挨拶に来いだなんて……。
「ジャン様、大丈夫でしょうか……」
誰が見たって、ジャン様はわたくしより二歳か三歳くらいしか年上に見えない。
いくらジャン様が『勇者』の認定証をお持ちでも、王命で指名された『勇者』はジャン様のおじいさま……。
「安心して。俺は『ローザだけの勇者』だよ」
ジャン様は自信たっぷりでほほ笑んでくださった。
でも……。
わたくしは安心なんてできなかった。
◇
わたくしとジャン様は、王宮に到着すると、休憩する時間も与えられることなく、謁見の間に連れて行かれた。
「ローザ、よくぞ戻った」
国王陛下は、わたくしに声をかけてくださった。
わたくしとジャン様は国王陛下の前でひざまずき、次の言葉を待った。
「ローザがいなくなってから、結界が脆くなってしまったが、どういうことだろうか?」
国王陛下は声に怒りをにじませた。
「わたくしには、わかりません」
王族の皆様が、みんなでお祈りを捧げて結界を支えているはずよ。それが脆くなったからって、わたくしにわかるわけがないわ……。
「生まれながらの怠け者が、お祈りをサボっているのでしょう」
王妃殿下も、ひどく怒っているようだった。
わたくしには、二人がわたくしに対して怒っているようだということがわかった。
「わたくしは勇者様の妻になりました。もう王族ではありません」
わたくしは、はっきりした声で言い返した。王宮で暮らしていた頃には、絶対にできなかったことよ。
だけど、今は、わたくしには勇者ジャン様がいる。
村で待っていてくれる人々がいる。
『刺繍マスター』の称号だってあるわ。
――王宮にいた頃のわたくしは、もういない。
理不尽なことを言われても黙って従っていた、不幸な王女様はもういないの。
「そういうことか……。では、勇者には魔王討伐の褒美として、公爵位を下賜するとしよう」
国王陛下が宣言し、従者に合図を送った。
従者は、すぐに王命の書かれた羊皮紙を持って、わたくしたちの前にやって来た。
ジャン様は恭しく羊皮紙を受け取ると、その場で破り捨てられた。
わたくしはジャン様の予想外の行動に、声を出すこともできなかった。
「ふざけるな」
ジャン様は国王陛下の許しも得ずに、ゆらりと立ち上がった。
わたくしもジャン様に腕を引かれて、静かに立ち上がる。
「お祝いの言葉の一つもなく、我が妻を罵り、働かせようとする。それがこの国の王族なのですね」
ジャン様は国王陛下と王妃殿下を見比べた。
「元平民風情が、不敬である!」
王太子であるお兄様が、王妃殿下の横で怒鳴った。
「ねえ、ローザの夫は、三五歳も年上の勇者のはずでしょう? 勇者はどこにいるの? その素敵な男性は誰?」
お姉様の一人が、ジャン様を上から下までじっとりと見ていた。
「俺は勇者なので若く見えるでしょうが、我が妻、ローザ王女殿下より三五歳も年上です」
ジャン様はわたくしの肩を抱き、ものすごく堂々と嘘をつかれた。
さすがに無理があるのではないかしら……。
国王陛下たちは、ジャン様のおじいさまに会ったことがあるのよ。
その場にいる皆様が、困惑して顔を見合わせていた。
「そんなわけがあるか! 嘘をつくな!」
お兄様の一人が、わたくしたちを指さした。
「おや? 嘘をついてはいけないのですか?」
ジャン様は皆様を馬鹿にするように、小首を傾げられた。
「当然でしょう! そんなことも知らないのか!」
王妃殿下が甲高い声でおっしゃった。
「『ローザの母親が国王陛下を寝取った』という嘘を広めた人々が、俺の嘘を責めるのですか?」
ジャン様は皆様を見まわした。
わたくしは驚いて、ジャン様の横顔を見上げた。
「王家には、王家の威信というものがある! 元平民風情にはわからぬことだ!」
国王陛下が玉座から立ち、唾を飛ばして言い返した。
「そんな元平民風情でしたら、公爵位にはふさわしくないですね。もう用もないみたいなんで、俺たちは帰ります」
ジャン様はわたくしの肩を抱いたまま、皆様に背を向けた。
「話は終わっておらぬ! ローザには王家の者として、務めを果たしてもらわねばならぬのだ!」
国王陛下が背後で怒鳴った。
ジャン様は足を止めて、わたくしと共に再び皆様に向き直った。
「それが、魔王を討伐してきた勇者に対する態度なのか?」
ジャン様はわたくしから少し離れると、足を軽く開いて、妙にしっかりと立った。
そして、左手を腰に当て、右手は顔の横へ。右手はなぜか、丸い物でもつかんでいるような、おかしな開き具合よ。
「ちょっと、あなた、なにをしようというの!?」
お姉様の一人が、怯えたように叫ぶ。
「若返ったおかげで、俺には今、力がみなぎっている」
ジャン様は重々しく言い放った。
わたくしは吹き出しそうになるのを必死にこらえた。ジャン様って、本当に愉快な方なの。
「なん……だと……? なにをするつもりだ……」
国王陛下までジャン様の奇妙なポーズに怯えているわ。
「その目で見て、思い知らされたい、という意味か?」
ジャン様はニヤリと笑った。ジャン様が面白すぎる。
「ヒッ」
という悲鳴は、誰が上げたのかしら……?
護衛騎士たちは、剣の柄に手をかけていた。
「騎士どもなど、魔王に比べたら雑魚もいいところだな」
ジャン様は、護衛騎士たちに見下した視線を送る。
護衛騎士たちは、蒼白な顔で柄から手を放した。
魔王と比べられてしまったら、ほとんどの人は弱いわよね。
「さようなら、皆様。勇者様の妻は、『はじまりの村』に帰らせていただきますね。お祈りはご自分たちで、毎日しっかりなさってください」
わたくしは皆様に淑女の礼をした。
「クソッ、あの苦しい祈りを毎日毎日しろというのか!」
という王族あるまじき、下品な罵り声が聞こえた。
この声は、王太子殿下ね。
「さあ、帰ろう。我が妻よ」
ジャン様は奇妙なポーズをやめて、わたくしの腰を抱いた。
「はい、勇者様」
わたくしはジャン様に笑いかけた。
ジャン様も笑い返してくれる。
わたくしたちが王宮を出ると、ジャン様のご両親が迎えに来てくれていた。
ジャン様のご両親は、村の墓守の方と一緒に王都まで来てくれたの。
村の墓守の方は、わたくしのお母様のお墓を、辺境に移してくださるのよ。
「王家の連中ときたら、相当な馬鹿だったよ」
ジャン様はご両親に向かって、口の悪さ全開で王宮での出来事をご説明された。
わたくしも、ジャン様のご両親も、ジャン様の面白おかしいお話を聞かせてもらいながら、楽しく辺境に帰ったのだった。
◇
わたくしたちが辺境に戻ってからも、空はどんどん暗い色になっていったわ。
民たちは、『魔王が討伐されてから、王族たちが祈りを怠っている』と騒ぎ出した。
ついには王都で暴動が起き、王族たちは捕らえられた。
王族たちは地位を剥奪されて、新たにできた『神殿』という施設で、監視付きで祈りを捧げていくらしいわ。
王族の側仕えの者たちの多くも、様々な罪を犯していたらしく、刑罰に処せられていた。
その過程で、わたくしのお母様の名誉が回復された。お母様と同じめにあった侍女が、勇気を出して国王陛下を告発してくださったのよ。
真実を知った民たちは、お母様のお墓の跡地に、毎日お花を供えてくれているらしいわ。
わたくしたちの暮らす国は、名前が変わった。
共和国という民が主体の国になったのよ。
それからしばらくして、空の色は元に戻ったわ。
だけど、わたくしの暮らしは、王都でなにがあっても変わらなかった。
辺境の民にとっては、王族も、国の名前も、関係ないの。
「ローザのお母上」
ジャン様が、わたくしのお母様のお墓に呼びかける。
お母様のお墓は、『はじまりの村』を見下ろす丘の上にあった。
わたくしはジャン様と寄り添って、お母様のお墓の前に立っていた。
「娘さんも、お孫さんも、俺がしっかり守っていきます」
ジャン様はお母様と約束してくれてから、そっとわたくしのお腹をなでた。
わたくしのお腹には、赤ちゃんがいるの。
わたくしたちの暮らしが、さらに幸せなものに変わるのは、半年以上も先のお話――。




