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三五歳も年上の勇者様に嫁がされた王女ですが、勇者様の孫に溺愛されて幸せです

作者: 赤林檎
掲載日:2026/03/31

 わたくしは、王命により勇者様に嫁ぐことになった。

 三五歳も年上の勇者様。


 勇者様はとても長い年月をかけて旅をして、魔王を討伐した立派なお方。

 わたくしは、そんな勇者様へのご褒美の一つだった。

 勇者様がわたくしを妻に迎えることにより、王家と勇者様は末永く良好な関係を築けるのですって。


 腹違いの姉や妹たちは、わたくしに「勇者と結婚できるなんて、うらやましいわ」と言った。

 クスクス、クスクス、笑いながら。


 侍女たちも同じよ。

「ローザ王女殿下、うらやましいですわ」

 とクスクス、クスクス笑ったの。


 わたくしの心を底冷えさせる、嫌なクスクス笑い……。


 わたくしのお母様は、王妃殿下の侍女だったの。酔った国王陛下が王妃殿下とお母様を間違えたせいで、わたくしが生まれたのよ。

 お母様はわたくしが幼い頃に亡くなって、それから長いこと、わたくしは一人ぼっちだった。


 だから……。


 たとえ三五歳も年上のお方でも、旦那様ができることが嬉しかった。


 ◇


 わたくしは真っ白な婚礼馬車に乗り、勇者様の暮らす辺境に行った。


 勇者様は、『魔境伯』という侯爵家相当の爵位を下賜されたのですって。

 わたくしは王女だから、伯爵家以上でないと降嫁できないの。

 勇者様は、わたくしが降嫁できる爵位を賜ったのね。


「王女様がこんな田舎まで、よく来たね!」

 勇者様の暮らす『はじまりの村』で、最初に話しかけてくれたのは、勇者様の孫だった。

 勇者様には幼馴染だった奥様がいて、お子様もお孫様もいらしたの。

 わたくし、本当に驚いたわ。


「ようこそ、俺のかわいいお嫁さん」

 勇者様の孫のジャン様は、わたくしにやさしく笑いかけてくださった。

 平民らしい茶色の髪と瞳の青年で、肌は少し日焼けしていたわ。

 身体つきは騎士みたいで、背が高くて……。

 わたくしには、王都で見たことのある貴族の令息や、騎士、兄たちよりも、ずっと素敵に見えた。


「えっ、あの、でも、わたくし……」

 わたくしは勇者様とジャン様を見比べた。


「あら、嫌だ。王女様ったら、あたしの亭主と結婚する気かい? ダメダメ。いくら王女様でも、うちの人は渡さないよ」

 勇者様の奥様は、わたくしを抱きしめて泣いた。


 出迎えてくれた村の他の方々も、皆様が泣いてしまって……。


「王女様は俺が幸せにするって言っただろ!」

 ジャン様が、泣いている皆様を叱っていた。


 ◇


 わたくしは、これまであまり人と話をしたことがなかったの。

 だから、当たり前のことが、いろいろわからなくて……。


「まずは友達になろう」

 とジャン様に言われた時は、とても悲しくなってしまった。


「お友達、ですか……?」

 わたくし……、ジャン様のお嫁さんにしていただけるのではなかったの……?

 もしかして、わたくしがやっぱり気に入らなかったのかしら……?


 ジャン様は、わたくしを素敵なお花畑に連れてきてくれた。

 でも……。

 綺麗なお花から、一瞬で色が消えたみたいに思えた。


「ああ、違う! 違う! そうじゃなくて……。そんな悲しい顔しないで」

 ジャン様は慌てて否定してくださった。


「あっ、ごめんなさい」

 わたくしは急いで頭を下げた。

 わたくしって、いつも失敗ばかりなの……。


「平民は結婚する前に、まず友達になるんだよ。それから恋人になって、夫婦になるんだ」

「そうなのですか!?」

 わたくしは驚いて顔を上げた。

 辺境に来てからは、驚くことばかりだった。


「ローザ様は王女様だから……。命令の通りに結婚するのが当たり前なんだろうけど……」

「わたくし、みんな命令されて結婚するのだと思っていました」


 王立学園にいた貴族の子弟も、王族たちも、みんな命令されて結婚していた。

 平民は違うなんて、全然知らなかったわ。


 友達になって、恋人になって。

 それから……。

 それから、夫婦になるのね。


 わたくしはジャン様に気に入ってもらえて、夫婦になってもらえるかしら……?


「ジャン様、わたくし、お気に召すようがんばります」

 どんな辛いことにも耐えて、笑っていたら……。

 もしかしたら、ジャン様はこんなわたくしでも、結婚してもいいと思ってくださるかもしれないわ。


 ジャン様は近くにあったオレンジ色の花を摘んで、わたくしの髪に飾ってくれた。

「もっと仲良くなったら結婚しよう」

 なんて真剣な声で言いながら。


「ありがとうございます、ジャン様。わたくし、髪飾りなんて初めてです!」

 わたくしはうれしくなって、急いで勇者様たちの家に戻ったの。

 勇者様ご夫妻は、わたくしに自分のお部屋もくれたのよ。


 わたくしは数少ない荷物から、お母様の形見の手鏡を出して、髪に飾られたお花を見た。


「かわいいわ!」

 割れた鏡の中で、オレンジ色のお花だけが、とても鮮やかに見えた。


「その鏡はなんなの?」

 ジャン様はわたくしの大事な鏡を見て、不愉快そうに顔をしかめられた。


「お姉様たちが落としたから、ちょっと割れているけれど……。でも、ちゃんとまだ映って……。お母様の形見で……。だから……」

 わたくしは急いで鏡を抱きしめた。

 相手がジャン様でも、これだけは渡せない……。


 侍女たちは割れた鏡を見て、みんなでわたくしを取り囲み、「ローザ王女殿下、そんなカラクタは捨てましょうね」とクスクス笑ったわ。


 誰にいくら笑われても、これだけは手放すなんてできない。


 この国の民は、お母様とわたくしを嫌っているの。お母様が王妃殿下から国王陛下を寝とったと言って、お母様のお墓に石を投げる者が後をたたない。


 それでも、わたくしはお母様が大好きで……。


「宝物なんだね……。ローザ様、出かけてくるから、しばらく待っていて」

 ジャン様は、部屋を出ていってしまわれた。

 わたくしを一人残して……。


 わたくしは悲しい気持ちで、寝台の横でひざまずいた。

 まだ今日の務めを果たしていなかったのよ。


 この国の王族は、聖なる力を持っている。王族のみんなでお祈りをして、国を守る結界を維持しているの。

 わたくしも王宮にいた頃から、日々のお祈りを欠かしたことはなかった。


 胸の前で手を組み、目を閉じる。

 わたくしはこの国の空を想像しながら、結界が国を守ることを願うの。

 そうすると、わたくしの聖なる力が、結界へと抜けていくのよ。


 わたくしはお祈りをすると、どっと疲れてしまう。

 この国には、わたくしが守りたい相手なんて一人もいない。


 ――王族の務めだから祈るだけ。


 ここは空が近いからか、それとも、長旅で疲れたからか……。

 わたくしはひどく疲れて、床に座って寝台に寄りかかった。


 ◇


「ローザ様、ローザ様、大丈夫か?」

 ジャン様の声が、ひどく近くで聞こえた。

 わたくしが目を開けると、ジャン様が心配そうな顔をして、わたくしを見ていた。


「こんなところで、どうしたんだ? 寝台で休んだらいいだろ?」

「お祈りをしたら疲れて……。それで……。申し訳ありません」

 わたくしは急いで謝った。


「ああ、王族の『聖なる祈り』か……」

「はい」


「じいさんが魔王を倒したけど、魔王の影響がなくなって魔物が消えるまで、まだ十年はかかるらしいからな……」

 ジャン様は表情を曇らせた。

 物語では、魔王を倒すとあっという間に魔物は消滅するのに……。

 わたくしはまだ十年も、辛いお祈りをしないといけない……。


「ローザ様はもう王族ではないんじゃないの?」

「え……?」

 そんなことって、あるのかしら?


「命令書には、『ローザ王女を勇者の妻とする』って書いてあったよ。勇者の妻というのは王族なの?」

「王族は……、王家の者で……。公爵家も王族だけれど……」

「じいさんは『魔境伯』で、俺は『魔境伯』の孫だよ」

「では、侯爵家相当ですし、勇者様の妻は……。王族ではないみたいですわ」


 わたくしったら、本当にダメね。まだ王族のつもりでいたなんて……。

 一日も早く皆様に馴染まないといけないのに、いつまでもお姫様気取り……。

 わたくしは自分が恥ずかしくなって、うつむいた。


「元平民の『魔境伯』の孫は嫌?」

 ジャン様に心配そうに問われて、わたくしは慌てて顔を上げた。


「いいえ! いいえ! わたくし、王族の方が嫌です!」

 言ってから、わたくしは、はっとして口を押さえた。こんなことを言ったら、ジャン様にはしたない娘だと思われてしまうわ……。

 ジャン様はやさしい目をして、わたくしを抱き寄せてくれた。


「友達も、恋人も、すっ飛ばして……。もう結婚しよう。王家がローザ様を返せって言ってくる前に」

「あの……、でも……、段階を踏まないで……、いいのですか……?」

 平民は、相手を見極めてから結婚するのではなかったの……?


「俺に……、ローザ様を守らせてほしい」

「ですが……、わたくし、勇者様の妻にって……」

「だったら、俺をローザ様だけの勇者にして?」

 ジャン様に耳元でささやかれて、わたくしはすごくドキドキした。


 ジャン様が、わたくしだけの勇者様になってくれる……。

 わたくしだけのジャン様……。

 そんなことって、許されるのかしら……?


 ジャン様はわたくしを支えて立たせてくれた。

「これは恋人からの贈り物だよ」

 ジャン様は床に落ちていた革袋を拾って、中から手鏡を出した。

 枠が木でできた素朴な手鏡は、いかにも平民が使う品という感じだった。


「ジャン様、ありがとうございます」

 わたくしは渡された手鏡で、自分の顔を見た。すごく久しぶりに、自分の顔をちゃんと見た気がした。

 ジャン様のくれたオレンジ色のお花は、わたくしの金髪にも、青い瞳にも、とてもよく似合っていた。


「他の髪飾りや、リボンもあるよ」

 ジャン様は木のテーブルの上に、素朴で愛らしい髪飾りや、赤やピンクのリボンを並べてくれた。


「まあ! 素敵だわ!」

 ガラスでできたお花の髪飾りも、青緑色の石のついた髪飾りも、細い革のリボンも、みんな、みんな、とってもかわいいわ!

 王宮で見たことのある豪華な宝石の髪飾りや、絹のリボンなんかより、ずっとずっと素敵よ。

 わたくしは髪飾りを髪に刺してみたり、リボンを髪に当ててみたりした。


「わたくしが、こんなにアクセサリーをもらえるなんて!」

 うれしくて、うれしくて。

 胸がいっぱいになった。


「似合うよ」

 ジャン様は褒めてくれた。


「ありがとうございます! 本当にうれしいです!」

「うん、良かった」

 ジャン様は、またわたくしを抱きしめてくれた。


「ジャン様……?」

「絶対、幸せにするから」

「まあ! わたくし、もう幸せですわ!」

 これまで生きてきて、今が一番幸せなくらいよ。

 わたくしはこんなに幸せなことがあるなんて、これまで考えたこともなかった。


 ◇


 ジャン様と友達になって。

 恋人になって贈り物をもらって……。

 わたくしは十日後には、ジャン様のお嫁さんにしていただいた。

 ジャン様の手作りの花冠をかぶり、素朴なハイウエストの白いウェディングドレスを着たの。

 ジャン様は白いシャツと白いトラウザーズ姿で、わたくしとお揃いの花冠をかぶっていたわ。


 結婚式は、お花畑で挙げたのよ。色とりどりの綺麗なお花に囲まれて、すごくロマンチックな式だった。

『はじまりの村』の方々が、みんなでわたくしたちをお祝いしてくれた。


 ジャン様のご両親も、魔物の討伐から帰ってきて参加してくれたわ。

 魔物の脅威は、やっぱりなかなかなくならないの……。


「ジャン様、わたくしなどで、本当にいいのですか……?」

 結婚式に参加してくれた村の女の子たちは、みんな愛らしくて、明るくて……。ジャン様と同じ茶色の髪と瞳で……。陰気な王女のわたくしとは、なにもかもが違うように思えた。


「やっぱり、元平民なんて嫌……?」

 ジャン様から、逆に訊き返されてしまった。


「そんなことありません……! そうではなくて……」

 わたくしは村の女性のお仕事が、まだあまり上手にできないの。井戸から水を運ぶのも、桶が重くてたくさん休憩してしまうし……。


 得意の刺繍をハンカチやコースターに入れたら、ジャン様は「これは隣町の雑貨屋で売れそうだよ」なんて言ってくれたけれど……。


 村のみんなみたいには、なかなかお仕事ができなくて……。


「じいさんに縁談が来た時、みんなで相談して、俺が王女様を気に入るようなら、俺が娶るってことで話がついていたんだ」

「俺が……、気に入るようなら……?」

「いくら相手が王女様だって、嫌な奴なら娶りたくないだろ?」

「それは……、そうですわね……」

 わたくしは納得してしまった。わたくしだって、『嫌な奴』になんて嫁ぎたくないわ。以前は、そんなこと考えたこともなかったけれど……。


「俺はローザ様のこと、好きになったよ」

 ジャン様はわたくしの髪の毛を一束、するりと手に取り、毛先に口づけた。

 わたくしは顔が真っ赤になるのを感じた。

 ジャン様ったら、さらりとすごいことをなさるのよ。

 わたくし……、わたくし……、毎日ドキドキしっぱなし。


「わたくしも……、わたくしもです。あっという間に、ジャン様を好きになってしまいました」

 わたくしは小さな声で告白した。


「好き。大好き」

 ジャン様も小声で返してくれた。

 わたくしは、結婚式の最中に、幸せすぎて死んでしまうかと思った。


 ◇


 わたくしはこうして、正式に王族ではなくなった。

 元平民で『魔境伯』の孫、ジャン様の妻になったの。

 ……ああ、違うわね。『わたくしだけの勇者ジャン様』の妻よ。


 もう王族ではないから、王族の務めであるお祈りもやめたわ。

 そうしたら、身体がすごく楽で、毎日がもっと楽しくなった。


 わたくしの刺繍は、町の雑貨屋さんで本当に売れたの。

 素朴な綿のハンカチに、素朴な綿の刺繍糸で、王宮刺繍を入れたのが珍しかったみたい。

 遠くの町から買い付けに来る人までいたのよ。


 それで、わたくしも、職人ギルドに所属させてもらえることになったの。


 わたくしの刺繍はこの地方の名産品として登録してもらえて、正式に刺繍職人として後進の指導もすることになったのよ。

 わたくしは自分でテーブルクロスなどの大物にも刺繍しつつ、村の女性たちに少しずつ王宮刺繍を教えていた。

 村の女性たちも、この地方の刺繍をわたくしに教えてくれる。


 わたくしたちは、みんなでいろいろ考えて、王宮刺繍と地方刺繍を組み合わせた、新しい図案を考えたりしているの。


「すっかり『職業婦人』だね」

 なんて、ジャン様は苦笑していたわ。


「ええ、これでも職人ギルドの『刺繍マスター』の称号持ちですわ。敬っていただきたいですわね」

 わたくしはジャン様に冗談で返せるようになったのよ。


「そんなローザも愛してるよ」

 ジャン様は刺繍をしていると、背中から抱きしめてくれるの。


「もうっ、危ないですわ」

 わたくしはジャン様に注意もできるのよ。ジャン様に怪我なんてさせたくないもの。


「ローザの針くらい避けるよ。勇者だからね」

 ジャン様も無事に冒険者ギルドで『勇者』の称号を得てくださった。


 この国の勇者様は、これで三人になったの。

 ジャン様のおじいさま。

 勇者様の娘であるジャン様のお母様。

 そして、勇者様の孫のジャン様よ。


 ◇


 わたくしが幸せに暮らしている間に、この国の空はどんどん変色していった。

 元は薄い水色だったのに、だんだん緑がかってきて……。

 今ではピンクと紫の混じったような濃い色になってしまったの。


「不穏な色をしている」

 とジャン様のおじいさまが、空を見上げて言っていた。


 そんなある日、王宮の馬車が、わたくしと勇者様を迎えに来たの。わたくしより三五歳も年上の勇者様を……。

 わたくしたちは、国王陛下に結婚のご挨拶をしないといけないのですって……。

『王命に逆らって行かない』なんていう選択肢は、わたくしたちには考えられなかった。


「俺がローザと一緒に行くよ。ローザの夫は俺だからね」

 ジャン様は、わたくしや、心配する村のみんなの前で宣言した。

 王宮の使者たちは、困惑してジャン様を見ていたわ。


「あのう……、勇者様なのですか……?」

「もちろんだ」

 ジャン様が冒険者ギルドの『勇者』の認定証を見せると、使者たちは顔を見合わせていた。納得できなかったのでしょうね。

 わたくしは、そんな使者たちがおかしくて少し笑ってしまった。


「ローザのお父上にご挨拶かあ……。ちょっと緊張するな」

 なんて、ジャン様はつぶやいていた。


 わたくしのお父様……。式典の時に遠くから見たことのある方だわ。

 わたくしと『三五歳も年上の勇者様』との縁談がまとまった時にも、お話をすることのなかった方……。


 わたくしは王宮にいた頃、少しだけ『お父様』からのお祝いの言葉を期待した。

 けれど……。

『お父様』は使用人を通してですら、なんのお言葉もくださらなかった。


 それなのに、今頃になって挨拶に来いだなんて……。


「ジャン様、大丈夫でしょうか……」

 誰が見たって、ジャン様はわたくしより二歳か三歳くらいしか年上に見えない。

 いくらジャン様が『勇者』の認定証をお持ちでも、王命で指名された『勇者』はジャン様のおじいさま……。


「安心して。俺は『ローザだけの勇者』だよ」

 ジャン様は自信たっぷりでほほ笑んでくださった。

 でも……。

 わたくしは安心なんてできなかった。


 ◇


 わたくしとジャン様は、王宮に到着すると、休憩する時間も与えられることなく、謁見の間に連れて行かれた。


「ローザ、よくぞ戻った」

 国王陛下は、わたくしに声をかけてくださった。

 わたくしとジャン様は国王陛下の前でひざまずき、次の言葉を待った。


「ローザがいなくなってから、結界が脆くなってしまったが、どういうことだろうか?」

 国王陛下は声に怒りをにじませた。


「わたくしには、わかりません」

 王族の皆様が、みんなでお祈りを捧げて結界を支えているはずよ。それが脆くなったからって、わたくしにわかるわけがないわ……。


「生まれながらの怠け者が、お祈りをサボっているのでしょう」

 王妃殿下も、ひどく怒っているようだった。

 わたくしには、二人がわたくしに対して怒っているようだということがわかった。


「わたくしは勇者様の妻になりました。もう王族ではありません」

 わたくしは、はっきりした声で言い返した。王宮で暮らしていた頃には、絶対にできなかったことよ。

 だけど、今は、わたくしには勇者ジャン様がいる。

 村で待っていてくれる人々がいる。

『刺繍マスター』の称号だってあるわ。


 ――王宮にいた頃のわたくしは、もういない。


 理不尽なことを言われても黙って従っていた、不幸な王女様はもういないの。


「そういうことか……。では、勇者には魔王討伐の褒美として、公爵位を下賜するとしよう」

 国王陛下が宣言し、従者に合図を送った。


 従者は、すぐに王命の書かれた羊皮紙を持って、わたくしたちの前にやって来た。

 ジャン様は恭しく羊皮紙を受け取ると、その場で破り捨てられた。

 わたくしはジャン様の予想外の行動に、声を出すこともできなかった。


「ふざけるな」

 ジャン様は国王陛下の許しも得ずに、ゆらりと立ち上がった。

 わたくしもジャン様に腕を引かれて、静かに立ち上がる。


「お祝いの言葉の一つもなく、我が妻を罵り、働かせようとする。それがこの国の王族なのですね」

 ジャン様は国王陛下と王妃殿下を見比べた。


「元平民風情が、不敬である!」

 王太子であるお兄様が、王妃殿下の横で怒鳴った。


「ねえ、ローザの夫は、三五歳も年上の勇者のはずでしょう? 勇者はどこにいるの? その素敵な男性は誰?」

 お姉様の一人が、ジャン様を上から下までじっとりと見ていた。


「俺は勇者なので若く見えるでしょうが、我が妻、ローザ王女殿下より三五歳も年上です」

 ジャン様はわたくしの肩を抱き、ものすごく堂々と嘘をつかれた。

 さすがに無理があるのではないかしら……。

 国王陛下たちは、ジャン様のおじいさまに会ったことがあるのよ。

 その場にいる皆様が、困惑して顔を見合わせていた。


「そんなわけがあるか! 嘘をつくな!」

 お兄様の一人が、わたくしたちを指さした。


「おや? 嘘をついてはいけないのですか?」

 ジャン様は皆様を馬鹿にするように、小首を傾げられた。


「当然でしょう! そんなことも知らないのか!」

 王妃殿下が甲高い声でおっしゃった。


「『ローザの母親が国王陛下を寝取った』という嘘を広めた人々が、俺の嘘を責めるのですか?」

 ジャン様は皆様を見まわした。

 わたくしは驚いて、ジャン様の横顔を見上げた。


「王家には、王家の威信というものがある! 元平民風情にはわからぬことだ!」

 国王陛下が玉座から立ち、唾を飛ばして言い返した。


「そんな元平民風情でしたら、公爵位にはふさわしくないですね。もう用もないみたいなんで、俺たちは帰ります」

 ジャン様はわたくしの肩を抱いたまま、皆様に背を向けた。


「話は終わっておらぬ! ローザには王家の者として、務めを果たしてもらわねばならぬのだ!」

 国王陛下が背後で怒鳴った。

 ジャン様は足を止めて、わたくしと共に再び皆様に向き直った。


「それが、魔王を討伐してきた勇者に対する態度なのか?」

 ジャン様はわたくしから少し離れると、足を軽く開いて、妙にしっかりと立った。

 そして、左手を腰に当て、右手は顔の横へ。右手はなぜか、丸い物でもつかんでいるような、おかしな開き具合よ。


「ちょっと、あなた、なにをしようというの!?」

 お姉様の一人が、怯えたように叫ぶ。


「若返ったおかげで、俺には今、力がみなぎっている」

 ジャン様は重々しく言い放った。

 わたくしは吹き出しそうになるのを必死にこらえた。ジャン様って、本当に愉快な方なの。


「なん……だと……? なにをするつもりだ……」

 国王陛下までジャン様の奇妙なポーズに怯えているわ。


「その目で見て、思い知らされたい、という意味か?」

 ジャン様はニヤリと笑った。ジャン様が面白すぎる。


「ヒッ」

 という悲鳴は、誰が上げたのかしら……?


 護衛騎士たちは、剣の柄に手をかけていた。

「騎士どもなど、魔王に比べたら雑魚もいいところだな」

 ジャン様は、護衛騎士たちに見下した視線を送る。

 護衛騎士たちは、蒼白な顔で柄から手を放した。

 魔王と比べられてしまったら、ほとんどの人は弱いわよね。


「さようなら、皆様。勇者様の妻は、『はじまりの村』に帰らせていただきますね。お祈りはご自分たちで、毎日しっかりなさってください」

 わたくしは皆様に淑女の礼をした。


「クソッ、あの苦しい祈りを毎日毎日しろというのか!」

 という王族あるまじき、下品な罵り声が聞こえた。

 この声は、王太子殿下ね。


「さあ、帰ろう。我が妻よ」

 ジャン様は奇妙なポーズをやめて、わたくしの腰を抱いた。


「はい、勇者様」

 わたくしはジャン様に笑いかけた。

 ジャン様も笑い返してくれる。


 わたくしたちが王宮を出ると、ジャン様のご両親が迎えに来てくれていた。

 ジャン様のご両親は、村の墓守の方と一緒に王都まで来てくれたの。

 村の墓守の方は、わたくしのお母様のお墓を、辺境に移してくださるのよ。


「王家の連中ときたら、相当な馬鹿だったよ」

 ジャン様はご両親に向かって、口の悪さ全開で王宮での出来事をご説明された。

 わたくしも、ジャン様のご両親も、ジャン様の面白おかしいお話を聞かせてもらいながら、楽しく辺境に帰ったのだった。


 ◇


 わたくしたちが辺境に戻ってからも、空はどんどん暗い色になっていったわ。


 民たちは、『魔王が討伐されてから、王族たちが祈りを怠っている』と騒ぎ出した。

 ついには王都で暴動が起き、王族たちは捕らえられた。

 王族たちは地位を剥奪されて、新たにできた『神殿』という施設で、監視付きで祈りを捧げていくらしいわ。

 王族の側仕えの者たちの多くも、様々な罪を犯していたらしく、刑罰に処せられていた。


 その過程で、わたくしのお母様の名誉が回復された。お母様と同じめにあった侍女が、勇気を出して国王陛下を告発してくださったのよ。


 真実を知った民たちは、お母様のお墓の跡地に、毎日お花を供えてくれているらしいわ。


 わたくしたちの暮らす国は、名前が変わった。

 共和国という民が主体の国になったのよ。

 それからしばらくして、空の色は元に戻ったわ。


 だけど、わたくしの暮らしは、王都でなにがあっても変わらなかった。

 辺境の民にとっては、王族も、国の名前も、関係ないの。


「ローザのお母上」

 ジャン様が、わたくしのお母様のお墓に呼びかける。

 お母様のお墓は、『はじまりの村』を見下ろす丘の上にあった。

 わたくしはジャン様と寄り添って、お母様のお墓の前に立っていた。


「娘さんも、お孫さんも、俺がしっかり守っていきます」

 ジャン様はお母様と約束してくれてから、そっとわたくしのお腹をなでた。


 わたくしのお腹には、赤ちゃんがいるの。


 わたくしたちの暮らしが、さらに幸せなものに変わるのは、半年以上も先のお話――。

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― 新着の感想 ―
とても良かったです。 「はじまりの村」(笑)いいですね。 >「わたくしたちの暮らしが、さらに幸せなものに変わるのは、半年以上も先のお話――。」 この言い回し好きです。素敵です。
王族仕事しろ。
はじまりの村の名前に「ようこそ。ここは✕✕の村だよ」というNPCの台詞がちらついてしまってww 王宮の人が性格悪すぎ。王達は最低限の義務すら人に押し付け様とするし、ローザ無し祈りが足りないなら嫁にい…
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