夕暮れ時に口笛を吹き鳴らしてはいけない理科室
挿絵の画像を作成する際には、「Ainova AI」を使用させて頂きました。
何処の学校にも「学校の怪談」や「学校の七不思議」みたいな怖い話は付き物だし、中でも人体模型や動物標本といった薄気味悪い代物が沢山ある理科室は定番の怪談スポットだ。
僕達の通う堺市立土居川小学校にも例外ではなく、理科室に奇妙な怪談が伝わっている。
だけど人体模型が喋るとか人体骨格が動くといった定番の怪談ではなく、「夕暮れ時に口笛を吹き鳴らしてはいけない」という漠然とした内容だったんだ。
「どうして吹き鳴らしたらいけないのか、今日の放課後に試してみようじゃないか。樋谷、お前も来るだろ?」
こんな具合に思い立って有志を募ったのは、僕と同じ班の永山君だった。
班長を務めている永山君は、こんなプライベートでもリーダーシップを発揮するんだよね。
「オカルト女、お前もこういうの好きだろ?良かったら行かないか?」
そうして永山君が次に誘ったのは、「神智学」とかいう難しい本を広げていた女子生徒だった。
長い黒髪をポニーテールに結った鳳飛鳥さんは、黙っていたら端正な美人に見える。
だけど男子のほぼ全員から敬遠されていて、女子達の多くからも変わり者とみなされているんだよ。
それというのも、怪談やら妖怪やらの奇妙な知識に異常に詳しくて何処となく不気味な妖気を漂わせているからなんだ。
「いいや、私は遠慮しておくよ。それに君達も止めた方が良いと思うよ、そんな中途半端な気持ちで行くのは。言っておくけど私は忠告しといたからね。」
チラリと一瞥するとまた本の活字に視線を落とし、そのまま本を抱えて立ち去ってしまった。
あの鳳飛鳥というクラスメイトは、何を考えているのか全く分からなくて薄気味が悪いんだよな。
「何だよ人付き合いの悪い、せっかく誘ってやったのに…二度と誘わないぞ、あんな奴。」
コケにされたと思ったのか、永山君も不満タラタラだ。
だけど今考えると、鳳さんの忠告は正しかったんだ。
まさかあんな事になるなんて、あの時は夢にも思ってなかったよ。
理科室の掃除当番をしている隣のクラスの子に頼んで施錠を外して貰い、僕と永山君は難なく放課後に忍び込む事が出来た。
「せーので行くぞ、樋谷。」
「分かったよ、永山君。」
タイミングを合わせた二人分の口笛が、無人の理科室に木霊する。
その次の瞬間だった。
「わっ、何だこれは!?」
いきなり理科室の扉や窓が音を立てて閉まり、背もたれの無い椅子がガタガタと揺れたのは。
「出られないよ、永山君!」
「どうして鍵が開かないんだ、さっきまで普通だったのに…」
幾ら力を加えても、窓やドアの鍵はびくともしない。
まるで溶接されているみたいだ。
「おい!何だよ、これは!?」
「えっ、水道が勝手に!」
永山君に言われて教室内へ視線を向けると、そこでは凄い事が起きていたんだ。
実験用作業机の水道が破裂したかのように一斉に噴き出し、その水が重力を無視して空中に浮かび上がったんだ。
細長い形をした半固形の水が、グニャグニャと形を変えながら空中を漂っている。
それはあたかも、水で出来た蛇のようだったんだ。
脱出不可能な密室と化した理科室で、人知を超えた怪現象が起きている。
僕と永山君はパニック寸前だったんだ。
そして必死でドアを開けようとした僕は、更なる恐怖に襲われてしまったんだよ。
「うわあっ!ガラス窓に御札が!?」
いきなり現れた白い手が、外側からガラス窓に御札を張り付けている。
あまりの事に、僕も永山君も腰を抜かしてしまったんだ。
そして次の瞬間、さっきまでびくともしなかったドアがガラッと引かれ、意外な人物が現れたんだ。
「お、鳳さん!?」
「忠告はした筈だよ、止めた方が良いと。ここは私が何とかするから動かないで。」
まあ「動くな」と言われても、僕も永山君も腰が抜けて動けないんだけどね。
そんな情けない僕達を尻目に、鳳さんは理科準備室へ一直線に突っ込んでいった。
そして裂帛の気合で、こう叫んだんだ。
「臨兵闘者、皆陣烈在前!荒魂鎮魂、急急如律令!」
次の瞬間、半透明の水蛇が一斉に弾けて消滅した。
ガタガタと揺れていた椅子も、生命力を失ったかのようにその場で静止する。
こうして理科室は元の静寂を取り戻したんだ。
ビショビショに濡れた床と僕達二人を除いたらの話だけど。
放心状態だった僕達が動けるようになったのは、理科準備室に突入した鳳さんが再び戻ってきた時の事だったんだ。
「君達は聞いた事がないかな、『暗くなってから口笛を吹くと蛇が出る』って。古来より口笛は神仏や精霊を呼び寄せる神聖な儀式だけど、夕暮れ時のような陰の気が強まる時間帯に吹くと邪な霊的存在まで呼んでしまうの。この『邪』と発音を同じくする『蛇』と混同されて、『暗くなってから口笛を吹くと蛇が出る』と言われるようになったんだよ。」
すっかり度肝を抜かれた僕達とは対照的に、鳳さんは得意そうだった。
民俗学的な知識を解説する語り口は、まるで学校の先生みたいな理路整然としていたんだ。
とても僕達と同学年とは思えないよ。
「つまり君達は、口笛で蛇の動物霊を呼んでしまったの。その媒体となったのが、この標本だよ。」
「うっ?!」
「あっ!」
僕達二人は思わず声を上げてしまった。
何しろ鳳さんが実験用作業机の上へ静かに置いたのは、アルビノと思われる白い水蛇がホルマリン漬けにされたガラス製の標本瓶なのだから。
「陰陽道式に御札を貼って呪文で鎮めたから、もう安心して。だけど君達も御詫びの気持ちを込めながら拝んだ方が良いよ。それに白蛇は縁起が良いから、誠意を持って拝めば何か御利益があるかもね。」
そうして僕達二人は鳳さんに言われるがまま、膝をついて白蛇に合掌したんだ。
あれから数週間が経つけど、僕達二人は何事もなく元気に過ごしている。
御利益かは分からないけど、僕は漫画雑誌の懸賞で欲しかったゲームソフトを当て、永山君は球技大会で大活躍が出来たんだ。
この世には不思議な事があり、中途半端な気持ちで近づくと大変な事になる。
鳳さんに釘を差された事が、今となってはよく分かるんだ。