外側の話
言葉に出されていることと、思ってる感情って必ずしも一致することってないですよね。
その中の私の外の世界の話。
「片づけなさい」が決まり文句な家族。
部屋はいつも散らかっていて「私が汚したわけじゃないのに。」と思う。
でも気がついたら足いの踏み場もないほどに汚れてしまている。
誰が原因?物が多すぎ?
私は兄弟と過ごしていて汚すのは兄弟。私はいつも物が多ければ多いほど部屋でも家でも邪魔者扱いされるから、最低限の服や物を買って生活をしている。
それすらも許されず、出てくる言葉は「汚い」。
一体私のどこが汚いのだろうか。
疑問に思いつつも私のものでもないゴミを捨て、兄弟と共に過ごす部屋を無心で片付ける。
どこから片付けたらいいか分からなくなってしまい、片づけた先はいつも分からなくなってしまう。なぜなら私はADHDだから。
物にお家を作ることで片付ける場所と認識し、「お家に帰らせてあげる」ことできまった場所に置かないと、「物」が迷子になってしまう。
散らかった部屋の場所が「物」のお家ではない。
自分の考えて、設置したお家に決まって帰れるなら一番良い方法なのにいつも家族が邪魔をしてくる。
「いらないなら捨てろ」「邪魔だからどけ」「ゴミ屋敷みたいだ」
まるで私が言われているようだった。
私はいらない存在なのだろうか。家族にとって私は邪魔なのだろうか。大きな粗大ゴミにでもなった気分だった。
毎日毎日父親のため息に緊張感を持ち、大嫌いな兄の文句を聞き入れ、親戚の説教を魔に受けて
一体私という存在はどこにあるのだろう。
自我というが、今の私に自我はあるのだろうか。
いっそ命まで片付けて仕舞えば誰も何も言わなくなるのだろうか。
そう考えながら今日も断捨離をして身の回りの整理をしながら死ぬ準備を着々と進めていくのである。
あぁ、汚い、汚い。
部屋はいくら綺麗にしても埃ひとつ落ちてるだけでも貶されてしまうのだから完璧な片付けをしないといけない。
それが私が今できる最大限の家事なのかもしれまいなぁ。
私の心は綺麗になりますか?
いつもいつも家族から「いらない存在」と思っている私にもいつか認めてくれる誰かがいると思って今日のアウトプットとさせていただきました