第17話
それからしばらく魔王と神父の戦いは続いた。否、この二人にとってこれは戦いではなく、ただのお遊びに過ぎない。
もしこの二人が本気で戦っていたなら、余波だけで異能都市の何割かは機能停止に陥っている。
さすがに神父もそこまでの被害を出すのはまずいと判断したのだろう。周囲に被害の出ない範囲でしか戦えずにいる。もっともそれはミラも同様だ。
面倒になって相手が諦めるのなら良し、相手が本気になったらなったらで都市に被害を出した責任は相手に押し付ければいい。神父からすれば他所の都市がいくら壊れようと構わないということだろう。なにせここには彼の守るべき信徒はいないのだから。
本当の意味で相手が火蓋を切るまでほどほどに戦う。一歩間違えればチキンレースな戦いだが、神父の取った戦法は適切であった。
持久戦――それも我慢強さ《精神力》を競うような戦いで魔王がいつまでも耐えられるはずがない。
「のう、もう諦めて帰ったらどうじゃ」
実際、ミラは神父の嫌がらせのような戦い方に飽きが見えていた。
もし聖女という彼女好みな年上のお姉さん(前世を含めるとミラのほうが圧倒的に上であるが)が居なければとっくの昔に戦いを止めてこの場を去っていたに違いない。
「飽きたのであればそちらのお嬢さんを連れて立ち去ってはどうでしょう」
「気に入らんな――ッ」
それに神父の余裕は日本の統括理事には話が通してあるから、と考えていい。つまり時間は神父の味方であるということだ。
あと一手、攻撃を躊躇わせる材料が欲しいな。
「ミラが相手なら諦めて一度引くと思ったが、思いのほか拘る。何か理由がある?」
「…………」
私の独り言のような問い掛けに聖女は何も答えない。
いくら欧州教会にとって聖女が天使を宿す重要人物と言っても、今の彼女の強さは高く見積もってもAランク。それに天使の力がいつ暴走するかもわからないという欠点を抱えて、だ。
これがSランクになる素質まで見込まれているならわかるが、現時点ではそのような兆しは見えない。一線級の人材であることには違いないが、世界統括機構内で奪い合う程ではない。
故に神父個人にそこまで執着する理由はないと思うのだが……。
「これはどういった状況なのでしょうか?」
「フレイ? なんでここに……あと誘拐は犯罪」
そこには意識のない金髪ロリを背負った勇者が居た。
こいつとうとうやりやがった。「いつかやると思ってました」と本気で言う日が来るなんて……ごめん、実は思ってた。
「ち、違います! 迷子の保護をしただけです」
ええー? ほんとにござるかぁ?
と、念を送りながら疑いの目を向けるとフレイはさっと視線を逸らした。ほらやっぱり! 虎視眈々と機会を窺ってたんだろっ。
「それでその子は誰?」
「そちらの方の関係者だと思うのですが……」
フレイはミラに送ったメッセージの画像を見て、聖女と金髪ロリが似ていることに気づいたらしい。
言われてみれば確かに年の離れた姉妹のようにも見える。フレイの場合は聖女をロリ化したらそっくり、とか言い出しそうだが。
「その子は私と同じ人物の遺伝子情報で造られたクローンです」
聖女は複雑な表情で自分と同じクローンを見つめる。
極秘の研究だった欧州の堕天計画を日本に居る私が具体的に知っている、というのもおかしな話だ。ボロがでないよう注意しなくては。
「昔はよくあったって言う人造異能者の研究ね」
「残念ながら、それが許されていた時代よりもっと後――最近の出来事です」
ダンジョン黎明期に人類救済という大義名分の下、多くの非人道的実験が行われた。
そうして一度下がった倫理観というハードルは戦況が落ち着いたからと言って、そう簡単には戻らない。
他企業が今も裏で非人道的な研究を続けているのではないか、という疑心暗鬼。狂気に染まったことでブレーキの壊れた科学者。理由を挙げるなら枚挙に暇がない。
「まさか《《また》》彼女のクローンを見ることになるとは……」
さっきまでミラと戦っていたマクシムス神父も戦いを止めて、フレイとその背中に居る金髪ロリを見ていた。
「人工的にSランクに匹敵する異能者を造りだす。そんなお題目で馬鹿な研究者がとある異能者のクローンを量産、その多くがモンスター化するという馬鹿げた事件がありましてね。その後始末を――モンスター化したクローンの駆除に駆り出されたのが私だったもので、よく覚えています」
「だからあなたとはこの子を会わせたくなかった」
「酷い物言いです。私が理由もなく幼子を手に掛けると思っているのですか」
「逆に言えば理由さえあれば容赦なく手に掛ける、そういうことでしょう?」
「なるほど、つまり私にそうさせる理由があると……あの時の研究がまだ続いていた?」
神父に捕まりたくなかったのは金髪ロリが処分される可能性があったから、かな。
人類救済のためなら手段を選ばないのがこの神父の在り方なのだろう。まあ子供だろうとモンスター化する可能性がある人間を放置するわけにはいかない、というのは正論ではあるんだけど。
「いいえ、あの事件が原因で天使に関する研究は完全に凍結、唯一の生存者である私は要観察対象ではありますが、正規のシーカーとして欧州教会にスカウトされたのはご存知のはず」
「ではその娘は……」
「この子は欧州教会が新たに造った人造使徒ではありません。三合会の星月公司が所有する研究施設で造られたのを私が保護しました」
「最初からそれが目的で攫われましたか」
あっさり攫われたのも、逃げ出せたのも事前に計画していたからなわけだ。大陸にこの子がいるとわかったのは天使に教えられたかららしい。
「持ち出した資料によると四年前、東アジアの統括企業【三合会】の構成組織“星月公司”が日本でSランク異能者、通称【正体不明】と遭遇、交戦したようです。その際、高次元エネルギーを扱うのも確認したようですね。よほどの下手を打たない限り、まず【正体不明】の管轄は日本の統括機構となるでしょう。旧政府の中華思想が色濃く残す大陸の星月公司にとってそれは容認しがたい事態」
四年前? あれぇ、なーんか身に覚えが……って、私じゃん!?
シオンを助けたときに黒鵜恭司を追い払ったけど、それが巡り巡っておかしなことになってるー!
勇者の光魔法を見せただけでここまで変化があるとは……これが、バタフライエフェクトって奴なのか。
「そこで彼らはSランクに対抗する力として同様の高次元エネルギー――天使の力に目を付けた」
Sランクは他のシーカーとは根本的に魔力の質が異なる。
ある種の“壁越え”とでも言えば良いか。Sランクは自身の魔力の本質を捉えることで、一段階上の存在へと位階を上げた存在と言える。それこそ石炭や石油から核エネルギーに変わるレベルの進化だ。だからこそ天使や勇者の光魔法一つとっても、物理的に干渉するといった本来光の性質としてはあり得ない現象すら引き起こすこともできる。
星月公司はこのSランクがSランク足る所以の力を手に入れようと“天使”を狙った。
「金銭目的か、研究目的か。そしてどこまで上の人間が関わっているかもわかりませんが、欧州教会を裏切った何者かによって研究成果は三合会に渡り、あちらで研究の続きが行われているとみて良いでしょう」
「今になってなぜその話を」
事情を話しても神父が問答無用で処分を選ぶ可能性はあったとはいえ、もっと早く話すタイミングはあったはず。
少なくとも最初に魔王が来た時に話していれば、その後の戦いも必要なかったかもしれないというのにだ。
「マクシムス神父――あなたが信頼できるか私には分かりません。いっそのこと三合会の仮想敵である日本統括機構のSランクシーカーのほうがまだ信用できます」
今の欧州教会はまさに獅子身中の虫、過去の一件もあってSランクシーカーすら信用して良いのかわからない。
おそらく三合会の非合法研究とそれを主導している星月公司を潰すことが目的の聖女としては、外部に協力者が欲しいと考えたに違いない。
そもそも欧州教会だけではS級企業を構成する根幹企業のひとつを潰す大義名分としては弱い。最低でも複数のS級企業から賛同を得る必要があった。
だからフレイが来るまで話さなかった。日本を巻き込むつもりなら気分屋で正義感も倫理観もユルユルな魔王より人格者と思われる勇者(猫を被ってるだけ)のほうが交渉は容易い、と少し調べればすぐわかる情報だ。
まあ、それが全部ってわけじゃなさそうだけど。
彼女は『定められた終わり』を変えられる人――主人公を探している、とも言った。
世界崩壊エンドを阻止するのも目的と捉えても良いだろう。むしろそちらが本来の目的かもしれない。
なので彼女には是非ともこのままこちらで主人公探しを続けてもらいたい。そのためにも欧州へ帰ってもらっては困る。
「共同戦線というのはどう?」
私は神父にそう提案した。




