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一話 落ちこぼれ弓師、異世界へ


「……」


 しん、と静まり返った弓道場。


 木材で作られた場所は温もりを感じさせながらも、ピカピカに磨き上げられた床、無駄な物のない場所というのはどこか張り詰めた空気を纏う。


 精神統一。


 呼吸を整え、視線、丹田(たんでん)、重心、所作。

 あらゆるものに神経を行き渡らせ、一射集中の儀を()り行う。


 目標は左方に見える白黒の的。

 28m先に盛られた土──(あづち)(しつら)えられた的は、何ものにも傷つけられていない、張り替えられたばかりのものだ。


 射法八節にならい弓を引き、発射のタイミングが熟すのを待つ『(かい)』の状態に入った。



 一、



 二、



 三、



 四、



 ……。




「────…………はぁ」


 と、矢を放つ『離れ』の動作に入る前に引いた弓を戻した。

 矢をつがえずに素引きしていたのだ。


「まだ無理……か」


 俺は弓師だ。

 アーチェリーなどで使う洋弓よりも長い和弓を作っている。

 とりわけ今では作り手も少なくなった、竹弓だ。


 弓師の祖父と父の影響もあり、中学高校と弓道部に所属した。

 しかし、高校の頃に両親が交通事故で他界。

 祖父母に育てられ、自然と俺も弓師に興味を持ち高校卒業と同時に祖父に師事した。

 弓を引くことも好きだったが、道具にも興味があったのだ。


 そうして祖父に教わりながら弓師として経験を積んだものの。

 弓師の独り立ち、つまり一人前の弓師になるには約十年はかかると言われている。


 俺にとってその十年はとうに過ぎた。

 祖父も、先日祖母の後を追うように空へ旅立った。


 だが俺は……。

 (よわい)四十にもなってなお、矢をつがえて弓を引くのが……怖い。


「情けねぇなぁ」


 理由は弓道においてスポーツ心理学のイップス、あれに近いものだと言われている『早気(はやけ)』だ。

 その中でも特に的中型と呼ばれているタイプで、簡単に言うと『的に矢が(あた)るのが楽しくて、気付いたら会の状態を保てない』タイプだ。


 中学の頃はいい成績を残せた。

 県大会で優勝もできて、全国大会にも出られた。


 だが……高校生にもなると、本来五秒ほど保つのが望ましい会が、ゼロ秒になった。

 矢をホールドする地点に到達した途端、瞬時に放つようになったのだ。

 本当にいつの間にか、だ。


 見た目にも美しくない。

 精神的に見ても集中力の欠如とみなされる。

 『離れ』と同時に鳴る弦音(つるおと)も、散々な音色だ。


 的に狙いを定めるどころか、段級審査での所作としてもあり得ない。


 正直言って、これを直すのは至難の業。

 原因は精神的なものだからだ。


 『会』を保つ。

 つまり、弓を引いた後に姿勢を保つのが辛くてすぐ離す……と思われがちだが、どれだけ軽い弓を引いてもそうなる。筋力不足ではない。


 俺は本来学校弓道のようなスポーツ競技から、精神の修養を兼ねる精神修行としての弓道。

 歳を重ねるごとに自然と移り行くはずのその移行に、失敗したのだ。


 ()()であるのに、だ。


「──精がでますね、真中(まなか)くん」

「! あ……、郡司(ぐんじ)先生」


 射場から出てふう、と一息ついていると祖父より少し若い郡司先生が立っていた。


 先生はこの地域での段級審査などでよくお目に掛かる範士(はんし)……弓道において与えられる称号の中で最後に授与される称号で、競技としての弓道はもちろん、精神修行としての弓道をも修めたと認められた人だ。


 とにかくすごい人。

 祖父とも話が合い、よく弓道の未来について語り合っているのを目にしたことがある。


「……」

「……あ」


 先生の目線は遠くの的を見たあと、ゆっくりと戻って俺の右手を見た。

 的の周りには矢が刺さっている様子はない。

 ならばと俺の右手を見れば、そこにあるはずの矢束(やたば)もない。


 弓道は弓を引く以外にも、一連の動作の流れや所作にも審査の眼が光る。

 端的に言えば、俺は略式の状態で射場に入っていたのだ。


「まだ、弓を引けないようですね」

「え、えぇ……」


 ここで言う『弓を引く』は、文字通りに弓を引くことではなく、射法八節にならって心と体、そして弓。三位一体となって引くことを指す。

 矢をつがえずに素引きすることを指すわけではもちろんない。


「……(なげ)かわしいことだ。彼の技術が今代で失われるとは」

「っ」


 先生は厳しい眼でそれだけ言うと去っていった。


 『彼』とは祖父のこと。

 そして先生は俺のことを、「弓の引けぬ者の作った弓具など、引くにあたわず」と断じられて、自身の門下生には俺に弓製作を依頼しないよう働きかけていた。


 先生は何も間違ったことは言っていない。

 そのとおりだ。

 悔しい気持ちはもちろんあるが、しかし事実だ。


 祖父の作った弓を愛してくれた先生は、その技術が失われつつあることを嘆いているだけだ。

 俺だってこのままではいけないと思い、どうにかしたくてあがいている。

 でも、治らないんだ。


「……じいさん」


 祖父であり養父、そして師でもある彼には、実に多くのことを教わった。

 特に弓師として彼の話を聞くことが好きだった。

 彼は魂を込めて弓を打っていた。

 そんな姿を見る度に、俺は自分のことが情けなくなっていた。

 楽しいけど苦しい、そんな感じだ。


 でも、師は諦めず俺に弓師としていろいろと教え続けてくれた。

 全てを言葉にして教わったわけではない。

 体で覚えることの方が多かった。

 作業中に一言も交わさない時もあった。

 それはきっと、師が俺ならできると信じてくれたからだろう。


 万全の状態で彼の技術を体で覚え、彼の技術を継ぎ……そして独立を果たして継承した技術を守りつつも自分なりの弓を作る。


 それが俺の夢だった。


 でも……、叶いそうにない。


 生活だってそうだ。

 祖父亡き今、弓師としての収入というのもほとんど無い。


 彼の遺した数々の素晴らしい弓の材料は、俺以外の弓師に使ってもらった方が絶対に良い。

 祖父は恐らくそれを望んでいないとは思うが……。

 俺の頭の中には、『廃業』の二文字が浮かんでいた。




 ◇◆◇




「はぁ」


 一夜明け、頭の中をぐるぐるとしている考えもまとまらない内に山へ来た。

 今年はまだ一度も来れていなかった、弓の材料となる竹の切り出しだ。


 毎年この時期は師と山に来ていずれ使うための材料を確保する。

 残暑は厳しいが、しかし涼しさも感じるこの季節。

 長袖長ズボンで虫や怪我に備え、諸々道具もカバンに詰めた。


 竹でいえばいつ切るかが重要で、竹が水を吸い上げるのを止めるのを待ったり、虫がきていないか等で一年の内切れる期間というのは限られる。


 その上一緒に使う(はぜ)の木ともなれば、十年以上寝かせて使うことも。


 弓は材料でそのほとんどが決まる、というのが祖父の考えだった。

 材料にはとてもこだわっていた。

 弓に限らず職人とはそういうものだと思う。


 昨日、郡司先生からの言葉で弓師としての終わりを予感したというのに、朝目が覚めるや否や身体が先に動いた。おかしな話だ。


 当然気は乗らない。

 しかし、人間やる気よりも習慣化されたことの方が体を呼び起こすのだなと妙な感覚を得た。

 一々こんなことを考えるのだから、俺はきっと弓を引けないんだろう。

 後のことは後で考えるとして、ひとまず山へ来たからには竹を見る他ない。


「入山させていただきます」


 山の入り口には、この山に棲まうとされる神へ捧げる小さな(ほこら)がある。

 そこに清酒を供え、恵みを分けてもらうための挨拶をする。

 これも祖父から教わったことだ。


 この山は元々山主の娘であった祖母のもので、今は俺の名義となっている。

 他人の所有する山へ入るには許可が必要なので、それだけでも弓師の材料集めは大変だ。

 竹の生える山を所有していた祖母に感謝しなければ。


 何度も通ったことがあるとはいえ、自然を(あなど)ってはいけない。

 特に今は一人で来た。

 本来山師の知り合いを頼るつもりであったが、どうも体調が優れないようだった。


 仕方なく、今日は明るいうちに山の浅いところで竹の様子を見るだけにしようと思い入山した。

 一人で臨む山道というものは、こんなにも広かったかとどこか寂しく思った。




 ──このまま、どこか遠くへ行けたらな




 一瞬、心の奥底にあった寂しさに触れ、俺の頭には変な考えがよぎった。

 大自然を前にすると、普段は思わないようなことがふと浮かび上がる。


 このまま竹を切り出しても、自分は使えない。

 帰っても、もう家族は誰もいない。

 恋人のような存在もいない。

 自分の子供という大切な存在ができた友人たちとは、もう長いこと連絡をとっていない。


 自分は今、なぜここにいるんだろう?


「っ、いかんいかん」


 次々と心に浮かび上がるのは、集中できていない証拠だと自分に言い聞かせ歩を進めた。









「……あれ? こんなに大きい木……あったか?」


 竹にも種類がある。

 そして竹が生える環境でも性質は変わる。

 ヒノキに囲まれて育ったのか、松や杉なんかに囲まれて育ったのか。

 いろいろだ。


 ここは杉とヒノキが両方生える環境だった。

 まっすぐ伸びた周りの木に負けないよう、まっすぐ伸びようとする竹林のあるところ。


 ……のはずなのだが、目の前にはよく分からない木。


 見覚えのないそれはすでに成長していて、例えるなら満開の花を咲かせる桜の木ほどの高さ。

 今まで気づかなかったのがおかしい。

 俺は見上げた先の枝葉をじっくり見ようと側に近寄り、触れた。


「なんの木だ? ……桜じゃないし──って、うわっ!?」


 その瞬間、俺は目も開けてられないほどの光に包まれた。


「はっ!? な、なんだぁ!?」


 直後に襲う浮遊感。


「おおおっ、落ちてるううううううぅ────っ!!??」


 もう、訳の分からない状況に当然死を覚悟した。











「────うわっ!?」

「…………」


 ドスッ、と(にぶ)い音。


 自分の身体が何かとぶつかった音だ。

 背中と膝裏が若干痛いものの、怪我というには軽い痛み。



 ……ん?


 背中と膝裏…………?



 状況を確認しようと恐る恐る瞼を開ける。


 そして、後悔した。



「……貴様、何者だ」



 まさかこの年にもなって……。


 ものすんごく不機嫌そうな金髪ポニテの謎のイケメンに────お姫様抱っこされる日がこようとは。



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