2章 アリンガム孤児院事件
2章 アリンガム孤児院事件
『レスター・オールストン、ハリウッド女優と熱愛!?』
『レスター・オールストン、某セレブ女性と一晩』
『レスター・オールストン、本日の宿泊先は?』
ブレントの双子の弟、財閥を築いた片割れ。
レスター・オールストンとは要するにそういう人物である。
●
急いで自室に戻り外の様子を窺う。
どうやら三人はこちらの動きに気付かなかったらしい。
急に連れ込まれたにも拘わらずレスターはどこ吹く風だ。
三つ揃えのスーツだと言うのにパーティー会場の様な遊びの雰囲気がある。
「またブレントが頑固な事でも言ったのか」
「そういう訳では」
ないけれど、と続けようとして言い淀んだ。
実質、言っている様なものである。
孤児院の頃の話をブレントは嫌っている。
特にサイラスがこの家に来る切欠になった事件に関しては取り付く島もない。
「あの教会?」
「……」
ポケットをまさぐる。
当然手紙は無い。
レスターが手紙を不思議そうに見る。
「随分甘ったるい匂いがする。これは何処の鍵だ?」
「レスター」
返して、と言うとあっさりと返された。
そして嘆かわしいと言わんばかりに溜息を吐かれる。
「何処の淑女と遊んだのかと思えば……」
「ミスター・レスター」
「まぁ待て。私とて今の状況で兄貴と顔を合わせたくはない」
どんな小言が降って来るか判らん、と言いながらレスターが顎に手を当てる。
そして何かを思いついたように指を立てた。
「そうだな、こういうのはどうだ」
「?」
●
美の幼体事件は依然解決の目を見ず、5人目の犠牲者が出た。
サイラスは今日から二週間の有休に入る。
ブレントはコーヒーカップ片手に新聞を読む。
「……」
美の幼体。
それはサイラスが居た孤児院で生まれた言葉だ。
アリンガム孤児院事件。
孤児院内で発生した児童売買、児童買春事件である。
孤児院内にある教会のヴァージンロードを歩かせ、客が品定めをする。
客は気に入った見た目の子供を買い、そして気に入らなくなったら返品する。
問題はそれが発覚した経緯だ。
普段通りのショーを行っていた所に何かがあったらしい。
客達が発狂し、一斉に出入り口に向かって走り出した。
パニック状態の客達は互いに踏みつけ合い、重傷。
救急車や警察が来て発覚したのである。
客達がうわ言の様に呟いていたのがそれだ。
「……もっと休ませてもいいのかもしれんな」
本人は気にしていないのかもしれない。
だが過去の暗部が無遠慮に踊る状況に心穏やかではいられまい。
サイラスが屋敷に来てからは孤児院の頃の話を禁じた。
特にショーの話は。
忌々しい過去だ、捨ててしまえ。
「それがよろしいかと」
ブレントの独り言をセバスチャンが拾う。
そうか、と頷きコーヒーカップを置いた。
「気晴らしに何処かに連れて行くのもいいな。起きてきたら話してみるか」
「サイラス様は日の出の頃にレスター様とお出かけになられました」
「は?」
出かける事自体は問題無い。
問題はその相手だ。
レスター、よりによってあの女癖の最悪な男。
何を覚えさせられるか知れたものではない。
「私は何も聞いてない」
「御内密にと命じられたもので」
誰にだ、と聞くまでも無い。
このやり口はどう見ても双子の片割れのそれだ。
いやそれ以前に有休自体が計画の一部だ。
そうまでしてサイラスが行きたい場所など限られている。
「セバスチャン、車を出せ。追いかける。ジェフ! 出かけるぞ!」
「承知しました」
「待って待って」
歩を進めようとするブレントをチェスターが止める。
苛立ちを隠さずブレントはチェスターと向き合う。
手には紙束を持っていた。
「これ、レスターから」
「? 何を……」
渡された紙束を見てブレントの動きが止まる。
チェスターが手渡したのはアリンガム孤児院事件の資料だ。
丁寧に今回の事件と関係ありそうな部分に注釈が付いている。
警察手帳をチラつかせながらチェスターがこちらを見ている。
「詳しい話をお聞きしたいのですが? ミスター・ブレント?」
「レスターぁ……!」
ブレントは目の前のチェスターに歯嚙みしながら対応するしか無くなった。
●
『って訳だから暫くブレントは来れねぇよ』
「何て事してんの?」
『そりゃレスターに任せたらそうなるだろうよ』
「何て事してんの!?」
レスターが運転する車に乗せられ、サイラスは孤児院に向かっている。
ジェフから現在の状況を聞かされ、とんでもない状況に頭を抱える。
有休を取るだけでいいと聞かされていたのに蓋を開けたらこの有様である。
『ま、そういう事だから』
「うん……うん、ありがとう」
『いいって、じゃあな』
そう言って通話を切る。
少し恨みがましい目でレスターを見るとふっと笑われた。
「確実だろう? 兄貴にあの手紙を見せたら燃やされていたぞ?」
「それはそう……うん、切り替えよう」
「そうだな、切り替えは大事だ。それとサイラス後ろの席にな」
しれっと言いながらレスターが話を進める。
何の事かと後部座席を見ると紙袋が一つあった。
「休日だろう。それ仕事用のスーツじゃないか」
「?」
開けてみろ、という事だろう。
中を見ると休日用のカジュアルな服があった。
どんな気持ちで居ればいいか判らないなりに礼を言う。
「……ありがとう」
「着替えないのか」
「後ろで着替えるから何処か止めてくれる!?」
流石に助手席で着替えるのは厳しいものがある。
はは、と笑いながらレスターがハンドルを切った。
●
休憩に入ったカフェの外でレスターは電話を取る。
先程からしつこくかけてきている相手が誰なのかなど確認するまでも無かった。
『私だ』
「こっちも私だよ」
電話の向こうで双子の片割れが歯噛みする音がした。
『今すぐ戻れ』
「戻らない、その様子だとサイラスは君に手紙を見せなかったな」
『手紙?』
サイラスが受け取った手紙の事を説明する。
暫くの沈黙。
『……何故』
「遠慮したんだろう。あの孤児院の話になると君はどうにも」
『……』
自覚があるのかブレントが押し黙る。
ざぁ、と風が吹いた。
『今はまだ……まだ無理だろう。普通の学校を見ても倒れるんだぞ』
「そうか」
『福祉事業にも関わらせていない。知ってるだろ』
「勿論。だがなブレント、サイラスが行きたいって言ったんだ」
電話の向こうで息を呑む音がした。
「せめて選択くらいさせてやれ」
『……』
通話は無言で切れた。
●
アリンガム孤児院の周りは畑しかない。
周りに建物は無く、ぽつんとそれはあった。
建物は残っていた。
表面を蔦が覆い、雑草も生え放題だ。
平屋の何の変哲もない孤児院。
ドアや窓には板が打ち付けてあり、入れない様になっている。
「こんなに小さかったのか」
「……大丈夫か?」
「大丈夫」
小さい頃は大きく見えていたものだが、と少しふらつく足で奥に進む。
教会は別の建物だ。
「このローレンスが美の幼体なのか?」
「ここの事件で言うならそう。今回の事件は、判らない」
「……」
「ってもあの時も何が起きたのか全然判ってなくて」
「そうか」
あの時のローレンスはとても綺麗だった。
道を歩いたら大人達が急におかしくなった。
その程度の記憶しかサイラスにはない。
雑草を踏み分けながら進むと蔦の上から鎖が巻かれている建物が見えた。
鎖を纏めた南京錠がドアの前にぶら下がっている。
サイラスは鍵を差し込み回してみた。
あっさりと解錠され、南京錠が地面に落ちる。
ドアに手をかけるとあっさりと開いた。
中から手紙と同じ甘い匂いがする。
押されたドアが建物の中に誘う。
「開いてる」
「……」
二人はドアの左右に立ち、身体が建物の中に入らない様に腕でドアを押した。
ドアが開き切り、特に異常事態は発生しない。
中に誰かが居る気配もなさそうだ。
罠も無い。
二人は再度入口と向き合い、中に入る。
警戒していたような埃っぽさは無い。
最近誰かが換気したのだ。
それでも依然甘い匂いは残っている。
かつての明るさは無く、薄暗い。
天井が崩れたのだろう。
上から日光が差し込んでいる。
日光が十字架を照らした。
それはそこにあった。
剥製にされた人間がキリストの逆向きで十字架からぶら下がっている。
壁には赤いペンキでぶちまけたように文字が書かれている。
『悍ましく、性的で、はしたない、美しい獣』
『全てを見下ろし、平伏させ、触れさせない、裁きを下す者』
『見て! 見て! 見て! ここが生まれた場所! 美の幼体! 美の幼体!!!!』
「あ、あああ」
様々な記憶が蘇る。
大人達の悲鳴。
血飛沫。
骨が折れる音。
そしてそれを見るローレンスの――。
「サイラス!」
倒れこむサイラスをレスターが支えた。
●
警察が教会の中を捜査している。
レスターから連絡を受けたチェスターはアリンガム孤児院に急行した。
「ここが一番目、か。剥製を作る時間から考えてもな」
「随分と派手にやった」
マーティンが現場を静かに歩く。
小太りの中年ですらある種の絵になる凄味が現場にはあった。
十字架に逆さに張り付けられた遺体。
服はいつもと同様に剥ぎ取られている。
最早嗅ぎなれた香水の匂いと、床にはドライフラワーが敷き詰められていた。
「目撃者曰く被害者はここの元院長だそうだが」
「……ああ成程。照会かけとこう」
そう言ってマーティンがパトカーへと向かった。
本部と連絡を取るのだろう。
その間にチェスターは表で待っているレスター達の所に向かう。
サイラスは車の後部座席に座って体調を整えているようだった。
「大丈夫? ちょっとレスター借りるね」
「大丈夫」
緩く笑って返されては何も言いようがない。
電柱に寄りかかり、レスターと話す。
片棒を担いだからこそハッキリさせておかねばならない。
「らしからぬ無茶だね。いくらサイラスの頼みでもさぁ」
「……」
「レスター?」
顎に手を当てて考え込むレスター。
「あの場所の捜査は終わってたんじゃないのか?」
「は?」
そんな筈は無い。
事件の始まりは二番目からで一番目は警察が血眼になって探している最中であった。
被害者の共通点がここでの事件の関係者である事すら、
ブレントから聞かなければ判らなかった有様だし、そのブレントすら確証には至っていなかった。
被害者の共通点と事件を結び付けるには数が足りなかったからだ。
「何の話?」
「……なんだと?」
「……?」
サイラスが車から降りてきた。
手には何か紙を持っている。
「この前帰る時に警官から渡されたんだけど」
「警官?」
そう言って渡された手紙には短い文章と鍵。
差出人は孤児院の名前。
「調査が終わったから返却します、って……」
「……その警官ってどんな」
そんな筈は無い。
警察はここの事件にまだ辿り着いていなかったのだから証拠品の調査も何もない。
辿り着いていたら返却など行わない、現在進行形の事件なのだから。
頭の中のアラートが喧しい。
チェスターは道路を左右に見回しながら警戒する。
これは明らかにサイラスを狙った犯行だ。
「どんな警官だった?」
「金髪で髪の長い、制服着た男の人と小太りの、あ」
サイラスの目がその人物を捉えた。
少しふらつきが残る足取りでパトカーに近付く。
運転席のマーティンと傍にもう一人、見慣れない警察官。
否、階級章が出鱈目の偽警察官だ。
「この前の、そちらの方も車に乗ってましたよね?」
「ええ、あの時は挨拶も出来ず申し訳無い」
「サイラス、そこから離れ――!」
レスターの静止が噎せ返る甘い匂いに思わず止まる。
偽警察官が帽子を取った。
それはあまりにも悍ましく、性的で、美しかった。
飴の様な褐色の肌、薔薇の様な唇、絹の様な長い金髪。
内から出るのは背徳と冒涜と獣性、血の様な夕日。
それは粘膜の様な生々しさをもってその場に居る全員の動きを止めた。
「ぐ……っ、うぇ」
目が回り立っていられなくなる。
事態に気付きかけていた他の警官の中には倒れている者も居た。
これが美の幼体か!
それが一層の優雅さをもってサイラスを車内に引き摺り込む。
凱旋門を潜るが如く堂々とした態度でパトカーが走り去った。