魔法と詠唱
「ギャンッ!」
蹴り飛ばされた狼は十メートル近く離れた地面に叩きつけられ、転がり止まった。
「ク、クゥーン」
辛うじて生きているようだが、完全に戦意を喪失している。
びっこを引きながら逃げ出した。
他の狼たちはクウスを睨みつけていて、まだ窮地を脱していないと、少女は感じていた。
その時、クウスが腰から剣鉈を抜く。
さらに殺気を放ちながら剣を狼に向けた。
すると狼たちは我先にと逃走していく。獣の本能が、先ほどまで感じていた危険ではなく、確実な死を察知したのだ。
「た、助かった……」
狼にやられそうだった少女が、呆然としながら呟く。
頭まで被った外套のフードから覗く大きな瞳は、安堵と驚きに揺れている。
クウスが逃げていく狼を睨みながら、剣鉈を鞘に収めると、後ろから声を掛けられる。
「君、助けてくれてありがとう」
もう一人の男、髭を生やした中年がクウスに礼を言う。それを聞いた少女も、ハッとしてクウスへ頭を下げた。
「ああ、間に合ってよかった。でもただの狼になんで手こずってたんだ?」
「む、最初は一匹だったから追い払えてたんだ。ところが何度か追い払ったら、いきなり岩陰から群れで襲ってきおってな。情けないことだが、私は接近戦が苦手で……」
髭の男は手に杖を持っているが、狼と対峙していた時の動きはひどかった。武術や体術は習っていないのだろう。
「ふーん。杖持ってるなら、おっさんは魔法使いか」
「ああ、そうだ。魔法を唱える隙があれば何とかできたんだが。ところで、君は……こんな荒野を一人で旅をしているのか?」
髭の男は周囲を見回して、疑問を口にする。
それはそうだ。クウスが来た方向には森があるが、ただの森ではない。
強力な魔物が闊歩し、人の手が及ばない“魔の領域”と呼ばれる大森林なのだ。
だから髭の男は、クウスに連れがいないことを訝しむ。
「おう。田舎から出てきたばっかでな。迷っちまって、ここがどこか分からねえんだ」
「なるほど、それは大変だったな」
(ふむ、迷って知らず知らずのうちに大森林へ足を踏み入れてしまったようだな。無事に森を出て来れるとは運の良い男だ)
と、髭の男は納得する。
「どうだろう、そろそろ日も暮れる。どこかで野営して、一緒に食事を取らないか?」
髭の男の提案にクウスは頷く。
「分かった。でもオレ食いもん持ってねえぞ? 森に生えてた野草ならあるけど」
「構わんよ。私たちを助けてくれたお礼にご馳走しよう」
三十分ほど歩き、三人は岩場の影を野営場所に決めた。
クウスは水を皮袋に入れた後、荷物入れを漁って野草を取り出した。
二人組に目を向けると、髭の男は荷物から小さな鍋と具材を出し、少女は枯れ草を集めて火の準備をしている。
髭の男が空の鍋に手をかざす。
「万物の源 清らかなる水よ 呼集に応えたまえ 《水生成》」
すると、男の手から水が湧き出し鍋に注がれていく。
「おっさん水魔法が使えるのか。便利だよな」
クウスが声を掛けると男は水を止め、クウスの持っていた水の入った皮袋を指差す。
「ああ、飲み水には困らないな。良かったら君の水袋にも補給しようか?」
「大丈夫だ。さっき入れ、あ、いや、まだいっぱい残ってるから」
言葉の途中であわてて訂正し断る。
「? そうかい? まあ言ってくれればいつでも出そう。大して魔力も使わんしな」
クウスが慌てたのは髭男の魔法、その詠唱を聞いて思い出していたからだ。
集落のモリー婆に言われたことを。
『人前では、詠唱を唱えて魔法を使うこと』
クウスは生まれた時から凄まじい魔力と闘気を持っていた。
そのあまりに強大な力は幼い子どもに制御できるような物ではない。度々、暴走させてしまい集落に被害を出してしまった。
ちなみにこの頃からよく泣く子だった。
クウスが五歳になったある日、ネイムズと名乗る旅の魔術師が集落に訪れ、強大な力を放つクウスに封印魔術を掛けた。
力のほぼ全てが封印されると、それまで輝くような銀色だった眼と髪は、なぜか殆どが黒く染まり、僅かに銀色の部分が残った。
それ以降、クウスが力を暴走させることは無くなった。封印のお陰で魔力も闘気も、同年代の子どもより少し多い程度まで落ちついたのだ。
そして、モリーは落ち着いたクウスに魔力の扱い方を教えることになったのだが……そこで驚愕することになる。
まだ幼いクウスが、すでに魔法を使えたのだ。それも、詠唱を唱えずに。
モリーが小さな種火を出す魔法を見せると、クウスは自分の人差し指をジッと見つめるだけで小さな火を出してしまった。
さらにその火の形を変えたり、大きくしたりと、ある程度の操作まで可能だった。
モリーは冷静を装いながら、数日かけてクウスの魔法を調べた。
その結果は、クウスは簡単な現象であれば魔法を無詠唱で発動できるという、驚くべきものだった。
根源魔法。
始まりの魔法、または、魂に刻まれた魔法と言われるもの。意思と魔力をもって、一つの現象を生成し操作することができる魔法だ。
ごく稀に、生まれつき無詠唱で一つの根源魔法を発動できてしまう者が現れるが、その原因は不明とされている。
神や精霊に愛された人間と言われたり、魔法の種類によっては悪魔憑きと忌み嫌われたりもする。
それならばクウスも根源魔法の使い手なのだと思われるが、モリーは違うと考えている。
なぜなら、クウスの根源魔法は一つではないからだ。
モリーが調べたところ、クウスが起こせる現象は、火属性、水属性、風属性、土属性、無属性、…………と、全ての属性に及んだ。
魔法には適性というものがあるのに、それを無視した様な結果を受けモリーは戦慄した。
全属性の根源魔法など聞いたことが無い。絶対にこれは他者に知られてはいけないものだと。
モリーはそれ以来、クウスが十五歳になるまでの十年間、知る限りの基礎的な魔法とその詠唱を暗唱できるまでクウスに教え込んだ。
楽だからと、クウスが無詠唱で火や水を出したりする度に叱りつけた。
そんなモリー婆の怨念の様に繰り返された小言を、クウスは今思い出したのだ。
さっき、野営場所に着いてすぐ、自分で水を出して皮袋を満タンにしていた。
クウスは一人でいる時の癖で、つい水の根源魔法を使ってしまったのだ。
髭の男と少女は見ていなかったから良かったものの、もし見られていたら、さぞ驚かれただろう。
少し冷や汗をかきながら、クウスは男の用意した鍋に持っていた野草を提供した。
完全に日も暮れ、夜となった。
空には月が小さく輝く。
月の横には恵みをもたらすという緑星が存在感を放っている。月の数倍の大きさで、優しく淡い緑光が地上まで降り注ぐ。
夜闇に紛れて分かりにくいが、災いをもたらす黒崩星もどこかに佇んでいるだろう。
季節は春、まだ夜は寒い。日中は暑苦しかった外套が、今は手放せない。
寒さはともかく、クウスはご満悦だった。
自分が提供した野草が、干し肉と一緒に塩の効いたスープの中に入り、パンまでついて返ってきた。
味はあっさり目だが、なかなか美味い。
エミリーと名乗った小柄な少女は、料理ができるらしい。髭の男、ナコフが自慢していた。
エミリーは頭に被っていたローブを脱ぐと、クウスよりも年下に見える美しい少女だった。
月の光をそのまま宿した様な優しい金色の髪が肩まで伸び、滑らかな肌は透き通るような儚さを感じる。ただ、灰色の眼は曇りがちで、どことなく疲れが見える。
「それでクウス君。君はどこへ向かっているんだい?」
クウスが食事を食べ終えると、ナコフから質問される。
「どこっていうか、とりあえず町だな。集落から出るのは初めてなんだ。まずは町に行ってみたい」
「ふむ。ならばフチという町が一番近い。ここから歩いて大体、一日の距離にある。今は暗くて見えないが、遠くに山脈が見える。その方向に進むんだ」
「山脈? それは昼間に見えたけどよ。町って山にあるのか?」
「いや、山はあくまでも目印さ。山脈に向かって進めば、半日もせずに街道に出る。街道に出たら右へ行くんだ。さらに半日の距離に小さな町フチがある」
「へえ、フチってのはどんな町なんだ? 美味いものはあるのか?」
「フ、フチはあまり大きな町ではないけど、果物農園があります。宿やお店では美味しい果物が食べられました」
クウスとナコフに遅れて食事を食べ終わった少女、エミリーが答えた。
「へえ、果物か。食べたことないやつだと良いなぁ。おっさん、え〜とナコフと、エミリーはフチに住んでるのか?」
「いや、私たちは訳あって旅をしていてな。フチには先日まで滞在していただけさ」
「え? じゃあもしかして森の方に向かってるのか? 魔物がわんさか出るぞ」
狼に翻弄されるナコフとエミリーでは自殺行為だ。
「はっはっは、森には行かないさ。さすがに私とエミリーでは危険すぎる。私たちが向かってるのはかなり遠い街でね。途中まで森に沿って進んでいくだけだ」
「なんだ、そっか」
そう聞いて少し安心した。それでもこの二人組では旅が危険な気もするが。
「……万が一も無いだろうが、もし君がフチに着いた時、私かエミリーを探す者がいたら、私達のことは話さないでほしい」
ナコフは真剣な眼差しでクウスを目に写す。
「なんでだ?」
「理由は言えない。ただ、私達は犯罪者などでは無いとだけ言っておくよ。いたって個人的なことさ」
「ふーん、そうか。分かったよ」
クウスはよく分からなかったが、ナコフもエミリーも悪人には見えなかったので、取り敢えず頷いておいた。
安全とは言えない旅をする理由が何かあるのだろう。
「すまないね。有難う」
「あ、ありがとうございます」
ナコフとエミリーが礼を言ってその話は終わった。
そして、話題は変わり。
「あの、クウスさんはなぜ、故郷を出てきたのですか?」
「ん? ああ、オレは冒険者になって世界中を旅したいんだ。じいちゃんや死んだ母親が冒険者でな。話聞いてる内に、オレも冒険をしたくなった」
「冒険者。……世界中を旅ですか。行動力があるんですね。……わたしとは大違いです」
クウスに関心した後、俯いてしまうエミリー。
「何言ってんだよ。お前、エミリーも旅してるじゃねえか。フチって町のことも知ってたし、冒険歴はオレより上だぞ」
「と、とんでもないです! わたしはナコフ様に守られているだけで。行き先もナコフ様に任せて付いて行っているだけですし」
恐縮するエミリー。
ナコフに守られている、という言葉から、追われている理由がエミリーであることが推測できる。
しかし、さっきナコフに理由は言えないと言われていたのでそれには触れず、そのまま会話を続ける。
「そうなのか。じゃあ今の旅が終わって、落ち着いたら、今度は自分の意思で何か始めたらどうだ?」
「自分の意思で……。な、何を始めればいいんでしょう?」
「そりゃあ、やりたいことなら何でもいいだろ。オレだったら冒険者になる。んで、冒険する。んで、色んなとこを旅する。何かしたいことは無いのか?」
「やりたいこと、ですか。……今まで考えたことも無かったです。わたしは……ですから」
最後の言葉はとても小声で、クウスには聞き取れなかった。
「え? 何だって?」
「い、いえ! 何でもありません。ただ、わたしも何か……やりたいことを見つけたいです」
エミリーは、膝に置いていた手をグッと握り、言葉を溢す。
「ならエミリーのやりたいことは、やりたいことを探す、だな。
ウチのじいちゃんが前に言ってたぜ。お宝を見つけたければ探せ、探してればいずれ何かが見つかる。
大した宝じゃないかもしれないし、空の宝箱かもしれない、
でも、探さなきゃそれすら見つからねえ。ってな」
祖父ノーマンが冒険者時代に潜った迷宮の話。
酔っ払った時に話してくれたそれを、クウスは目を輝かして聞いたものだ。
ノーマンを思い出し、目が少し潤む。我慢だ我慢。
「探さなきゃ見つからない。……そう、ですよね。ふふっ。わたし……探してみます! ありがとうございます、クウスさん」
「おう」
エミリーは心が晴れたのか、満面の笑みでクウスに微笑んだ。
クウスもニッと口角を上げて小さく応えた。
(ふむ、彼との出会いは助けられただけでなく、塞ぎがちだったエミリーにとって、良いきっかけになったかもしれんな)
黙って会話を聞いていたナコフは、ニコニコしながら、二人の微笑ましい若人を見つめていた。
その時。
離れた場所で石が何かに当たり、音を立てた。
続けてガサガサッと地面を何かが這いずるような音が聞こえ始める。
平穏なひと時は破られた。
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