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第八話「月光が差すとき」

 こうして、フレイアはリルの世話に関して、ダミアンの協力を得ることができた。


 かれはその道のプロフェッショナルだった。もちろん、すべてのトレーナーが世話や育成に、アカデミーで学んだ一定の知識を持っている。


 だが、ダミアンはただ教科書に書かれた内容を暗記しているだけではなく、きわめて実践的な知識と技術を有していた。


 かれとても、フェンリルの生態を正確に把握しているわけではないが、類似する幻獣からそれを推測して世話を行う方法を理解しているようだった。フレイアはその的確さに舌を巻いた。


「いいか、何でも教えられた通りにやれば良いってものじゃない。自分で創意工夫するんだ。向上心を忘れたとき、トレーナーの成長は終わる。おれがいえた義理じゃないけれどな」


「はい」


 ダミアンの言葉にうなずく。勉強になることばかりだ。


 とはいえ、フェンリルほどの伝説的な幻獣のケアは、ダミアンの力を借りてもなお、十分とはいえなかった。少なくともフレイアはそう感じた。


 思い込みに過ぎなかったかもしれない。しかし、彼女には、リルが辛そうにしているように見えたのだった。毛皮の色も、あの高貴で不思議な光沢がまた少し褪せてきているのではないだろうか。


「人間社会に連れて来られた幻獣が適応するまでは時間がかかる。しかたないことだ」


 ダミアンはそうなぐさめてくれたが、フレイアにはやはり自分の力不足が大きいように思えた。


 何もかも自分のせいだと思うことは傲慢であるかもしれない。しかし、野性の生きものであるリルをここに連れてきて、都市生活を強いているのは自分だ。自分にはかれに対して責任がある。


 また、これから先、その他の幻獣を馴致したときにも同じ問題が起こるかもしれない。自分が未熟であることはわかっていたが、ここまで力不足が深刻だとは思わなかった。


 アカデミーを首席で卒業したことで驕っていたのかもしれない。彼女は深く悩まずにはいられなかった。


 また、ある日。衝撃的な事件が飛び込んできた。アカデミーで同期だったひとりの新米トレーナーが、日常的なケアの失敗によって自分の幻獣を病気にかからせ、死亡させてしまったというのだ。


 当然ながらフレイアはそのトレーナーのことを良く知っている。かれが受けたショックがそのままに伝わってくるようだった。


 また、その人物に自分を重ねずにはいられなかった。あるいは、自分がかれの立場になることもあるかもしれない……。


 フレイアはどこまでも生まじめに自分を追い詰めていった。


「ねえ、リル、もう、ここら辺が限界かな」


 宿の床に寝そべる魔狼に話しかける。当然、ふつうの宿であればリルを部屋に入れるわけにはいかない。この宿は幻獣と親しく交わりたいと願うトレーナーの専用である。


 トレーナーに馴致された幻獣は〈伴侶〉と呼ばれる。いっしょに生活したいという需要は当然のことではあった。


「わたしはやっぱりあなたを育てるには力不足みたいだよ。だから――あなたを手放そうと思うの」


 リルが立ち上がり、抗議するように吠えた。フレイアはそのつややかな毛皮を撫ぜた。彼女は初めての伴侶であるかれに強い愛着を抱いていた。ほとんど家族に対する愛情に等しかっただろう。


 だが、だからこそ、リルを快適な状態に保ってやれないことは辛かった。あるいは、かれは自分などと出逢わず、森の王者として暮らしていたほうが幸せだったのではないか。そんなことを思ってしまう。


 リル自身が望んだことだとは、いい訳にもならない。自分はかれのいのちに対し責任を負っている。そこから逃れてはならない。たとえ、リルが自分といっしょにいたいと望んでくれているとしても。


 リルは彼女にからだをすり寄せてきた。その身体のぬくもりが伝わってくる。離れたくなかった。いつまでもいっしょにいたかった。それでも、最善の選択は何なのかと考えるなら、別れることしかありえない。


 たとえ、いまいっとき、かれの意思に背くことになっても、取り返しのつかないことになるくらいなら、そのほうが良い。


 リルは、寂しげに唸っていた。


 ◆◇◆


「そうか、王宮に渡すことにしたか」


 〈ギルド〉の一室で、 ダミアンの言葉に無言でうなずいた。それが、彼女が下した決断だった。最高位の幻獣である〈レジェンドクラス〉は王国で世話をしてもらうことがふさわしいと。


 王宮には〈マスターレベル〉や〈グランドマスターレベル〉のトレーナーがいる。きっと、リルを的確にケアすることができるだろう。リルは王国の守護獣となるのだ。自分の近くにいるより、そのほうがかれのためになる。


「良く決断したな。寂しいだろう」


「ええ、でも、リルのことを考えれば、それしかないと思ったんです」


 そう話すと、ダミアンは彼女を支持してくれた。ぽんと肩に置かれたてのひらが優しかった。


 ところが、リル自身は嫌がるようすだった。かれの宝石のように赤いひとみが、あきらかな反発の感情を映しているのがわかった。あたりまえのことではあるかもしれない。


 彼女とリルはいま、たましいとたましいが繋がりあう〈ソウル・トゥ・ソウル〉の関係にある。その絆をあえて千切るのは、かれにとっても辛いことなのだろう。しかし、そのほうがリルのためになるのだ。


 たとえ、いま、いっとき、別れの苦しさを味わうことになるとしても、自分と離れて王宮へ行ったほうがあなたも幸せになれる、彼女は言葉を尽くしてそう説明した。だが、リルはもどかしそうに彼女の言葉を拒むばかりであった。


 そして――その宿の一室で、あまりにも不思議な、あきらかに魔法の領域に属することが起こったのは、ある月光の夜のことであった。


 呆然と見守る彼女の目の前で、リルの姿があいまいに溶けた。それは見る間に獣のりんかくを失い、ひとりの、浅黒い肌と火のように赤いひとみをもつ背の高い人間の若者の姿へと変わっていった。


 フレイアはただ呆然と見つめるばかりだった。あっというまにそこから彼女の知るリルの姿が消え、代わりに見知らぬ男がそこに立っていた。


 痺れた頭脳の一画で、彼女は、一部の最上位の幻獣は人に変身することができるという本の記述を、どうにか思い出していた。


「リル?」


「フレイア」


 かれは若々しく凛々しい声で返事をした。


 リルだった。

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