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第七話「秘密の領域」

 月日は経つ。


「ねえ、リル。元気がないのはわたしのせいだよね」


 フレイアは傍らの銀狼に話しかけた。リルが首を振り否定する。


 そう、元々、かれは野性の生きものである。一々、人間の世話を受けなくても生きていける。


 だから、フレイアにはかれに対する責任はないのかもしれない。だが、同時に、リルを街に連れて来たのは彼女だ。そのような無責任な態度にはだれよりもフレイア自身が我慢ができなかった。


 どうすれば良いのだろうか。


 いまや不世出の天才として評価されながら、彼女は苦しみ、自分たちだけで問題を処理するのは限界だと悟らずにはいられなかった。彼女は〈眠れるグリフォン〉の扉を叩いた。


「カリナさん、助けてください。もう、わたしひとりじゃ、どうにもなりません」


 半泣きの顔で、受付係のカリナに救いを求める。彼女は困ったように顔をしかめた。


 トレーナーの実力が不足しているところを補い、支援するのがギルドの役目である。だが、フレイアとリルの立場は、前代未聞のものだ。彼女にしても、どう支えてやれば良いのか判断ができない。


「ごめんなさい。わたしにも助けてあげることはできそうにない」


「そうですか」


 フレイアはうな垂れた。その泣き笑いのような顔を見て、カリナもまた衝撃を受けた。何か、可能性がないか、必死に脳裡をさぐる。


 このとき、そういえば、と彼女は思い出した。幻獣の日常の世話に関してはブラックウッドさんがくわしかったな、と。


「ブラックウッドさん?」


「そう、以前に一度、逢ったでしょう。ちょっと口が悪くて、皮肉っぽい男の人。かれが、もちろんフェンリル専門ではないけれど、このギルドでいちばんその方面にくわしかったはず」


 あの人か、とフレイアは思いあたった。そういえば、しばらく前にちょっとしたいやみをいわれたことがあった。正直、あまり好印象の人物ではない。


 だが、この際、彼女としては、かれという一本のわらを掴むしか手だてがなかった。フレイアはギルドを出、じつに七軒もの酒場を訪ね歩いて、ほとんどあきらめかけたとき、ようやくダミアン・ブラックソウルを見つけだした。


 かれは、しらふのような顔で水を干すように酒杯を重ねていた。


「ブラックソウルさん、ちょっと良いですか」


 勇気をだして話しかける。こういうとき、あまり度胸があるほうではない。親しくない人と話すのは苦手だ。それでも、この場合、選択の余地がなかった。


「何だ、おまえか」


 ダミアンはカウンターに座ったまま呟いた。フレイアはつづけた。


「お話があるんです。リルのことで」


「おまえにはあっても、おれにはない。失せろ」


 フレイアは、その場で、かれに向かって深々と頭を下げた。


「お願いします。フェンリルを世話する方法について教えてください。もちろん、あなたでさえもご存知ないことがあることはわかっています。それでも、可能なかぎりお教えいただきたいんです」


 ダミアンは視線を上げた。皮肉っぽく、からかうようにささやく。


「ふん。自分がただちょっと運が良かっただけの未熟者だってことがようやくわかったか、お嬢ちゃん」


「いいえ」


 フレイアは、そのままの格好で否定した。


「元々、自分が未熟であることはわかっています。くやしくて、くやしくて、たまらないです。でも、現時点で自分に力も知識も足りないことは認めざるを得ません。だから、どうか力を貸してください。わたしにできることなら、何でもします」


「ほう。それなら、ここでストリップでもやれといったら、やるつもりなのか?」


 ダミアンはけらけらと笑った。フレイアはしばらく考え込んだ。黙ったまま、自分の服に手をかける。ひとつ、またひとつとボタンを外していった。その顔は、凍りついたように無表情だった。


「やめろ!」


 ダミアンは鞭のような声で止めた。


「酒がまずくなる。まったく、冗談も通じないのか、最近のアカデミー出は」


 そのとき、かれの荒れた顔に浮かんでいたのは、じつに、ある種の敗北感であったかもしれない。かれはひとつ大きなため息を吐き出した。


「でも――」


 フレイアはさらにことばを続けようとしたが、ダミアンがてのひらを見せてさえぎった。


「わかったよ。おまえは未熟だが、トレーナーにとって何が大切なのかだけはわかっているようだ。協力してやる。せっかくの〈伝説級〉の幻獣をこんなことで死なせるのも惜しいしな」


「ありがとうございます!」


 フレイアは表情を輝かせた。


「けれど、どうして?」


「べつに、ただの気まぐれさ。ただ、おまえほどではないにしろ、自分の身の丈に合わない強力な幻獣をパートナーにしてしまったトレーナーは時々いる。だが、そういう奴はたいていたいてい、調子に乗って破滅するんだ。おれはおまえもそうなるんじゃないかと思っていたよ。だが、どうやらおまえは少し違うようだ。ちょっと興味が湧いた。それだけだ」


「なんとお礼をいったら」


「礼などいらん。だが、いいか、ひとつだけ憶えておけ。おれは昼間から酒を浴びるように飲んで憂さを晴らしているような、身を持ち崩したただのクズだ。そういう人間にとって、おまえみたいなエリートは眩しくて、妬ましくてたまらないんだ。これから、そういう奴らがたくさんおまえの足をひっぱろうとする。そのことだけは忘れるな」


「はい」


 フレイアは胸から切なくあふれ出す感情のすべてを込めてうなずいた。ダミアン・ブラックソウル。この人の過去に何があったのだろう、と思った。


 あきらかに、かれは自分でいうような「クズ」などではない。しかし、また、昼間から酒を浴びるように飲んでいることもたしかだ。おそらく、かれを飲酒に逃避させる辛く、あるいは哀しいできごとが何かあったのだろう。


 それが何なのか、彼女は知りたいと思ったが、気軽に足を踏み入れて良い領域ではないことはわかった。人にはそれぞれ過去があり、秘密がある。それは、フレイア自身も憶えがあることだった。


(ミモーラ)


 彼女はくちびるの動きだけで呟いた。


(まだ、わたしのことを見守ってくれている? それとも、もう――)


 だれにも思い出があり、それはその人の人生の根幹にかかわっている。だから、フレイアはそれ以上、ダミアンの秘密の領域に無遠慮に踏み込もうとはしなかった。


 ただ、感謝を表すため、ふたたび、深く、深く頭を下げる。いま、この人物の不器用な優しさが染み入るようだった。


 彼女はその酒場でひとり、そのまま、ずいぶんと長いあいだ頭を下げたままでいた。

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