第二話「〈眠れるグリフォン〉」
卒業の翌日早朝、フレイアはさっそく、トレーナーを統括する組織、〈ギルド〉へと向かった。
各々のトレーナーはこのギルドを通してさまざまな依頼を得、また、その援助を受ける。トレーナーにとって、まず〈ギルド〉への登録を済ませることは必須なのだ。
セレストリア共和国の首都セレニアムのギルドは、〈眠れるグリフォン〉の名で知られている。
その名の通り、ギルドの扉には、目をとざし眠りに落ちた幻獣グリフォンの紋章が刻まれていた。彼女はその眠れるグリフォンを押し、建物のなかに入った。
室内は広く、清潔に掃き清められていた。数人ほどの男女がたむろしている。椅子に座り本を読んでいる者もいれば、立って談笑している者もあった。
その全員が、一瞬、フレイアに注目して、それから興味なさそうに視線を逸らした。あからさまな品さだめの目線だった。
いくらか憂鬱に感じたが、その感情を表情に出すことはこらえた。奥のカウンターへ向かう。受付の女性に硬い声で話しかけた。
「おはようございます。フレイア・ノースウッドです。登録をお願いします」
「あら、おはよう、フレイア。ついにアカデミーを卒業したのね。登録のためにいくつか質問させてくれる?」
「ありがとうございます。わかりました。どうぞ」
その女性――カリナ・フロストボーンの声音には、心からの祝福と賞賛が感じられた。心やさしい性格なのだ。
嬉しい。
フレイアはカリナとは知り合いで、あるいは友人といっても良いかもしれない。だから、彼女は砕けた口調だった。
しかし、フレイアのほうは初めてのギルドで緊張していることもあって、親しげなそぶりは見せられなかった。また、最初から非礼な態度をとってギルドを軽視していると誤解されても困る。
カリナはフレイアにいくつか質問しながら、カウンターの下から一枚の書類を取り出し、そこに情報を記入しはじめた。
これから先、幻獣を馴致してかれらを〈聖地〉と呼ばれる特別な場所へ送るたび、そこに彼女の功績が記載されることとなる。
いま、彼女のトレーナーとしての階級は最下級のノービスレベル(N級)。少なくとも、これ以上、下がる心配はないわけだ。
カリナは一分ほどですべての情報を書き終えた。
「はい、これで良し、と。おめでとう、フレイア。これであなたも正式にトレーナーよ」
「ありがとうございます」
さすがに微笑がこぼれた。ようやく、ほんの一歩目。しかし、この一歩にたどり着くことすらできない者も多いなかで、その一歩を踏み出せたことは誇らしかった。
「フレイアは、トレーナーとして何をめざすつもりなの? 幻獣の保護? それとも希少種の発見? あなたなら、何をめざしても成功するかもしれないよ」
フレイアは即座にうなずいた。
「わたしは最高位のトレーナーをめざしています」
「え。もしかして、スペシャルレベルを?」
「はい」
カリナは唖然と黙り込んだ。それは、ギルド登録初日の新人が掲げるものとしては、あまりに壮大な、あるいは無謀な夢だった。
もっとも、フレイアはふだんは特に大口を叩くほうではない。彼女にはこの夢をめざすべき理由があった。それは、カリナに対しても話したことがないことではあったけれど。
「それは……すごいね」
カリナは言葉を選んだようだった。
フレイアも、自分の目標がいかに遠大なものかはわかっている。実現可能性としては、子供が王様になりたいというのとあまり変わらないはずだ。
そのとき、フレイアのうしろのあたりの席で茶を飲んでいたひとりの男がくつくつと笑い声をあげた。いかにもあざけるような笑いかた。かれは立ち上がって近寄って来た。
「S級か! 良いんじゃないか。子供は夢を見るのが仕事だからな」
「可笑しいでしょうか」
「ああ、可笑しいとも。ここ最近に耳にしたなかじゃいちばん出来の良いジョークだ。おまえみたいな小娘がS級をめざすなんてね。ひよっこはたいてい大きな夢を見たがるものだが、それにしてもおまえは規格外だ。怒るか?」
「いいえ。呆れるのは当然だと思います。わたし自身、大きなことをいっていると思いますから。でも、あきらめるわけにはいかないんです。約束、ですから」
「約束?」
「はい」
その男はしばらくじっとフレイアのひとみをのぞき込み、それから甲高く舌打ちした。
「つまらん。カリナお嬢ちゃん、おれはおいとまさせてもらうよ」
「は、はい」
そして、かれはそのまま去っていった。完全に姿が消えると、カリナが囁いた。
「あの人はブラックソウルさん。腕の良いトレーナーなんだけれど、ちょっと口が悪いのよね。赦してあげてね」
「もちろん。気にしていません」
フレイアはなるべく自然に見えるよう微笑した。じっさい、何も気にしていない。子供の夢と笑われることは覚悟の上だ。それでも、まず、一歩目は歩み出した。次は二歩目を、さらに三歩目を進んでいく。その果てに、いつか夢の実現は見えて来るだろう。そう、彼女は信じていた。
これが、彼女とその男、ダミアン・ブラックソウルの出逢いだった。