第十一話「さらにその先へ」
一方、リルはふらりとギルドへ足を運んでいた。べつだん、ここをめざしていたわけではない。ただ、この都市に居場所がないかれには、他に行くところがなかった。それだけだ。そうすると、ある知り合いのトレーナーから声をかけられた。
「めずらしいな、ひとりか」
「ああ」
短く答える。フレイア以外の人間とのつきあいはわずらわしい。もともと、フェンリルは孤高の生きものであり、馴れ合うことを好みはしないのだ。
しかし、いまは話しても良い気分だった。それほどに、かれは意気消沈していた。
なぜ、フレイアはわかってくれないのだろう。かれが、これほど彼女を愛し、必要としていることを。彼女が傍にいてくれないなら、人間世界にいる必要などない。森に還ってしまっても良いくらいなのだ。
だが、フレイアはかたくなにリルを王宮へ向かわせようとしているようだった。そうすれば、安全で贅沢で快適な生活ができると彼女はいう。リルはそんなものを求めてはいないのに。かれが求めているものは、ただ、彼女といる生活、彼女の肌のぬくもり、それだけなのに。
「なあ、あんた、フレイアはなぜ、おれを王宮へやろうとするんだろう」
かれがなにげなく問いかけると、その男は不思議そうに二、三度、まばたきをした。
「そりゃあ、当然だろう。トレーナーは幻獣を自分の手もとから送り出して、〈聖地〉なり王宮へやることで初めて国から功績として認められるわけだからな。おまえをずっと手もとに置いていたら、いくら〈伝説級〉の幻獣でも、何の成果としても数えられないんだよ」
「何だと」
リルはその男の肩を掴んだ。
「それはほんとうなのか。それで、フレイアはおれを手放したがっているのか」
「さあな。それは知らんが、せっかく〈レジェンドクラス〉を手に入れたんだ。自分のやったことを認めてほしいと思っても不思議はないだろ。カネも入るしな」
男は迷惑そうにリルの手を振り払った。
リルはほとんど聞いていなかった。強いショックを受けていた。すべての理由がわかった気がした。フレイアは、それが理由で、自分のことを手放そうとしていたのか。
そう、彼女のためには、自分はむしろいなくなってやってほうが良いのかもしれない。あるいは、彼女は内心で自分を迷惑な邪魔ものと捉えていたのかも。暗い想念が心に浮かぶ。
彼女を愛している。しかし、それならば、彼女のもとから離れたほうが良いのだろうか。
リルは怪訝そうな男の表情も目に入らず、そのままずっとそこに立ち尽くしていた。
◆◇◆
フレイアはひとり、部屋の椅子に座って反省していた。このひと月、自分は〈レジェンドクラス〉の幻獣を馴致したことでひどく高揚していた。それが、自分を何か悪いほうへ変えていたのではないか。
ただでさえ幻獣――〈ミスティック・クリーチャー〉と伴侶のあいだの絆は、微妙でむずかしいものだ。それは単なるきれいごとでは済まないところもある。
あるいは自分は、リルのことを思っているつもりで、かれに自分の都合を押しつけていたのではないか。
リルが行きたくないというなら、その意思を尊重するべきだったのかもしれない。かれは人間の姿になったのだし、そのケアも何とかなるかも。
かれと、もう一度、話をしよう。彼女はそう考えた。
しばらくして、リルはその部屋に帰ってきた。良かった、と彼女は思った。ひょっとしたら、このままいなくなってしまうのではないかと思っていた。
「おかえり、リル。そして、ごめんなさい。わたし、勝手だったね」
頭を下げて謝る。しかし、リルはただ「ああ」とだけ答えて、彼女から視線を逸らした。いつもまっすぐに目を見るかれにしてはめずらしいことだった。
フレイアは何か言葉にならないような不安を感じた。初めて、リルと完全に心がすれ違ってしまった。そう感じたのだ。
「フレイア、おれは王宮へ行くよ。それがいちばん良いことだろ」
かれはむしろ優しい口調で、そういい出した。フレイアは全身が冷えていくような錯覚をおぼえた。何かが、おかしい。かれらしくない。そう感じた。
「どうして? いままで行きたくないっていっていたのに」
「気が変わった。王宮へ行けば快適な暮らしができるんだろ。だったら、それがいちばんだ。違うか?」
リルはフレイアの目を正面からのぞき込んだ。その真紅の双眸に宿った、切なく哀しそうな表情がフレイアの心を射た。違う。かれは嘘を吐いている。直観的にそう感じる。しかし、どうしてなのか、口はべつのことを呟いていた。
「そうだよね、それがリルのためだよね。おたがいにとって、それが最善の選択なんだ」
「ああ。世話になったな。おれは出ていく」
「うん。いままで、ありがとう。向こうでも幸せにね」
いままで、決して彼女たちのあいだで交わされたことがないような、空々しいやり取りだった。
フレイアはかれを安心させるために笑おうとし――なぜか、自然と、ひとすじの涙が流れ落ちた。リルは愕然とした顔でその涙を見つめてきた。
「なぜ、泣く? おれがいなくなったほうが良いんだろ。おれを王宮へ行かせればカネや功績が手に入って嬉しいんだろ。それなのに、どうして泣くんだ」
「そんなわけないじゃない!」
それまで、堰き止めていた感情が涙とともにいっきにあふれ出した。彼女はこぶしをぎゅっと握り締め、叫んだ。
「離れたくないよ! ほんとうはずっと離れたくなかった! だって、リルはわたしの最初の伴侶幻獣なんだもの。お金も功績もどうでもいい。ずっといっしょにいたい。そうに決まっている」
「フレイア……」
リルは、彼女の身体をそっと、壊れそうなものに触れるように優しく抱き締めた。フレイアもおずおずとかれを抱く。そうして、ふたりはそのまま、しばらくのあいだ抱き合っていた。
そして、ふたりは、ひとつの寝台に座り、話を始めた。かれらを遠く隔てていた誤解が、わだかまりが、春の日差しを浴びた氷のように暖かに溶けていった。やがて、いつのまにか、フレイアはリルに自分の過去について話を始めていた。
「いつかもいったことがあったっけ? わたしね、昔、トレーナーになるよりずっと前、幻獣の友達がいたの。その頃、わたしはまわりの子供たちと馴染めなくて、いじめられていたんだけれど、偶然、一匹の幻獣と仲良くなったんだ」
それは〈ラピュレオ〉と呼ばれる白ウサギに似た幻獣だった。彼女は、そのラピュレオにエサをあげたことから、いつもいっしょに遊ぶようになった。
どうしても人間の子供たちと器用に交わることができない彼女にとって、その生きものはたったひとりの親友だった。
フレイアは彼女にミモーラという名をつけ、ふたりと随分と長いあいだ、いっしょにいた。しかし、あるとき、ミモーラは死んでしまったのだった。いじめっ子たちに森で穴に突き落とされたのだ。
フレイアは泣き叫び、その子供たちに掴みかかったが、だれも小さな幻獣一匹のことなどまじめに受け取りはしなかった。彼女は人間不信に陥った。しかし、あるとき、ひとりの旅のトレーナーと出会ったことから、ひとつの夢を抱いた。
「人と幻獣が自然なままでいっしょに幸せに暮らしていける環境を作る。そのためにS級トレーナーをめざす。わたし、ミモーラとそう約束したの。それが、わたしの最終目標。わかっているよ。現在の社会では、そんなのただの夢物語だって。幻獣と人間は時々、トラブルになるよね。だからこそ〈馴致〉からの育成というシステムが生まれたんだし、幻獣と人間の関係は、幻獣が馴致され人間の管理下に入ることでしか人間社会に受け入れられない。それがいまの現実だと思う。でも、わたしはそれでもその現実を変えたい。そのために一歩一歩、進んでいきたい。どう? 無理かな」
「そうかもしれないな」
リルはフレイアの頭を抱いた。
「だが、それでもおれはおまえの伴侶であり、味方だ」
そして、かれは優しく、ついばむように彼女のくちびるを奪った。フレイアが「あ――」と呟いて目を細めると、さらに激しくくちづけを続けた。
それはあきらかな恋の行為だった。もう、フレイアですら、誤解はしなかった。かれは自分に恋をしてくれているのだ――ひとりの男性として。
そして、また、フェンリルにとって〈つがい〉のあいては生涯でただひとりであるという。自分はそのひとりに選ばれたのだろうか。彼女は羞恥のあまり、固まってしまった。
「リ、リル、とりあえず友達から始めようよ」
「友達?」
フレイアの言葉に、リルは不満そうに問い返した。しかし、「まあ、いい」と不敵に笑うと、彼女の顔をぺろりと舐めた。フレイアは「愛が激しすぎるよ!」といっていよいよ照れた。
◆◇◆
「旅に出る?」
「はい」
ギルド〈眠れるグリフォン〉である。
フレイアはダミアンの問いに快活に答えた。
「それが、わたしたちの答えです。リルはまだ人間社会に慣れていません。都を離れてちょっとずつ順応していくのが良いんじゃないかと思ったんです。それに、わたしたちがいっしょにいるためには、おたがい、もっと成長することが必要です。この旅は、その機会を提供してくれると思います」
「それで、その旅支度か。ふん、まあ良いんじゃないか」
かれは何かいいたげな表情を浮かべたが、それ以上は何も口にしなかった。だんだんこの人のことがわかってきたかもしれない、とフレイアは思った。かれも意外に照れ屋なのではないか。
「行って来るよ、ダミアン。世話になったな」
「ああ、わかった。礼はいずれカネで払え」
「そうだな。フレイアがS級になったら、払うよ」
「ほう、まだあきらめていなかったのか。まあ、がんばれ。夢をあきらめたおっさんは酒にひたるとするさ」
「あんたにも夢があったのか」
「ああ。その話はまた、いずれな」
それで、ダミアンはリルに関心をなくしたように顔を背けた。
「いままでほんとうにありがとうございました、ダミアンさん。このお礼は、いつか必ず」
「期待しないで待っているよ」
フレイアは深々と一礼し、姿勢を戻した。そして、ギルドの建物を出た。
アカデミーの卒業式からひと月。リルとの出逢いを初め、想像もできなかったことが色々あった。これからもおそらく、まだたくさんあるだろう。それでも、自分はきっと大丈夫だ。なぜか、そのことが信じられた。
そう、自分は、ひとりではない。
傍らの人の姿をした若者をちょっと見やり、不敵な笑顔に出会って照れて視線を戻し、さらに一歩、歩み出す。
未来へ。
最後までフレイアとリルの物語をお読みいただきましてありがとうございました。まだ続きも書けそうな終わり方ですが、とりあえずはここで完結です。
この小説を読んで面白いと思われた方は↓の★★★★★評価の入力をお願いします。また、感想をいただけると嬉しいです。




