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第十話「こんなにも遠い」

 ただ、リルはあまりかまわれたり、まして触られたりすることは好きではないようだった。かれはまた女性たちの注目を浴びていることも自覚していなかった。


 フレイアが指摘しても、気に留める様子はなかった。数人の若い女性たちに話しかけられたときなど、露骨に面倒そうな顔をした。フレイアの目から見ても彼女たちははつらつとして綺麗だったのに。


「あの、お友達になっていただけますか」


 と、ひとりが口にすると、リルは突然、フレイアのことをぎゅっと抱き締めて、いった。


「悪いが、おれはフレイアだけのものなんだ」


 女性たちはかん高い悲鳴を上げて去っていった。


 内心でフレイアは、勘違いするな、と自分に向けて語りかけていた。


 これは、親愛の表現ではあっても、決して恋愛感情の露出などではない。かれはただ人間の姿ではないときからずっと彼女とともに過ごしていたから、自然な行動をとっているだけであり、またこれが当然の距離感なのだ。


 恋ではない――そうに決まっている。ただ、誤解してしまいそうになるからやめてほしい。それに、羞恥のあまりほとんど気絶しそうだった。


 とにかくフレイアはリルの野放図な行動に手を焼いた。かれは、ほんとうに何をするかわからなかった。しかも、ことあるごとに好意を示しスキンシップを取ろうとした。


 それは、いままでもそうだったといえばその通りではある。だが、やはり人間の格好と獣の姿では何もかも違っていた。そして、リルはそのことをどうしても理解できないようだった。


 かれはフレイアが急に冷たくなったと感じていたかもしれない。そうではなく、人並みの羞恥心を感じているだけなのだが、そのことがどうにもうまく伝わらなかった。


 自分が、人間の男性に慣れていないことが悪いのだろうかとフレイアは少し悩んだ。しかし、そうだとしても、いまさらどうしようもない。


 何より悪いことに、リルはきわめて魅力的であった。その野性のしなやかさには、いつまでも見ていたいと思わせるような独自の吸引力がある。


 フレイアは気づくとかれのことを目線で追っている自分に驚くことがあった。それはべつに自分だけではない、だれでもリルには惹きつけられる、と考えるのだったが、それもいいわけにしか過ぎないこともまた心のどこかではわかっていた。


 彼女はリルに惹かれていた。そして、惹かれながらかれを遠ざけようとする自分に矛盾を感じていた。


 だが、幻獣と親しい関係を築くことは得意でも、人間、とくに男性とうまく関わることは苦手だった。そもそも、そうだからこそトレーナーをめざしたようなものなのだ。


 リルにはほんとうに困る。


 しかし、どうやらリルのほうでも不満を募らせているようだった。特に、フレイアがリルを手放そうとしていることには、強い抵抗を示した。自分が邪魔なのか、と。


 そんなはずはないし、そういうことではないのだ、と説明したが、納得してはくれなかった。また、信じられないことには、ダミアンとフレイアが仲良くし過ぎているといい出した。


「え、どういうこと?」


「フレイア、おまえは無邪気すぎる。ダミアンには下心があるんだ。あの男はおまえのことを狙っているんだよ」


「いやだ、そんなはずはないよ。ダミアンさんはただ親切でわたしに協力しているだけ。それに、ダミアンさんの好みはもっと大人の女性だと思うよ。わたしなんて、こんな痩せていて、女らしくないんだよ。トレーナーとしてはともかく、異性としてはあいてにされるわけがないよ」


 リルは大きくため息を吐き出した。


「ダメだ、まったくわかっていない。フレイア、おまえは自分がどれだけ人を惹きつけるか自覚しろ。おまえはきれいだし、ヒト族のメスとしてとても魅力的だ。おまえを狙っている男は大勢いる。いままでだって、そういう話をしてくる男はいただろ?」


「それは、たしかに、アカデミーでは親しくなりたいっていってくる男の子もいたけれど――」


「ほら見ろ。そいつらはみんな、おまえのその身体を狙っていたんだ。おまえは男を惹きつける匂いを放っているんだよ。人間は鼻が鈍いからわからないのだろうが」


「匂いって」


 フレイアは苦笑した。ダミアンがそんなことを考えているはずはない、かれの行動は純粋な好意と親切だ、といくらいっても無駄だった。


 もしかして、リルもまた嫉妬しているのだろうか、と思い至り、不思議な気持ちになった。わたしはそんなに愛されているのか。


 しかし、いくらそうやって互いに言葉を重ねていっても、まったく相互理解に達することはできそうになかった。しまいには、ほとんど喧嘩になっていた。


 フレイアは「あなたのためを思っているのに、どうしてわかってくれないの!」と叫んだ。我ながら理不尽なことをいっていると感じはしたが、それが彼女の本心であった。


 リルが一瞬、赤い目に哀しげなひかりをかいま見せ、それで彼女は謝ろうとしたが、かれはそのままふてくされたようにどこかへ去っていってしまった。


「あ――」


 このひと月で、リルと離れるのは初めてのことだった。それほど、ほんとうにずっといっしょにいたのだ。


 フレイアは追いかけることもできず、ただ、立ち尽くした。こみ上げてきた涙をぬぐい取る。ベッドに大の字になって寝そべりながら、考えた。わたしはやはり身の丈に合わない幻獣を伴侶にしてしまったのだろうか、と。


 たましいとたましいで結ばれた関係のはずだった。それなのに、こんなにも、遠い。


 どこか、肌寒いような気すらして、彼女は自分の身体を抱き締めた。

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