第85話 潮時
「……シエル君、もうよい。そろそろ迎えの馬車が来る頃じゃ。シャルと会えなかったことは残念じゃが、外出でもしておるんじゃろう」
「あいつは嵐が来るっていうのに、そんな天気の中を外出するような奴じゃないですよ。まだ、回ってない所はいっぱいありますから」
俺は誰もいない教室で、背中越しにローランさんを説得する。
起き上がったローランさんを連れてここまで来たが、せめて補習の代わりの課題をしていたはずのヘンリ君とリアラさんのどちらかはいてほしい、と期待していたのだが誰もいない。
ローランさんが言うように、30分近く探し回って一度もシャルに出会えていないという事は、学園の外に外出している可能性は十分にある。
それでもローランさんだってすぐれない体調の中……しばらく会えなくなるかもしれない孫娘の顔を見にわざわざやって来たんだ。
ここまできたなら、どうしても会わせてやりたい。
しかしローランさんはそんな風に頭を悩ませている俺の頭をそっと撫でる。
「……え?」
「ありがとうな、シエル君。こんなわしに優しくしてくれて、困ってくれて……やっぱり、いつの時代も子供というものは可愛いんじゃな。ずっと変わらない、そんな気持ちを思い出させてくれて、ありがとう」
「……やめてくださいよ、あなたが言うと、遺言みたいじゃないですか」
「ははっ、言うのぉ。ルーベルト君も、グリム君も、そしてシエル君も……時代は変わっても人は変わらんもんじゃな。それが分かっただけでも、ここに来た甲斐はあったよ」
「…………」
「もう……いいんじゃよ」
「………はい」
ローランさんは、諦めとかじゃない、本当に満足げに、慈愛に満ちた瞳でこちらを見つめている。
そんな目に俺は、負けた。
いつも、人の優しさに甘えて、楽をしようと考えてしまう自分が、嫌になる。
俺はそんな自分が何だか情けなくて、前だけ向いて後ろ手で教室の扉を閉めた。
「誰だ、お前」
「僕はアレクです。あなたは、この学園の副学長のグリムさん、ですよね?」
アレクさんはスタスタと私達の元まで近寄ると、グリムさんもヘンリさんから足をどけて、アレクさんの方へ向き直る。
「……こんな事して、許されると思ってるんですか?」
「何のために、あくせく権力を集めてきたと思ってんだ?こういう時揉み消す為に決まってんだろうが」
躊躇わずにとんでもない事を言い切るグリムさんはアレクさんを睨みつけるが、腰に手を当てて天井を見上げる。
「それでお前らいったい何しに来た?俺は珍しく教師としての仕事を全うしていただけだというのに」
「あなたのやる事には必ず裏がある。まして僕らの仲間に何か手を出そうとしているというなら、100%何かを企んでいる。あなたの思い通りにはさせない」
「シエルというガキにでも何か入れ知恵でもされたか?随分そいつを信頼しているようだが、データを見る限り俺には普通のガキにしか思えなかったがな」
「それはあなたが外にいる人間だからでしょうね。シエル君の本質は、外部のあなたには分からないものだから」
アレクさんはそれ以上続けようとはしなかった。
首を曲げて私の方に振り向くと、少し心配するようにこちらへ近づいてくれる。
「リアラさん大丈夫?なにか副学長に言われた?」
「い、いえ、私は大丈夫です!あ、あと、私が言われた事なんて、協力してくれ、って事くらいしか……!」
「協力?」
「協力をす、すれば、結果的に私達を救う事になるからって……」
アレクさんはへたりと座り込んでいた私をゆっくりと立ち上がらせると、私の言葉になにか思う所でもあったのか、真剣な表情で顎に手を当てる。
その様子を見たグリムさんは両手を挙げて肩をすくめる。
「ほら、そいつだって言ってるだろ?俺はただ……」
「あなたの言う『僕達』の中に、果たしてシャルロッテさんは含まれているんですか?」
「…………」
その沈黙が何をあらわすのか、その場にいた全員が気付く。
そして、この場の空気は一気に凍り付く。
いや、比喩ではなく現実に、一瞬でアレクさんのいた場所に大きな氷が現れていた。
「……先生、この場はどうやって収めるつもりですか?色々知られてるようですけど」
「……ババアの仕業か?いや、あのババアがこんな分かりやすい手を打つわけがない」
グリムさんはフローラさんの言葉に耳を傾けることなく頭を斜め上に見上げて何かぶつぶつ呟いているようであったが、そんなグリムさんを呆れるように見ていたフローラさんが氷で捕らえたはずのアレクさんの姿を確認しようと振り向くと、そこには誰もいない事に気付く。
「ヘンリ君、痛いから!もっとちゃんと持ってよ」
「わがまま言うな。わざわざ抱えてここまで逃げてやったんだから、大人しくしてろ」
「……先生、ヘンリ君の方まだまだ体力ありそうなんですけど」
「……体力がなくなるまでボコボコにするのは、気が引けたんだよ。俺って子供に優しすぎるから」
「…………」
ヘンリさんは、片手で頭の土を払いながら、片手だけでアレクさんも脇に抱えている。
私も急いで靴のくっついていた残りの氷を溶かして、二人の場所まで駆け寄っていく。
「2対3なら勝てるとでも思ったのか?」
「それはやってみないと分からないだろ?頭数なら俺らの勝ちなんだから」
「ヘンリ君、僕たぶんこの中で一番弱いから、頼んだ!」
「わ、私も、アレクさんとおんなじくらいの強さだし、グリムさんが怖いので、よろしくお願いします!」
「……2対1で、数でもこっちの勝ちだな」
「……………勝負は数じゃねえから!!」
ヘンリさんはさっきとは真逆の事を叫びながら適当にアレクさんを投げ飛ばすと、落としていた木刀を拾い上げ、再びグリムさんに向ける。
グリムさんはヘンリさんに任せるとしても、もう一人、氷魔法を扱うフローラさんもいる。
この人に関しても、まるで勝てる未来が見えないのだけど、それでも何か役には立たないといけない。
アレクさんと一緒に、せめてこの人をこの場に釘付けにするのが仕事。
ヘンリさんとグリムさんが睨み合い、起き上がったアレクさんと私は、終始無表情のフローラさんへ向かう。
再び、この訓練場で戦いの幕が明けようとしていた。
……その時だった。
「はい、注もーく!喧嘩はよくないでしょ?」
「「「「「………!?」」」」」
「なら、言わせてもらいます。学長命令として、両者喧嘩は収めなさい!……ね?」
いるはずがない、現れるはずのない、姿かたちすら生徒に明かすことがない美魔女がそこにはいた。




