第66話 美魔女の圧力
「………いつまでこうしてればいいんですか?」
「今あなたの頭から煩悩を消し去ってるから、黙ってて」
「思いの外えぐい事してた!?や、やめてくださいよ!」
「嘘よ。本当はあなたの脳の腫瘍を取り除いてるだけだから」
「それならよかった……とはなりませんから!!え、俺の脳に腫瘍あったんですか!?俺、余命と戦いながらダンジョンとか潜ってたんですか!?」
「嘘よ。いいからじっとしてなさい」
じっとしていろ、と言われても、物音一つせず頭を踏まれているこの状況、耐えられないんだけど。
俺は恐る恐る、口を開く。
「……あなたは、リゼ先生のお婆様、という事で合ってますよね?」
「そうね。あの子が打ち明けるわけもないし、どこでそれを知ったのかしら?」
「……さっき、リゼ先生が『おばあちゃ……』って漏らしてたので。……って事にはできますか?」
「その答えはもう分かっているでしょう?」
ひたすら優しい声で答えてはくれるが、その奥に滲む圧は物凄い。
俺は声の主に頭のてっぺんを向けながら、考える。
やっぱりこの人には色々バレてるとみて、接した方がいい。
原作においてエンドレッド魔法学園の学長先生が主だって登場してくるシーンは、まったくないと言っていい。
存在についてはリゼ先生の祖母という設定で言及はされるが、その具体的なキャラについては謎のまま放置されている。
原作ではリゼ先生と仲があまりよろしくない事だけ触れられていたが、原作アレクが学長先生と対峙するシーンも無ければこの問題に踏み込んだシーンもない。
そういうわけで俺の緊張は先程から張りつめている。
原作で追及されていないから、無害、というわけでは決してない。
リアラさんだって原作には登場する事がなかったが、あの才能は唯一無二だ。
原作で追及がされていない分、底が見えない未知数な部分も多いという事なのだ。
「何を急に緊張しているのかしら。私みたいな美魔女に踏まれて、興奮している癖に」
「俺、マゾじゃないので……。それに顔だって分からないし、興奮のしようがないというか……」
「それなら顔を上げてみてもいいわよ、いまだけ」
そう言って学長は足を上げたので、これ幸いに頭を上げて学長の姿を確認する。
そして俺は後悔した。
「………失礼ですけど、おいくつですか?」
「60になってから、数えてはいないわ。年をとるのは嫌ね」
「………っ!」
俺はただただ絶句していた。
その姿はまさしく美魔女そのもので、豊満な胸、色気を醸し出す体と化粧、そして白髪交じりの髪の毛を後ろで編み込んだ美人のその佇まいは、誰もが魅了されるだろう。
それほどの大人の魅力、大人の色気をふんだんに見せつけている。
俺は今日マゾに目覚めてもいいとすら思ってきた。
「私も40年前は今のリゼのように子供みたいだと馬鹿にされていたから、今のうちにリゼはキープしといたほうがお得よ。どうせなら既成事実作っちゃえ」
「とても実の祖母の発言とは思えないんですけど……」
すると、学長はソファに移動して、机を挟んだ向かい合わせに俺も座るよう、手で合図をする。
「顔を上げていて、もういいんですか?」
「ええ、探れることはもう探ったわ」
もはや発言一つ一つが怖すぎるんだが。
探るって何?
俺は一体何を探られてたんだろうか?
俺がソファに座ると、その瞬間学長はコップを差し出しながら、始める。
「単刀直入に言うと、あなたはどこまで知っているの?」
「……どこまで、とは?」
「この世界の未来、と言ったところかしら」
差し出されたコップは空だったはずなのに、学長先生が手を離すと中は水で満たされていた。
もうただの、びっくり人間だ。
とはいえ俺も落ち着くためには水分補給はしておきたい。
意を決してコップの水を口に流し込む。
「あ、トリカブト…………それで私が聞きたいのは……」
「今、聞き捨てならないセリフが聞こえたんですけどっ!?俺死ぬの!?俺、脳の腫瘍だけじゃなくて毒殺でも死ぬの!?」
「だから、嘘だと言ってるでしょ」
もう何も信用できない……。
学長先生は笑みを浮かべながら、どこから取り出したか分からないクッキーを取り出して食べる。
「いい加減緊張してないで、答えなさい」
「こんな不謹慎な嘘ばっかり並べられても、緊張は解けませんから……。俺が知ってる事って言われても、ほとんどありませんよ。正確には、あったけど、もうなくなったって感じです」
俺は答えながら、学長から差し出されたクッキーを頬張り、さっきの水でお腹の中に流し込む。
「あなた、肝が据わっているのね」
「うちの学校の先生くらい、信用はしてますよ。それに絶世の美人に殺されるなら本望だ」
「あら、おだてても現金1億円くらいしか出ないわよ」
「めちゃくちゃ出てんじゃないですか!もっとおだてよ」
俺もお腹が満たされて緊張がほどけたのか、いつもの調子を取り戻す。
次々と学長の袖から出てくるお菓子を一つずつ取って、口に放り込む。
「あなたの行動は逐一チェックしていたわ。使う魔法や、行動を考えれば、分かるわよね?」
「見極めてたって事ですか?それで一体どうして未来を知ってると思ったんですか?」
「それについては、さっき頭を踏んづけながらあなたの記憶を探ったからよ」
「…………」
俺はお菓子を口に運ぶ手を止め、背もたれに背中を預ける。
目の前の色気たっぷりの老婦は、不気味な笑みを浮かべたまま、こちらを試すように見てきている。
「……嘘ですね、そんな事ができるなら、あなたは俺に聞く事なんて何もないはずだ」
「確かに、記憶の全てを覗き見る事はできない。でもたった一つ、あなたが人生で最も印象に残った記憶、それだけは見る事ができるのよ」
学長先生はコップの水を一気に飲み干すと、今度は炭酸のような水で中が満たされる。
「……どんな記憶でしたか?」
「普通の人は、それなりに劇的な体験が印象に残っているものなんだけど、あなたに関しては……何も劇的ではない、ただ普通の一般家庭の家、多分あなたの家ね。それだけが私の頭の中に入ってきた」
「………なるほど」
恐らくそれは、俺がこの世界にやって来た、あの日の光景だ。
目に映る全てが俺にとっては新鮮で、強烈なインパクトと混乱を招いたことを覚えている。
そんな一般的な光景が人生で最も印象に残った記憶の人間……が普通の人間ではない事は簡単に想像がつく。
ま、そのほかにも色々バレる要素はあったのだろう。
俺は動揺を隠すように水を一気に飲む。
すると自動的に水が溢れてきたかと思えば、それは学長と同じような炭酸水だ。
匂いや色をじっくり確認してみると……白ワインか、これ?
俺はグイっと一口、口に流し込むが、初めての酒だ。
頭が一気に熱くなった気がするが、もし酔っぱらっても学長先生が何とかしてくれるだろう。
何よりこの空気、酒でもなければ耐えられない。
「ここからはYESかNOでいいわ。未来をもう知っていない、という事は既にあなたは未来に関わる何かを変えた、YESかNOか」
「……YES」
「それはあなたがいつもつるんでいるメンバーに関わっている?」
「あの、これは一体……」
「YESかNOか」
学長はワインを一口ずつ飲みながら、俺に目線を合わせることなく、淡々と圧をかけながら迫ってくる。
ここは、どうするのが正解だ?
俺は目を瞑って考えるも、答えは出ない。
その様子を見て、笑みを浮かべる学長はコップを机に置き、足を組む。
「私はね、シエル君。多数派と少数派がいるなら、上に立つ者として時に少数派を切り捨てる勇気を持たなければならないと思っている。もし私一人が命を差し出すだけでこの学園の生徒全員が助かるなら、喜んで私は自らの命を差し出す。それが私にはできる」
「それは……素晴らしい事だと……」
「もし!……もし君が犠牲になる事でこの学園、ないしはこの世界が救われるというなら、きっと私は躊躇なく君を生贄にする。今こうして楽しく話していても、大多数の利益の為ならば笑顔を浮かべたまま君を串刺しにすることもできる。私はそういう人間なのよ」
「……………」
その言葉すらも、学長先生は笑顔を崩す事無く、真正面で面と向かい合わせながら平気な顔で言ってのける。
その目は本気だ。
きっと本当にそんな状況になったとしてもそれができる自信と……経験があるのだ。
これがこの学園の頂点に立つ者の、覚悟。
俺はそんな脅しを受けながらふうっと息を吐いて天井を見上げる。
そしてゆっくりと口を開く。
「……それはリゼ先生が相手でも、同じことですか?」
「ええ、そうね」
学長先生は即答した。
なんの遠慮も、躊躇いもなく。
俺はコップを机に叩きつけるように置くと、学長先生の目を見て、答える。
「学長先生がそのつもりなら、俺は何もあなたに教える事はありませんね。例えこれがあなたを敵に回す行為だとしても、譲る事はできません」
「それは、自分の首を絞める結果になるだけよ」
「それでも……俺がここにいる意味を、失うわけにはいきませんから」
俺と学長先生の視線がぶつかり合う。
ゆらゆらと揺れていたワインの水面は、ピッタリ水平になって、ただ部屋の明かりだけを反射していた。




