第109話 物語の鍵
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8月7日 17時35分
「それで、何用ですかな?二人きり等、珍しいではないですか?」
「毎度、この姿で会議をしてると疲れるのよ。休憩中くらいは、私の愚痴も聞いてくれてよいのではなくて?」
「はっはっは、老体に鞭打つ者同士、話は合いそうですな」
真っ白な髭を顔いっぱいに蓄えた男は、自らの髭をさすりながらも上座の椅子の上にポツンと置かれたくまのぬいぐるみに視線を向ける。
中央議会最上階、荘厳な部屋の中に現在、全国元老評議会の議長と副議長のみが鎮座していた。
異様な静けさを感じながら、副議長は天井を見上げて呟く。
天井だけでない、扉を開けて入ってきてからずっとこの部屋全体は夜空の景色を映し出していた。
「それにしても、今日は月が綺麗ですな」
「この姿で口説かれても、私はちっとも嬉しくないわ」
「はは、そうでしょうな」
「そしてこの部屋の景色を変える魔法、最近のマイブームなのよ。これも10年前から開発を進めていたのだけど、このクオリティになるまでは多少時間はかかってしまったわ」
「ほぉ。それでもこのような魔法を生み出すなど、さすがはあのローランの一番弟子、といった所ですな」
「先生なら3日で完成させてたわ」
副議長は感心するように言うが、くまのぬいぐるみは声色を変えることなく、じっと前だけを向いていた。
お互い、30年以上同じ政治家として活躍する者同士であるが、決して腹を割って話すことはない。
しかし、今回のように会議の途中に呼び出されるような事は今まで一度たりともなく、よほどの事であろうと予想がついていた。
副議長は早速本題に切り込む。
「それで、愚痴とは何ですかな?」
「……あなた、私と賭けをしない?」
「はて?」
愚痴とは程遠い提案に首を傾げる副議長であったが、くまのぬいぐるみは続ける。
「私もいつまでも同じような立場にあり続ける事はできないでしょうね。特に今なんて、全盛期に比べて力はだいぶ落ちてしまっている。あなたに私の席を食われるのも、時間の問題なのかもしれない」
「はっはっは、冗談もほどほどにしてくだされ。昔ならまだしも、老体となった今更トップに君臨したいとは思っておりませぬ」
「別にあなたの本心には興味はないわ。でも、あなたも知っているのでしょう?グリム君の事を」
「…ふむ、あのひねくれ坊主が何かを企んでいるという事までは聞き及んでおりますが、明確な目的は…」
「間違いなく彼は、今度こそ私の命を取りにくる。だからこそ、あなたはグリム君にベットしなさい」
無表情なくまのぬいぐるみは、淡々と言い切る。
その表情からは何を思っているのかは読み取る事ができなかったが、副議長は焦ることなく答える。
「私は、いつだってよりよいこの国の未来のある方へベットしてきました。申し訳ないが、あの坊主にそんな未来は見えませぬな」
「ふふん、あなたがそう言う建前を用意しているのは知ってる。でも、きっとあなたは知っているはずよ、あの子の可能性に」
「話が見えませぬな」
「つまり、私とグリム君の争いの”後”の話をしているのよ。私は逃げるつもりはない、今度こそ決着をつけてみせる。だからこそ副議長。もしも私が負けた場合、あなたの言う”よりよいこの国の未来”の為、後は任せると言っているの。これはあなたにしか頼めない事だから」
それは、この国のトップに君臨し続けた女が初めて誰かに打ち明けた本音であり覚悟だと、長年議場で戦い続けてきた男が理解するに容易かった。
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「…つまり、シャルロッテさんが学園から居なくなって、その行方を探しにこの街に来たところ先輩に遭遇した、と」
「そうです、多分今回の件には学長先生も絡んでいるんじゃないかと思って…」
「僕がその子を見つけてあげる代わりに、この子達に協力してもらいたい事もあったのでね」
俺達一行とリゼ先生は路地裏を抜け、ひと気の少ない道を選んで移動をしていく。
その道中にこれまであった一連の出来事を説明していく俺とニュートさん。
最初はリゼ先生に伝えてもいい事なのか迷ったのだが、リゼ先生の事だ、黙っていても俺達がチームとしての最高戦力であるシャルとヘンリ君の二大巨頭をどちらも欠いたまま学園を飛び出している事態に疑問を抱いていたはずだ。
ニュートさんは何を思って打ち明けているのか知らないが、学生時代の先輩後輩の関係性ではあったようで、はたから見てもお互いがお互いをそれなりに信頼している事が分かる。
「ところで、リゼは何をしていたんだ?」
「私はお婆ちゃんに呼ばれて、お手伝いを終わらせて街をプラプラしていただけですよ。そしたら、突然見覚えのある面子が揃って憲兵の人達に追われていたので、少し遅れて追いかけてみたんです」
「へぇ…」
問いかけに対し間を置かずに飄々と答えるリゼ先生に、意味ありげに笑みを浮かべるニュートさん。
その笑みが何を意味するのかは分からなかったけれど、ニュートさんは突如として俺達の前に現れたリゼ先生に少なからず疑いを抱いているのだろうという事は分かった。
それに、リゼ先生のお婆ちゃん=学長先生という関係性は当然ニュートさんも知っているだろうし、そこに引っかかりを覚えた可能性もある。
そこで、そんなニュートさんへ今度はリゼ先生の方から問いかける。
「それで、先輩は今回は何をしでかそうというのですか?大事な私の生徒を誑かすのはやめてください」
「大事な生徒って、リゼも成長したなぁ。昔はグリムの奴にひっつく泣き虫だったというのに」
「な!そ、それは昔の話で、今は関係ないですから!」
「え、そ、そうだったんですか!」「いつも僕らの前では凛としたしっかり者の先生ですけど、学生の頃の話気になります!」「いつも俺達の前ではツンツン、ツンツンしてるよな」
「私をおでんツンツン男みたいに言うのはやめなさい!」
「ぐげえ、なんで俺だけ!」
恥ずかしさを隠す為か後ろを振り返って俺の腕をポカポカするリゼ先生であったが、オノマトペ詐欺でお馴染みのシャルと比べてこっちは本当に全く痛くないので良心的だ。
しかしそんなリゼ先生の方へ振り返ったニュートさんは少し笑みを浮かべて告げる。
「そして今回の目的も、グリムに関係してる」
「……尚更、あなたにこの子達を任せるわけにはいきません。あの人と、この子達を関わらせたくない、それはあの事件を知ってるあなたなら…」
「だけど、この子達はここまでやって来てしまっている。既に関わってしまっているんじゃないか。それにあいつがもしもリゼの所の学生を攫ったというならば、他ならぬお前も無視できるのか?」
「………!」
ニュートさんが言い切ると、リゼ先生は立ち止まって拳を握りしめて顔を俯かせる。
リゼ先生は真面目でいつも毅然とした態度を取っているが、ダンジョン演習の時だって誰よりも生徒の事を案じてくれた先生だ。
俺達からシャルが学園から居なくなったというニュースを聞いて、思う事はあったはずだ。
ましてや、自分の祖母を殺しかけたという因縁のある相手がそこに関わっているとなれば、リゼ先生も複雑な思いを抱いているに違いない。
しかし、足を止めたリゼ先生の方に俺も思わず振り返るが、その際に前を歩くニュートさんが胸ポケットを三回叩いているのが見えた。
リゼ先生が顔を俯かせた瞬間にとったニュートさんの行動。
なぜそんな何気ない動作に目を取られたのか分からない。
だけどどうしても見逃すことができなかった。
するとそんな俺の視線を感じ取ったのか、ニュートさんは俺の方へ一瞬視線を移すと、片目だけウインクを飛ばしてくる。
なんだか気恥ずかしくなって、すぐにリゼ先生の方へ視線を移す俺であったが、リゼ先生は既に顔を上げて歩みを再開していた。
「…でも、シャルロッテさんの事は、私が何とかします。それこそ、お婆ちゃんが何か知っているならば、問い詰めて…」
「悪いけれど、リゼにそんな力があるとは思えないな。グリムと学長先生という壁はそれほどまでにでかい」
「それでも!私は生徒を巻き込むのは反対です!」
「先生…」
リゼ先生は近くのリアラさんの手を取って力強く宣言する。
学園の先生として生徒を危険から守ろうとする、その姿は先生の鏡と呼べるのかもしれない。
しかし、俺もぎゅっと掌を握りしめて言う。
「…リゼ先生。でも、俺は何度もシャルに救われてきたんです。ここで、先生に任せるだけして諦めて待ってるなんて事、俺にはできない」
「…………」
「僕もシエル君と同じ思いです!リゼ先生の事を信頼していないわけじゃないです、でも、動けるのに動かなくて後悔はしたくないんです」
「わ、私も同じです!シャルロッテさんは、私の、私のたった一人の憧れで、大好きな…友達なんです!放ってなんて…できないです!」
俺に続くようにしてシャルへの思いを述べるアレクとリアラさん。
確かにここでリゼ先生にシャルの事を任せる方が賢明なのかもしれない。
でも、ここで帰るなんて選択肢は俺にはなかった。
何よりも、このままシャルに何が起きたかも分からずにシャルのいない夏休みを過ごすなんてできない。
つい昨日、花火を見て笑い合っていたんだ。
あれが最後だなんて事、信じられないし信じたくないからこそ直接話を聞きたいんだ。
リゼ先生が腕を組んでしばらく悩んでいたが、改めてニュートさんと俺達を見渡して答えを出す。
「…あなた達の考えは分かる。私自身もあなた達と同じ気持ちだから。でも、私は先輩の意見にはとことん反対です」
「それじゃあ、どうする?」
「だから私もついて行きます。…今度こそ、前みたいな失敗はしない」
「そうか」
その答えを予想していたのか、ニュートさんは笑みを浮かべてから何も言わずに再び前を歩いて行く。
後ろ姿を追って歩みを再開する俺は、リゼ先生の言葉の意味を考えていた。
『前みたいな失敗』
それはダンジョン演習の時の事なのか、それとも話に聞く10年前、学長先生がグリムさんに襲われた時の事なのか…いくら考えても答えはリゼ先生しか分からない。
けれど俺には考える必要が有る。
リゼ先生、この人は原作に登場し、グリムさんの10年前の事件にも登場し、そして今回の事件にも登場してきた。
原作に登場する事がなかった学長先生やグリムさん以上にこの人は、この物語の鍵を握っている。
俺はちらりとリゼ先生の方へ振り返ってから、再び前を向いて歩みを止める事はなかった。




