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夜風のいたずら

 「やっぱり来てくれたのね。蝶々さん。蝶々さん?あれ?」


 半分灰色の砂を被った花は、確かにコチを見て「蝶々さん」と言っていた。


 コチの体の中を何かがこみ上がる。こみ上げたものは困っただろう。せっかく来てもらったのに行き場所を失ってしまった。コチは、出て行かせるものかと、目と口を必死に閉ざしていたからだ。


 さっきから、コチの中には、色々なものが閉じ込められている。


 コチは、何も見なかったかのようにそのまま花の上を通り過ぎていた。


 「蝶々さん。私はここよ。」


 コチは、確かに聞こえる花の声に気づいていないふりをした。そして、何も見ていないと訴えるようにキョロキョロと下手な演技をする。


 「なんだろう?気のせいか?」


 三文芝居で空を見据えるコチの言葉は棒読みで滑稽で、バタバタと動かす羽はいつもより増してぎこちないものだった。


 「ここよ。ここにいるわ。」


 背中を追いかける花の言葉を無視してコチは花が見えないであろう所までやってくると急いで逃げるようにその場を離れた。


 この場所を囲む四方の高い壁が立ちはだかるが、コチの頭は真っ白だ。見えちゃいない。無我夢中で羽を動かしたコチは、あれだけ苦労して登った高い壁を難なく乗り越え、滑り落ちるようにそのまま壁の外側にしがみついた。


 「飛び越えられたじゃん。」


 コチの内なる声も今は聞こえない。


 「ここよ・・」


 最後に微かに聞こえた花の声は力なく、ただコチの聴覚にはしつこく鳴り響いた。


 コチの呼吸が整えるには随分と時間をかかった。


 その間、コチの様子を月は呆れたように見ていた。


 コチは月のそんな顔に気がついて、誤魔化すように話す。


 「見た?こんなに高い壁を簡単に飛び越えたぜ。どうだ。やればできるだろ?」


 コチがいくら花の出現をなかった事にしたくても、月の冷たい視線は、はっきりコチに訴えかけた。コチはすぐに月から目線を外す。


 「別に逃げたわけじゃないよ。」


 コチはチラッと視線を上げるが、また、すぐに下げた。


 「あの花。僕を蝶々だって?失礼しちゃうぜ。僕のどこが蝶だよ。」


 コチは、さも怒ったかのように振舞うが、月の視線は変わらない。都合が悪くなると、突然怒ったふりをするほど、カッコの悪い事はない。コチだって羞恥心くらい残っている。


 「まあ、別に勘違いなんて誰にでもあるよな・・」


 コチはさっきの怒りを撤回するように、ボソっと囁いた。


 「ただの勘違いさ。」


 続いて、コチは冷静に自分に言い聞かせた。


 「木枯し」というあだ名。


 時に花の悲鳴だって起こす奇跡のその名を何度も勘違いだって、何度もコチは自分にそう言い聞かせてきたんだ。


 


 「行っちゃった・・」


 壁の向こう側から声が聞こえた。花の声だ。


 「せっかく蝶々さんがここに来てくれたのに。私に気づかず行っちゃったね。」


 コチは壁の奥に顔を押し当てた。そして、何度も頭の中で繰り返し聞こえてくる花の悲しいあの声を消して上書き保存できないものかと聴覚を研ぎ澄ました。でも、聞こえてくるのは、また、悲しい声かもしれない。コチの心臓の音が花の声を聞く事をやたらと邪魔をする。


 「ねえ。お月さま。私は本当に花を咲かせたの?ここじゃ誰も教えてくれないの。」


 「なんだ、あの花も月と話すのか。」とコチは月を見上げると月はまだ呆れた様子でコチを見ていた。


 「なんだよ。何が不満なんだよ。」


 コチは月を睨み返すが、バツが悪くなったのかすぐに月から目を逸らした。都合が悪くなると突然怒ったふりをする。変わらずコチはカッコが悪かった。ただ、どうする事もなく。羞恥心を見て見ぬふりをした。


 「僕を蝶々と勘違いするなんて、あの花はなんて間抜けなんだ。僕を蝶々だと思って追いかけてきた、あのバカな人間の子供と同じさ。全く馬鹿な花だよ。」


 コチは、一瞬、虫取り網を持った子供に追いかけられた記憶が蘇るがすぐに消えた。背筋が震えるような記憶だったが、さっきコチ自身がやってしまった三文芝居の方が、よっぽど背筋が震える記憶だった。無邪気さとは程遠い。少し歪んだ表情で再び空を見上げるコチ。コチの見上げる空にはやっぱり呆れた月がぽっかり浮かぶ。あの花の見る月も呆れ顔なのだろうか。


 月がいつ返事を返したのか。再び花の声が塀の奥から聞こえる。


 「そうよね。きっと私には綺麗な花が咲いているわ。なぜ、あの蝶々さんは私に気づかなかったかしら?やっぱり私が砂に埋もれてしまったせい?」


 月は、こいつのせいだと言わんばかりにコチを睨んでいる。


 「いえ、そんな事はないわ。こんなにお月様の光を感じるもの。きっとあれね。実は、私、よく見えなかったの。お月様はあの蝶々さんの顔を見た?きっと間抜けな顔をしていたはずよ。だって私の花に気づかないのだもの。」


 コチはまんまるな目で壁を見つめた。


 「フフッ。ひどい事言うわね。私。」


 笑う花の声にコチはムスっとしながらも、どこか、花の言葉に救われたようだった。


 良かった。笑っている。


 「よし。帰るか。」


 上書き保存完了だと、コチが欠伸して見上げた空。月は、まだコチを睨んでいた。


 「うるせえ。うるせえ。もう帰るよ。」


 その時、突然、コチのとまっている壁が激しく揺れガタガタと轟音をたてる。


 ん?


 次の瞬間、ビューっと強い風がコチを襲った。コチの羽は激しく乱れ、コチは振るい落とされないようガタガタと揺れる壁に必死にしがみついた。 


 「え、え、ナ、ナ、ニ、ナニ、ナニ?」


 コチの言葉も揺れる。コチは、まるで強風に煽られる旗のように上に下に右や左にと体をゆさ振られ、小さな細い手でなんとか壁に必死に掴まりながら飛ばされないように持ちこたえる。風は、壁の上から下へ、そして、壁の隙間から壁の中へ入ろうと何度も何度も壁を激しく揺らす。


 急に風は止んだ。何かを連れ去るかのようにヒューイとどこか遠くへと消えていった風の音。後には、また静けさが戻った。 


 「何よ?今の?」


 静けさに、コチの声が響く。コチの体の向きが気づけば逆さを向いていた。コチは乱れた羽を整えるように小刻みにブルッと羽を揺らしたが、ぴょんと寝癖のように一本羽が逆立った。


 静まり帰ったこの時間に突然歓喜の声が壁の奥から聞こえてきた。


 「わあ。見て!お月様。風が私の砂をどこかに連れていってくれたよ。」


 どうやら、さっきの風が花に覆いかぶさった灰色の砂を吹き飛ばしたらしい。


 コチは、あまりにも喜ぶ花の声に、壁の中の様子が気になった。でもコチは、ちらっとでも壁の中を覗く訳にはいかなかった。空には月がいる。気になっている所なんて見せる訳にはいかないのだ。「だったら、逃げるなよ。」なんて痛い所突いてくるに違いないのだ。コチは月の言わんとする事は全てお見通しなのだ。ここで花の声に耳を傾けている分には問題ない。ここなら幾らでも言い訳が言える。「花の声なんか聞いていない。そんなの聞こえた?」とか。「疲れたからここで休んでいるだけだ。」とか。「根拠を出せ!根拠を!」とか。言い訳ならいくらでも言える。


 コチのくだらない思考を喜ぶ花の声が消した。


 「今度またあの蝶々さんが、ここに訪れてくれたら、今度は私の花に気づいてくれるかしら?」


 花の声は希望に満ちていた。


 「いくら間抜けでも今度は大丈夫よね。フフフッ」


 そよ風のような笑い声。


 コチは、ちらっと月の顔色を伺った。やっぱりコチの予想通り、「早く戻れ」と急かすようにコチを睨んでいる。


 「だから、僕はチョウ何かじゃないよ。僕が戻った所であの花は、きっと間違いだって事に気付くんだ。もう少し、お前の光を僕にあててごらんよ。きっとお前も納得するさ。」


 コチは月に訴えるように話すが、月はただ睨むだけで、コチの言葉に納得していない様子だ。


 再びコチの羽が揺れる。勢いはないが、風がまた戻ってきた。コチは、少し嫌な予感がした。


 「なんだ?また戻って来たの?」


 風はしきりにコチの羽を揺らしていた。


 「おいおい。また急に暴れたりするなよ。君たちの仕事はもう終わったはずだ。あの花の砂をどかしてやったんだから。よくやったじゃないか。褒めてやろう。」


 コチは、不審な面持ちでさらさらと揺れる羽を見ていた。


 「なあ。いつまで僕の羽を揺らしているつもりだい?」


 「そうか。僕にさっきの事を謝りたいのかい?いいってもう。過ぎた事だ。」


 生暖かい風は、今にも走り出しそうだ。


 「ほら、もうどっかに行きな。ほら、喜ぶ花の頭でも撫でてこいよ。」


 そう言いながらもコチの手足には力が入っていた。春疾風がいつまでも黙っているはずはない。今か、今かと吹くかもしれない強風に対して身を構えていた。


 すると風が止んだ。


 「風さん。ありがとう。そうね。今度はきっと気づいてくれるわ。」


 風は本当に花の頭を撫でに行ったのか。壁の奥から、花の声が漏れる。風が離れた事を知り、コチの体の強張りが溶けた。


 次の瞬間、突風が吹いた。


 待ってましたとばかりに、風は猛スピードでコチに襲いかかった。不意を突かれたコチは、空中に投げ出される。ビューっと吹いた風は、コチを遊んでいるかのように、無邪気に上下左右と宙に転がした。空中でコチの羽はくるくると絡み合うようにに踊り狂う。悪態を口にする余裕はコチにはなかった。回る頭の中で、言葉が一緒になって回る。その光景は月が引くほどだった。


 「今、僕はどんな状態?」くるくると回る朦朧とした意識の中で、どっちが空でどっちが地面か、答えを探した。進んでいる先が地面だと分かるのがもう少し遅かったならコチは、風の勢いに乗って、工事現場の瓦礫の山の中に突っ込んでいたかもしれない。急ブレーキをかけるようにコチは空中に止まった。


 恐怖で閉じていた目をゆっくり開く。


 花がいた。


 コチの目の前に月光できらめく花が再び現れた。こんなに近ければ、もう見て見ぬフリなんて出来やしない。遠のく意識の中コチは言った。


 「やあ。」


驚いた花の顔が徐々に笑顔に変わる。


 「やっぱり見つけてくれた。」


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