第86話 ノードの防衛線Ⅰ
ゲアストの南にある館の一室、エルザとララは向かい合って座っていた。
服装はローブでもドレスでもなく、遠乗りでも出かけようかという格好だ。
温かい茶で喉をうるおした二人は、持ったカップをコトリとテーブルに置く。
「まさか、こんなことになるなんてね」
「そうですね」
窓の外からはがやがやと騒がしい声、喧噪が聞こえていた。
館の前の通りに続くのは、南へと向かう冒険者たちの行列。
それぞれが新品のような剣や斧、槍を持ち、仲間たちと語りながら笑い合う。
その顔には悲壮感などない。
これは二人にとって予想外の結果だった。
◆ ◆ ◆
ゲアストに戻ってきたエルザとララはアルバンとウッツに面会し、わかる範囲での状況を報告した。
アルバンとウッツの顔からは、見る間に血の気が失せていく。
ただ、さすがノードを治める貴族のまとめ役と言えるだろう。すぐに冷静さを取り戻し、ノードの貴族たちを招集させるよう手配した。
そして、ソルダート家の屋敷にノードの主要人物たちが集う。
招集された理由を知らない者たちの前で、アルバンはたんたんと説明を始めた。
説明が進むごとに聞いている者たちの顔が歪む。
話を聞く限り、いつ攻め込まれてもおかしくない。
貴族の私兵など微々たる数。魔法使いの数も他国に比べて少なく、実力のある者など数えられるほどしかいない。
王都やオスファでさえ陥落したのだ。このまま攻められれば蹂躙されるだけ、ノードなど持ちこたえられるわけがない。
「撤退すべきだ! 勝てるわけがない。少なくとも戦うよりは生き延びられる可能性が高くなる」
「私もディルクさんの意見に賛成です。戦うべきではないと思います」
参加した誰もが苦い顔をする中、静まり返った室内で口を開いた者がいた。
発言したのは魔法ギルド、ギルドマスターであるディルクと副ギルドマスターのニクラスだった。
「どこに逃げるのだ!?」「そうだ!」「もっと具体的に言ってみろ!」
とある貴族が非難の声を上げると、ほかの貴族たちもそれに追随する。
ここから逃げるとすれば北か東。
ローバスト山脈がある北側はまさに未開の地。逃げたところでどうしようもない。
東側には村が点在するが、村の規模では大勢の人間をまかなえない。食料や住居の問題に直面することになる。
それに一番の問題は冬だ。
これまではゲアストという中枢があったからこそ、村は生活することができていた。
ゲアストを放棄すればどうなるのか、子供でもわかることだ。
誰かこの事態を解決する名案を出せ、と互いに睨み合いを続ける中、一人の男が立ち上がった。
「戦おう、逃げださずに。それしか生き延びる道はない」
そう言ったのはアルバンだった。
「戦うなど馬鹿げている!」
「こちらの兵力は!? 魔法使いと兵士を合わせて何人だ!? 言ってみろ!」
「ならば戦いたい者たちだけで行けばいい!」
飛ぶ野次を気にもとめず、アルバンはゆっくりと口を開いた。
「兵士には冒険者を使う」
事前の打ち合わせでは、そんな話は一言も聞いていない。
アルバンの隣に座るウッツ・エル・カザーネとヘルマン・エル・サニテーツの心臓が跳ね上がる。
時間稼ぎの兵を出し、その間に退避という話でまとめるはずだった。
二人は慌てて問いただす。
「アルバン、そんなことができると思っているのか?」
「ノードの冒険者など、畑仕事や掃除、雑用などしかしたことがない者たちだぞ?」
「それに、このことを伝えれば反乱すら起きかねない」
住民には戦いが始まるかもしれないということはまだ伏せてある。
この状況を知れば、略奪が始まり、無法状態になる可能性が高い。
「事態は急を要する。夕刻までに説得できなければ総員退避に移ろう」
時刻は間もなく昼になる。
町中に巡回の兵士を増やし、アルバンが説得する間、ほかの貴族たちが退避の計画を進めることで話がついた。
近くの席で聞いていたエルザとララも、冒険者を兵士として使うなど無理だと考えていた。
しかし、奇跡と言うべか。
たいした混乱もなく、実に8割超に当たる冒険者たちがアルバンの説得に応じて戦いに志願した。
そのことにアルバン以外の者は驚きつつも、すぐさま防衛位置や人員の振り分けが決められる。
防衛線となるのはゲアストの南、オスフォとの国境付近。それと要塞のある西のノベスト国との国境付近。
南と西へ。
物資を積み込んだ馬車を率いて、冒険者たちは戦いの場に自らの足で歩いていく。