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第85話 脱出Ⅱ

 人気(ひとけ)のない通路を走り抜け、城外に出たララとリーヴェは馬車の準備に取りかかる。

 用意したのは運搬用の頑丈な荷車。それに二頭の馬をつなぐ。

 ララは御者席で手綱を握り、荷台に乗ったリーヴェは後方に目を向けていた。


「エルザが来ました!」


 その声を合図に、ララは手綱を馬に軽く打ちつける。


 ドレス姿のエルザは杖を小脇に抱えて布袋を持ち、もう片方の手でスカートをたくし上げて走る。

 動き始めた馬車の荷台にエルザは手を伸ばして飛び乗った。


「遅くなりました!」


 息を荒らげたエルザを乗せて、荷馬車は城の北にある門を目指して速度を上げる。


 道すがら、西側の城下町からは煙が上がり、空が灰色に染まりだした。

 急ぎたいのは山々だが、門までの道は曲がりくねっているため、思うように速度は出せない。

 それでも荷車を左右に振りながら曲道を抜けた先、ようやく見えてきた城門に三人は揃って安堵のため息を漏らした。


 普段は控えているはずの門兵すらいない大きな両開きの扉。

 扉にかかっているのは幅が腰ほども大きな(かんぬき)だった。


 三人で外すしかない、と扉に荷馬車を寄せようとしたところで、ミックは強大な魔力反応を察知する。

 ミックが言葉で告げる前に、異変に気づいたララが手綱を強く引っ張った。

 馬がいななきをあげ、浮かせた前足で(くう)をかく。

 荷車が跳ねるように揺れ、エルザとリーヴェは荷車の(へり)にしがみつく。


「ちょっと、ララさん! 急いでいるとはいえ安全運転を――」

「やばい、もう敵が来てる!」

「――なぜ!?」

「そんなのこっちが聞きたいよ!」


 戦地となっている場所は西側だ。

 神聖国軍が城を目指しているならば、西側の門から来るはずだと二人は思い込んでいた。


 急停止させた馬車の方向を急いで変える。

 東門へと向かう道は先ほどとは違う。まっすぐに近い舗装された道だ。

 馬車を右に振ると、ララは手に持つ鞭を何度もしならせる。

 馬も危機を察したのか、勢いをつけて走りだした。


『来るぞ!』


 荷車の上から、エルザとリーヴェは遠ざかる門を見る。

 止め金具が爆ぜる音と共に、扉が弾け飛ぶ。

 扉の向こう側からは巨大な火炎の塊が現れて、火の尾を引いて消えていった。


 ぽっかりと開いた門から入ってきたのは二頭の馬。それに乗った二人の人間。王国ではあまり見ない真っ白なローブ、手には短い杖。間違いなく神聖国の魔法使いだろう。

 周囲を窺うこともなく、神聖国の魔法使い二人は荷馬車のほうへと馬を向ける。


 片方の魔法使いが杖を振ると、前の前に魔法の矢が浮かんだ。


『速度と方向を見極めろ! あれはまっすぐ飛ぶとは限らん!』


 矢が放たれる。

 その矢はまるで意思があるように、走る荷馬車に迫りくる。

 射線上に魔法陣を描き、エルザは防御障壁を展開した。

 エルザとて、走る荷馬車上での魔法陣など簡単ではない。障壁は矢に向かって流れていく。

 そこにリーヴェが被せるように障壁を展開した。


 二人の持つ資格は3級だが、並みの3級魔法使いではこの障壁は絶対に破れない。

 1級魔法使いでも一部の者しか破れないだろう。

 しかし、放たれた矢は桁違いな力を持っていた。

 矢が触れるとエルザの障壁は粉々に砕け散った。それでも力を失うことなく、矢はリーヴェの障壁をも破壊する。


 動揺するエルザとリーヴェに矢が迫る。

 迫りくる矢の前に分厚い結晶のような障壁が生みだされた。

 矢が障壁にぶつかる。

 ふたつは同時に消滅し、きらきらと輝く魔素へと還りながら風に流れて消えていった。


 ララが荷馬車を斜行させ、立木の影へと入った。


「ありがと、ミック!」

「ありがとうございます!」

『これは……これではまるで……』


 安堵する二人に対し、荷馬車に迫る敵二人の魔力量が見えたミックはうろたえる。


 リーヴェにしろ、勇者の家系であるベルタとヘルトの魔力にしろ、才能と呼ばれるもの(魔力量)は凡人より遥かに多い。

 だが、女神に選ばれた最初の三人にはとうてい及ばない。

 どうしても血が薄まってしまうのだろう。

 そのように考えていたのだが、目の前に現れた敵はまるで――。


 一人だけならいざ知らず、二人相手では逃げ切れない。

 ならば、選択肢はひとつしかない。


『エルザ、頼みがある』

「は、はいっ! なんでしょう!?」


 エルザにとって、敬愛するミックから頼まれるなど初めてのことだった。

 こんな状況でなければ小躍りして喜んだだろう。夜には親族を集めて祝賀パーティーを開いていたかもしれない。


「なにっ? どうしたの!?」

「えっ?」


 エルザは当惑する。

 いつもならば、二人に聞こえていた声。町中でも二人にしか聞こえない特別な声だ。

 ミックの声が聞こえていないのかと、エルザはリーヴェの顔をまっすぐに見つめる。


『このままでは逃げ切れまい。私があいつらを抑えよう。エルザにはリーヴェを頼みたい』


 それではまるで別れの言葉ではないか。

 いや、先ほどの魔法を見れば納得できることだ。一発の矢を相殺するので手一杯。二発同時に撃たれれば、二人同時に撃たれれば、その攻撃は防げない。

 意図を察したエルザは言葉を詰まらせる。

 ミックが判断したのであれば、それが最善なのだろう。

 顔を歪めたエルザは無言で頷くことしかできなかった。


 エルザが頷いたと同時、リーヴェは背が軽くなるのを感じた。

 浮かんだ肩の紐がブツリと切れる。木箱はそのまま空に舞い上がる。


「ミック!」


 リーヴェが風に揺らぐ紐を掴もうと必死に手を伸ばした。

 荷台の上から飛び出さんばかりのリーヴェをエルザが押さえつける。


「これはミック師匠の決められたことなのです!」

「決めたってなんのこと!? 私は聞いてない!」


 エルザはミックとリーヴェ、両方の気持ちが理解できる。

 だが、頼まれたのだ。

 相手とは力の差がありすぎる。

 これが最善なのだと、これしかないのだと納得するしかない。


「……ごめんなさい」


 エルザはリーヴェの体勢を崩し、荷車の上に組み伏せる。そして魔法を発動させる。

 走る馬車の上で扱うには非常に難しい魔法だが、先ほどよりは余裕がある。

 失敗してはならないという緊張感がエルザの実力を発揮させた。


「ミック、ミック! ミッ――」


 意識を失ったリーヴェの脈を取り、口に手を当て呼吸しているのを確認する。

 失敗しなかったことに、エルザは安堵のため息を漏らす。


「えっ? 何!? さっきから何が起こってるの!?」

「何でもありません。これで敵からは逃げ切れるはずです。このまま東門を目指してください」



 東門から城下に出た荷馬車はさらに東に進む。

 オスファの東端に着くと今度は北へと進路を向け、三人の乗った荷馬車はノードへと向かう。



   ◆ ◆ ◆



 空中にふわりと浮かんだ木箱がノインとフィアの前に立ちふさがった。


「なんだ、これは?」


 空を飛ぶ木箱など頭の中の知識にはない。

 初めて見るものにとまどう二人は馬を止めた。


『お前たちは神官の血を引く者か?』


 ノインとフィアの顔が歪み、嫌悪に満ちたものへと変わる。

 二人はフードを剥いで、顔をあらわにした。

 頭にはヤギのような角。腕の下、背のほうからはひょろりと長い尻尾が覗く。


「我々に下賤(げせん)なる人間の血など混じりはしない」


 その姿を見たミックは言葉を失った。

 遠い昔の記憶。見覚えのある姿。

 見た目は人間に近く、ほとんど魔力を持たないゆえに、戦いから遠ざけた魔族だった。


「お前はなんだ、人間か? どこにいる!? なぜ、その魔法が使える!? それは我らが魔族の魔法だぞ!」


 周囲に目を向けながら叫ぶ(ノイン)、その後ろで杖を握りしめる(フィア)

 ミックは二人を観察する。

 あれから400年ほど。寿命を考えれば、何世代かは代替わりしているだろう。

 あの魔族の子孫がこれほどの魔力量を保持できるものなのか。


 答えはありえない、だ。


 それに魔力の質が、当時対峙した魔法使いや神官の魔力と似通いすぎている。

 似ているどころではなく、同一と言っても過言ではない。

 ならば、至る結論はひとつしかない。


『女神が力を与えた――のか?』


 信じがたいとばかりにミックはポツリと零した。


 だが、女神がそうする理由がわからない。

 あれから顕現(けんげん)することがなかった女神が突如現れ、滅びたと思っていた魔族に力を与えたのか。

 女神とは人間の味方ではなかったのか。

 今度は魔族に力を与え、人間を滅ぼそうというのだろうか。


 本当に女神が現れたのかはわからない。

 女神の目的がわからない。

 ただ、相手が魔族であれば、どうにかできるかもしれない。


 浮遊するミックは木箱の蓋を開け、力を誇示するように触手をうねらせる。


『私も魔族。そして、私はかつて魔王と呼ばれていた者だ。魔族を統べる者として問う。その力はどうやって手に入れた? 女神から与えられたのか? お前たちは何をしようとしている?』


 顔を見合わせた二人は言葉を交わす。しかし、何を喋っているかまでは聞こえない。

 話が終わったのか、二人は前を向いた。


「確かにお前はあの魔王らしいな。だが、それがどうした。さっきの逃げた三人は魔法使いだろ? あいつらの首を持ってくれば仲間として迎え入れてやってもいい」

『それは無理な話だな。お前たちは魔法使いに神官だろう、残る勇者はどこにいる?』

「お前は人間と親しくしているのか? お前には魔族としての誇りがないのか? そもそも、魔王がなぜ生きている?」


 少しばかりの沈黙が流れた後、魔法使いが口を開いた。


「臆病者の魔王は死ね!」


 魔法使いの周りに、いくつもの魔法の矢が浮かび上がる。

 ミックは距離を取って周囲を確認するが、勇者らしき影は見つけられない。


 本当に女神が現れたのか。

 力を与えられたのは二人だけで、勇者はいないのか。

 勇者はいるが、別行動をとっているのか。


 様々な憶測を立てるが、どれも推測の域を出ない。

 ただ、かつての魔族がやろうとしたように、人間たちを滅ぼそうというのだろう。

 今さらどちら側につくかなど考えるまでもない。


 放たれた矢が迫りくる。

 それも、神官と合わせて複数の攻撃が飛んでくる。


 逃げることはできない。

 離れて戦うことは得策ではなく、受けに回ることもできない。

 質も量も、すべてが負けているうえに相手は二人だ。

 少しでも勝率を上げるためには接近戦に持ち込むしかない。


 ミックは魔法を発動させた。周囲には無数の矢が浮かぶ。

 矢を放つと同時に、ミックは二人に向かって飛んだ。


 先ほど見た技術は自身(ミック)凌駕(りょうが)する卓越したもの。

 だが、あれほど正確であれば、逆に軌跡が見極められるということだ。


 迫る矢を前に、ミックは自分で放った魔法の矢を木箱にぶつけて自身の軌道をずらす。

 いくつもの相手の矢が、木箱を擦るようにして空の彼方へと消えていった。


 残る矢を神官の張った障壁に当てつつ、ミックは二人の目の前にたどり着く。

 そして木箱を脱ぎ捨てた。

 地面に落ちた木箱が叩き、蝶番が飛ぶ。ふたつに別れた木箱が地面を転がった。


 接近されることを想定していなかったのだろう。

 二人の顔からは焦りが見て取れる。

 ここが好機とミックはいくつもの触手を伸ばし、二人を捕縛しようとした。


「そんなことでどうにかなると思っているのか?」


 魔法使いが杖を振った。

 周囲に現れた魔法の刃が触手を切り刻んだ。

 切断された体の一部が地に落ちる。切り口から噴きだした体液が地を染める。


「弱いな。魔王とは名ばかりか」


 そうだ。

 名ばかりの魔王だ。

 しかも、勝てないと逃げだした魔王だ。

 だが、今は違う。


『昔のままでは無理だっただろうな』

「その体で何を言うか。さっさとさっきの人間を追わせてもらう」


 防御や治癒魔法主体の神官は、魔法使いの背後にいる。

 この状況であれば申し分ない。


『あの子たちの元には行かせんよ』


 ミックの前に魔法使いの背丈ほどもある魔法陣が浮かんだ。

 その魔法陣は通常のものよりも分厚く、中には歪な形の刻印が並ぶ。

 ミックは残るすべての魔力を魔法陣へと注ぎ込んだ。


 そして、閃光が走る。









   ◆ ◆ ◆









 魔法陣を介して生じる第二の魔素と言うべきものは、本来この世界に存在できないものだ。

 その存在は莫大なエネルギーを放出して消滅する。

 エネルギーは熱に、熱は気圧差を作りだし、爆発燃焼を引き起こす。



 ミックの魔法陣によって地面は抉れ、城壁は崩れ、周囲の木々は黒く炭化して燃え上がっていた。


 魔法陣の発動した地点から放射線状に崩れ、飛び散った城壁の石材。その中から傷だらけの手が上がった。

 瓦礫を押し分けて這い出てきたのは、白いローブが赤く染まるフィアの姿だった。


「ノイン! どこ!? 返事して!」


 起き上がったフィアはノインの名を叫びつつ、手当たり次第に瓦礫をかき分ける。

 しかし、ノインは見つからない。

 どうすればいいのか思いだしたフィアは辺りを見回した。


「女神、いるんでしょ!?」

『なんだ?』


 いつの間にか目の前に立っていた女神にフィアは声を荒らげる。


「ノインはどこ!? 教えて!」


 表情を変えることなく無言のまま、女神は近くの一点を指で示した。

 フィアはすぐさまその場所まで行くと、一心不乱に掘り始める。

 瓦礫を取り除いていると、奥から血に染まった白いローブが見えた。

 爪が割れ、指先から血が出るのも気にかけず、フィアはその手を止めることなく掘り続ける。


 胸が見え、首が見え、顔が見え、フィアが祈るように叫ぶ。


「ノイン! ノイン!」


 口元がわずかに動いているのを見たフィアは、治癒の魔法を発動させた。

 ノインの体が柔らかな光に包まれ、その(まぶた)がゆっくりと開いていく。


「魔王め、自分を巻き込んで魔法を使うとは。女神に教えてもらわなければ死んでたな」


 魔法陣が発動する瞬間、手を取り合ったノインとフィアは重ねて防御障壁を張った。

 神官の力と魔法使いの力、そのふたつを重ねた障壁でも破壊されるほどの威力。

 女神の助言がなければ、間違いなく二人共死んでいただろう。


 体に力が戻ってきたノインは上半身を起こして辺りを見回した。

 魔王の使った魔法の威力がありありとわかる。


 それにしても、魔王は人間の若い女と何をしていたのだろうか。

 従属させているようには見えず、それどころか親しみを持っているようにすら感じた。


『荷台にいたのは魔王の弟子だ』

「弟子? ……何がどうなって?」

『理由までは知らんよ』


 人間とは魔族の宿敵、本来は相容れないものだ。

 どういった理由で師弟の間柄になっているのかわからないが、弟子であれば、先ほどの魔法を使える可能性が高い。

 直感が告げる。あの魔法は危険だと。間違いなく魔族の前に立ちはだかる壁になると。


「さっきの馬車はどこに向かったんだ?」

『ノードの町、ゲアストだ』


 女神はたおやかな身振りで北の地を示す。

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