第81話 反逆の狼煙Ⅱ
口角を上げたヘルトが妄想にふけっていると、王都西部に動きがあった。
閃光が走り、遅れて聞こえる爆発音。それから空に粉塵が巻き上がる。
連続する熾烈な攻撃。
その戦いの激しさから、主力を集中させた一点突破だろうとヘルトは予想する。
神聖国の戦力は不明だが、一点突破など愚策にしかならない。
仮に今の王都を攻めるなら、少数部隊による広範囲同時攻撃により戦線をかき乱し、精鋭部隊による王城への強行突破しかないだろう。
ベルツ王の身柄さえ確保できれば、戦力差などあってないようなものになる。
「そろそろ動くか」
早く向かわなければ、活躍の場がなくなってしまうかもしれない。
どの経路で向かうべきか。
町を見下ろすヘルトが悩んでいると、貴族街の通りを歩く三人の怪しい影が視界に入る。
揃って白いローブを着た三人組はフードを目深にかぶり、顔はよく見えない。
「まさか神聖国の……? いや、違うな。この有事に乗じた賊か」
神聖国の人間かと思ったが、不可解な行動に考えを改める。
きょろきょろと辺りを窺いながら歩く姿は都に出てきた田舎者そのものだ。
歩き方も悠長で、とても隠密行動をしているとは思えない。
どこに押し入ろうか、品定めしている賊というのが正解だろう。
西外門に向かうまでの寄り道だ。
ちょっとした肩慣らしのつもりで、ヘルトは三人がいる場所目指して足を踏みだした。
空間跳躍を使えば道や建物など関係ない。
すぐに近くまでたどり着いたヘルトは、建物の上から三人組を見下ろす。
背丈、歩き方から見るに、男が二人に女が一人。ずいぶんと若そうに思える。
とある建物を女が指差した。
三人組はその建物へと足の向きを変える。
建物の前面はガラス張りになっており、内側には様々な武器や魔道具が並べられている。
「なるほど。確かに効率はいい」
目的の場所がアベイテ工房だったことにヘルトは納得する。
名高いアベイテ工房の作品ともなれば、それだけで価格が跳ね上がる。
魔道具市場は大きい。捌くのも簡単だろう。
買い物客のように外から品物を眺めていた三人組は、店の中に押し入ろうと行動を始めた。
やはり賊のようだ。
勇者の血筋の者として、ここで見逃すわけにはいかない。
ヘルトは腰の剣を抜いた。
剣の遠距離攻撃による奇襲も可能ではあるが趣味ではない。
建物の上から飛び降りる。
三人組の後ろにふわりと着地したヘルトは、二又にわかれた剣の切っ先を向ける。
「おい賊ども。そこで何をしている」
三人組が振り返る。
そのぎらついた眼は、すぐにでも飛びかかってきそうな獣の眼だった。
だが、そんなものには慣れている。
自分よりも年上、剣聖や剣豪と呼ばれる猛者を相手に剣の鍛練をしているのだ。
ヘルトは平然として、まだ迫力が足りないのだと一笑に付す。
「工房の品を盗むつもりだろう? 手癖の悪いやつは死ぬべきだな」
抜き身の剣が向けられているのにもかかわらず、三人の賊は仲間内で話を始めた。
無視されるのは何よりも嫌いだ。
戯言だと舐めているのだろう。
一瞬で殺してやろうという考えは捨てた。
手を落とし、足首を落とし、誰を無視したのか後悔させてから殺してやる。
激怒するヘルトは魔法を発動させる。
「女神の寵愛」
体が軽くなる。
剣を握る手に力が入る。
感覚が鋭敏に研ぎ澄まされていく。
常人に比べて魔力量は多いが、勇者とは純粋な魔法使いではない。
真骨頂は身体強化魔法による剣技。言うならば、勇者とは魔法剣士だ。
「おい、僕を無視するとはいい度胸だな」
背を見せていた賊の一人が振り返ると、腰から小さな剣を抜いた。
構え方は悪くない。
だが、素人臭さが抜けていない。
手に持つ剣は粗末なもの。鋳造で大量生産された粗悪品だろう。
手を斬り飛ばすか、それとも足を斬り飛ばすか。
腹に風穴を開けてやるのも面白いかもしれない。
のそりのそりと歩み寄る賊を前に、ヘルトは最後の言葉を投げかける。
「お前たちに天誅を下す者の名を教えてやる。僕の名はヘルト・ファル・ヘア。かの勇者――のわっ」
ヘルトは間の抜けた声を上げた。
勇者の血筋でありながら、ヘルトは、魔力感知という非常に珍しい能力を併せ持つ。
その目を通して視える賊の魔力量がおかしい。
王都において魔力量最上位として名を連ねてるのがメルヒオールやベルタだ。
もちろん、ヘルトはその二人の魔力量を知っている。
しかし、目の前のみすぼらしい賊は、メルヒオールやベルタの魔力量をゆうに凌駕していた。
これは明晰夢か。
もしくは自分がおかしくなってしまったのか。
相手は賊などではなく神聖国の魔法使い。
それもこれほどの魔力量ならば、大神官直系の者に間違いない。
眼前に見える魔力の揺らぎに気圧される。
この場からすぐに逃げろと本能が訴えかけてくる。
だが、体は凍りついたように動かない。
それどころか体の力が抜けていく。
ヘルトは剣を落とし、そのまま地面に膝から崩れ落ちた。
◆ ◆ ◆
王都魔法ギルドを出たラインハルトは二頭立ての馬車に乗り、西外門に向かっていた。
父であるクラウス、何人かの魔法使いたちはオスファへと戻てしまったため、王都に残るオスファ領民の全体指揮を執るのはラインハルトだ。
既に指示は出し終え、一部の魔法使いや兵士たちは戦線に配備された。
間もなく開戦となるが、ラインハルトにはまだできることがある。
神聖国の情報を集めること。
情報を欲しがる貴族、窮する貴族がいれば、その力になることだ。
戦争という状況下では、簡単なことでも得られる恩義は計り知れない。
人通りのなくなった広い道、疾走する馬車の御者が連絡用の小窓からラインハルトに声をかける。
「ラインハルト様! 前方に人影が!」
馬車の扉を開け、身を乗りだしたラインハルトは取りだした単眼鏡を覗き込む。
そこから見えるのは両手両足を地につけた貴族服の子供。
それに子供を見下ろすローブ姿の三人組。しかも、一人は小剣を手に持っている。
「もっと飛ばせ!」
ラインハルトは異常な事態に声を荒らげた。
おそらく、三人組は戦時の混乱に乗じた賊に違いない。
ここからはまだ遠い。
間に合うのか。
こちらは御者に従者が二人。
三人は魔法使いではないものの、幼い頃より諜報や武術を学んだ優秀な者たち。
戦力的には問題ないはずだ。
速度を上げたことが功を奏した。
馬の蹄の音、高速回転する車輪の音、賊の三人組は馬車のほうへと顔を向ける。
馬車は速度を落とすことなく突き進み、走っている馬車からラインハルトたちは飛び降りた。
降りると同時に腰の剣を抜く。
「お前たち、何をしている!」
やはり、貴族にその従者という雰囲気ではない。
地に手足をつき、涙ぐんでいる人物を見れば、その顔は貴族なら誰しもが知る大物だった。
遠からず、正統な勇者の家系であるヘア家を継ぐヘルト・ファル・ヘア。
ここで恩を売ることができれば、オスファとしては申し分ない功績となるだろう。
しかしながら不安もあった。
幼くして大天才と称される人物。噂ではその性格は荒いと聞く。
そのヘルトなら賊の三人など簡単に始末してしまうのではないか。
なぜ反撃もせず、地に伏しているのか。
経験のない実戦で粗が出たのか。
疑問は尽きないが、いずれにしろ助けだすしか道はない。
ラインハルトは二人の従者に視線で合図を送る。
従者は三人組を囲むような位置にじりじりと移動する。
「そこの三人組、金が目的か? この指輪をやる! 金貨数枚にはなるものだ!」
ラインハルトは左手の指にはめていた指輪を取ると、三人組の足元に投げた。
転がる指輪に目もくれず、賊の三人組は顔を見合わせる。
その中の一人が腰をかがめ、落ちている物に手を伸ばす。
「おいっ! それじゃないだろ!」
手を伸ばした先にあるのは先が二又にわかれた剣だった。
男はその剣を握ると高く振りかざす。
そのままヘルトの首を目掛け、剣を一気に振り下ろした。
頭のなくなった胴体は、力なく地面に崩れ落ちる。
「くそっ!」
金が目的ではなかったのか。もしかすると私怨なのか。
予想外の事態にラインハルトはうろたえる。
捕縛しようにも相手の力量が不明。ヘルトの態度から格上の可能性が高い。
すぐに冷静さを取り戻したラインハルトは手信号で指示を出す。
撤退優先。
情報を持ち帰る。
向かう先は王都魔法ギルド。
御者が馬車の方向を変えようとしたところ、ローブの男の持つ剣から二つの光が放たれる。
放たれた光の塊は、馬の側面から正確に心臓を射抜いた。
二頭の馬がいななきを上げた。
前肢の付け根辺りに開いた穴からは、ごぽりごぽりと赤い血があふれ出る。
即座に四肢を折り曲げ横たわり、馬の目からは光が消える。
救出に急くあまり、馬車の位置取りを読み違えた。
ギリリと歯を食いしばり、ラインハルトは次の指示を出す。
視線を交差させると同時、ラインハルトと従者二人は脱兎のごとく、それぞれが別の方向に走りだした。
馬車から降りた御者は逃げる三人の背を見届ける。
腰のナイフを手に、二又の剣を持った男の前に立ちふさがった。
しかし、それは一瞬のこと。
御者が気づいた時には、すでに男の剣は眼前に迫っていた。
御者はどうなっただろうか。
そんなことを考えながら、ラインハルトは魔法ギルドを目指していた。
走るのはあまり得意ではない。
痛む脇腹を押さえ、周囲を確認しながら建物の壁にもたれかかった。
息を大きく吸って、大きく吐きだす。
事態は深刻だ。休んでいる暇はない。
再び走りだそうとしたラインハルトの前に、脇道から人影が現れる。
「こっちに来るとはね、女神様に見放されてしまったようだ。お前たちは神聖国の人間なのか?」
喋りながら逃げ道を探そうと後ろに視線を向ける。
そこに立っていたのは賊の仲間の二人。
「まいったね」
隙あらば逃げだすつもりだった。
しかし、それは無理だろうと覚悟を決める。
ラインハルトは仲間の逃げる時間を稼ぐため剣をかまえる。
それがラインハルトの最後となった。




