第80話 反逆の狼煙Ⅰ
レライア神聖国とベルツ王国王都の間にはウェスフト領がある。
過去、400年以上も防衛地として役割を担ってきたウェスフト領には、国境の山脈に沿うようにリントブルムと呼ばれる長城が存在する。
魔法とは万能なものではない。
高威力のものは魔力消費量が大きく、距離が遠ければ威力は減衰する。
また、魔銀のような魔力伝導率の高い金属に触れることでも、威力が弱まることが知られている。
リントブルムの長城とは、これらのことを考慮して対魔法戦用に築かれた高殿の露台だ。
この長城は神聖国からの防衛の要であり、常日頃から多くの兵士や魔法使いが配備されている。
しかし、数日前から交流会に参加するために、多くの魔法使いが不在となっていた。
また、神聖国からの侵攻が過去300年ほどなかったことも影響しているだろう。
いつもの口うるさい上役がいないこともあって、長城に詰める兵士たちは一様に気が抜けてしまっていた。
攻撃が始まり、長城から爆炎が上がる。
アハト、ノイン、フィアの三人は、その様子を長城の王都側から眺めていた。
レライア神聖国の手勢は500人ほどの魔法使い。
しかし、王国でたとえれば、1級や2級といった上位の魔法使いだ。
「始まったみたいだな。クソ神官共は本気でやってるようだ」
アハトは数日前のことを思いだして顔を歪める。
首都レライアにある大聖堂でのことだ。
広々とした礼拝堂の奥には女神と魔族たちが立つ。
魔族であるアハトたちの前で、国家元首である大神官を始め、レライアの神官たちは首を垂れ、感涙にむせぶ。
『王国の民に粛清を』
女神に言わせた言葉を純粋無垢な子供のように信じるさまは、心底から気持ちの悪い光景にしか見えなかった。
戯言を信じる狂信者たちは後ろに立つ女神に勇姿を見せようと奮闘しているのだろう。
昇る煙は白から黒へ、広範囲に広がっていく。
そして、ねぐらから慌てて逃げだす害獣のように、長城から黒い影が飛びだしてくる。
「出てきたぞ。ノイン、いけるか?」
「大丈夫だ。任せろ」
長城から出てきたのは一頭の馬に乗った軽装の兵士。
神聖国侵攻を知らせるための、王都に向かう早馬だ。
「距離に注意しろ。十分に引きつけてからだ」
アハトの言葉にノインは手に持つ短杖を応えるように動かすと、その杖先を馬上の兵士へと向ける。
杖先に濃い紅色の矢が浮かび上がった。
浮かび上がった矢はゆっくりと動きだし、ぐんぐんと勢いをつけて加速していく。
猟犬が獲物の喉元に喰らいつくように、矢は兵士の首を正確に貫いた。
手綱から手が離れ、ぐらりと兵士の体が斜めに傾く。
そのまま落馬した兵士はぴくりとも動かず、乗り手を失った馬はそのまま走り去っていった。
「なんとかうまくやれたようだ」
貰った力や知識はあれど、三人に戦いの経験はほとんどない。
魔法の扱い方はどうなのか、女神の力は王都の魔法使い相手にどこまで通用するのかわからない。
これは経験を積むための練習だった。
「また出てきたぞ」
もうもうと黒煙の昇る長城から、今度は二頭の早馬が飛びだしてくる。
「フィア、いけるか?」
「任せて」
フィアの突きだした短杖の前に、二本の光の矢が浮かぶ。
掛け声と共に、矢が馬上の兵士に襲いかかった。
一本の矢は馬の横腹に突き刺さる。
前足を跳ねさせた馬は乗り手の兵士を振り落とす。
もう一本の矢は、走る馬の眼前を通りすぎて消えた。
馬は矢に驚いたものの、馬上の兵士はうまく手綱を操って馬をそのまま走らせる。
「ごめんなさい……」
「大丈夫だ、問題ない」
手に二振りのショートソードを持つアハトは魔法を発動させる。
全身に魔素を過剰に行きわたらせる身体強化魔法。
アハトは湧き立つ力を体の中に抑えこむ。
地面を強く蹴った。
大地が足の形にへこみ、アハトは宙を舞うように地を駆ける。
言葉にならない声を上げながら、逃げる兵士との距離が一気に縮まる。
走る馬に並走すると、右手に持った剣を大きく振りかぶった。
柔らかな肉を切り裂き、頸椎を力任せに叩き斬り、その首を跳ね飛ばす。
アハトは剣に付いた体液をふるい落とすと、落馬したもう一人の兵士に近づいていく。
兵士の鼻先にひゅっと剣先を振り下ろす。
恐怖からか、背を強打したからか、兵士の舌は思うように動かない。
「た、たひゅけてくらはい。聞ひたいことがあれひゃ何れもしゃへりまふぅ」
アハトたちは拷問を受けていたが、仲間内で支え合い、励まし合って生きてきた。
これまで誰一人として挫けることはなかった。
平気で仲間を売り、命乞いのために媚びる。
剣を腹に刺しただけで泣きわめく。
人間は脆く弱い。
こんな人間たちに踏みにじられていたのかと思うと腹立たしい。
手を高く掲げたアハトは、絶望に染まる顔に向けて剣を振り下ろす。
この日、リントブルムの長城に詰める兵士や魔法使いたちは虐殺されることになる。
◆ ◆ ◆
交流会が終わった翌日。
朝食を終えたヘルトはアベイテ工房の応接室にいた。
不快感をあらわにするヘルトの前にはロホスが座る。
「お忙しい中、ご足労いただきありがとうございます。勇者の家系であられるヘア家の方々には平素より――」
「長ったらしい言葉は必要ない。さっさと用件を言え」
ヘルトが言い放つとロホスはそそくさと動きだす。
部屋の奥に置かれていた木箱を持ち上げるとヘルトの前に置き、その蓋を開けた。
中に入っていたのは一振りの剣。
しげしげと見つめていたヘルトはぬっと手を伸ばす。
鞘から抜き放つと、重さを確かめるように剣先を天井に掲げた。
先が二又に割れた剣。
独特な造形の剣は重心が違うはずだが、やけに手になじむ。
ヘルトはこの剣の形を知っていた。
去年の品評会で出品された剣、大聖堂に納められた剣はこの目で見た。
ノードが独自に造ったものだと聞いているが、それはありえない話だ。
刻印技術の乏しい国の技師に、あのような剣が造れるはずがない。
元となる見本の剣があったはずだ。
この剣は大聖堂のものよりも繊細な造りで美しく、気品が感じられる。
これが見本となった剣なのだろう。
「よい剣だ」
「そうでございましょう。ヘルト様にお喜びいただけたのであれば幸いです」
ロホスが魔道具としての性能や使い方の説明を始めるが、そんなものは不要とばかりにヘルトは剣を見つめる。
勇者の血を引くこともあって、ヘルトは杖よりも剣を好んだ。
だが、長年使っていた剣を壊してしまったために、交流会ではカノネ工房から使って欲しいと渡された短杖を持って参会した。
交流会は自身の華々しい登場になるはずだった。
参加する魔法使いの中で、もっとも注目されて然るべきだった。
賛辞を受けるのは自分だけのはずだった。
それがくだらぬ余興の所為で輝かしい未来がふいになってしまう。
予定の演目を変更してまで魔法の出力を上げた結果、杖は耐えきれずに壊れてしまった。
結局、借りものの杖で。さらに、威力を落とした魔法で交流会を終えることになった。
この剣が昨日、手元にあったなら――。
思い返すと、またいらだちが募る。
この剣でカノネ工房に関わる全員の首を落としてやろうか。
そうすれば不満も少しは解消されるだろう。
そんなことができるわけもなく、溜飲を下げるようにヘルトは剣を鞘に収めた。
「やはりアベイテ工房を頼るべきだったな。金額はそちらにまかせる。ヘア家まで勘定書を送っておけ」
「ありがとうございます」
ロホスが深々と頭を下げる。
曇っていた心に少しばかりの陽が差し、昨日よりは気分のよくなったヘルトはアベイテ工房から外の通りに出る。
入り口の扉を閉めたところで、ヘルトは足を止めた。
何やら町の様子がいつもと違う。心なしか、道を行く馬車も速い。町全体から慌ただしさを感じた。
昨日の今日で、まだ賑わいを見せているのだろうか。いや、それにしては何かがおかしい。
何かあったのかとヘルトが訝しんでいると、町中を走っているとは思えない速度の馬車がヘルトの前で止まった。
その馬車には王都魔法ギルドの紋章が入った旗が掲げられている。
扉が開き、中から顔を覗かせたのはベルタだった。その表情はいつになく険しい。
即座にただならぬ雰囲気を感じ取ったヘルトはベルタに問いかける。
「大伯母様! 何かあったのですか!?」
「その様子じゃ聞いてないみたいだね。ついに神聖国のやつらが本腰入れて攻め込んできたんだよ。もうすぐそばまで来ている。西外門で迎え撃つ手はずだ」
ヘルトは状況を聞いて驚いた。
この王都にまで進軍されたということは、ウェスフト領が抜かれたということだ。
しかも、王都の目先で要撃するということは、圧倒的な殲滅速度で攻め込まれたということになる。
「僕もすぐに準備をします! どちらに向かえば!?」
規模はわからないが、戦争となれば殺し合いになるのが必然。
ヘルトはごくりと喉を鳴らし、腰にさげた剣の柄に手をかける。
だが、ベルタからは思いも寄らない答えが返ってきた。
「メルヒーとも話したが、特例とはいえお前はまだ新米だ。とてもじゃないが、まだ前線には出せられん」
「いや、ですが僕は勇者の家系、大天才と呼ばれるヘルト・ファル・ヘアですよ!?」
「それでもだ。お前は魔法ギルドに行け。命令があるまでそこで待機だ」
「……わかりました」
ベルタは御者に指示を飛ばすと扉を閉める。
勢いよく馬車が走りだし、ヘルトはそれを目で追っていた。
この王都における魔法使いの層は厚い。
さらに、交流会で各領の魔法使いがまだ数多く残っている。
神聖国が攻めてこようとも、蹴散らしてしまうのは目に見えている。
そんな折、昨日の失態を払拭するためにも待機していては活躍の場がない。
ヘルトは馬車が視界から消えると魔法を発動させる。
「空間跳躍」
空中に飛び上がると、足裏に小さな魔法陣が浮かんだ。
それが小さな爆発を引き起こし、ヘルトの体は宙を舞うように飛翔する。
慌ただしくなっている町の空をヘルトは翔る。
並ぶ家屋の上を走り抜け、通りを飛び越し、魔法ギルドの建物をも越える。
そのまま大聖堂の敷地内に入り、ヘルトは巨大な女神像の肩へと着地した。
振り返り、王都の西方を見据える。
戦闘が始まっているのか狼煙であるのかはわからないが、既に何本かの白煙が立ち昇っていた。
これは絶好の好機だ。
ヘルトの中には燻る野心がある。
これまで勇者の一族は勢力をつけすぎないよう、国に抑制されてきた。
王国を真に支配すべきなのは、この国でもっとも強い魔力を持つ勇者の一族なのだ。
そのためには王族が皆殺しに遭えばいい。
もしくは偶然、魔法の誤射による事故死。
だが、それはあまりにも非現実的なものだ。
今の状況なら、勇者はここにあり、と名声を得られればいい。
味方の窮地に颯爽と登場するのがいいだろう。
それが勇者と言うべきものだ。
女神像の肩に乗るヘルトは、これからの展望に身を震わせる。
女神は我が隣にいるのだと。




