第72話 交流会Ⅲ
この会場には、およそ3万人の人間がいる。
そのほとんどが王都と各領から選ばれた平民たちであり、直接魔法が見られる交流秋は、平民たちにとって数少ない娯楽の一つだ。
開会宣言が終わり、領主と交代するように出てきた女性に平民たちの視線が注がれる。
白銀の杖を持ち、きらびやかなローブをまとった美しい女性。
その美貌に、かすかな恋情と嫉妬が会場内に渦巻くが、感情を消し飛ばすような大きな拍手が送られた。
会場に拍手を鳴り響かせているのは何も平民たちだけではない。
かつてのエルザの師、ベルタもまた特別観覧区画から拍手を送っていた。
子供のようにはしゃぐベルタの隣、ヘルトはつまらなそうに口を開く。
「あれが大伯母様の元弟子ですか」
「あぁそうさ。当時のことを思いだすと懐かしいね。弟子の中でも操作の技術はピカイチだったんだけど、それを鼻にかけることもなく努力してさ。欠点という欠点がない娘だったよ。惜しむらくは王国出身者でなかったことなんだけど」
ヘルトは歩くエルザを見下ろす。
王都にいた頃に、天才などと呼ばれていた女らしい。
確かにベルタがこれほど褒めるのは珍しいが、それほどの才覚があるとは思えない。
本物の天才には努力というものは必要ない。
努力しなければならない魔法使いは、二流という認識だ。
「あの子の魔力はどれほどになったのだろうか。ヘルトには見える?」
「無理ですね。ここからですと少し距離がありますから」
「そう。まぁいいさ、どれほど成長したのかはすぐにわかること」
堂々と歩く姿を見て、ベルタは目を細めた。
視線の先のエルザが会場中央に立つ。
一呼吸置き、手に持つ杖を大きく振るった。
「ほう、魔法陣なしか」
魔法陣なしでの発動は魔力が一定以上なければ難しい。さらに王都でもあまり使い手がいない高等技術だ。
誰に習ったのかという疑問はあるが、今はそれどころではない。
何が起こるのか。
ベルタが注意深く観察していると変化が起こる。
エルザの目の前の地面から、湧き水があふれだすがごとく土が盛り上がった。
隆起する土は植物のように成長しながら空を目指して突き進み、円錐状に尖った土塊となる。
「土の槍、か」
「な、なんですかあれは……」
ヘルトが驚きの声を上げと、同じように室内からは驚嘆が漏れた。
身の丈を比べて考えれば直径5メートルほど。高さは10メートルに少し足りないほどか。
問題はそんなことではない。
「ありえない……」
「ありえない? 実際に目の当たりにしているだろ? 魔法使いならどんな技術を使っているかを考えな。でも、確かにね」
魔法陣の有無にかかわらず、魔法の発動距離は使う魔力量と密接な関係にある。
1メートル先と2メートル先では、単純に2倍ではない。およそ3倍近い魔力量を消費する。
それならば手元で魔法を発動させ、飛距離を伸ばしたほうが効率がよい。杖など長い物を使うのもこのためだ。
女の杖先から魔法を発動距離を見れば、5メートルほど。
並みの2級魔法使いでは無理だろう。
それよりも大きな謎がある。
この場合、魔力量は質量と速度の変化量に比例する。
膨大な質量を動かすには、膨大な魔力が必要になるということだ。
新たに火や水を生みだすこととは比較にならないほど。
同じことができるとすれば、1級魔法使いの中でも一握りしかいない。
ヘルトが思い当たるのは、メルヒオールとベルタの二人だけだ。
年もそれほど離れていない女。
ノードという田舎出身の魔法使い。
ヘルトは納得ができず、いらだちが募る。
やり方がわかればできるのだ。
今はやり方を知らないだけなのだと、ヘルトは唇を強く噛んだ。
「なんとなくだけど、わかったね」
ベルタの言葉に、室内は水を打ったように静まり返った。
周囲で騒いでいた魔法使いたちが少しずつ距離を詰め、耳をそばだてる。
ヘルトは何も喋らず、言葉の続きを待っていた。
「おそらくだけどね、四重に組み合わせた魔法だよ」
どこからか、ごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。
二重の魔法はすべてと言っていいほどの魔法使いが使える。
魔法陣を使う魔法は、厳密に言えば二重扱いになるからだ。
三重の魔法は、優れた魔法使いならば可能な操作技術だ。
たとえば、魔法陣から水を生みだして氷に変える。
これは段階を踏むことで、直接氷を生みだすよりも魔力消費量が少なくなる。
また、生みだした火球に風の魔法を付与するというやり方もある。
これは進む方向と力を追加で与え、魔法の射出速度を上げるという方法だ。
三重の魔法になると、使える魔法使いの数は極端に減る。
理由は単純。その操作技術が難しいからだ。
だからこそ、ベルタが言った四重という言葉が信じられず、ヘルトは声を荒らげる。
「四重の魔法など誰ができるのですか!?」
「メルヒーならできると思うけど?」
メルヒオール・ファル・ミリテアヴェア。
王都魔法ギルド、ギルドマスターであり、賢者と呼ばれる魔法使い。
その人であれば可能だろう。
だが、使ったと思われるのは弱小国の、それも3級魔法使いだ。
ヘルトは無言のまま背もたれに体を預けた。
観客席からは歓声と拍手の嵐が巻き起こっていた。
それに応え、手を振っていたエルザが後ろに下がる。
その姿を見送る不機嫌な顔のヘルトと、弟子の成長に頬を緩ませるベルタ。
二人の視線の先、中央に残された土の槍がぼろぼろと崩れ始める。
崩れる土塊の中からは太陽の光を受けて、きらきらと反射する粒が見えていた。
「やっぱりね。中は氷で体積を水増ししてる」
三重なのか四重なのか。
どちらかわからないが、今の自分にはできない。
ヘルトは肩を震わせながら聞いていた。
オスファ領の手勢が残った土塊を崩し、道具で地面を均していく。
均し終わると声を増幅させる魔道具で、次の魔法使いの紹介が始まった。




