第69話 アベイテ工房Ⅱ
ロハスは剣を鞘に収め、テーブルの上に置く。
「これは大聖堂に奉納されているものと同じ刻印を使ったものですか」
「ええ、その通りです。奉納されているもの以上の性能にしてあります」
ララは続けて告げる。
「もちろん刻印は未登録です。確認してもらってもかまいません」
頷いたロハスは失礼します、と一言述べて立ち上がる。
部屋を出たロハスは従業員を呼び、すぐに鍛冶師ギルドで新しい刻印技術の申請状況や登録がないのかを調べてくるよう指示を出した。
外に駆けだしていく従業員を視線で追いながら、ロハスは応接室へと戻らず交渉金額について考える。
大聖堂に奉納された魔道具はそのまま教会預かりとなるか、もしくはベルツ王に寄贈される。
どちらにしても鍛冶師ギルドは手が出せない。
だからこそ、この機会は逃せない。
特許登録をすれば、アベイテ工房の独占販売にできる。
報告書で見た魔道具と同等ならば、欲しがる者は多いだろう。
軍も欲しがるかもしれない。
しかしその場合、額を低く見積もられたり、個人販売に対して圧力をかけられかねないという危惧がある。
そう考えると金貨2000枚は非常に高い。
利益と安全性を考慮すれば、出せて金貨1000枚程度。
となれば、今度はどうやって金貨1000枚以下で交渉するかだ。
しかし交渉するにしても、あまりに情報がない。
品評会での話を聞き、鍛冶師ギルドや各工房はノードの情報集めに奔走した。もちろんアベイテ工房もだ。
だが得られた情報は、ようやく初めての工房を立ち上げたということくらい。
誰かが情報収集の妨害をしていたのは間違いないが、それでも予測できることはある。
工房を立ち上げたばかりでは、生産能力もなく、まともな販路もないだろう。
まとまった金が必要で、この魔道具を持ち込んできたのではないか。
ロハスはそんな予想をする。
ある程度の金額であれば即金で用意できる。
その辺りで交渉すれば、こちらが主導権を握って進められるのではないか。
「そろそろ戻るか」
あまり待たせては心証が悪くなる。
ロハスは応接室に戻り、ソファーに腰を下ろした。
今回の取引だけでなく、これから先のことも見据え、互いに納得する結果が望ましい。
ロハスがどう切りだすかと考えていると、リーヴェと名乗った少女が体を小刻みに震わせているのが目に入る。
それにはララも気がついているようで、視線だけを隣に向けて動かした。
二人の視線の先、リーヴェは青い顔をしてぶつぶつと何かをつぶやく。
少し前かがみに両の手の腹を見つめ、指折り数えては、それを何度も繰り返す。
リーヴェは混乱していた。
金貨1枚でも大金だ。金貨1枚で、ゆうに一年は暮らせる。
それが2000倍だ。
あまりに桁が違いすぎて想像すらできない。
頭の中を何かが廻り、その奔流はさらに勢いを増していく。
そして、ついには決壊という形で口からあふれだす。
「金貨2000枚なんて高すぎです!」
リーヴェが叫ぶように声を出した。
その声にロハスは驚いたものの、これは好都合と便乗する。
「……そうですね。過去に類を見ない話ではありますが、リーヴェさんの仰る通りかと思います。値段としては金貨1000枚が妥当かと」
「1000枚でも高いです!」
「いや、りべちんどっちの味方……」
ロハスは敵が味方であるうちに畳みかける。
「金貨1000枚であれば、一週間以内には用意いたしましょう」
最初から上限いっぱいの金額提示。
金貨2000枚など、どだい無理な話だ。諦めてここで飲んでしまえ。
ララの返答を待つロハスは固唾を飲み込む。
騒ぐリーヴェの隣、ロハスの言葉に返事をすることもなく、ララは鞄の中から紙の束を取りだした。
「では、これも付けてはどうでしょうか」
ララが取りだした束の一部をロハスの前に滑らせる。
何が書かれた紙なのか。
紙を手に取ったロハスは内容を確認する。
「魔銀にタイタン、アルム、ケロム、フェルム……」
それは持ち込まれた魔道具についての資料だった。
なぜこの金属を使うのか、なぜこの配分なのか。
合属の物理的粘性、剛性、弾性や魔力伝導率について、図や表を踏まえ、事細かに考察が書き込まれている。
ロハスは二人の目の前ということも忘れ、唸った。
魔道具加工、性能評価に対するこの切り口。
王国やネイザーライドの最高峰にいる技師と比べても遜色ない。
アベイテ工房の技師の中でも、これほどの資料を作れる者が何人いるか。
この資料を作った技師を付けてもらえば、金貨2000枚でもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、紙を捲っていたロハスの手がぴたりと止まった。
剣、盾、それらに続く三つ目の魔道具の資料があったからだ。
ロハスは落としていた視線を上げる。
「……これは?」
「こちらも無理を言っているのはわかっています。ですから……リーヴェ」
リーヴェが膝に置いた木箱のを開ける。その中から手の平に乗るほどの小さな木箱を取りだした。
ララはそれを受け取ると蓋を開ける。
中のものを取りだすと、手の上に乗せてロハスに見せつけた。
「今回はこれも付けましょう」
ララの手にあるのは送受信装置の魔道具。
「ロハスさんに」
ララから受信装置を渡されたリーヴェは、ロハスの隣に移動して魔道具の付け方を教えた。
ロハスは手の上に置かれた魔道具を観察する。
輪っか状に加工した木材に魔銀と魔石が付けられたもの。
魔道具であることは理解できる。しかし、何をするためのものなのか理解できない。
ものは試し、とロハスは魔道具を耳にかけた。
それを確認したララが送信装置を口元に近づける。
「これも合わせて金貨2000枚はどうでしょう?」
ロハスは耳からララの声が聞こえると、思わず立ち上がった。
間違いなく、声は耳の魔道具から聞こえてきたのだ。
驚きを通り越し、何も考えられない。
呆けた顔をしたロハスが立ち尽くす中、応接室の扉が静かに叩かれた。
ロハスは覚束ない足取りでふらふらと歩き、扉を開ける。
扉の向こうには汗だくで息を切らしている従業員がいた。その従業員が耳打ちする。
――新たなる刻印の登録や申請はない。
ロハスは扉を閉めるとまっすぐに歩き、ソファーに腰を下ろす。
呆けた顔は、いつの間にか精悍な顔つきに変わっていた。
「一週間後……。いや、五日後には金貨2000枚を用意しましょう」
満面の笑みのララが立ち上がり、呼応するようにロハスも立ち上がる。
「握手を」
小さな右手と大きな右手。
テーブルの上で固い握手が交わされる。
「それでは契約書を」
ララは鞄の中から三通の紙を取りだした。
ノード、アベイテ工房のほかに、後見としてのオスファ領が保管するためのものだ。
「こちらの記入はすべて終えています」
取引金額、金銭の受け取り日時、および運搬に関して。
ララが書面の内容を読み上げて、ロハスが三通すべてに署名する。
「ノードはまだ工房を一つ立ち上げたばかりです。これから協力いただくこともあるかもしれません。その時はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ララとロハスは最後にもう一度握手を交わす。
◆ ◆ ◆
二人を見送ったロハスは応接室に戻ってくると、ソファーに座る。
大きく息を吐きだし、テーブルの上の資料を手に取った。
この資料があれば、一ヵ月もかからぬうちに生産体制を整えられるはずだ。
金貨2000枚という対価は大きいが、それだけの価値はある。
また、魔法使いでも扱える剣が入手できたことも大きい。
厄介な上客から剣を依頼されていたのだが、生半可な品では満足してもらえなかった。
交流会には間に合いそうにないが、この剣であれば装飾を施す程度で満足してもらえるだろう。
これから忙しくなるぞと、ロハスは資料を見ながら何を優先させるべきか考え始めた。
◆ ◆ ◆
ララとリーヴェは工房を出ると大きなため息をついた。
それからリーヴェが驚きと喜びを表現するように、両手で持った杖を前後左右に激しく振る。
「すごいっ! すごいです!」
「でしょ? まぁ金貨2000枚でも、関税とオスファへの献金で三割ほど減るんだけどね」
数字のことはよくわからず、とりあえずリーヴェは笑顔で拍手を送る。
すると、はにかむララが握り込んだ右手を前に突きだした。
「えっと、何ですか?」
ララが何をしようとしているのか理解できず、リーヴェは尋ねる。
「冒険者ってこんなのやるでしょ? いい結果が出た時とか、喜びを分かち合う時とか……」
「えっと、知らないです……。それ、私が知らないだけです! やりましょう! どうやってやるんですか?」
「やり方は簡単。こう、拳を突き合わせて――」
右手を前に出していたリーヴェの拳とララの拳が軽く触れる。
一瞬ではあるが、面と向かって体の一部が触れ合うのは気恥ずかしいものがあった。
その気持ちは二人共にあったようで、リーヴェとララは手を下ろすと互いに照れ笑いを浮かべた。
送受信装置は中継、増幅の刻印がないと有効距離が短い。
まともに扱えないとの判断からの売却。
ノードの生産加工体制が整えば特許登録する予定、でした。
(本編関係なし)




