第07話 修行の地へ
リーヴェはミックを背負い、朝から市場に来ていた。
町の大通りと同じように広い道。道端には露天商が連なり、その道を埋め尽くさんばかりの人々が行き交う。
そこかしこから威勢のいい声が飛び交い、その声に立ち止まった者は並べられた商品を手に取って店主と交渉する。
雑踏した市場は活気にあふれていた。
リーヴェは人混みの中、ミックをぶつけないよう注意しながら歩く。
「本当に魔法のこととか、この町のこととか、調べるのは帰ってきてからでいいの?」
『何度も同じことを聞くな。後からでかまわないと言っている』
魔法の修業は北にあるローバスト山脈の麓で行う。
この町を一年離れてだ。
行く先は、店もなければ畑もない場所。
そのため、今日一日かけて必要なものを買い揃えようと市場に来ている。揃えるものは食料、食器や調理器具、日用品。勉強のための紙や筆記具。それに新しいローブや靴に杖。
露天を眺めながら進み、目的の店を見つけるとリーヴェは店主に近寄った。
店主は少し太った壮年の男。道行く人々に野太い声をかけている。
店の前には緑の玉のような野菜が木箱に入れられ積み上げられていた。
「おじさん、ちゃんと使えるお金を持ってきました」
「本当に買いに来たのかい?」
「さっき言った通り、木箱も含めて10箱欲しいんですけど大丈夫ですか?」
「ああ、そりゃあかまわないが……」
「できるだけ安くしてもらえると嬉しいです!」
リーヴェは布袋を出すと、その中から何枚かの硬貨を取り出した。
手の平に乗せた硬貨を店主に見せる。
大量購入するからと、リーヴェは値段交渉を開始する。
リーヴェがこの店に訪れたのは本日二回目だった。
昨夜、ミックが差し出した金貨は5枚。
平民であるリーヴェにとって、硬貨は大銀貨までしか見たことがなく、金貨は初めて見るものだ。
そのまま使えるものだと思っていたリーヴェだが、この店で支払おうとしたところで問題が発生した。古すぎる金貨のために使用を断られてしまったのだ。
悩んだ末に店主からの助言もあって、リーヴェは古い金貨を貴金属店に持ち込んだ。
薄汚い恰好をしたリーヴェは盗品ではと疑いの目で見られたが、金貨には間違いない。
足元をみた貴金属店の主は、ノードで流通している金貨5枚との交換を提示してきた。
しかしミックの助言で金貨の重さを計り、歴史的な価値はどうかと聞くと、しぶしぶながら主は金貨8枚との交換に応じた。
大きな店では問題ないが、小さな店で金貨は使いづらい。そのため8枚のうち3枚の金貨は、大銀貨や銀貨に交換してもらっている。
リーヴェは今まで見たこともないような大金を手にしていた。しかし、この硬貨はミックのもの。
気が大きくならないよう、慎重に値段交渉をする。
「じゃあ大銀貨2枚で」
「毎度あり」
「後から取りに来ます」
リーヴェは店主に大銀貨2枚を渡した。
しわを深くして笑った店主は、キャベツが入った木箱を店の後ろへと運んでいく。
今日買い揃えるものは量が多すぎるため、店主には取り置きを頼んでいる。
昼を回れば市場は人通りが少なくなる。その時に、借りてある荷車で買ったものをすべて運ぶ予定だ。
『よし、次の店に行くぞ』
「うん!」
市場の人込みの中にまぎれ、リーヴェとミックは露天に並べられているものを見て回った。
◆ ◆ ◆
買い出しも終わり、リーヴェたちは家に帰ってきていた。
購入したものはすべて家の中に運び込み、荷車も返し終えている。
ある程度の食料は現地調達。
ミックからそう言われ、食料として主に購入したものは野菜だ。
家の床には野菜が入った木箱が山となって積まれている。
ミックが置かれたテーブルを前に座るリーヴェ。その顔はにへらと笑い、帰ってきてからずっと緩みっぱなしだった。
リーヴェは真新しいローブに身を包み、手には白く輝く杖を持つ。
その杖は金属特有の光沢を放ち、先端には魔石と呼ばれる宝石がついている。
杖はミックが持っていたものだ。
杖を購入しようとしたところ、ゲアストに魔法使いの杖を扱う店はほとんどなく、あるのは手持ちの金貨で購入できないほど高価なものだった。
『あくまでも貸しているだけだからな』
「わかってる、わかってる」
そんなミックも、声は少しうわずっている。
ミックもまた、真新しい木箱に乗り換えていたからだ。
バニッシュが丹念に塗られた箱。バニッシュの香りが漂う中、ほのかに爽やかな木の香りが混じる。
背負いやすいよう、紐も幅が広いものを取り付けている。
自分だけの新しいものが手に入ると浮かれてしまうのは、人も魔族も同じことだった。
いまだ浮かれるリーヴェをよそ目に、ミックは準備を始める。準備といっても、買ってきたものを箱の中にしまうだけではあるが。
黒い触手がむんずと野菜を掴み、箱の中に放り投げる。箱に入れられたものが真っ黒な空間に吸い込まれては消えていく。
野菜や食器、勉強道具はあっという間に家の中からなくなった。
その様子を見ていたリーヴェは目を丸くする。
「魔法……だよね? 本当になんでも箱の中に入るんだ……」
「これは空間魔法だ。便利ではあるが入れられる量には限りがあるし、維持のための魔力消費が難点だな」
「魔法って便利だね……」
「見ていないでリーヴェも用意をちゃんとしろ」
出立の準備は着々と進む。
◆ ◆ ◆
すそ野から山側を見れば、なだらかな傾斜になる辺りから腰丈ほどの草が生えている。
その奥には森が続く。
森が終わり、ある程度の標高になると植物は途端に少なくなり、山の地肌が露わになる。
見上げると、山頂付近に雪化粧をした山々が、天に届きそうなほど高く連なっていた。
ここはローバスト山脈の麓だ。
高く昇った太陽からは、さんさんと陽光が降り注ぐ。
リーヴェは腰かけるのにちょうどいいくらいの石を見つけ、そこに座ってミックが魔法を使う様子を眺めていた。
箱からは触手が伸び、しなっては魔法が発動して淡く光を放つ。そうすると、森の木々が倒れていく。
倒れた木が浮かび上がり、枝葉が落とされ、長方体の木材に加工される。
加工された木はリーヴェの前に運ばれ、山積みとなっていく。
その光景にリーヴェは目を見張る。
言葉は出ず、目の前の光景を脳裏に焼き付けるように、じっと見つめていた。
ここに来るまでも、魔法を使って来た。
徒歩でもなく、馬車でもなく、飛行の魔法だ。
ミックに吊るされているような移動だったため、リーヴェにとっては鳥にさらわれた小動物の気分だったのだが。
これからミックに魔法を教えてもらうのだ。
いつの日か、ミックのように魔法を使える。
己の意志で、鳥のように空を翔ることができる。
自分にもできるようになるのだと想像すると、興奮しかない。
期待感は高まり、リーヴェは自分でわかるほど、胸の鼓動が早くなる。
木を加工し終えたミックが、山積みになった木材の前にふよふよと飛んでくる。
触手がうねり、木材が宙に浮かぶ。
大きな杭のような木材が大地に突き立てられる。
柱ができ、床が張られ、壁が作られる。扉がつけられ、最後に屋根が乗せられる。
わずかな時間で木造の家が完成した。
これから一年ほど住むことになる家だ。
興奮のあまり、立ち上がったリーヴェは完成した家の周りを駆ける。
何周かしたところで、リーヴェは肩を弾ませながらミックの前で止まった。
「今日から教えてもらえるの!?」
『いや、明日の朝からだな。まだ色々と準備は必要だろ』
◆ ◆ ◆
夜が明け、ミックに起こされたリーヴェはもぞもぞとベットから起き上がる。
乾燥させた草を敷き詰め、上からシーツをかけただけの簡素なベッドだ。
ベッドから這い出たリーヴェは、そばに置いていたローブを手に取って袖を通す。
「なんだか体がだるいんだけど……」
『朝食を食べれば治るだろ』
昨日、リーヴェは興奮のあまり寝られず、ミックの魔法によって強制的に眠らされた。
その魔法の効果が残っているのだが、そのことをミックは言わない。
『ほら、さっさと食べろ』
既にテーブルには朝食が用意されていた。
こんがり焼かれたパンに、温められたスープとサラダ。飲み物はミルク。
椅子に座ったリーヴェは食前の祈りを女神に捧げ、パンをちぎっては口に放り込む。
『それを食べ終えたら授業の開始だ』
ミックの言葉を聞いたリーヴェは、猛烈な勢いで食べ始めた。
朝食を終え、テーブルの上に用意されたのは筆記具と大量の紙。
午前中は授業。昼食を挟み、午後から夕方までは演習となる。
そしてミックによる魔法の授業がついに開始された。
ミックが魔法についての理論を語る。
テーブルの上に紙を広げ、リーヴェはミックの言葉を書き取っていく。
ミックが何か言葉を喋る度、リーヴェの右手が動く。
右手が止まり、その手が高く挙がった。
「質問!」
『なんだ?』
「魔力と魔素の違いがよくわからないんだけど」
『魔力は生物の根幹。誰しもが持っている。また空気中にも魔力の粒子が存在している。それが魔素だ。まぁ同じようなものだな。魔法は己の魔力を練って使う』
「誰でも魔力を持っているなら、練習すればみんなが魔法を使ってるってこと?」
『その認識で間違っていない。ただ、それぞれに体内魔力容量が存在する。それが少なければ魔法は扱えない』
なるほど、とリーヴェは頷いた。
新たな疑問が浮かび、再度質問する。
「魔導書に載ってた魔法陣っていうのは? ミックは使ってないでしょ?」
『あれは私もわからない。人間が独自で編み出した技術だろうな。それがなくとも魔法は使えるから安心しろ』
「魔法陣は謎っと」
そう紙に書き込み、魔導書に載っていた魔法陣の絵を描き込む。
『それはいらんだろ』
初日の授業は滞りなく終わる。
ひたすら内容を頭に詰め込もうとしているリーヴェは、虚ろな目で頭を左右に揺らしながら椅子に座っていた。
その横で、ミックが昼食の用意に取りかかる。
気づいたリーヴェがミックへと顔を向ける。
「昼食だったら私も手伝うよ?」
『いいから任せておけ。どうせ私が作ることになるからな』
「なんで?」
ミックは笑うように箱の上蓋をカタカタと鳴らした。
ミックが用意した昼食も食べ終わる。
午後からはリーヴェが待ち焦がれていた魔法の演習だ。
「どんな魔法を教えてくれるの!?」
早く早くと急かすように、リーヴェはミックに詰め寄った。
『慌てるな。まずは授業の復習だ。体内魔力を増やすにはどうしたらいいのか答えてみろ』
「体内の魔力を使って底上げする! でしょ?」
ふふんとリーヴェは鼻を鳴らし、得意げに話す。
『正解だ。それでは底上げしていくとどうなる?』
「それも簡単! 底上げすればするほど増えていく……。曲線的に? だっけ。ある程度増えれば微増になる?」
『そうだ。そして魔力容量がある一定までいくと、そこから増えにくくなる。どこまで増えるかは個々で違うが。おそらく人間が才能と言っているのはこれのことだな』
「子供の頃に才能があるかもって言われたみたいだけど、私は魔力容量が普通の人よりも多くなるかもってことなのかな」
『それはやってみなければわからないな。魔法を使うためには体内魔力容量を増やさなければならない。とりあえず当分の間、午後の演習は魔力容量増加が課題だ』
「それで、増やすにはどうしたらいいの?」
『光の魔法が使えただろう? それを体全体から出す感覚だ』
「そんなのできないけど……」
『私が教えるから大丈夫だ』
椅子に座るリーヴェはミックの指示に従う。
右拳を前に突き出し、手を開く。
『光の魔法を』
リーヴェは集中して魔法を発動させる。
人差し指の先に、爪ほどの小さな光の塊ができ、淡く光を放った。
『それを指全体に。頭の中で想像しろ』
光の塊を見つめ、リーヴェはそれを引き延ばすイメージを頭の中に浮かべた。
塊が少しずつ形を変え、第一関節、第二関節まで広がり、人差し指全体が光る。
『よし。今度は中指だ』
中指の先に光が生まれようとした途端、人差し指の光がふっと消えた。
『どうした?』
「少し疲れて……」
『そんなことでは魔法は使えるようにはならないぞ?』
その言葉を聞き「やるから見てて!」と鼻息荒くしたリーヴェは再度指先を光らせる。
ゆっくりと、じんわりと、中指の先も光り出す。
『そうだ。その調子だ』
ミックは蓋を動かしてカタカタと鳴らした。
◆ ◆ ◆
リーヴェたちがここに住みだしてから三日が経った。
午前中は授業、午後からは体内魔力の底上げと変わらない。
リーヴェの魔力容量の増加が緩やかになれば、ミックは得意とする魔法である光の矢を教えるつもりだ。
この先のことを考え、ミックはリーヴェに一本の矢を渡した。
この矢は魔道具ではない。
金属の矢じりに木の矢柄。矢羽自体はないもの。過去の戦争時、人間が使っていた本物の矢だ。
魔法とは、想像力が重要になる。
だからこそ、常に意識するようにリーヴェには本物の矢を持たせた。
そんなリーヴェは矢を掴んだ両手をテーブルの上に置き、うなだれるように椅子に座っている。
触手が動き、テーブルにミックの作った昼食が並べられていく。
今日の昼食は肉野菜炒めとスープ。
焼かれた肉の香ばしい香りと、野菜が溶かし込まれたスープの濃い匂いが部屋に充満した。
『昼食だ。食え』
テーブルに置かれた料理をリーヴェがじっと見つめていた。
その顔色は悪い。
頬はやつれ、目は虚ろ、目の下にはくっきりと青黒いクマが浮かび上がっている。
リーヴェは手に持った矢の先を、スープ皿の中に入れてかき混ぜる。
すくえるはずないのだが、スープに浸った矢じりを持ち上げ、口にくわえた。
「げほっげほっ」
矢じりを咥え、ようやくスプーンでないと気がついたリーヴェはむせ返った。
『酷い有り様だな。食べないと午後から持たないぞ?』
「……思った以上に辛くて」
魔力容量を増やすため、リーヴェの体内魔力は枯渇状態になっている。
魔力は生物の根幹であり、血液と同じように体にとっては必要なものだ。
それを意図的に少なくすることで増幅作用を狙ったものだが、もちろん人体に影響がある。
今のリーヴェは貧血症状に近い。
矢をテーブルに置き、リーヴェはスプーンを手に取った。
食欲がないらしく、視線を落としたままスプーンを回し、スープをかき混ぜる。
『まだ始めたばかりだというのに。魔法を教えて欲しいというのは、その程度のものだったのか?』
スープをかき混ぜる手がぴたりと止まった。
うつむいたまま微動だにせず、リーヴェは無言になる。
『辛いか? 午後の時間を減らしてもかまわんが』
リーヴェはふるふると顔を振る。
『リーヴェが魔法を覚えなくても、私が魔法を使えば試験などどうにでもなるぞ?』
リーヴェが顔を上げた。
ミックが初めてリーヴェと会った時のように、その目には力が宿っていた。
「午後からも頑張る! 試験も自分の力で受ける! これは私の望んだことだから!」
スープをすくい、スプーンを口に突っ込むように入れるリーヴェ。
皿を持ち上げ、肉野菜炒めを無理矢理口の中に押し込んでいく。
必死に頬張るリーヴェの姿を見て、触手がゆらゆらと楽しそうに揺れていた。