第67話 王都魔法ギルドⅢ
二人の姿が見えなくなると、ベルタは隣に立つヘルトに話しかける。
「お前は相変わらず口が過ぎるな」
「事実を言ったまでです」
自分は何も悪くない。不満をあらわにしたヘルトは鼻を鳴らす。
「まあいいさ。それよりも、噂の箱持ちはどうだったね?」
ヘルトは肩をすくめ、首を左右に振った。
「噂に尾ひれがついてしまったようですね。はっきり言えば失望です。確かに、2年ほどの鍛錬であの魔力量ならば賞賛すべきかもしれませんが、それは凡人から見れば――の話です」
「3級合格者であれば、それなりの魔力量があるだろう?」
「魔力はせいぜい4級程度といったところ。どうやって3級試験に受かったのか疑問です。きっとノードの審査が甘いのでしょう。質の低下を招く、許されざる行為です」
「ふむ、ヘルトからはそう見えるか……」
話は少し長くなりそうだと、ベルタが持っていた杖で近くのテーブルを指した。
杖を支えにベルタが椅子に腰かけ、その対面にヘルトが座る。
「女神様からの寵愛を受けていない――才能があまりないのでしょうね。あのくらいでしたら魔法試験でも見かけます」
「そうか、それは残念なことだ。ただ、黒髪ってのは本当だったね。レオンの戯言かと思っていたのだけれど」
その名前を聞いたヘルトは、昂る感情を抑えきれずに声を尖らせる。
「――大伯母様。無能の名を出すのはやめてもらえませんか? あいつはヘア家の面汚しですから」
「自分の父親を無能……あいつ呼ばわりとはね」
表情をあまり変えないベルタとは対照的に、ヘルトは忌避感を前面に押し出すように顔をしかめていた。
名を聞くだけで虫酸が走る。同じ家で暮らしながら、もう何年も言葉を交わしていない。
正統な勇者の血筋であるヘア家の名を汚した男。
ヘルトは心の底から父であるレオンが嫌いだった。
これ程までにヘルトが憎悪するようになったのは、今から11年前に起こったことが原因だ。
当時、ベルタが王都魔法ギルドの副ギルドマスターを退任することになった。
空いた席には誰が座るのか。
ヘア家派閥の貴族たちは、レオンをその席にと画策する。
副ギルドマスターに史上最年少で就任。実現すれば、王国はヘア家を中心に回ることになるだろう。
だが、推挙するにはまだ実績が足りない。
そこで立案されたのは、ノード国ゲアストの東に存在する迷宮の調査、および遺品の発掘だった。
魔物らしきものが住み着き、長らく放置されていた迷宮。
これまでに何度も調査隊が送られていたが、ことごとく失敗に終わっている。
迷宮の最深部にたどり着きでもすれば、功績としては十二分。
すぐさま調査隊が編成され、その長としてレオンが就任する。
万全の準備を整えた調査隊は、ゲアストに向けて出立した。
未踏の場所まで行けるのだろうか。いや、踏破するのではないか。
送りだす王都魔法ギルドや派閥の貴族、この遠征を知る者たちは期待を胸にする。
王都のそこかしこでレオンの噂は囁かれた。
しかし、結果は惨憺たるものだった。
迷宮入口にて、魔物とおぼしきものの攻撃を受けた調査隊は半壊。
多数の死者まで出し、多大な損害を被った。
選りすぐりの魔法使いたちを失い、戦力を維持できなくなった調査隊は、何の成果も得られず撤退することとなる。
治療もままならぬうちに、満身創痍で王都へと帰還したレオンたちを待っていたのは非難の嵐だった。
過度な期待は裏切られたという思いに変わる。
対立する貴族からだけでなく、レオンは我が子を失った派閥貴族からも罵られた。
臆病者、愚鈍、無能といった罵詈雑言。
責任追及の流れは止まらない。
対立する者たちの手によって、迷宮遠征の報告書が流出する。
その中で、綴られる一節が問題として取り上げられた。
――ゲアストにて、女神に選ばれた魔法使いの子孫と思われる少女と会遇した。
ベルツ王国において、女神に選ばれた魔法使いの出生地は王都だと言われている。
魔法使いの子孫がいるならば王国内。ノードという弱小国にいるはずがない。
これは調査失敗から関心をそらさせるための虚偽の情報だと、さらに方々から執拗に責め立てられることになった。
ヘア家の権威は失墜し、歳月が経った今でも、陰では臆病者、嘘つきと呼ばれている。
だが、報告書については真実だったと言えるだろう。
面白くなさそうな顔をしたヘルトが、愚痴を零すようにつぶやく。
「おそらく……報告書の少女があの箱持ちでしょうね」
「レオンは嘘を言ってなかったということか」
「しかしながら、あの魔力量は努力して到達できる水準です。やはり大魔法使いは存在しない。あの箱持ちは魔法の才能が少しあっただけ。そして黒髪なのは偶然といったところでしょうか」
「迷宮踏破の噂も流れていたが、それはどう思う?」
ヘルトは嘲るように笑った。
「それこそあり得るとお思いですか? 迷宮に入れるようになっているならば、魔物が死んだか、もしくはどこかへ移動したのでしょう」
「それもそうだな」
ベルタは背もたれに深く体を預けると、視線を天井に向けて考え込む。
報告書の少女は実在したが、だからといって大魔法使いの子孫である証明にはならない。
そもそもが、大魔法使いとはいったいどこの誰なのか。
一般的に、大魔法使いは実在した人物になっているのだが、歴史書を紐解けばその存在は非常に疑わしい。
王国内に残る女神関連の書物は多く、同様に女神に選ばれた人物の書物も数多く存在する。
勇者に関するものは数百冊。大神官のものでも、ゆうに数十冊を超える。
勇者の家系は現在も貴族として繁栄し、大神官の家系は神聖国国家元首だ。
この二人に関して、実在した人物なのは疑う余地がないだろう。
ただ、大魔法使いの記述がある書物はとても少ない。
王家に残っていたもので三冊、ヘア家に残っていたもので二冊、民間に残っていたもので一冊。
その記述も少なく、六冊に記載されている文章を合わせても、紙にして数枚といった量にしかならない。
書物から読み取れる情報は二つ。
女神に選ばれた魔法使いは"大魔法使い"と呼ばれ、"黒髪"の若者だったということだけ。
それ以外は名前や出生地でさえも不明だ。
残る書物が少ないながら、なぜこれほど民に根付いているのか。
それは親から子へ、子から孫へ。世代を越え語り継がれてきたからに他ならない。
場所によって多少の違いはあれど、その口伝の内容は似通ったものばかり。
――魔王との最後の戦いにおいて、仲間を守るために魔法使いはその身を犠牲にした。
民に語り継がれている内容。
非常に珍しい黒髪色で、名も不明、出生地も不明。
また、歴史書の中では魔王討伐後も生きていたと読み取れる文章もある。
存在のみが独り歩きし、実体がない人物。
突然に現れ、忽然と消えてしまった大魔法使い。
不自然に足らず、不自然にずれる、まるで創られた情報。
これらのことから、|大魔法使い《女神に選ばれた魔法使い》を架空の人物として考えればすべての辻褄が合う。
勇者と大神官が魔王を討ち滅ぼした。
大魔法使いは存在せず、自己犠牲の尊さを学ばせるための訓戒として流布されたものではないか。
公にはできないことだが、現在の歴史研究家たちや一部の貴族の間では、大魔法使いという人物はいなかったというのが通説となっている。
ヘルトも大魔法使いは架空の人物だと思っていた。
しかし、半年ほど前のことだ。とある噂が耳に入った。
たった1年の鍛錬で3級魔法試験に合格した女がいる。それも黒髪だという。
その噂を聞いた時、ヘルトは胸が高鳴るような興奮を覚えた。
大魔法使いが実在した人物であれば、黒髪の女が子孫である可能性がある。
1年で3級試験に合格できるほどの膨大な魔力量を持っているならば、大魔法使いの子孫である可能性が跳ね上がる。
いや、確定的だと言ってもいいだろう。
ようやく自分と轡を並べる者が現れた。
そう考えていたヘルトは黒髪の女と出会い、落胆した。
実際に見てみると、黒髪の女は4級程度の魔力量しかない。
期待は失望に変わり、裏切られたという思いが苛立ちを募らせる。
さらには一緒にいた銀髪の女。
「あのクソ女」
先程の反抗的な目つきが脳裏に浮かび、思わずヘルトは汚い言葉を口に出す。
ノードという弱小国家の地方貴族。
大伯母の前だからこそ、事を荒立てずに済ませたつもりだ。
募らせた苛立ちは消化されずに体内をめぐり、色濃く濃縮されていく。
その感情を察知したのか、ベルタが諭すように声をかける。
「オスファが何を企んでいるかわからないがね、余興を楽しみにしようじゃないか。面白いことをやってくれるかもしれないだろ?」
「そうであってくれればいいんですけどね」
実力不足で4級にすらなれない魔法使いが二つ名で呼ばれるほどの国だ。
あまりにも水準が低すぎて、何があったとしても不思議はない。
「お前の晴れ舞台だろ? 自分のことに集中しな」
「ええ、もちろんです。僕は僕の役目を果たしますよ」
ヘア家は崇め敬われるべき存在。
決して侮られてよいものではない。
実力の差を見せつけて、かつてのヘア家を取り戻す。
そうヘルトは心に誓う。
◆ ◆ ◆
木箱を膝の上に抱え、リーヴェはどさりと背もたれに倒れ込む。
それが合図のように、馬が一声いななきを上げて馬車は動きだした。
リーヴェが横目で隣を見れば、ララは口を閉ざしてうつむいていた。
「あの男の子はララ様の実力を知らないだけなんですよ」
喋りながら隣を窺うも、ララはうつむいたままだ。
「余興に出るのは私なので、代わりに私がコテンパンにやっつけちゃいますね。そりゃあもう完膚なきまでにボコボコにして、石臼でひいてからノードの畑にまいちゃいます」
もちろん、余興で戦うことなどない。冗談の類だ。
ただ、ララの琴線には触れられたようで、うつむいたままのララが「ふふふ」と小さく笑いだし、それに合わせてリーヴェも笑った。
ララが目尻をこすりながら顔を上げる。
「ごめんね、色々と迷惑かけちゃった」
「いえいえ、そんなことは」
ララがリーヴェを見つめると、その顔には疲れが見える。
先の不穏な状況に居合わせためか、昨日寝付けなかったためか、はたまた長い時間歩き回ったためなのか。
「疲れた?」
少し気だるげに、リーヴェは首を縦に振る。
「新しい魔法に挑戦している最中で……ちょっとだけ疲れました」
「また、未来の大魔法使い様はどんな魔法を?」
どこまで本気なのかわからないが、リーヴェの目指しているものは、想像しえないほど高い目標なのだろう。
知識はあれど、ララはほとんど魔法を扱えない。
どんな魔法に挑戦していたのかと興味が湧いたララは、からからと笑いながら尋ねた。
「えっと、体から出る魔力を抑える魔法です」
ララは困惑する。
「え、何それ? どういうこと? ……意味がまるでわからないんだけど」
「魔力って、血と同じく生き物の根幹じゃないですか」
「うん、そうだね」
「魔力量が多い人って、体から靄みたいに魔力が出るらしいんですよ!」
「あー、そうらしいね」
他人の魔力の可視化。
いまだにその条件は判明していないが、選ばれた者が持つような能力だ。
先程会ったヘルトという少年も、その能力を持っているようだったとララは思いだす。
「で、それが?」
「その靄をとても薄い防御障壁で蓋をしちゃう魔法なんです!」
朗らかに説明するリーヴェの様子を見て、ララは噴きだした。
「そんな魔法聞いたことないけど! って、なんのためにするの!?」
「えーっと……目立たないようにするため?」
「……りべちんって時々バカになるよね」
「そ、そんなことないですよ! バカって言うほうがバカだと教会で教わったのですが!」
「いや、残念ながらバカでしょ」
車輪がカタカタと音を鳴らし、膝上の木箱もカタカタと鳴る。
騒がしい馬車内とは裏腹に、静かな王都の中を馬車はゆっくりと進む。




