第59話 それぞれの思惑Ⅴ
この部屋の窓には厚手のカーテンがかけられ、日の光が入らないようにされている。
これは書物が日に焼けるのを防ぐためのものだ。
昼間でも暗い部屋ではあるが、今は天井近くに浮かんだ光の玉が室内を明るく照らしていた。
今ではララから提供された刻印や魔道具関連の書物も並んでいるが、ここは魔導書庫と呼んでいる部屋だ。
部屋の中央、光の玉が浮かぶ真下には円形の木製テーブルがあった。
そのテーブルの上にはミックが置かれ、エルザとリーヴェが向かい合って座っていた。
「それで、なんの話なの?」
「それは……」
話があると言っておきながら、リーヴェが尋ねてもエルザは口ごもるばかりで会話は遅々として進まない。
この部屋に入ってからは同じような問答を繰り返してばかりだった。
いつもなら話をするのは食堂だが、リーヴェが呼ばれて来たのは魔導書庫。
この書庫は普段ミックがよくいる場所であり、ジークやレイネですら無断で入ることは許可されていない部屋だ。
ならば二人、いや、三人だけの大事な話なのだろうと身構えていたのだが、どうもエルザの歯切れが悪い。
リーヴェは頬杖をつき、最近のことを思い返していると、ふと頭に過るものがあった。
「もしかして、王都が関係する話?」
下を向いていたエルザが勢いよく顔を上げる。その顔は驚きに満ちていた。
「知っていたのですか?」
「ううん、知ってたわけじゃないんだけど……」
オスファにて、ヴィムが去りぎわに残した言葉。
言い間違い、聞き間違いもあるだろうと、たいして気にも留めていなかったことだ。
しかし、これで話が進みそうだとリーヴェは安堵する。
「実は――」
重かった口が開かれ、ようやくエルザは呼んだ理由を語り始めた。
まもなく王都で交流会があること。
その交流会の余興にリーヴェとエルザが呼ばれたこと。
クラウスには参加すると約束をしてしまったこと。
エルザはあらましを話し終えると、今度は実利の説明へと入る。
余興に参加するだけで、魔銀鉱床の件ではオスファの後ろ盾が得られる。さらには輸出品の購入費増額を約束されている。
たったそれだけのことで、ノードとしては莫大な利益を得ることになる。
それだけではない。
余興とはいえ、他国の人間が交流会に参加することなど初めてのことだ。
エルザには自信があった。
師は古の魔法使いであるミック。
二人とも資格は3級なれど、それは都合上のものだ。現段階でも王国の1級魔法使いに並ぶ力はある。
参加すれば、間違いなく注目を浴びることになるだろう。
名を上げるには申し分ない、いや、これ以上にない舞台だと。
口ごもっていた先ほどとは裏腹に、エルザはまたとない機会なのだと言葉強くリーヴェを説得する。
息巻くエルザに対し、リーヴェの答えはあっさりとしたものだった。
「もちろん私は行っても大丈夫だよ。でもね、仕事として行きたいかな」
「仕事……ですか?」
あまりにあっさりと答えるリーヴェに対し、毒気を抜かれてしまったかのようなエルザは聞き返す。
「そう! 指名依頼だっけ? エルザが私に仕事の依頼をするの。一日のお給金は銀貨二枚! と、ご飯付きでどうかな?」
本格的に春も始まり、ノードの農業は開始されている。
近日中にでも、リーヴェはまた水やりの仕事を始めるつもりだった。
その代わりならば、金額的にこれくらいだろうとリーヴェは提案する。
「リーヴェ……」
エルザはほっと安堵したような表情を見せたが、その顔はまだ晴れない。
二人が初めて顔を合わせてから約一年。
きっとリーヴェなら事情を話せば協力してくれるだろう、とエルザは考えていた。
しかし、二人が王都に向かうことになった場合、ミックはどうなるか。
ゲアストに残ってもらう場合、身の回りを世話する者がいなくなる。
王都についてきてもらうにしても、またその力や知恵を借りなければならないことが起こりうるのが問題だ。
今の時点で返せないほどの恩義がある。
いつも協力してもらうばかりで、エルザは常日頃から心苦しい思いをしていた。
金銭には興味を示してもらえない。
魔導書などは入手のしやすさや質に問題があり、確約ができない。
テーブルの上から握る手に目を落とし、エルザはうつむいた。
手を伸ばしたリーヴェがペシペシと木箱の上蓋を軽く叩く。
「ミックも行くよね?」
『ああ、もちろんいいぞ。保護者同伴というやつだ』
場を和ませるかのように、ミックのおどけたような声が響いた。
『それに、余興とやらに参加すれば王国の魔法使いたちが使う魔法を見られるのだろう?』
「ミック師匠……」
顔を上げたエルザは目尻を涙で滲ませる。
「前にエルザは王都にいたんだよね? どんな場所なの?」
『私もその話は興味があるな』
咳払いをしたエルザは居住まいを正し、二人のためにと語り始めた。
「そうですね。都で一番有名なのは、やはり女神教会の大聖堂でしょうか――」
絢爛な街並みの中にそびえる大聖堂。
ゲアストとは比較にならないほどの大きな魔法ギルド。
それらを見下ろすのはベルツ王国国王の居城。
今度は王都での暮らしがどうだったのかを語る。
住んでいた場所、周りにはどんな店があったか、よく食べていたもの。
もう何年も前のことを思い起こし、懐かしみながらエルザが言葉をつむいでいると部屋の扉がノックされた。
三人の視線が一斉に扉へと向かう。
「エルザさま、ララさまがいらっしゃいました。いかがいたしますか?」
相変わらずの勝手気ままな訪問に不快感をあらわにしたエルザは、眉間にしわを寄せる。
「ここにエルザちんとりべちんがいるの?」
扉の向こう側からララの声がすると同時にドアノブがガチャリと回り、扉が開かれた。
慌てふためくレイネを無視して、ララが書庫の中へと足を踏み入れる。
「やっほー遊びに来たよ。へぇ、本だらけだね」
いつもの緑のドレスを着たララが顔を左右に、本棚から本棚へと視線を泳がせる。
「本当にあなたはっ! 下に行きますよ!」
立ち上がったエルザは歩き出だし、部屋の外に出るようにとララを促す。エルザの後を追ってリーヴェも立ち上がった。
いつもであれば食堂で茶でも飲みながらまったりしている時間だ。
メイドも立ち入りを制限されているような場所。そんな場所で何の話をしていたのかと疑問に思ったララは、部屋を出ていこうとするリーヴェに問いかける。
「何の話をしてたの?」
「えっと、交流会に参加するって話をしてました」
部屋の外で待っていたエルザは肩を落とし、ため息を漏らした。
たしかにララはこの国の重要人物。明日にはその話が耳に入ることだろう。
しかし、この場ではその話をして欲しくなかった。
レイネを見れば、聞こえていませんでしたとばかりに耳を両手でふさいでいる。
「……交流会。ふーん、王都に行くんだ。ボクも行くから!」
「私たちは遊びに行くのではありませんよ」
とげとげしい言葉を放ったエルザに、人を挑発するような薄ら笑いを浮かべるララが近づいた。
「あのさ、次期ノード代表のエルザちんに聞きたいんだけど、今の国庫状況ってどうなの?」
「……何が言いたいのですか?」
ノードはようやく冬が明け、まともに農業が再開したところだ。
要塞建造、魔道具工房の立ち上げ魔銀の購入費。昨年末にかけて消費し続けたノードの財政は心もとない。
あまり触れたくもない話題に、エルザはララを睨みつける。
「あの魔道具とか権利とか、そろそろ売らない? 王都に行くならちょうどいい機会だと思うんだけど」
「……いか程になるとお思いですか?」
ララがしなやかな細腕を伸ばし、エルザの肩に手を添える。
背伸びをしてエルザの耳元に顔を寄せたララが口を開いた。
「金貨1000枚以上にはなると思うよ」
「っ!」
エルザは魔道具を売るつもりではいた。
しかし、魔道具に関する知識は乏しく、いつ、どのくらいの値段で売れるのかという目安を持っていない。
知識を持たないものなど、商売人にとって格好の餌食でしかない。
その点、目の前で憎たらしく笑うララは適材適所。
持つ知識はおそらく王都でも上位に入れるほどのものだろう。
「魔道具を売るために同行したいんだけど?」
ララの提案に対し、エルザは頷くことしかできなかった。




