第58話 それぞれの思惑Ⅳ
アルバンたちがクラウスに報告をしている頃、リーヴェは近くの控室にいた。
髪色に合わせた黒いドレスを着て、すまし顔で椅子に座る。目の前のテーブルには木箱。
リーヴェの後ろにはレイネが控え、扉のそばにはジークが立つ。
現在、ノードは財政難に陥っている。少しでも経費を浮かそうと、ジークを御者にオスファへの訪問にはリーヴェとレイネも付いてきていた。
リーヴェはテーブルの上のカップに視線を落とす。
ゆっくりと手を伸ばし、カップの持ち手をつまむと、静かに口元へと運ぶ。
最近ようやく慣れてきた。
動作はゆっくりのんびりと。そして顔はすまし顔。
話しかけられれば愛想よく笑い、相槌を打てばいい。
これはエルザから教えられた方法だ。
『そんな簡単なことで上品に見えるものだな』
「でしょ?」
リーヴェは空になったカップをことりとテーブルに置く。
「リーヴェさま、どうかされましたか?」
「ううん、なんでもないよ。お茶のおかわりお願いできる?」
「はいっ!」
仕事を与えられたレイネは嬉しそうに準備を始める。
お茶の道具が乗せられた台車の上、空のカップに注がれるお茶が湯気を上げた。
「アルバンさんたち、いつ頃戻ってくるのかな?」
「さあ、どうでしょう。わたしにはわかりかねます」
レイネがテーブルにカップを置き、一礼して後ろに下がった。
リーヴェが手を伸ばそうとした時、控室の扉がノックされる。
リーヴェとレイネの視線が交差する。
ノックから続く声はない。だとすれば、アルバンやエルザではない。
どうしていいのかわからず、おろおろとリーヴェはとまどう。
『ここはリーヴェが指示を出すべきではないか? それと扉の向こうにいるのは魔法使いだな。そこそこ力のあるやつだ』
この部屋にいる三人の中ならば、動かねばならないのは自分だろう。
ミックを見て、頷いたリーヴェは口を開く。
「えっと……どうぞ」
リーヴェが入室の許可を出すとガチャリとノブの回る音が聞こえ、扉がゆっくりと開いた。
その向こうから現れたのは、長い茶髪を一纏めに流してローブを着た壮年の男。
以前見た顔に、リーヴェは慌てて立ち上がる。
「えっと……ヴィムさん。……鉄壁のヴィムさんですよね?」
「名を覚えてもらっていたとは光栄だ」
ヴィムが一歩前に出て、胸に右手を当てる。
「……ところで、ヴィムさんは何かご用でしょうか? まだ、アルバンさんもエルザも戻ってきていないのですが」
「実は、リーヴェさんのことをもっと知りたいと思ってね。少し時間をもらえるか?」
相手は自分よりも格上である1級魔法使い。
話を断ることなどできるはずもない。
「レイネちゃん、ヴィムさんのお茶も用意をお願い」
「は、はいっ!」
口を両手でふさぎ、耳と顔を赤らめていたレイネがお茶の準備に取り掛かる。
対面の椅子にヴィムが座ると、リーヴェも腰を下ろした。
「あの……私のことを知りたいとはどういった意味でしょう?」
平民であるリーヴェはこのような場合、どのように受け答えすればいいのかわからない。
それにどんなことを聞かれるのかわからず、内心は焦る気持ちでいっぱいだった。
握る手は湿り気を帯び、喉が乾きを訴える。
リーヴェは目の前に置かれたカップを手に取ると、ごくりごくりと一息に飲み干す。
空になったカップがテーブルに置かれると同時に、ヴィムは切り出した。
「率直に聞こう。どうやってその魔力を? 以前よりも、さらに魔力が増しているようだ」
上の立場の者が下の立場の者に問う。
ましてや会うのはこれで二度目。
ほかの魔法使いに今の状況を知られたならば、横暴だとなじられるだろう。
しかしながら、ヴィムは聞かずにいられなかった。
目の前に座るリーヴェの口が開かれるのを待つ。
ごくりと喉が鳴る。ヴィムはカップを手に取ると、一気に飲み干した。
『口ぶりから察するに、リーヴェの魔力が見えているようだな』
魔力を増やす。
その修業をしたのはもう一年以上も昔のことだ。
ミックに確認してもらいながら魔力を均等に出していく修業。何度も気絶し、何度もくじけそうになった。
つらかっただけあって、思い返せば懐かしく、楽しかったとすら思える。
しかし、説明しようにも曖昧な話になる。
全身から均等になるよう魔力を放出し、空になれば倒れる。そしてよく寝て、よく食べて。それを繰り返すだけだ。
魔力放出はミックに確認してもらいながら、教えてもらいながらであり、口で伝えるのは難しい。
それにヴィムは1級魔法使い。幼稚な言葉では説明されるほうも困るだろう。
どう答えていいものかリーヴェが迷っていると、ヴィムが苦笑いをしながら口を開いた。
「秘匿すべき情報のことを軽々しく聞きすぎた。少し意地悪が悪い質問だったな」
「いえ、そんなことは……」
「せっかくこうして話ができたんだ。逆に、俺に何か聞きたいことはあるか?」
相手は1級魔法使い。
聞きたいことは何かしらあるが、急に言われても思いつかない。
何を聞こうか考えていると、リーヴェの頭の中にふと閃くものがあった。
リーヴェは木箱に手を伸ばし、ぽんぽんと叩いた。
意図を理解したミックは、上蓋を少しだけカタカタと動かして反応を示す。
『二つ名は鉄壁だったな。どんな防御障壁を使うのだ? 実際に見せてもらえるのであればいいのだが』
「えっと、ヴィムさんってどんな障壁を使うんですか? 私は――」
リーヴェが人差し指を立てると、その上に四角錐の障壁が現れる。
障壁は顔ほどの大きさ。魔力を含んでいるためか不透明であり、見た目は磨りガラスのようなものが浮かぶ。
その障壁を見て、ヴィムは唖然とした顔をする。
魔法を見せるだけならば、問題ないと考えていた。
ヴィムの表情を見たリーヴェは、慌てて謝罪の言葉を述べる。
「すみません、よくない質問をしてしまったようで……」
「いや、かまわない。俺の使っている障壁はこれだ」
ヴィムが人差し指を立てると、その上に正六角柱の障壁が現れる。
障壁の知識はミックの授業で散々習ったこと。
それを思い出しながら、リーヴェは捲し立てるように話す。
「六角形だと結合力が強くなるんですよね。でも私には厚みを持たせて複数出すのが難しくて。柱のほうがいいのは理解できるんですが、錐体のほうが魔力運用効率がよくて。それで四角錐に変えたんです。使いやすいですし。こう、斜めからの攻撃を防ぐ場合なんか特に」
驚いた表情のヴィムが興奮したように前のめりになる。
「……いや、恐れ入った。防御魔法に特化した者たちで研究を重ねているのだが、今すぐそこに入ってもらってもいいくらいだ」
「えっと……もったいないお言葉です」
「六角柱の場合、問題点はあると思うか?」
「そうですね。慣れれば六角錐のほうが効率的にもよいかと」
「厚さや大きさを決めている基準は?」
「そうですね……」
しばらく、二人は防御魔法について熱く語り合った。
3級魔法使いでありながら1級魔法使いの知識に渡り合う。
それだけではない。
ヴィムにとってリーヴェの考え方や発想は面白いものだった。
非常に満足のいく時間。
だが余韻に浸っている場合ではない。すぐさま部屋に戻り、忘れないうちに書きとめなければ。
「すまない。そろそろ失礼させてもらう。久々に楽しいと思える時間だった。感謝する」
「いえいえ、こちらこそ楽しかったです」
「それでは、また近いうちに王都で会おう」
ヴィムは立ち上がるとそう言い残し、そのまま部屋を出ていった。
「なんで王都?」
『さぁな』
「それよりも喉が渇いたよ。レイネちゃんお茶頂戴!」
緊張していたこともあり、ひどく疲れたように感じる。
テーブルに突っ伏したリーヴェは、カップをレイネへと突き出した。
「あっ! すみません。お湯がなくなっちゃいました……。貰ってきます!」
すばやい動きで部屋からレイネが出ていく。
その後ろ姿を見送ったリーヴェはミックに視線を移した。
「私の魔力ってそんなに多いの? もしかしてヴィムさん、ミックの魔力を見てたんじゃないの?」
『それはない。見えているのはリーヴェの魔力だけだ』
「……そうなんだ。あれ? ヴィムさん、ミックの魔力が見えてないの?」
『私は見えなくする魔法を使っているからな』
「えー、どうやってするの!? 教えてよ!」
『これは防御障壁の応用だ。肌の上に被せるように薄く防御障壁を――』
「こんな感じ?」
リーヴェの体を包み込むように障壁が現れる。
『それでは駄目だ。厚すぎるし、全体の形をもっと整えろ』
「よし、レイネちゃんが帰ってくるまでに完成させてみせる!」
『言ったな? 厚さは均一にしろ。違和感の原因になる。それから――』
魔法の修業はアルバンたちが戻ってくるまで続く。




